傷だらけの赤色:私がスパイディの傷になるまで 作:WhatSoon
朝……ブルックリン科学高等学校、化学室にて。
「え?じゃあ会ったの?スパイダーマンに?」
「……うん、助けてもらった」
ヘレンと出会った私は、昨日の出来事を話していた。
放課後、強盗に乱暴されそうになり、それを助けて貰った話だ。
その話を聞いたヘレンは心配そうな顔をしていた。
だが、私が大して怯えてないのを察して、羨ましそうな顔に変わった。
「私も会いたかったな。クレアも、サインぐらい貰っておけば良かったのに」
「……うん。でも、サイン書くような人じゃなかったと思う」
「そうなの?」
「……多分、若かったし。ちょっと子供っぽかった」
「ふーん、なるほど。なるほど……スパイダーマンはティーンエイジャー、っと」
なんて話をしていると、ピーターが教室に入ってきた。
ピーターも化学の授業を取っていたのか。
化学室での授業は、生物学の授業と違って班分けはない。
席は自由だ。
それでも、私はヘレンと一緒にいる。
仲が良いからね。
そういう理屈でいえば……うん、ピーターも誘うべきだろう。
「……ピーター、こっち」
私はピーターを手招きした。
彼も気付いたようで、私達の方へそそくさとやってきた。
「おはよう、クレア。ヘレンも」
「……おはよ」
「おはよー」
同じ机に、三人で座る。
教室の形式は生物学と一緒だ。
大きな席が並んで、そこに生徒が自由に着く。
ピーターが席に着いたのを確認して、ヘレンは上機嫌な笑みを浮かべた。
「ピーター、今、話してたんだけどさ」
「うん?」
「クレアがね、スパイダーマンと会ったんだって」
「へ、へぇ、そうなんだ……?」
クレアはピーターを驚かせようと口にしたのだろう。
だが、ピーターは思ったような反応をしてなかった。
なんというか、リアクションが薄い。
疑われたようで不愉快だ。
私は眉を顰めながら、ピーターを睨んだ。
「……信じてない?」
「いや、そういう話じゃなくて、えっと……僕も会ったことがあるから。ちょっとね」
「……そうなの?」
「うん、だから驚いてはいるんだけどね。気まずいような気持ちがあるっていうか」
「……ふーん?」
なるほど、ピーターの言い分も分かる。
有名人と会った!と自慢げにされても、その有名人が知人ならば気まずいだろう。
私に……そんな経験はないが、何となく分かる。
そんな私とピーターの会話に、ヘレンが口を挟む。
「へぇ、ピーターも面識あるんだ?いいなぁ、私も会いたいなぁ。スパイダーマンに」
「何で会いたいのさ?」
「だってさ、カッコいいじゃん。イケてるスーツ、イケてるパワー……クレアもそう思うでしょ?」
ヘレンの言葉に、私は頷く。
「……まぁ、うん。カッコよかった、かも」
少し気恥ずかしさを感じながらも、頷く。
命の危機に、助けてくれた。
軽口を言いながらも身を案じて、助けてくれた。
まるで夢に出てくる王子様みたい。
確かに、吊り橋効果って奴かもしれない。
危険な場所を一緒に渡ってくれた、助けてくれた人に好意を抱く……それは不安や恐怖による動悸を好意だと勘違いするものだ。
あの時、私は確かに、スパイダーマンと出会って動悸した。
興奮した。
それは恐怖に由来するものだったのかもしれない。
だとしても、確かに、感謝の念と憧れを抱いている。
「ねぇ、クレア」
私の名前を呼んだのは、ヘレンだ。
ちらと顔を上げると……目を細めてニタニタと笑った。
隣のピーターは、顔を赤くして視線を逸らしていた。
なんだ、二人とも。
「……え?なに?」
「いや、クレアも可愛い顔するなぁって」
「……え?は?何、言ってるの?」
急に容姿を褒められた。
容姿を褒められた事なんて、殆どない。
ましてや、この歳になってからは尚更だ。
陰気臭い顔をしてる、と|虐めっ子(サリー)に罵られた事はあるけど。
彼女達のように眉を整えてる訳ではなく、髪型も意識してない。
赤毛の癖っ毛は、いつも濡れた海藻のようにウネウネしているし。
化粧もしてない。
自信なんてない。
だから、努力もしてない。
そんな私に可愛いとは、ヘレンは揶揄っているに違いない。
「……揶揄ってる?」
「いやいや、可愛いよ。恋する乙女だね」
「……恋?いや、そういうのじゃないし」
スパイダーマンに、恋?
