あの「絶対先制の無限地獄」から、再び1週間。
驚異的な復元力(と、懲りない精神)で肉体を取り戻した市丸ギンと朽木ルキアの二人は、今日という今日のために、護廷十三隊と貴族社会のコネというコネを全て使い果たしていた。
なにせ相手は、かつて平子真子が己の命と引き換えに差し出した「1個3万円の幻の極上生苺ショートケーキ」。現世の政財界の重鎮や大貴族ですら入手困難な超限定品である。
「……市丸。本当に手に入ったのだな?」
「当たり前やんか。朽木家の財力と僕の裏ルート、総動員したんやで? 1個どころか、奇跡の2個買いや!」
二人の手には、特製の金箔押し保冷ボックスが大事そうに抱えられていた。
■ 1. 献上、そして氷解の予感
カランコロン……♪
恐る恐る『百花園』の扉を開ける二人。
カウンターの奥では、着物姿の百花繚乱が静かに花の手入れをしていた。先週の事件以来、彼女の纏う空気にはどこか冷ややかで刺々しいトゲが残っており、二人が店に入るだけでピリッとした緊張感が走る。
「……何の御用かしら? また天理さんを泣かせにいらしたの?」
アイスピックのような視線に息を呑みながらも、ルキアは意を決して保冷箱をカウンターへ差し出した。
「も、百花(ももか)殿! 先日の件……我らの非礼、心よりお詫び申し上げる! これは……その謝罪の品だ!」
「……ケーキ……?」
ギンが恭しく蓋を開けると、そこには宝石のように輝く大粒の極上苺と、絹のような生クリームが贅沢に鎮座する、あの伝説のショートケーキが2つ。
「これ……平子隊長が四番隊へ献上したという、あの……?」
「そうや! 百花さんはまだ食べたこと無かったやろ? 朽木家と僕のコネを最大級に活用して、奇跡的に2つ手に入れたんや! ほんまに、先週は僕らが悪かった! 堪忍してな!」
頭を深々と下げる二人。
桃香はケーキをじっと見つめると、その整った口元をゆっくりと緩めた。
「……まあ。あのお噂のケーキを、私のために……?」
その瞬間、彼女の周りに漂っていた刺々しいオーラがスッ……と消え去り、いつもの可憐で華やかな笑みが戻った。
「ふふ、分かりましたわ。お二人の誠意、確かに受け取りました。先日の件は、これで水に流して差し上げます」
「「(助かったぁぁぁぁぁっ……!!)」」
二人は心の中でガッツポーズを決めた。やはり甘味の力は偉大である。
■ 2. 戻ってきてから頂きます
「さっそく切り分けて、皆様で頂きましょうか」
桃香が嬉しそうにケーキナイフを取り出そうとしたが、ふと思い直したように奥の部屋を振り返った。
「……あ、そうでした。主様は今、黒崎家へお祝いのお花の配達に出かけられておりますの。しばらく戻られませんわね」
「一護のところか。なら、小一時間は戻らんな」
「ええ。主様と一緒に味わってこそ、このケーキも真の価値を発揮するというもの。主様が戻られてから、一緒にいただくことにいたしますわ」
桃香はケーキを丁寧に冷蔵庫へ仕舞うと、機嫌良くお茶を淹れて二人に出してくれた。
先週までの殺伐とした空気は完全に霧散し、店内には穏やかで温かな時間が流れ始めていた。
——そう、「普通の人々」であれば、ここで胸を撫でおろし、平和にお茶を飲んで帰るはずであった。
■ 3. 懲りない二人の「悪癖」
……しかし。
目の前に座る二人は、喉元過ぎれば熱さを忘れる護廷十三隊屈指の懲りない二人組である。
トゲが消えてすっかり機嫌の良くなった桃香を見て、市丸ギンがふっと狐のような笑みを浮かべ、お茶をすすりながら口を開いた。
「いやぁ〜それにしても百花さん。仲直りできて良かったわぁ。……ところで話は変わるんやけどな?」
「はい? なにかしら、市丸様」
ルキアも待ってましたと言わんばかりに、身を乗り出して頷いた。
「いやね……僕らも反省はしとるんよ? しとるんやけど……やっぱり前回の平子隊長だけサクッとケーキで逃げ切った件、どうしても納得がいかへんと思わん?」
「うむ! 平子隊長は我らを囮にして自分だけ高みの見物を決め込んだのだぞ! あの男の狡猾さには、我らも未だに腹の虫が治まらんでな……!」
喉元を通り過ぎた熱い湯の記憶はどこへやら。
二人はまたしても、懲りずに百花繚乱へ向かってネチネチとした愚痴をこぼし始めるのであった——。
「……まあ、平子隊長につきましては、あの方らしい要領の良さとおっしゃればそれまでですけれどね」
