伝令神器から漏れ出る長次郎の淡々とした説明を、現世の『百花園』で受話器を取った百花繚乱は、静かに耳を傾けていた。
(……はぁ。一番隊の特訓室で、またあの者たちが身勝手な暴論を吐いて自爆した挙句……今度は霊王様の『神のスイーツ』まで巻き込んでお説教が泥沼化しているわけね)
受話器を握ったまま、桃香はすっと細い眉をひそめ、熟慮に入った。
(主様のあのお菓子を、護廷の勝手な意地と罰ゲームの道具にされるのは非常に不愉快……。ですが、拒否したところで、あの愚か者4人が山じい様の業火で文字通り分子レベルで消滅するのも、後々面倒なことになりかねませんわね……)
桃香が冷徹な思考を巡らせ、受話器越しに一番隊特訓室の4人が「頼む……断ってくれ……断ってくれ……!!」と血の涙を流して祈っている気配を感じ取っていた、その時であった。
カランコロン……♪
「ただいま〜! 百花、今度はお隣の町への配達も終わったよ!」
裏口の扉が開き、両手に空の花かごを抱えた天理が、汗を拭いながら爽やかな笑顔で帰ってきたのだ。
「あ……天理さん」
百花繚乱は一瞬で表情を和らげると、受話器を手で覆い、何事もなかったかのように微笑んだ。
記憶を完全に失い、今はただの平穏な花屋として生きている天理に、瀞霊廷のドロドロとした権力闘争や、今まさに地下で4人の隊長格が消し炭になりかけているという凄惨な現状など、一切伝えるわけにはいかない。
百花は受話器をそっと置き、天理の元へ歩み寄ると、優しくタオルを手渡した。
「お疲れ様でした、天理さん。……実はですね、先ほど瀞霊廷の……あ、いえ、『昔のお知り合い』の方から連絡がございまして」
「え? 昔の知り合い……? 誰だろう……」
首をかしげる天理に、桃香は言葉を選びながら、完璧な嘘(伏字)を織り交ぜて語りかけた。
「天理さんが記憶を失われるよりずっと昔……天理さんが世のために、とてもとても大きな素晴らしいお仕事をなさった時の『ご褒美』が、ずっと預かめられたままになっていたそうなのです」
「ええっ!? 僕のご褒美……!?」
天理は目を丸くした。
「ええ。なんでも……世界のどこを探しても二度と手に入らない、神様から授けられたという『究極の神のスイーツ』だそうですわ」
「か、神のスイーツ……!? どんなケーキなんだろう……!!」
甘いものが大好きな天理の瞳が、一瞬で爛爛と輝き出した。
百花はクスクスと可愛らしく微笑むと、天理の目を真っ直ぐに見つめて尋ねた。
「その『神のスイーツ』なのですが……天理さん、どうなさりたいですか? もし天理さんがお望みなら、今すぐこちらへ届けていただき、召し上がっていただくこともできますけれど……?」
その問いかけは、伝令神器の回線を通じて、一番隊特別特訓室で固唾をのんで見守る4人(市丸、ルキア、京楽、平子)の耳にもハッキリと届いていた。
((((((((((頼む……!! 天理殿……!! 『今すぐ食べたい』とか『後て届けて下さいとか』って言ってくれぇぇぇぇぇぇっっっっっっっ!!!!!!))))))))))
4人は正座したまま手と手を合わせ、命の全エネルギーを賭けて、天理がその提案を「断り、自ら食べる」ことに祈りを捧げるのだった——!
「でも……それって、僕の分の1人前しかないんでしょ?」
天理は少し首をかしげると、困ったように優しく微笑んだ。
「僕はね、百花と一緒に『美味しいね』って笑い合いながら、幸せを分かち合いたいんだ。だから……僕一人でそんな凄そうなのを食べるのは、いらないよ」
「天理さん……」
さらに天理は、自分の胸にそっと手を当てながら言葉を続けた。
「それにさ、今の僕は昔の記憶が何もない『花屋の天理』だからね。記憶を無くす前の僕が立てた功績とやらで、今の僕がそんな凄すぎるご褒美をもらうのも……なんだか筋違いな気がするんだ。だから、そのお話は気持ちだけ受け取っておくよ!」
なんの迷いもない、どこまでもまっすぐで温かな天理の言葉。
自分一人だけの栄誉や贅沢など一切望まず、ただ目の前にいる大切な存在(百花)と平穏な幸せを分かち合いたいというその清廉な姿勢に、百花繚乱の胸は熱い感動で満たされた。
(……ああ、主様……! あなたというお方は、どこまで高潔で美しいお心をお持ちなのですか……っ!)
溢れ出る感動の勢いのまま、百花は受話器をひっつかむと、一番隊の伝令神器に向かってキッパリと言い放った!
「——だそうですわ! 雀部副隊長、お聴きになりましたわね!? この『神のスイーツ』は天理さんのご意向により辞退いたします! ……あとはそちらで、好きになさるがいいわ!!!」
ガチャリッ……!!
容赦なく切られる通信音。
一番隊特別特訓室。
受話器から流れた「好きになさるがいいわ」という冷酷な引導を聞いた瞬間、床に正座していた4人の絶望は頂点へと達した。
「「「「ぜっったいに『好きに』なんてできるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっっっ!!!!!!!!」」」」
4人の魂の叫びが特訓室に木霊した!
天理のあまりの高潔さによって「神のスイーツ」という唯一のブレーキ(および覚悟の担保)は完全に消失!
残されたのは、天理の崇高な意志に心を打たれ、「ならば余計に、この不遜な4人をビシッと教育せねばならん」と全身から三界を灼く爆炎を立ち上らせる山本元柳斎重國と、「ふふ、残念でしたね。では、神のスイーツを食すまで通常の回道でお付き合いいたしますよ」と美しく微笑む四番隊隊長・卯ノ花烈のみ!
「さあ……市丸、朽木、京楽、平子……。七瀬殿の足元にも及ばぬ愚か者どもよ……『特別特訓』の再開じゃあッ!!!!」
「ぎゃああああああああああああああああああああっっっっっっっっっ!!!!!!!!」
こうして、逃げ場を完全に失った4人の叫び声が一番隊地下深くに響き渡り、瀞霊廷の歴史に残る「最長の地獄の特訓」が本当の幕を開けるのであった——。