顔も知らない相手に?
それこそ、嘘だ。
確かに、カッコいいとは思ったけれど、
意識はしているけれど。
私はそんなに、惚れっぽくない。
とにかく、このまま揶揄われたくない。
話題を変えよう。
「……そもそも、私、乙女じゃないし」
「いや、乙女でしょ。私たち、年齢的に」
「……でも、私、可愛くないから」
口元に手を当てて、恥ずかしさを誤魔化しつつ……自嘲する。
自分を傷付ける言葉を口にすると、ヘレンは顔を顰めた。
そして、ピーターは──
「僕はそんな事、ないと……思う、けど」
戸惑いながら、そんなことを口にした。
「……はぁ?」
思わず、私は顔を顰めた。
慰めのつもりだろうか、同情のつもりだろうか。
それとも、馬鹿にしているのか。
「お、言うねぇ、ピーター」
ヘレンも揶揄ってくる。
私は不信感を抱いていたのだけれど。
「あ、いや、その……そんなつもりじゃなくて……ごめんよ、クレア」
ピーターに真面目腐った顔をした謝罪に、私は困惑した。
嘘、じゃなさそうだ。
気まずいから取り敢えず謝った、って顔だ。
そもそも、ピーターは良い奴だ。
私を揶揄おうなんてしない。
かといって、コミュニケーションは得意じゃない。
だから、あんな露骨に、お世辞を言うこともないだろう。
じゃあ、なんだ?
真面目に、私は可愛いとでも言いたいのか?
「……もう変なこと、言わないで」
顔が熱くなっていた。
「は、はは……」
気まずい空気の中。
チャイムが鳴った。
授業の始まる合図だ。
会話を中断して、私はノートを開いた。
ピーターからは視線を逸らしながら、だ。
ペンを強く握りながら、隣のピーターにバレないよう一瞥する。
「…………」
ピーターは私のことが好きなのだろうか?
だとしたら、会って二日だって言うのに、惚れっぽ過ぎだ。
いや、でも、嫌な気持ちはしない、けど。
顔は悪くないし、性格も……まぁ、好みじゃないけど、良い奴だし。
嫌じゃない。
じゃあ、もしピーターが私に“付き合って”と言ったら?
……うん。
か、考えてやってもいいかな?
「…………」
なんてのは、私の勘違いだろう。
私のことを好きになる異性なんて、それこそ物珍しい変人ぐらいだ。
陰気でオタク臭い、私なんかを。
ああ、もう。
何が楽しくて自虐しなきゃなんないんだ。
原因となったヘレンを少し睨む。
すると、ヘレンは手を合わせて頭を小さく下げた。
「……まったく」
今日のランチにはカップケーキが付いてた筈だ。
あれをくれるなら、許してやってもいい。
私は手元で、ペンを回転させた。
◇◆◇
授業が終わり、放課後。
私は自分のロッカーに来ていた。
中に教科書を納めて、帰りの鞄を手に取る。
鞄に宿題を入れて、ロッカー裏にある鏡を見た。
「…………」
赤くうねった髪、太めな眉、じっとりとした目。
陰気臭い顔がそこにある。
「……はぁ」
ため息を吐いて、前髪を弄る。
整えてないから、なんて言い訳は出来ない。
実際に、意識して整えた事がないのは確かだ。
髪はママに切って貰っているし、美容室なんて行った事もない。
他人の目を意識した事なんてなかった。
なのに今、こうして、意識している。
それは何故か。
昼間の、ピーターの……いや、ヘレンの所為だ。
「…………」
馬鹿馬鹿しい話だ。
何を意識すると言うのか。
整えたとして、誰に見せるのか。
論理的ではない、モヤモヤとした何かが脳内でぐるぐると回っている。
私の思考が、私のモノではないみたい。
「……ムカつく」
私はロッカーを閉めて、振り返ると──
「なにその顔、急に色気づいちゃった?」
サリーが私の後ろに立っていた。
腕を組んで、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
「……なにか、用?」
先程の様子を見られた。
恥ずかしい、より前に、苛立ちが来る。
そんな苛立ちから出た私の言葉に、サリーは生意気だと感じたようだ。
表情から、暗い感情が見えている。
