男子校の悪友どもが俺にだけ美少女に見えるんだが? 作:深紫Sιn姉
「…………は?」
思考が、複数の方向へ同時に暴走を始める。
なんで。なんで男子校の、しかも食堂のど真ん中に、女子がいる?
他校の生徒か? いや、違う。
あの紺のブレザーは、間違いなくうちの制服だ。
しかも男子用。ズボンまで穿いている。
それに、周りの連中はどうだ?
……誰も、彼女を見ていない。
あんな異物が紛れ込んでいるのに、全員が普通に飯を食い、普通に談笑している。
おかしい。何かが、決定的におかしい――。
ふと、その少女の琥珀色の瞳と、目が合った。
「っ!」
反射的に目を逸らした。
どうか責めないでほしい。
中一から三年間、女子という存在から隔離されて生きてきた男子校生の目に、あの瞳はあまりにも眩しすぎたのだ。
……いや、落ち着け。落ち着け鈴宮マコト。
何かの見間違いかもしれない。
俺は深呼吸をして、意を決してもう一度だけ視線を戻した。
――少女は、可憐に微笑みながら、こちらに向かって手を振っていた。
「ッ⁉︎」
心臓が、ドクンッと跳ねた。
え、俺? 俺に? なんで?
いや、待て。落ち着け。
よく見ろ。手を振っているのは、少女だけじゃない。
その少女の、すぐ隣。
あまりにも見覚えのある、右目に眼帯を巻いた男が――糸谷が。
不敵な笑みを浮かべながら、「こっちへ来い」とばかりに手招きしているではないか。
……なんで糸谷が、あんな美少女と相席してるんだ⁉︎
脳内が大パニックを起こしかける。
だが、ここは食堂の通路のど真ん中だ。いつまでも棒立ちしているわけにはいかない。
俺はロボットのようにぎこちない足取りで、糸谷のテーブルへと向かった。
そして、少女の斜め向かい――糸谷の真正面の席に、そっと腰を下ろす。
「ふん、遅かったではないか。盟友よ」
腕を組んだ糸谷が、いつもの調子で言う。
「あ、ああ……」
生返事をしながらも、俺の意識は斜め前の少女に釘付けだった。
近くで見ると、破壊力がさらに増している。
むさ苦しい食堂の中で、彼女の周りだけ空気が澄んで見えた。マイナスイオンでも出ているのかもしれない。
俺は身を乗り出し、糸谷に小声で耳打ちした。
「おい、糸谷……お前の隣の、その子は……」
一体誰なんだ、と聞こうとした、その瞬間。
可憐な少女が、テーブルに置かれたラーメンの鉢を、両手でガシッと鷲掴みにした。
そして、卓上の胡椒の瓶を手に取ると――。
ドサドサドサドサドサッ‼︎
親の仇のような勢いで、スープの表面が灰色になるまで胡椒をぶちまけた。
「……え」
俺が呆然とする中、少女は割り箸をパキンと割り――。
「ズズッ! ズズズズズズズッ‼︎」
信じられないほど豪快な音を立てて、麺を啜り始めた。
一気に。怒涛の勢いで。
最後は鉢を傾けてスープを一滴残らず飲み干し、ガコンッ! とテーブルに叩きつけ、あろうことか制服の袖で口元をぐいっと拭った。
「ぷはーっ! やっぱここのラーメンは、胡椒をアホほどかけるに限るのう!」
…………。
「おい、自分もさっさと弁当食わんかい。はよせんと席が埋まって、並んどる連中の迷惑になるじゃろうて」
「…………はい?」
今。
この美少女、『のう』って言った?
