傷だらけの赤色:スカーレッド・スパイダー 作:WhatSoon
最近、夢を見る。
怖い人が出てくる。
私に酷いことをしようとする。
だけど、心配ない。
私を助けに来てくれる人がいる。
それは白馬の王子様だ。
いい歳した私が見るには、幼稚な夢。
それでも、この悪夢を打開してくれる救世主だ。
悪人達を倒して、助けてくれるヒーローだ。
そうして、悪人を倒したヒーローは去っていく。
せめて名前だけでも呼び止める。
顔は見えない。
そして、名前も。
追い縋って、声を掛けて──
視界が、真っ赤に染まる。
夢から、覚めた。
「……ゔ、ゔぅ」
ベッドの上、布団を押し除けて……私は目を覚ました。
視界には灯りの付いていない電灯。
寝ぼけ目を擦って、私は立ち上がる。
はたはたとなびくカーテン……窓が開いていた。
そこから、朝日が差し込む。
「…………っ、眩しい」
窓を閉めて、部屋の姿鏡を見る。
赤い髪のティーンエイジャーがそこに居た。
私の名前はクレア。
ブルックリン在住の17歳、ブルックリン科学高等学校に通う高校生だ。
「……結局、夜更かししちゃったな」
枕元に置いてあったスマホの画面を閉じる。
昨日は夜遅くまで、サブスクで映画を観ていた。
記憶が途中で途切れている事から、寝落ちしてしまったのだろう。
背伸びをしながら自室を出て、私は階段を降りる。
そうすれば、すぐにリビングだ。
鼻へ僅かに、甘い匂いが香る。
キッチンの主が、その匂いを作っている。
「……おはよう、ママ」
「あら、おはよう。クレア……随分と眠そうね?また夜更かし?」
「……ううん、してない」
した、と言えば叱れる。
叱られれば、お小遣いが減るかも知れない。
私は嘘を吐いて、席についた。
そして、ちらと視線を、席に座るもう一人へ向けた。
「……おはよう、お婆ちゃんも」
「えぇ、おはよう」
新聞を読んでいる祖母は、私の挨拶を適当に返した。
そしてまた、私は視線を下げた。
「……おはよう、ジンジャーも」
小声で、白い毛の犬にも挨拶。
私の挨拶にジンジャーはそっぽ向いた。
酷い犬だ。
私が顔を顰めていると、ママが机に朝食を置いた。
「ほら、クレア。さっさと食べて、学校に行きなさい。遅刻するでしょ」
「……急がなくても、遅刻しないし」
悪態を吐きつつ、私は朝食のトーストを口にした。
ざくざく、と噛み締めて飲み込みつつ、テレビを観る。
『デイリー・ニュースの時間です。本日もニューヨークの治安は最悪!過去最高の犯罪率となっております』
テレビでは白髪が混じった偏屈そうな男が語っている。
『それもこれもマスク姿の自警団達が原因です。後ろめたい事がないのならば、マスクを脱いで正体を晒すべきなのです!』
画面に映っているのは、マスクを被ったヒーロー達の写真。
法律では認可されていない、ニューヨークで活躍するヒーロー達だ。
『彼等は警察を愚弄している!法を犯した者が正義の味方気取り?バカ言っちゃいけない!真のヒーローとは法を守った上で、素顔を晒して戦う警察官なのだ』
その意見には概ね同意だ。
……まぁ、ニュースキャスターの剣幕が凄過ぎて、頷きたくはないけれど。
『以上、デイリー・ニュースはデイリー・ビューグル社のJ・ジョナ・ジェイムソンが提供させていただきました』
偏屈なニュースキャスターの偏向報道が終わると同時に、私はトーストを飲み込んだ。
「……ごちそうさま」
食器を片付けて、私は洗面所へ向かう。
水で口を濯いで、顔を洗って……そしてまた、鏡を見る。
ウェーブがかった癖っ毛の、赤い髪。
目は寝不足が原因で──もなく、いつもの事ながら、目が死んでいる。
あまり身長は高くないし、肉付きも悪い。
つまり、薄くて、細くて、小さい。
不健康そうな女が鏡の中に居た。
「…………」
見るからに、
髪を櫛で整えながら、そんな自虐を考える。
……また、髪が跳ねた。
これ以上は遅刻するし、諦めよう。
鏡に映るジトっとした目付きは、私自身を咎めているように見える。
その視線から逃げるように、私は自室へと戻った。
そして、机に置いてある鞄を手に取り、玄関へ駆け降りる。
