絶対の先制   作:幻影の塔

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高潔な意志と魂

店を去ったはずの気配が、再び静かに『百花園』の扉を押し開けた。

カランコロン……♪

「……失礼いたします」

現れたのは、一番隊副隊長・雀部長次郎忠息であった。

一番隊隊舎へ戻る前に、彼はどうしても百花繚乱に挨拶をしておきたかったのだ。

「雀部副隊長……。……やはり、先ほどの暴論をお聞きになっておられましたのね」

桃香が静かに声をかけると、長次郎は深々と頭を下げた。

「……はい。ですが、まずはあなた様に挨拶をと思い戻ってまいりました。百花繚乱殿……千年前のあの大戦から今日に至るまで、あなたと七瀬殿が背負われた重荷……護廷の一員として、心より感謝申し上げます」

長次郎の目には、深い後悔と哀愁が宿っていた。

「私は……ずっと悔やんでおりました。かつて血の海の中で七瀬殿に命を救われながら、そのお礼一つ言えぬまま月日が流れてしまったこと。そして最期の瞬間すら、そのおそばに居られなかったこと……。己の無力を、今日まで恥じぬ日はございませんでした」

長次郎が苦しい胸の内を明かした、その時であった。

カランコロン……♪

「ただいま、百花! 黒崎さんちへのお花、無事に届けてきたよ〜!」

両手を振って、天理が笑顔で帰ってきたのだ。

天理は店内に立つ長次郎の姿に気づくと、「あ、いらっしゃいませ!」と爽やかに微笑みかけた。

だが——。

長次郎は、その天理の穏やかで、温かな「生きている姿」を目にした瞬間、言葉を失った。

かつて世界の理不尽をその身一つに背負い、死線の中を駆け抜けていた少年が、今、陽のあたる場所で何の憂いもなく笑っている。

そのあまりの眩しさに、長次郎の目から静かに涙が溢れ出た。

「ひ、ひえぇぇっ!? お客様、どうされたんですか!?」

急に涙を流し始めた長次郎に、天理はあわあわと手を振りながら大慌てで駆け寄った。

「も、もしかして僕……記憶を失う前に、あなたにも何か酷いことしちゃいましたか!? 押し売りとか、怪しい特訓に巻き込むとか……っ! 本当にすみません、全然覚えてなくて……っ!」

申し訳なさそうに何度も頭を下げる天理。

そんな天理の姿を、長次郎は涙を拭い、愛おしむような温かな眼差しで見つめた。

「……いいのです、七瀬殿。そのようなこと……思い出す必要など、どこにもございません」

「え……?」

天理がポカンと顔を上げると、長次郎は穏やかに微笑んだ。

「昔、私はあなたに命を救われました。……ですが、あなたが今、こうして平穏で幸せな日々を送られているのであれば、私との思い出など……真に些事なことです。世の中には、思い出さない方が幸せなこともたくさんございますから」

「あ……」

その言葉を聞いていた百花繚乱は、胸を強く打たれた。

(……流石は、あの山本元柳斎重國の『快刀』……)

今まで『百花園』を訪れた護廷十三隊の誰もが——あの厳格な山本元柳斎重國でさえ、口に出さずとも「自分との絆を、少しでも思い出してほしい」という未練をどこかに滲ませていた。

だが、この雀部長次郎という男だけは違った。

己の存在すら忘れ去られて構わない。自分の寂しさなどどうでもいい。

ただ目の前の少年が「今、幸せであること」だけを、心の奥底から純粋に祈り、喜んでいるのだ。

百花はその高潔で無償の愛に、深く、深く感動していた。

「さて……せっかくお邪魔したのです。一つ、お花を分けていただけますか?」

長次郎が目線を送ったのは、店頭に飾られた鮮やかな『葉牡丹』であった。

「あ、はい! 喜んで!」

天理は嬉しそうに葉牡丹を丁寧に包み、長次郎に手渡した。

その後、三人は温かなお茶を飲みながら、「最近の空座町は暖かいですね」「一番隊の庭の茶の木も芽吹きました」といった、他愛もない何気ない世間話に花を咲かせた。

穏やかで、幸福に満ちた数十分。

天理の笑顔をその目にしっかりと焼き付けた長次郎は、包まれた葉牡丹を大切に抱え、静かに立ち上がった。

「それでは、私はこれで失礼いたします。七瀬殿、百花殿……どうぞ、お健やかに」

「ありがとうございます! またいつでも遊びに来てくださいねー!」

天理に見送られ、店を出る長次郎。

……しかし。

店を出て背を向けた瞬間——。

長次郎の目から穏やかさが消え、般若のごとき猛烈な殺気と怒りの目つきへと変貌した。

抱えられた葉牡丹(※花言葉は『祝福』『包容力』そして……『利益』)。

その足は、一直線に瀞霊廷・一番隊総隊長室へと向かっていた。

店内でその激変した背中を見送った百花繚乱は、おでこにダーッと冷や汗を流した。

(……忘れていたわ。感動的な再会を果たしたところで、あの『山本元柳斎重國の快刀』が……総隊長殿への侮辱を忘れるはずがなかったわね……)

どれほど天理の前で慈愛に満ちた聖人の顔を見せようと、彼は護廷十三隊の創設期から元柳斎の影として戦い抜いてきた、最古にして最強の従者なのだ。

一方、何も知らない天理は「良いお客様だったねぇ」と嬉しそうにお茶をすすっている。

「……天理さん。あの二人(ギンとルキア)からいただいたケーキ、冷めないうちに(※冷やしてあります)今からいただきましょうか」

「えっ! ほんと!? やったー!」

現世の平和な花屋でケーキを楽しもうとする二人の裏で、一番隊庁舎に護廷史上最も静かで、最も逃げ場のない粛清の嵐が吹き荒れようとしていることを、百花繚乱はただそっと見ぬふりをするのであった。

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