十一番隊舎の広大な道場が、凄絶な密度の荒々しい霊圧によってミシミシと悲鳴を上げていた。
壁に裂け目が走り、天井から粉塵が舞い散る。その中心に立っていたのは、更木剣八だった。
「クソがッ……!! どこへ行きやがった……ッ!!」
ドガァンッ!! と爆発的な霊圧が膨れ上がり、道場の太い柱が一本、粉々に吹き飛ぶ。
剣八を苛んでいたのは、激しい怒りと、爪を立てられたような焦燥だった。
あの野郎——七瀬天理は、ユーハバッハとの戦いで己の存在を完全に消し去り、勝利を掴んで消えてしまった。
自分と決着をつけることもなく、全力の戦いすら見せず、圧倒的な強さのまま姿を消したのだ。完全な「勝ち逃げ」だった。
さらに剣八の胸を焦がしていたのは、認めがたい事実だった。
かつて己の内に眠る野晒の声を聴き、始解へと至る手繰り寄せのきっかけをくれたのは、紛れもなく天理のふざけた助言だったのだ。
本人は口が裂けても認めていなかった。だが、あの野郎という指標を、戦うべき最高の獲物を永遠に失ってしまったという底なしの喪失感が、剣八をただ狂暴に暴走させていた。
1. 初代剣八の登場
「……いつまでそうして、無駄に隊舎を破壊し続けるつもりですか」
暴風のような霊圧を微動だにせず割り込んできたのは、四番隊隊長・卯ノ花烈だった。
いつも浮かべている温和な微笑みは影を潜め、その双眸には凍てつくような冷たさが宿っていた。
「……あァ? 卯ノ花か……。引っ込んでろ、今の俺に気安く声をかけるな」
「惨めですね、今の剣八は」
「……何だと?」
剣八の眼光がギロリと鋭さを増す。だが、卯ノ花は一切怯むことなく、静かに言葉を吐き捨てた。
「己の無力を受け入れられず、失ったものの大きさに怯え、ただ幼子のように霊圧を撒き散らして暴れるだけ……。今のあなたは、剣八の名を冠するに値しない、ただの愚か者です」
その言葉が、剣八の導火線に完全に火をつけた。
「——言わせておけば調子に乗りやがって……! じゃあ訊くがな、初代剣八(お前)は何をしてたんだァ!?」
剣八は野晒の柄を握り締め、牙を剥き出しにして叫んだ。
「敵の頭領(ユーハバッハ)を目の前にしておきながらトドメすら刺せず……結局、あの天理の野郎に全てのツケをおっかぶせて生き残った初代剣八様がよぉッ!! お前こそ何一つ成し遂げてねぇじゃねぇかッ!!」
2. 世界の大罪人の殺気
ゴ……ッ!!!!
次の瞬間、道場全体を覆っていた剣八の荒々しい霊圧が、一瞬で圧殺された。
十一番隊舎どころか、瀞霊廷全体を沈黙させるほどの、血と死の匂いに満ちた圧倒的な殺気。
そこには、四番隊の心優しい救護隊長など存在しなかった。
かつて創設期の護廷十三隊において、あらゆる悪党を恐怖させ、瀞霊廷史上最大の罪人と呼ばれた「初代剣八・卯ノ花八千流」の凄絶な顔(かんばせ)がそこにあった。
「……いい加減にしなさい」
卯ノ花の声は低く、そして地獄の底から響くように重かった。その眼光に貫かれ、流石の剣八すら息を呑む。
「いい加減に……天理さんを失った悲しみを認めなさい。いつになったら、そのような子供のような感情から抜け出すのです」
一歩、二歩と、卯ノ花が踏み出すたびに、床の木板が黒く腐食するように軋みを上げる。
「私と初めて戦った時から……あなたはまるで成長していませんね。戦闘能力が上昇し、斬魄刀の名を知ったところで……そのようなものは『成長』とは言いません」
「……っ」
「天理さんは、命を懸けてこの世界を、そして私たちを守り抜いたのです。自らの不甲斐なさを棚上げし、己の悲しみを誤魔化すために彼の選択を愚弄すること……これ以上天理さんの行動を侮辱することは、初代剣八として私が絶対に許しませんよ」
ドス黒い殺気が、剣八の肌をチリチリと焼き切るように迫る。
その本物の「死」を予感させる凄まじい圧力を前に、剣八の頭は一瞬で冷や水を浴びせられたように冷えていった。
3. 振り返る過去と、立ち上がる男
(……あいつを、失った悲しみ……だと?)
卯ノ花の言葉が、剣八の胸の奥深くに突き刺さる。
暴れていたのは、勝ち逃げされた怒りだけだったのか?
違う。
自分に「力の振りかざし方」ではなく「刀との向き合い方」をフッと鼻で笑いながら教えてくれたあの男。
自分という化け物を前にしても恐れず、ただの平隊員としてお茶を差し出し、野晒の声に耳を傾けろと言い残して消えたあの男。
もう二度と、あいつと刃を交えることはできない。
あの圧倒的で理不尽な「絶対先制」の真髄に、自分が辿り着く前に……あいつは自分を置いていってしまったのだ。
胸に開いたぽっかりとした穴。それが「悲しみ」という感情であることを、剣八は初めて自覚した。
「……ふっ」
剣八の口から、自嘲気味な息が漏れた。
霊圧の暴走が収まり、野晒が静かに鞘へと収まる。
剣八は頭をガリガリと掻くと、前髪の間から鋭い、けれどどこか晴れやかな瞳で卯ノ花を見据えた。
「……悪かったな、卯ノ花。みっともねぇこと言ったわ」
「……」
「あいつは……天理の野郎は、俺たちに後始末を押し付けて消えたんじゃねぇ。俺たちが心置きなく暴れられる世界を残して……勝手に満足して逝っちまったんだ」
剣八はどっしりと両足で大地を踏みしめ、力強く立ち上がった。
「あいつの助言で手に入れたこの力だ。……あいつに『まだそんなもんか』って笑われねぇくらい、俺はもっと強くなってやる。次にどこかで出会った時……今度こそ絶対に、あの『先制』の上から叩き斬ってやるために調教し直してやるぜ」
その瞳には、子供のような駄々っ子の怒りは消え失せ、真の「剣八」としての果てしない闘志と覚悟が宿っていた。
卯ノ花は凄絶な殺気をスッと収めると、いつもの穏やかな表情に戻り、静かに微笑んだ。
「……ええ。それでこそ、今の『剣八』です」
陰で世界を救い、自分たちに未来を託して消えた一人の平隊員。
その男が残した傷跡と教えは、護廷十三隊最強の男の魂に、永遠に消えない強烈な楔として刻み込まれたのだった。