桃香はお茶を一口含み、フッと可憐に微笑んだ。
愚痴を一通り吐き出し終えた市丸ギンと朽木ルキアは、ハッと正気に戻ったように顔を見合わせる。
「……あ、アカンなルキアちゃん。せっかくケーキ持って仲直りしに来たのに、また愚痴ばっかり言ってもうた。百花さんも疲れてまうわ」
「う、む……! 申し訳ない、百花殿。我らとしたことが、つい興奮してしまい……」
あの「地獄の片道チケット」をくぐり抜けた二人が、まさか自分を気遣う素振りを見せるとは。
百花繚乱は少し意外に思いながらも、心の中で(……ふふ、この二人も少しは反省して、成長したのかしら)と見直し、優しい眼差しを向けた。
だが——お茶を飲み、すっかり緊張の糸がほぐれきった二人の「愚痴の矛先」は、あろうことか想像を絶する方向へと脱線し始める。
「ほんま、今回の百花さんの件は僕らが100%悪かったから、こうしてケーキ持って心から謝りに来たんやけどな?」
「然り! しかし……あの卯ノ花隊長による地獄の片道チケット修行(※トラウマ)は……別に、卯ノ花隊長が悪いわけではないのだ!」
言った瞬間、ギンの額からダラッと大量の冷や汗が噴き出した。ルキアも全身の毛穴という毛穴から冷や汗を流し、体がガクガクと震えている。
(※卯ノ花烈への恐怖が魂に刻み込まれているため、彼女に非があるような発言をしようとすると、生物としての防衛本能が働いて全身が拒絶反応を起こすのだ)
汗をダラダラと垂らし、ガタガタと震えながら、ギンとルキアはとんでもない暴論を繰り出した。
「な、何が悪いかってな……!? そもそも……そもそも山本総隊長が! しっかり護廷の手綱を握っとらんからなんや!!」
「そ、その通りだ!! 山本総隊長がビシッと隊長格を統制しておらんから、我らがこのような理不尽な目に遭うのだ!! 全ては総隊長の過失と言っても過言ではない!!」
「……ッ!!??!?」
百花の顔から、一瞬で笑顔が消え去った。
(な……何を言っているの、この二人……!? ケーキをもらった手前、穏やかに済ませようと思っていたけれど……これは本気でマズい!!)
「お……お二人とも!! おやめなさい!! それ以上は本当に……!!」
桃香が本気の相貌で立ち上がり、強い声で警告を発する。
その凄まじい迫力に押し返され、ギンとルキアもハッと青ざめ、恐る恐る背後を振り返った。
……シーン……
店の外にも、影にも、誰もいない。ただ秋の穏やかな風が吹き抜けているだけだった。
「ひ、ヒヤッとした〜! 誰も居らへんやんか、百花さん脅かさんといてーな!」
「ふぅ……肝が冷えたぞ。だが、我らの言っていることは筋が通っているはずだ!」
ホッと胸を撫でおろした二人は、なおも気楽に少々の愚痴をこぼしたあと、満足そうに立ち上がった。
「さて、長居しても邪魔になるな。そのケーキは、天理殿が戻られたらお二人で仲良く召し上がってくれ!」
「ほんま、天理はんによろしく言っといてな〜」
ひらひらと手を振り、ご機嫌で『百花園』を後にする二人。
桃香は深々と溜め息をつき、冷めたお茶を飲み干した。
「……はぁ。成長したと思った私が馬鹿でしたわ。……ん?」
その時。
百花繚乱の背筋に、氷を突きつけられたかのような違和感が走った。
店の片隅——影の中に、かすかに残る霊子の揺らぎ。
(……待って。今の揺らぎ……いつから……!?)
百花繚乱たる百花すら、あまりの気配の遮断ぶりに気づくのが完全に遅れてしまっていた。
そこには、ほんの数秒前まで……影と同化し、呼吸すら絶って息を潜めていた男がいたのだ。
元一番隊副隊長——雀部長次郎忠息。
山本元柳斎重國に心から忠誠を誓い、その影となりて護衛し続けた「護廷十三隊最強の暗殺・密偵のスペシャリスト」。
長次郎は、二人が繰り出した「山本総隊長の手綱が緩い」「全ては総隊長の過失」という万死に値する暴論の一部始終を、その耳で完璧に録音(記憶)していた。
音もなく店外の影へと溶け込み、一番隊庁舎へと向かって消えていく長次郎の気配を感じ取り、百花繚乱は青ざめた顔で額を押さえた。
「……あのお馬鹿さんたち……今度こそ、本当にこの世から消されるわね……」
天理が美味しいケーキを楽しみに帰ってくる前に、瀞霊廷の歴史から二人の名が消え去ろうとしていることに、百花はただ静かに祈りを捧げることしかできないのだった。