現世・空座町の片隅にある生花店『百花園』。
カランカラン——♪
ある日の午後、店のドアが開いた。
入ってきたのは、編み笠を被り派手な羽織を羽織った男と、眼鏡をかけた生真面目そうな女性——京楽春水と伊勢七緒だった。
「やあやあ、こんにちは。素敵なお花がたくさんあるねぇ」
京楽が軽薄そうな笑みを浮かべて入ってくると、カウンター奥から百花繚乱が穏やかな微笑みをたたえて迎え出た。
「あら、京楽隊長に伊勢副隊長。ようこそいらっしゃいました」
「やあ、百花繚乱。……天理君の様子を見に来たんだけどね。本当に現世で平穏に暮らせているみたいで安心したよ」
京楽が帽子に手を当ててそう呟き、桃香と静かに言葉を交わしていた、その時。
「百花さーん、奥の倉庫から新しい花瓶持ってきたよー」
奥の部屋から、エプロン姿の天理が両手に花瓶を抱えて顔を出した。
「あ、いらっしゃいませ!」
天理は爽やかな笑顔で二人を迎えたが、ふと京楽の顔を正面から視界に収めた瞬間——。
ピタリと足を止め、首をかしげた。
「あの……お客様?」
「ん? なんだい天理君?」
天理は少し困ったような、そしてどこか懐かしむような目で京楽をじーっと見つめると、記憶がないはずの頭をうーんと捻らせてこう尋ねた。
「……すみません。お客様って、僕が記憶を失う前の『上司』でしたか?」
「……え?」
突然の問いかけに、京楽が目を丸くする。天理は悪気のない素直な表情で、言葉を続けた。
「なんだかお客様の顔を見てるとですね……『あぁ、またこの人の尻拭いをさせられるのか』って気がして、胃のあたりがズキズキして……いつもため息ばかりついてたような感覚がすごく湧いてくるんですよね」
「「……ッッッ!!!!」」
その瞬間。
「ブハッ……!!」
店内にいた百花と七緒が、まったく同時に盛大に吹き出した。
「ふ……ふふっ……! ひ、久々に聞いたわ天理さん、その的確すぎる評価……ッ!」
百花はお腹を抱えて壁に手をつき、笑い涙を浮かべる。
そして何より、普段は厳格な七緒が——。
「くっ……くふふふふっ……! あはははは! 天理様、大正解です……! 記憶を失われても、体の感覚は覚えているのですね……っ!」
眼鏡を持ち上げながら、腹筋が崩壊したように爆笑していた。
かつて京楽の執拗な追及や身勝手な論理に対し、山本総隊長の面前で激怒し完膚なきまでに叩きのめした天理の「魂の記憶」。それが、完全に今の京楽に突き刺さったのだ!
「ちょっとちょっと天理君!? 僕は君の上司だった覚えはないよ!? むしろいつも君に怒られてばかりで——って、七緒ちゃんまでそんなにお腹抱えて笑わなくてもいいじゃないのさ〜〜っ!」
頭を抱えて狼狽する京楽。
「いやぁ失礼、天理君。僕だってそこまで君に尻拭いばかりさせてたわけじゃ……」と冷や汗を拭いながら弁明しようとするが、天理は「あれ? 僕、また何か失礼なこと言っちゃいましたかね……?」と首をかしげるばかりだった。
数日後。一番隊執務室。
報告のために山本元柳斎重國の前に立ち、現世での出来事を苦笑交じりに報告した京楽。
「……というわけでしてねぇ、山じい。天理君ったら記憶がないのに僕の顔を見ただけで『尻拭いさせられてた気がする』なんて言うんですよ? ひどいと思いませんかねぇ」
笠をいじりながら愚痴をこぼす京楽に対し、上座で腕を組み、深く目を閉じていた元柳斎は——。
ゆっくりと片目を開けると、ドスの効いた声で一言、吐き捨てた。
「……フン。貴様の自業自得じゃ、うつけ者が」
「ぐっ……!!」
「かつて一番隊で七瀬に怒鳴られ、平伏した時のことを忘れたか。記憶を失ってなお、お主の性根を見抜かれておるのだ。少しは己の普段の行いを恥じるがよい」
「おっしゃる通りです、総隊長閣下」
隣で七緒がすかさず完璧な追撃を叩き込む。
「七緒ちゃんまで山じい側に回らなくてもいいじゃないか……」
元柳斎の容赦ない一言と七緒の冷ややかな視線に挟まれ、京楽春水はがっくりと肩を落とし、深々と溜息を吐き出すのだった。