現世の街角に佇む、色とりどりの花々に包まれた小さな生花店『百花園』。
やわらかな午後の光が差し込む店内に、カランコロンと涼やかな風鈴の音が響いた。
「ちわーす……って、うわあ、すごい綺麗なお花がたくさん……!」
訪れたのは、どこか懐かしい佇まいを見せる仲睦まじい夫婦——志波海燕と、その妻である都(みやこ)だった。
■ 『百花繚乱』との静かな対話
二人が店内に足を踏み入れると、カウンターの奥から、美しい着物を纏った一人の女性が静かに姿を現した。人間の姿をとって店を手伝っている、斬魄刀の具現体——『百花繚乱』である。
「いらっしゃいませ。……あら」
百花繚乱は二人を見るやいなや、その朱色の瞳を少しだけ丸くし、すぐに優しく微笑んだ。
「お珍しいお客様ですね。……志波海燕様、そして都様」
「えっ……? お姉さん、俺たちの名前を知ってるのか?」
海燕が驚いて目を丸くすると、百花繚乱は胸元にそっと手を当て、淑やかに微笑む。
「ええ。主(あるじ)の思い出の中で、何度も拝見しておりましたから。……主は今、奥で配達の準備をしております。すぐに参りますので、どうぞお花をご覧になってお待ちください」
「そうだったのか……。天理の刀の化身さんか。なんだか不思議な感じだな」
都も柔らかく微笑み、店内に並ぶ見事な花々を愛おしそうになでた。
「本当に……どのお花も生き生きとしていて、店主さんの優しいお人柄が伝わってくるようですわ」
「ふふ、ありがとうございます。天理さんも、そう言っていただけると喜びます」
■ 忘れられなかった「先輩」
そこへ、奥のバックヤードから花束を抱えた天理が歩き出てきた。
「百花さん、さっき届いた百合の鉢植えはどこに……あ」
天理は足を止め、店内のお客様——海燕と目が合った。
霊王宮での『最後の始解』の代償として、死神としての記憶や霊圧を全て失い、一人の人間として穏やかに生きている天理。彼にとって、いま目の前にいる男の顔や名前の「記録」は、頭の中には残っていないはずだった。
「あ……天理!」
海燕が嬉しそうに声をかけ、歩み寄ろうとした——その時。
天理は抱えていた花束をそっと台に置くと、不思議そうな、けれどどこか心の深い場所を刺激されたような表情で、じっと海燕の顔を見つめた。
「……あの」
「ん? なんだ?」
天理は少し首を傾げ、胸のあたりをそっと手で押さえながら、照れくさそうに尋ねた。
「……すみません、初対面のはずなのに、変なことを聞いてもいいですか?」
「おう、なんだ? 何でも聞いてくれよ!」
「……あなたと会ったの、本当に初めてでしょうか? なんだか……僕がまだ記憶を失うずっと前……あなたは、僕の『先輩』でしたか?」
■ 涙と感動の再会
その一言が、海燕の胸を激しく突いた。
死神としての力も、過酷だった戦いの記憶も、護廷十三隊のことも……全てを忘れて現世で平穏に暮らしていると聞いていた。
なのに、記憶を綺麗に失ったはずの天理の魂の奥底には、かつて酒を酌み交わし、共に肩を並べて戦った「志波海燕」という先輩の存在が、しっかりと刻み込まれていたのだ。
「……っ!」
海燕の目頭が、一瞬で熱くなった。
「天理……お前……っ!」
海燕は言葉を詰まらせ、豪快に天理の肩をバシバシと叩いた。感動と嬉しさのあまり、今にも涙が溢れ出しそうなのを必死に笑顔で誤魔化しながら叫んだ。
「そうだ……! そうだよ天理! 俺はお前の大先輩の、志波海燕様だ!! 忘れてたって、魂が覚えててくれたんだな……!!」
「あ、やっぱり……! なんだか、すごく面倒見が良くて、頼もしくて……一緒にお酒を飲むと楽しそうな人だな、って急に頭に浮かんだんです」
天理が嬉しそうにふっと微笑むと、隣で見ていた都も目元を拭いながら、温かく二人を見つめた。
「良かったですね、海燕さま。天理さんの中に、ちゃんと海燕さまが残っていらして……」
「おう……! ああ、最高だ……! 今日ここに来て本当に良かった……っ!」
海燕は天理の手を強く握り締め、何度も何度も頷いた。
記憶を失ってもなお、失われることのなかった絆。
かつて命を懸けて世界と仲間を守り抜いた「影の絶対者」は、新しい日常の中でも、大切な先輩との温かな記憶をその胸に灯し続けていたのだった。