「……いってきます、ママ」
返事を確認しないまま、私は外に出た。
◇◆◇
ブルックリン科学高等学校。
それはニューヨークのブルックリンに存在する、公立高校だ。
一般的な高校に比べて、科学関連の授業が多い……理系の学校だ。
その廊下にあるロッカーで、私は教科書を取り出していた。
次の授業は、生物学。
分厚い教科書を手に取って、授業に向かおうとすれば──
「あ、ごめ〜ん」
金髪の女に肩をぶつけられた。
その表紙に、教科書が落ちてしまう。
振り返ると、同級生が二人立っていた。
「……サリー」
「なに?謝ったじゃん、文句ある?」
悪びれる様子もなく、そんな事を口にする。
名前はサリー・アヴリル……ブルックリン科学高等学校のチアリーディング部に所属するチアリーダーだ。
金髪で高身長、私とは真逆の性質を持つ
そんな彼女と共にいるのは、同じくチアリーディング部の同級生だ。
取り巻き、ともいう。
「……ないよ、文句なんて」
「そう、ならいいけど。はやく退いてくんない?邪魔なんだけど」
別に邪魔などしていない。
「……………」
私は顔を顰めそうになりながらも、落ちた教科書を手に取って、そそくさとその場を後にした。
後ろから、くすくすと笑う声が聞こえるが、聞こえないフリをする。
本当に嫌な奴らだ。
成績は悪いくせに、逞しい彼氏が居るからって威張ってる。
私以外にも、何人も被害に遭っている。
でも、誰も注意できない。
学校に告げ口したって、知らんぷりだ。
「…………っ」
災害に遭ったようなもの。
私は苛立ちを飲み込んで、生物学室へ向かった。
◇◆◇
生物学室は生物学の授業で使う教室だ。
大きな実験机には、横並びで3人座れる。
これが教室内に10つ。
班ごとに机が分かれている。
これはとても重要な事で、各生徒に対する与えられる個人評価とは別に、各班ごとに班評価が存在する。
その二つを元に成績が決まるので、班の成績も重要になる。
そんな私のE班は3人……ではなく、2人だ。
生物学は人気が無いから定員割れ、そういう事だ。
私が席に座ると、既に座っていた女の子から話しかけられた。
「おはよ、クレア。今日も寝不足?」
「……おはよう、ヘレン。そんなに寝不足に見える?」
「見えるよ。ハルクがブッ殺したパンケーキみたいな目してる」
「……何その例え」
「それぐらい酷いってこと」
ヘレン・チョーはアジア系の同級生。
私のの友達で、当然、私のように陰気なヤツ。
ヒーロー好きの科学オタク……つまり、
会話していて楽な相手だ。
「……最近、寝るのが怖くて」
「何で?」
「……嫌な夢を見るから」
「夢?どんな夢?」
「……覚えてない」
「何それ。じゃあ、嫌な夢かも分からなくない?」
ヘレンの言う事は正しい。
覚えてないなら、嫌な夢かは分からない筈だ。
「……でも、なんだか、こう、嫌な夢って感じがするから」
「うーん……なるほど?」
ヘレンは分かってないようだが、取り敢えず頷いた……そんな感じがした。
私も理解者が欲しい訳じゃない。
真面目に話を聞いてくれるだけ、マシだ。
「……そんな事より、今日の授業って何だっけ?」
少し気まずくなって、話題を変える。
「今日は座学。前回、カエルの解剖やったでしょ?アレの続き」
「……あ、そっか。アレ、楽しかったよね」
「そんな事を言ってるの、クレアだけだよ」
「……そうかな?」
「気持ち悪くない?解剖学ってさ」
そんな事は無いと思う。
生き物の仕組みを見るのは楽しい。
見えないものを暴いて、自分の知識通りって確かめるの……面白いから。
生物学で一番楽しい授業だと思うけど。
なんて、友達と話していると教室に教師が入ってきた。
少し太った中年の先生……コナーズ先生だ。
「そろそろ授業を始める。お喋りは終わり」
先生の声に、生徒達が静かになる。
生物学の授業を選んで受けるような生徒は、真面目な生徒が多い。
偏見だけど、事実、この生物学室の生徒は真面目な生徒ばかりだ。
「今日は、ええと……授業の前に、新しく教室に入る生徒の紹介をするぞ」
