男子校の悪友どもが俺にだけ美少女に見えるんだが? 作:深紫Sιn姉
手を洗い、教室へ戻る廊下を歩きながら。
俺は前を行く小さな背中を見つめ、冷静に思考を巡らせていた。
江ノ島の女神は、なぜ俺にこんな幻覚を見せているのか。
そもそも、なぜ『星乃』だったのか。
糸谷でも、東条でも、結城でもなく。なぜ、こいつがターゲットになったのか。
ラノベなら、ここは主人公が推理を披露する場面だ。
俺は数瞬の思考の末、自分なりの仮説を組み立てた。
物事には原因ってものがある。
背が低く、華奢な体つき。
声変わりしても、ほとんど高いままの声。
そして、それを覆い隠すかのような、あのジジイ口調。
――これはまるで、あいつが一番見られたくない『弱さ』を、この現象が無理やり引きずり出して、俺に見せつけているみたいじゃないか?
もし、そうだとしたら。
これは単なる神様の悪戯なんかじゃない。
もっと厄介で、もっと面倒くさいもの。
あいつの心の奥に隠された――『男のプライドの裏返し』だ。
「……ふっ、見えてきたぞ。事件の全貌が」
思わず、口元に不敵な笑みが浮かぶ。
「なんじゃ自分、さっきから独りでブツブツと。気味悪いのう」
星乃が振り返り、ドン引きのジト目を向けてくる。
だが、今の俺には何のダメージもない。
なぜなら俺はもう、この事件の真相にたどり着いたからだ。
原因がわかれば、解決策はシンプル。
あいつのちっぽけなコンプレックスを、俺が正面から粉砕してやればいい。
「お前は立派な男だ」と、自信を持たせてやればいい。
そうすれば、このふざけた美少女フィルターも、きっと崩れ去るはずだ。
――待ってろよ、星乃。
俺が、お前を治してやるからな!
■ ■ ■
五限、六限、そして七限。
地獄のような午後の授業が、ようやく終わった。
うちの学校は土曜が休みの代わりに、平日がみっちり七限まで詰まっている。
週末を丸ごと休めるのはありがたいが、平日の疲労は尋常じゃない。
終礼の号令と同時に、死んだ魚の目をしていたクラスメイトたちの顔に、ようやく生気が戻っていく。
俺は自分のロッカーを開けて、かかとの潰れかけたスニーカーを取り出した。
周りを見渡すが、まだあいつらの姿はない。どこかの授業が長引いているんだろう。
ロッカー横の壁に寄りかかりながら、ふと思う。
――そもそも、なんで俺たちは、この五人でつるんでいるんだろう。
出会いは、中一の春にまで遡る。
海風学院に入学して、最初のクラスがたまたま同じだった。通学の電車がたまたま同じだった。
それだけだ。
特別なリーダーがいたわけでも、共通の部活があったわけでもない。
気づけば、波長の合う五人が、自然と同じ号車に集まるようになっていた。
ツッコミ担当で口うるさいけど、どこか抜けている星乃。
常に独自の世界観を生きている、厨二病の糸谷。
真面目ぶっているようで、実は一番容赦のないストッパー、東条。
誰にでも爽やかだけど、根っこは底知れぬマイペースの結城。
性格も趣味もバラバラ。なのに、一緒にいると妙に居心地がいい。
誰かがアホなことを言えば、誰かが乗っかり、誰かがツッコむ。
そんな生産性ゼロのやり取りを、三年も続けてきた。
まごうことなき、腐れ縁の悪友たちだ。
「おーい、鈴宮。待たせたのう」
廊下の奥から声がして、顔を上げる。
隣のクラスから出てきた星乃が、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。
「おう……」
片手を上げかけて、俺の顔はすぐに引きつった。
野郎どもの群れの中を、相変わらず『蜂蜜色の髪の美少女』がちょこちょこと近づいてくる。
丸メガネの奥で、琥珀の瞳が俺を見つけて嬉しそうに細められた。
落ち着け? あれはただの星乃だ。
ラーメンに胡椒を親の仇みたいにぶっかける、ちんちくりんの悪友だ。それ以上でも以下でもない。
「ほれ。あとは残りの三人を待つかのう」
星乃は俺の隣の壁に背中を預けて、「ふぅー」と息を吐いた。
「それにしても、今日の課題、結局自分は出したんか?」
「一応な。答え見ながらだったけど」