声のトーン。
独特すぎる、どこの地方ともつかない訛り。
老人のような一人称と、人を『自分』と呼ぶ二人称。
そして極めつけは、あの胡椒まみれのラーメンの食い方。
知っている。
俺は、これとまったく同じ特徴を持つ人間を、よーく知っている。
震える声で、その名前を口にしようとした時。
少女はテーブルの端に置いてあった『丸メガネ』を手に取り、慣れた手つきでスチャッと装着した。
「ん? なんじゃ自分、ワシの顔になんかついとるか?」
丸メガネの奥で、琥珀の瞳がパチクリと瞬く。
どうやらラーメンの湯気でレンズが曇るから、一時的に外していただけらしい。
「……ほ、星乃……?」
琥珀の瞳が、じとーっと細められた。
「なんじゃ改まって。ああ、さては課題を写させてくれ言うんじゃなかろうな? 朝の電車で、ワシもやっとらん言うたやろ」
間違いない。
俺の目の前にいるこの美少女は――あのちんちくりんの悪友、星乃だ。
「ふっ。盟友鈴宮よ、汝さては寝ぼけているな? 我が魔眼にはお見通しであるぞ」
糸谷が、やれやれと呆れたように肩をすくめる。
「お前の魔眼は節穴か! 隣を見ろ、お前のすぐ隣を!」
「隣? 星乃がどうかしたか?」
「どうかしたか、じゃねえよ! どう見ても……っ!」
女の子だろ、という言葉を、俺はギリギリで飲み込んだ。
周りを見渡す。
やはり、誰一人としてこの異常事態に気づいていない。
糸谷の目にすら、いつも通りの星乃が映っているらしい。
「……いや。やっぱ、なんでもない」
頭を抱える俺をよそに、美少女の姿をした星乃は爪楊枝をくわえ、「ほれ、自分もはよ食わんかい」と、それはそれはのんきに笑っていた。
――結論。
俺の悪友が、美少女になった。
しかし中身は、一ミリも変わっていない。
■ ■ ■
昼休みも半ばを過ぎた頃。
食堂のある海側校舎と、教室のある本館。そのちょうど中間にある木のベンチに、俺たち三人は並んで腰を下ろしていた。
初夏の海風が吹き抜けていく。
周りでは男子生徒たちがのんびりと駄弁っていて、どこからどう見ても平和な昼休みの風景だ。
――ただ一点、俺の右隣に座っている存在を除いて。
「ぷはぁ〜。やっぱ食後の甘いもんは、五臓六腑に染み渡るのう」
ずぞぞぞぞっ、と豪快な音を立てて紙パックのいちごオレを吸い尽くしたのは、蜂蜜色の髪の少女――もとい、星乃だ。
俺は顎に手をやりながら、横目でそいつを観察する。
風に揺れるさらさらの髪。華奢な肩。ストローをくわえる小さな口。
どこからどう見ても、守ってあげたくなるタイプの小柄な美少女だ。
しかしそいつは、ベンチの上で両脚をガバァッと大きく開き、背もたれにふんぞり返って、「ふいー」と親父くさい溜息をついていた。
「……おい、星乃」
「なんじゃ」
「頼むから、もうちょっと脚を閉じて座ってくれ」
「あん?」
星乃が、丸メガネの奥で目を細める。
「なんじゃ急に。窮屈じゃろうが。だいたい男がチマチマ脚閉じて座れるかい」
男じゃないんだよ!
いや、男なんだけど! 今の俺の目には完全に美少女なんだよ!
いくらズボンを穿いてるからって、そのツラで大股を開くな! 脳がバグるだろうが!
心の中で絶叫しながら、俺は必死に視線を空へ逃がした。
青い。空が青い。雲が白い。よし、ちょっと落ち着いてきた。
こんなの、もはや精神修行以外の何物でもない。
「ククク……鈴宮よ」
俺の左隣で腕を組んでいた糸谷が、不敵な笑みを漏らした。
「今日の汝は、どうにも魂の波長が乱れているようだな。我が魔眼には見えるぞ。汝の背後に、黒きオーラが渦巻いているのが……」
「うるさい。俺の背後に渦巻いてるのは、ショート寸前の脳みそから出てる排熱だ」
「ふっ、強がりおって。ならば我が封印されし右手で、汝の狂気を鎮めてやろうか?」
「結構だ。それより糸谷、ひとつ確認させてくれ」
俺は声を潜め、真剣な顔で糸谷に向き直った。
「お前には……星乃が『いつも通り』に見えてるんだよな?」
「何を馬鹿なことを」
糸谷は左目で星乃をちらりと見て、やれやれと首を振った。
「そこにいるのは、いつものちっちゃな星乃ではないか。それ以外の何に見えるという」
「おい糸谷! 『ちっちゃな』は余計じゃ! 自分もワシとそんな背ぇ変わらんやろ!」
「ふっ。いちごオレで背を伸ばそうなどという無駄な足掻き……哀れよのう」
「はああ⁉︎ その哀れな土俵に、自分も片足突っ込んどることを自覚するんじゃな!」
「…………」
黙った。
糸谷が黙った。図星らしい。
そんな低レベルな小競り合いを聞き流しつつ、俺は改めて周りを見渡した。
ベンチの前を通り過ぎていく、同じ学年の連中。
……男だ。ちゃんと男だ。
渡り廊下の向こうでは、ジャージ姿の体育教師――通称『ゴリ岡』が、ホイッスルを首から下げて歩いている。
……ゴリラだ。今日も完璧にゴリラだ。
よかった。心の底から安心した。ゴリ岡がゴリラであることに、ここまで感謝した日はない。
つまり、こういうことだ。
世界中の男が美少女に見えるようになったわけじゃない。
変わって見えるのは、今のところ星乃だけ。
そして、それが見えているのは――どうやら、俺だけ。
念のため、自分の頬を思いっきりつねってみる。
「いっっってえ‼︎」
「なんじゃ自分、急に自分の顔つねりだして」
「ふむ……ついに自傷の快楽に目覚めたか。業が深いな」
痛い。夢じゃない。
ということは、これは現実だ。……いや、現実なのか、これ?