コナーズ先生の話に、私とヘレンは顔を合わせた。
「……何でだと思う?」
「さぁ?カリキュラム編入?」
教室内でも、小声で何か喋る声が響く。
「あー、入って」
コナーズの声に、教室の扉が開いた。
そうして入ってきたのは、これまた私達と同様、あまり気の強そうじゃない青年だった。
茶髪で、白いシャツに黄色のベストを着ている。
下はジーパン……あんまりオシャレじゃない。
「っと、彼はピーター・パーカー。ミッドタウン高校からの国内交換留学生だ。仲良くするように」
「ピーター・パーカーです、よろしく……」
緊張して引き攣った笑顔を浮かべながら、ピーターが手を振った。
そんな彼の様子を見て、私とヘレンは顔を合わせた。
「……ヘレン、どう思う?」
「4点」
「……4点?」
「そう、4点だね」
私は交換留学生の印象を聞いたのに、ヘレンが急に点数をつけ始めた。
その仕草に私は顔を顰めた。
「……点付けるの?そういうのよくないよ」
「そうだね。ふふ」
悪びれる様子もないヘレンに、私は天を仰いだ。
そして、説教すべきだと視線を戻す。
「……ちなみに、それって何点満点?」
いけない事だと分かっていても、思わず聞いてしまった。
「10点満点中。顔は悪くないけど、ファッションがダメ。態度もぎこちない」
「……まぁ、分かる。でも4点は低くない?」
「クレアは採点が甘いね」
視線をピーターに戻す。
顔は……気が弱そうだけど、悪くはない。
清潔感もある。
でも、服はちょっと……お婆ちゃんに買って貰ったのかなって服だ。
でも、10点中4点ではないと思う。
うん、6、いや7点ぐらい付けてあげても良いと思う。
って、人を見て評価点付けるなんて、自惚れだ。
点を付けられるほど、私は偉くない。
「じゃあ、ピーター。あそこ、右の前から三番目。二人しかいない席に座ってくれ」
「あっ、はい。わかりました」
ピーターが頷いて、こちらに向かってくる。
右の前から三番目……あ、ここか。
え?ここなの?
「……ぅ、ヘレン、ちょっと詰めて」
「えー」
私はいそいそと、ヘレンを押して、窓側に座った。
ピーターが座りやすいように、席を詰めたのだ。
そうして、ピーターが来る頃には左端に席が空いた。
「えっと……」
「……どうぞ」
「どうも?」
私がぎこちない様子で譲ると、ピーターもぎこちない様子で座った。
ニューヨーク科学館のロボット展覧会に出てきた、ロボットよりもぎこちない。
「…………」
「…………」
「……はは」
三者三様、気まずい。
私は……男子と話す事なんて普段ないし、何を喋ったら良いか分かんない。
ヘレンは、どうだろう?
そもそも、男子が苦手なんだっけ?
交換留学のピーターは、うん。
彼の女の子慣れしてなさそう。
困ったな。
それどころか、最低限のコミュニケーションも取れやしない。
困っていると、ピーターが先に口を開いた。
「えっと……自己紹介しとくね?僕はピーター、ピーター・パーカー」
「……さっき、教壇で言ってたから知ってる」
「そ、そうだね……はは」
ピーターが困ったように首の裏を掻いた。
そして、何故、急に自己紹介をしたかを理解した。
私達に自己紹介するよう促すためだろう。
しかし、自己紹介か……何だか緊張する。
異性相手に話す機会なんて、そうないし。
勇気を出せず躊躇う私。
そんな私を他所に、ヘレンはピーターへと目線を向けた。
「私はヘレン・チョー。ヘレンって呼んで」
なんと、抜け駆けである。
私が金魚のように口をパクパクさせている中、ピーターはヘレンと握手していた。
「よろしく、ヘレン……それで──
ピーターの視線が私に向いた。
自己紹介すべきだろう、今の話の流れ的に。
私は手汗を握りしめながら、ピーターへ視線を向けた。
「わ……私は、クレア……クレア・キャサディ……よろしく」
そして手を出せば、ピーターに手を握られた。
思ったより硬くて、ゴツゴツした手だ。
男の子、って感じがする手だ。
そんな手に握手されて、私は上擦った声を出した。
何だか、この退屈な日常が、非日常になっていく……そんな気がした。