「そかそか。ワシは六限が自習になってのう、そこで片付けたわ」
「うわ、羨ましい」
それっきり、会話が途切れる。
「…………」
「…………」
でも、気まずくはない。
三年も一緒にいると、沈黙すらも空気みたいに自然になるのだ。
ちらりと、横目で星乃を見る。
……うん、やっぱり美少女だ。
中身を知っているせいで、なんとも言えない気分になるが。
そして見れば見るほど、昼に立てた仮説への確信が深まっていく。
星乃は昔から、背が低かった。
周りの野郎どもが成長期で縦にも横にもデカくなり、声変わりで野太い声になっていく中、あいつだけはちんちくりんのまま。
舐められたくない。子ども扱いされたくない。男として、弱く見られたくない。
思春期の男子としては、当然の感情だろう。
だからあいつは、あえてジジイ口調を使って、自分を大きく、達観して見せようとしているのだ。
事実、昼休みに糸谷からいちごオレのことを突っ込まれて、ムキになっていたじゃないか。
そして江ノ島の女神は、その必死に隠した『小さくて、か弱い自分』を、よりにもよって『小柄な美少女』という形で、俺の視界に出力した。
完璧だ。完璧な推理だ。
俺は壁にもたれたまま、名探偵のように口の端を吊り上げた。
「なんじゃ自分、壁に向かって一人でニヤニヤしおって。気持ち悪いのう」
「ふっ……今の俺は、悩める友を救う救世主だからな」
「は?」
「お待たせ、鈴宮、星乃」
「ふん、我としたことが遅れを取ったか。物理の教師め、詠唱が長すぎるのだ」
「兄さんたち、お揃いですね」
ちょうどそこへ、結城、糸谷、東条の三人が連れ立ってやってきた。
……よし。三人とも、ちゃんと男だ。
特に糸谷。眼帯の厨二病野郎のままだ。安心した。
いつもの五人が揃った。
俺は気合いを入れるように深呼吸して、「よし、帰るか」と先陣を切って歩き出した。
■ ■ ■
朝来た道を、ただ逆にたどるだけの帰り道。
夕暮れ時の逗子の町は、独特の空気をまとう。
西日が民家の屋根をオレンジ色に染め、吹き抜ける潮風には、少しベタつく塩気と磯の匂いが混じっている。
俺たち五人は、狭い歩道に横一列に広がって、ダラダラと歩いていた。
前から自転車が来るたびに道を空け、通り過ぎればまたすぐ広がって、意味のない駄弁りを再開する。
「今日の古文の小テスト、散々だったよね」
結城が、爽やかな笑顔のまま絶望的な報告をする。
「ふん。古の言霊など、現代を生きる我らには不要。赤点さえ回避できればそれでよい」
「兄さん、またそうやって……。後で困るのは自分ですよ」
糸谷の強がりに、東条が四角メガネを押し上げながらため息をつく。
いつもの光景、いつもの会話。
ただ一つ、俺の隣で「そうじゃそうじゃ」と頷いている奴のガワがとてつもなく可愛いことを除けば、完璧な日常だ。
橋のかかった小さな川に差しかかったところで、ふと川面を覗き込む。
水面を漂う落ち葉が、なぜか上流に向かって、ゆっくりと流れていた。
入学したての頃は、この光景がずっと不思議だった。
だが、あるとき気がついた。
この川は、海とすごく近い。だから満潮が近づくと、海の水が川に逆流してくるのだ。
小さな川だからこそ、潮の満ち引きの影響をもろに受ける。
原因さえわかれば、なんてことはない。当たり前の自然現象だ。
――そう。原因さえ、わかれば。
俺は、隣で同じように川を覗き込んでいる星乃を見た。
「よし……」
小さく呟き、覚悟を決める。
特別な舞台なんていらない。この帰り道で、俺がこいつのコンプレックスを解き放ってやる。
作戦名――『男らしさを取り戻せ』。
「そういえば星乃ぉ!」
「んえっ?」
俺は急に大声を出し、星乃の肩にガシッと腕を回した。
「お前、最近ガタイ良くなったよな! ほらこの腕! この二の腕の筋肉! めちゃくちゃたくましくなったんじゃないか⁉︎」
「な、なんじゃ自分、急に……!」
気心の知れた男友達への、いつものスキンシップのつもりだった。
だが、どうしてだろう。
腕の中の華奢な肩がビクッと跳ね、見上げてくる琥珀の瞳が、戸惑ったように揺れて見える。
くっ……! 罪悪感がすごい! 中身は男のはずなのに!
