魂魄消失事件、から数十年後、あるいは護廷十三隊の平和な日常の一幕。
瀞霊廷・三番隊舎の裏手にある竹林の小道。
木漏れ日が差し込む静かな参道で、天理は一人、竹箒を手にして落ち葉を掃いていた。
「……はぁ。また三番隊の敷地まで散らばって……」
平隊員としての日常。目立たず、騒ぎを起こさず、ただ割り当てられた雑務をこなす。それが天理の変わらぬ日常だった。
だが、カサリ、と落ち葉を踏む足音がひとつ。
「やあ、感心なこっちゃねぇ。こんなとこまで綺麗にしてくれて」
振り返ると、そこに立っていたのは三番隊隊長・市丸ギンだった。
白髪に狐のような糸目、そして薄笑いを浮かべた不気味な表情。護廷十三隊の中で最も何を考えているか分からない男が、細い竹細工のようにしなやかな体躯で立ち尽くしている。
「……あ、市丸隊長。失礼いたしました。すぐに片付けて去りますので」
主人公は深々と頭を下げ、関わりを避けるように一歩退いた。
だが、ギンは詰めるでもなく、かといって離れるでもなく、ぬらりとした足取りで近づいてくる。
1. 毒蛇の探り
「……いやぁ、ええんよ。掃除してくれるんはこちらも助かる。……ところで、ひとつ聞いてええか?」
ギンの糸目が、ほんのわずかに細くなった。
「最近ねぇ……藍染様が、妙に気にしてはる『おばけ』がおるんよ」
「……おばけ、ですか?」
「そう。『鏡花水月』を抜こうとしたら手が竦む、だの。空座町(あるいは過去の事件)で『見えない何かに先制された』感覚があった、だのね。……あの完璧な藍染様が、夜も眠れんほど恐怖しとるワケやないけど、心のどこかに刺さった『棘』みたいになっててさぁ」
ギンは懐に手を入れ、ゆっくりと主人公の周囲を歩き回り始めた。
「でね、僕、気になって調べてみたんよ。藍染様の『完璧な計算』にノイズが走る時、必ずその視界の端っこに……影の薄〜い平隊員が映り込んでる、ってね」
ギンの細い指先が、懐にある愛刀『神鎗(しんそう)』の柄(つか)に触れた。
「君、名前はなんて言うん?」
「……七瀬天理と申します。一等卒の、どこにでもいる平隊員です」
「ふうん……『どこにでもいる平隊員』ねぇ」
2. コンマ0秒の死線
「……ほんまにそうかなぁ?」
ギンの声から、一瞬で軽妙さが消えた。
蛇が獲物を射殺すような、冷酷で研ぎ澄まされた殺意。
市丸ギンの卍解『神殺鎗(かみしのやり)』は、護廷十三隊で最も速く、最も間合いの長い攻撃。その伸縮速度は音速の数百倍とも言われる。
もしこの場でギンが刀を抜けば、主人公の胸は一瞬で穿たれる——普通ならば。
「ちょっと試させてもらうで……『射殺せ、神——』」
ギンが刀の柄を押し弾き、刃がコンマ一ミリ露出した——その瞬間。
カツンッ……!!
静かな竹林に、不釣り合いな硬い打撃音が響いた。
「がはっ……!?」
ギンの足元が浮いた。
刀を抜こうとした右腕、膝の関節、そして首筋。
その三点に対し、ギンが始解の解号(言葉)を言い切るより『前』に、目に見えない数トンの物理衝撃が同時に叩き込まれたのだ。
ギンの身体はくの字に折れ曲がり、数メートル後ろの竹林へと激しく叩きつけられた。
ドッサァァァンッ……!!
折れた竹が舞い散る。
ギンは血を吐きながら、地面に片膝をついた。柄から引き抜かれかけた『神鎗』は、鞘にカチリと押し戻されている。
(……なんや……これ……!?)
ギンの糸目が、見開かれた。
蛇のような瞳が、驚愕と激痛で大きく見開かれている。
(僕の……『神鎗』の初動より……速い……!? いや、違う……速いんとちゃう……僕が攻撃しようとした『事実』そのものに、先回りして叩き込まれた……!?)
3. 蛇と影の「暗黙の了解」
竹林の煙の中から、天理が静かに歩み寄ってきた。
その手には、変わらず竹箒が握られている。霊圧の乱れも、刀を抜いた気配すらもない。
「……市丸隊長。三番隊の竹を何本か折ってしまいました。始末書が必要でしたら、私が書きますが」
天理の凪いだ瞳が、地面に伏すギンを見下ろしている。
その瞳には、殺意も慢心もない。ただ「平穏を邪魔された」ことに対する、僅かな呆れだけが存在していた。
ギンは口元の血を袖で拭うと、ヒッヒッ、と引きつった笑いを漏らした。
「……あはっ……あははははっ! こりゃ凄いわ……。藍染様が警戒するワケや……。僕の『神鎗』すら、抜く前に折られるなんてなぁ……」
ギンはフラフラと立ち上がると、拍手を送るように手を打った。
「君……なんなん? 死神の皮をかぶった何かなん?」
「ただの平隊員です。静かに掃除をして、定時に寝たいだけの」
「嘘つけぇ」
ギンは苦笑しながら、折れた竹に背を預けた。
その鋭い知性が、瞬時に現状を分析する。
この男は、藍染の敵でも味方でもない。ただ「自分の平穏」を害する者に対してのみ、理外の絶対先制を放つ存在。
そして……自分(市丸ギン)の目的とも、矛盾しない存在であると。
(……僕が何十年もかけて藍染惣右介の隙を伺い、絶望の瞬間に『神殺鎗』を叩き込む計画……。この男は、その計画を邪魔するどころか……『藍染様の完璧な計算』を狂わせる最大のバグや)
ギンは再び、いつもの怪しい狐目の笑顔を作った。
「……ふぅん。分かったわ。君のことは、藍染様には『ただのドジな平隊員でした』って報告しとく」
「……助かります」
「その代わり……僕が藍染様の首を跳ねるその日まで、君はその竹箒持って、一番後ろで知らん顔しといてな?」
天理は静かに頷いた。
「元より、前に出るつもりはありません」
「へえへえ。頼もしい平隊員様やこと」
市丸ギンは痛む腕を押さえながら、ひらひらと手を振って竹林の奥へと消えていった。
裏切り者として暗躍する毒蛇と、表舞台に立たない最強の平隊員。
藍染惣右介という絶対の陰謀の陰で、もう一つの「暗黙の不可視の同盟」が結ばれた瞬間だった。