「おい鈴宮。さっきから難しい顔して、どうしたんじゃ。まさかまだ課題のこと考えとるんか?」
星乃が、空になったパックをべこっと潰しながら、ずいっと俺の顔を覗き込んできた。
至近距離から見上げてくる、琥珀の瞳。
「うおっ⁉︎」
俺は反射的に、ベンチの端までのけぞった。
心臓に悪い。男子校育ちの人間に、この距離の美少女フェイスは刺激が強すぎる。
だが、その口元からふわりと漂ってくるのは、さっきのラーメンの胡椒の匂い。
視覚は『美少女』と言い、嗅覚は『胡椒』と言っている。
脳が、どっちを信じればいいのかわからなくなっている。
「……変なやつじゃのう」
星乃が首をかしげる。
変なのはお前だよ! と喉元まで出かかったが、俺は気合いでそれを飲み込んだ。
今それを言えば、全部こっちに跳ね返ってくるのは目に見えている。
なにしろこの世界で、今の星乃の姿が女に見えているのは俺だけなのだから。
……まさか、とは思う。
でも、心当たりは一つしかない。
昨日の夕方。江ノ島に向かって「青春をください!」と叫んだ、あの祈り。
だからといって、『見た目だけ美少女にする』なんていう、悪魔の契約みたいな捻くれた叶え方をしてくるなんて、誰が予想できるだろうか。
俺の目にしか映らない、友人の美少女化。
そう言うなればこれは、青春の幻覚。
――『アオハルシネーション』
とでも呼ぶべき、怪奇現象である。
「……なるほど、実に結構」
「ふむ? 何か言ったか、盟友」
「いや、なんでもない」
ちなみに、名前をつけたところで何ひとつ解決はしない。
「お、そうじゃ。教室戻る前に、ちょっと便所寄ってええか?」
「……え?」
■ ■ ■
予鈴まで、あと十分。
「便所って……お前、トイレ行くのか?」
「当たり前じゃろ。人間じゃもの。我慢しとったら膀胱炎になるわい」
可憐な美少女が、屈託のない笑顔で『膀胱炎』と言い放つ。
糸谷は糸谷で、すでに男子トイレの方へすたすたと歩き出していた。
……待て。待て待て待て。
頭ではわかっている。
星乃は男だ。男子トイレに入るのは、当然の権利である。
だが、俺の視界には完全に『丸メガネの小柄な美少女』が映っているのだ。
その美少女が、男子トイレのドアを開けて入っていく――。
絵面が、あまりにも事件すぎる。
「ちょ、ちょっと待て星乃! そっちは男子トイレだぞ⁉︎」
「知っとるわ。ワシは男じゃ」
「そうだった……!」
「ほれ、自分も行くじゃろ? 連れションじゃ、連れション」
結局、俺はズルズルと男子トイレの中へ引きずり込まれた。
「おー、空いとる空いとる」
昼休みの男子トイレに、美少女が堂々と足を踏み入れる。
中で手を洗っていた一年生が、星乃をちらりと見て、そのまま普通に出ていった。
……うん。当然、ノーリアクション。
この学校で悲鳴を上げそうになっているのは、俺だけだ。
星乃はなんの迷いもなく、ずらりと並んだ小便器のど真ん中を陣取った。
そこで、俺の脳内に、ひとつの重大かつ哲学的な疑問が浮かび上がる。
――今のこいつは、見た目以外、どこまで『星乃』のままなのか?
声は星乃。口調も星乃。胡椒の量も星乃。
じゃあ、それ以外は?
その答えは今まさに、隣の小便器の前で出ようとしている。
確かめるべきか。科学的探究心に従うべきか。
…………。
白い天井。古びた換気扇。ぽつぽつと浮かぶ雨漏りのシミ。
一個、二個、三個……。
「自分、なんでさっきから天井見上げとるんじゃ」
「……シミを数えてる」
「なんでじゃ」
「今、十四個目だ」
「だからなんでじゃ」
ジョボボボボ……と、隣から聞こえてくる、実に男らしい水音。
その音と、何のためらいもなく小便器の前に仁王立ちする姿勢が、すべての答えを物語っていた。
……わかった。もう十分わかった。
見た目以外は、全部いつもの星乃なのだ。
顔は美少女。だが中身は、骨の髄までジジイ口調の男子高校生。
「ふいー、スッキリしたわい」
俺はシミを二十一個まで数え終えたところで、天を仰いだまま、今日一番の深い溜息を吐き出した。
「おい鈴宮、何ぼーっとしとるんじゃ。はよ手ぇ洗え」
「……お前のせいだよ、バカヤロウ」
ああ……なんて業の深い呪いなんだ⁉︎