ユーハバッハとの決戦が終わり、三界に平穏が戻った後の現世。
浦原商店の地下修練場。かつて世界を救うために無数の訓練を重ねたその薄暗い空間に、重苦しい沈黙と、深い悔恨が立ち込めていた。
床に拳を打ちつけ、激しく打ちひしがれる黒崎一護。そして、壁に背を預け、眼鏡の奥の瞳を絶望に揺らす石田雨竜。
1. 苛む「たられば」
「……クソッ……! クソがっ……!!」
一護の血の滲む拳が、地下の岩盤を打ち砕く。
「なんで……なんで俺はもっと早く辿り着けなかったんだ……! あの時、俺がコンマ一秒でも早く着いていれば……天理さんを一人で戦わせずに済んだのに……ッ!!」
「……僕のせいだ」
雨竜が、血を吐くような絞り出す声で呟いた。
「僕が『静止の銀』をユーハバッハに撃ち込んだ、あの瞬間……間髪入れずに僕が追撃を仕掛けていれば……! 天理さんにすべての代償を背負わせる必要なんてなかった……! 僕が……僕の判断が遅かったから、天理さんは自らの存在を燃やし尽くすしかなかったんだ……ッ!」
二人の胸を苛むのは、終わった戦いに対する無限の「もしも」。
己の無力さと判断の遅れが、護廷十三隊の影として誰よりも温かく自分たちを支えてくれた天理を死に追いやったのだという自責の念が、底なしの泥濘となって二人を打ちのめしていた。
2. 激昂と、夜一の怒り
「……いつまでそうやって、惨めに地べたを這い回っておるつもりじゃ」
暗がりから、凛とした冷たい声が響いた。四楓院夜一だ。
腕を組み、鋭い眼光で二人を見下ろしている。
「終わったことをいつまでも悔やみ、『あの時ああしていれば』などと幼子のような戯れ言を抜かすな。天理が命を懸けて掴み取った勝利を、貴様らの泥ような後悔で汚すつもりか!」
「……なんだと……!?」
夜一の厳しい叱咤に、一護がガタリと立ち上がった。その瞳には、溢れ出す感情と激しい怒りが宿っていた。
「あんたに……あんたに何が分かるんだよっ!! 目の前で天理さんが光になって、百合の花びらみたいに透けて消えていくところすら……見てもいない奴に何が分かるんだよっっ!!」
一護の胸を裂くような叫び。
だが、夜一はその言葉に怯むことなく、かっと目を見開いて一護に一歩踏み出した。
「——見ていないからなんじゃ!! 貴様は儂が、あやつを失って哀しんでおらぬとでも思うておるのかっ!?」
夜一の声が、地下修練場の空気を震わせる。
「舐めるなよ、一護! 貴様らよりも天理との付き合いが長いのはこの儂じゃ! 何より……あやつは儂の馬鹿弟子じゃぞ!! その弟子を失って、師である儂が悔しくないはずがあろうか!!」
一護は息を呑んだ。
威風堂々とした夜一の肩が、微かに震えている。その瞳の奥にもまた、弟子を救えなかった深い哀しみと悔恨が、固く押し殺されているのを一護は悟った。
3. 押し掛け師匠と、破られた重苦しさ
「……いやー、夜一さん」
緊迫した空気の中、扇子でパタパタと顔を仰ぎながら、のらくらと浦原喜助が歩み寄ってきた。
「勝手に一番隊の執務室に押しかけて『今日からお前はワシの弟子じゃ!』って押しかけ師匠面してるだけじゃないすか。確かその時、天理さん『勘弁してください、私はただの平隊員です』って死ぬほど嫌そうな顔で断ってたと思うんすけど?」
「なっ……! やかましいぞ喜助!! 余計なことを喋るな!」
夜一が顔を真っ赤にして叫び、浦原の頭へ勢いよく拳骨を叩き落とした。
「てでっ!? いやいや事実でしょう! 毎回毎回、気配を消して逃げる天理さんを、夜一さんが瞬歩で追いかけ回して無理やり稽古をつけてただけじゃないですか!」
「黙れと言っておるじゃろ! 弟子は弟子じゃ! 天理も最後はあきらめて『師匠』と呼んでくれたわ!」
「あれは呆れて諦めただけっすよ!」
ドタバタと拳を振るう夜一と、それをひょいひょいと扇子で交わす浦原。
4. 吹っ切れた心
「…………」
そのやり取りを呆然と見つめていた一護と雨竜。
あんなにも重く、窒息しそうだった地下修練場の空気が、浦原と夜一のくだらない(しかし温かい)掛け合いによって、スッと軽くなっていく。
「……ふっ」
雨竜の口から、小さな吐息のような笑いが漏れた。
「……何だよ、それ。天理さん……そんな苦労してたのかよ」
一護もまた、目元を腕でゴシゴシと拭い、どこかすっきりとした苦笑いを浮かべた。
天理はいつだってそうだった。
どれほど苛烈で圧倒的な力を持ちながらも、本人は「ただの平隊員」として静かに過ごすことを望み、周囲の賑やかな騒がしさを苦笑いしながら受け入れていたのだ。
自分たちがいつまでもシクシクと泣き、悔恨に沈んでいる姿など、天理が一番望んでいない。
「……悪ぃ、夜一さん。変なこと言って」
一護がしっかりと自分の足で立ち上がり、夜一を見据えた。
「俺……天理さんが守ってくれたこの世界を、ちゃんと生きていくよ。天理さんに『胸を張って生き抜いた』って報告できるようにさ」
「……僕もだ」
雨竜も眼鏡を掛け直し、静かに頷いた。
「僕たちの命は、天理さんが繋いでくれたものだ。二度と『あの時ああしていれば』なんて言わない。前を向いて歩くよ」
二人の瞳から憑き物が落ち、強い決意の光が戻ったのを見て、夜一はフッと満足そうに口元を綻ばせた。
「ふん……最初からそう言えば良いのじゃ」
(……見ているか、天理)
夜一はそっと天井を見上げ、胸の中で愛弟子に呼びかけた。
(貴様が命を懸けて救った若者たちは……もう大丈夫じゃ。安心して……どこかで見守っておるがよい)
現世の地下修練場に、爽やかな風が吹き抜けた気がした。
哀しみは消えない。けれど、彼らは天理が遺した光を胸に、再び自分の足で未来へと歩み始めたのだった。