「照れるな照れるな! お前はやればできる男なんだから、なっ!」
バシンッ! バシンッ!
俺は励ますつもりで、星乃の背中を力強く叩いた。
「痛いんじゃが⁉︎ ちょ、やめんか!」
美少女が涙目で抗議している。
罪悪感が天井を突き破るが、ここで引いては男がすたる。
「よし星乃、今こそお前の男らしさを証明する時だ! これを持ってくれ!」
俺は教科書でパンパンに膨れた自分のリュックを、星乃に押し付けた。
だが、しかーし。
「アホか。自分の荷物くらい自分で持たんかい」
ドンッ‼︎
重いリュックが、ものすごい勢いで俺の胸に押し返された。
「ぐふぉっ⁉︎」
二、三歩よろめいて後ずさる。
その力強さは、紛れもなく男子高校生のそれだった。
視界に映る星乃は、相変わらず小柄で可憐な美少女のままだ。
だが、その細い腕から繰り出されたパワーは、教科書満載のリュックを片手で突き返すだけの、しっかりとした筋力を伴っていた。
華奢な少女が、重い荷物をバレーボールのトスみたいに軽々と弾き返してくる。
視覚と物理法則が、完全にケンカしている。
「な、なんてパワーだ……」
「当たり前じゃろ。ワシをヒョロガリ扱いするでないわ。それより自分、さっきからベタベタ触りおって、なんなんじゃ気色悪い」
星乃は可憐な顔をしかめ、心底迷惑そうに自分の肩をパッパッと払っている。
「おい、鈴宮……」
背後から、ひどく呆れた声がした。
振り返ると、糸谷、東条、結城の三人が、珍獣でも見るような目で俺を眺めていた。
「汝、ついに疲労で脳がやられたか? 急に星乃に絡みに行き、挙げ句の果てに己の荷物を押し付けるとは……奇行にも程があるぞ」
「兄さん。今の、知らない人にやったら普通に通報案件ですからね」
「鈴宮、もしかして何かの罰ゲーム中?」
「い、いや違う! 俺はただ、こいつの男らしさをだな……!」
「男らしさぁ? 自分、今日はいつにも増してホンマに訳わからんのう」
四人からの冷たい視線が、容赦なく突き刺さる。
……完全に、空回った。
男らしさを取り戻してやろうとした結果、俺は『見た目は美少女、腕力は男子高校生』という謎生物にリュックを弾き返され、さらにはダチから『急にベタベタ絡み始めたヤバい奴』認定を受けただけだった。
「違うんだって! 俺は至って正気だ!」
「正気な奴は、自分で正気とは言わんのじゃ」
「うむ。狂人ほど己を正気と信じるものよ」
「兄さん、今日は早く寝たほうがいいですよ」
「あはは、鈴宮、おもしろーい」
作戦名『男らしさを取り戻せ』――結果、失敗。
やがて、そんな他愛もない言い合いを続けながら、俺たちは逗子駅の改札前にたどり着いた。
このカオスな空気を、どうにかして日常に戻したい。
せめて誰か一人くらい、俺の味方になってくれないものか。
「……はあ。ラブコメなら、ここで俺を庇ってくれる子がいるんだけどなあ……?」
「なんじゃ、また独り言か」
星乃のツッコミを無視して、俺はすがるように糸谷のほうを向いた。
こいつなら。厨二病のこいつなら、『理解者』として味方してくれるかもしれない。
「なあ糸谷、お前からもなんとか言ってくれよ。俺は至って冷静で正気な――」
そう言って、糸谷の顔を見た、その瞬間。
ぐにゃり、と。
俺の視界が、奇妙に歪んだ。
「ん……? んんんんん⁉︎」
目の前に立っていたのは、見慣れた眼帯男ではなかった。
――夕日を受けてきらめく、腰まで届く長い白銀の髪。
――右目を覆う黒い眼帯と、暁のように紅く輝く左の瞳。
――どこか浮世離れした、ミステリアスな佇まい。
「…………は?」
間の抜けた声を漏らす俺に、銀髪の少女は、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「ふっ。鈴宮よ、汝の狂気もそこまでいくと、いっそ哀れであるな」
声のトーン。口調。仕草。
……ああ、間違いないさ。
俺はただ一人、逗子駅の改札前で、それはもう深々と天を仰いだ。
「二人目、かよ……っ!」