「編入生の男に声掛けてさ、ちょっとチヤホヤされてるからって偉くなったつもり?」
「……え?」
意味が分からなくて、目を瞬く。
「惚けてんの?自分に女としての価値があるかも、なんて思ってるんでしょ?」
「……いきなり、何を……」
そんなことを思った筈がない。
だけど、全く思ったことがないかと言われれば……答えは、分からない。
本当はどこか、異性に魅力的だと思われたい、なんて願望があるのかも知れない。
だけど、少なくとも、私に自覚はない。
「ずっと日陰でジメジメしてりゃいいのにさ。それがアンタにお似合いだってのに。なんで調子に乗ってんのよ」
「……そんなんじゃ──
「そんな権利、アンタなんかにある訳ないから」
「…………」
どうして、怒っているのだろうか。
どうして、そこまで言うのだろうか。
何がそこまで、彼女を苛立たせるのだろうか。
分からない。
分からない、分からない、分からない。
理不尽だ。
こんなの変だ、おかしい。
腹が立つ。
嫌悪からなる不快感とストレスに、思わず顔を歪めて──
「大体、アンタ。前の学校の──
「ごめん、クレア!おまたせ!」
横から掛けられた声に、私は目を向けた。
「……ピーター?」
おまたせ、って、何が?
何の約束もしてないのに。
「編入生……私が今、クレアと話してるんだけど?」
サリーは少し顔を顰めながら、それでも外面の良い声色になっていた。
私相手には素の感情を出しているが、異性相手には強く出れないらしい。
「それは、ごめんね。でも、僕もクレアと予定があるからさ。ちょっと借りるよ」
予定って何?
困惑している私の手を、ピーターは握った。
「あ、ちょっと、待っ──
咎めようとするサリーを無視して、ピーターが私の手を引いた。
意外と力が強くて、だけど優しくて。
そのまま、私はロッカーから引き剥がされた。
サリーも置いてけぼりだ。
そうして歩いて廊下を抜けて、中庭までやってきた。
「ふぅ、ここまで来れば大丈夫かな……」
「……あの、ピーター?」
「え?」
「……手」
「あ、ごめん」
握っていた私の手を、ピーターが離した。
……硬くて大きい、男の子の手だった。
って、そんな事よりも。
「……予定って?なに?」
「いや、クレアが絡まれてたからね。余計なお世話かも知れないけど……助けようと思って」
そこまで聞いて、ようやく理解した。
ピーターは私を助けてくれたのだ。
「……余計なお世話じゃない」
「なら良かった」
笑顔を浮かべたピーターは、なんだか、いつもに頼りない、なよなよとしたピーターとは別人に見えた。
顔を見てると気恥ずかしくて、目を背けてしまいたくなるほど。
だけど、私には言わなきゃならない事がある。
目線をピーターへと戻した。
「……ピーター……その……ありがと」
お礼ぐらいは口にすべきだと思った。
誰かに助けられて、それでも感謝しない薄情な奴にはなりたくない。
そんな私に対して、ピーターは優しい笑みを浮かべた。
「どういたしまして」
心臓が跳ねた。
「……うん」
私が助けられた側なのに、善いことをしてくれた、ような……そんな態度だ。
何だろう。
何故だろう。
気恥ずかしくて、体の奥から熱い。
衝動のような、熱。
そんな感覚。
「じゃあ、僕は帰るよ。クレアも気を付けて」
だというのに、ピーターは帰ろうとしている。
私の感情をこうも、うん……“逆撫で”しておいて、自分は黙って帰ろうだなんて。
意識しているのは私だけ?
馬鹿みたいじゃないか?
私は馬鹿じゃないのに。
「……待って」
だから、そう、呼び止めてしまうのは仕方のない事だ。
「クレア?」
「……この後、時間ある?」
「え?あるけど……」
ほんの少しでも意趣返しがしたかった。
「……私と寄り道して。お礼、するから」
この男に、私のことを意識させてやりたい。
その一心で、私は彼を誘った。
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