スパイダーマンの写真を現像する日本人(三枚目) 作:サム・ライミ版しか観てない
――大いなる力には大いなる責任が伴う。ならば、力なき者は?
カメラのレンズ越しに、カメラマンは何を見るのか。
スパイダーマンの『勇姿』を自動シャッターで収めている筈のカメラを回収したピーター・パーカーはふとそんな事を思った。
大学に通い続け、生活費を賄うには金が必要で、その金を得るのに彼はスパイダーマンの写真を撮ってはデイリー・ビューグルに持ち込んで買い取ってもらっている。
以前、そこの社長であるJ・ジョナ・ジェイムソンにチェスをする老人やら公園のハトやら『マンハッタンの日常』を収めた写真を見せた際には『きれいな作品集』はいらないと突っぱねられた。その時は憤慨したが、今ならばその意味も多少は理解できる。
ピューリッツァー賞を受けた報道写真を見てみれば、構図やライティングが見事なことは勿論、その一枚一枚が劇的だった。ドラマがある、と言うべきだろうか。加えて、世相なんかの情報が詰まっている。新聞などのメディアに求められるのはそういう写真だ。
その一枚だけで世界が成立し、見る者を引き込んで感性を刺激するような芸術的な写真というのはフォトグラファーの領分だ。フリーランスの報道カメラマン的な動きをしている今の自分には適さないし、求められてもいない。
となると、写真コンクールにでも応募してみるのはどうだろうか、と考えてピーターは首を振った。
理系大学生、フリーランスのカメラマン、スパイダーマン、MJの彼氏……エトセトラ。自分にはやる事が沢山ある。前はそれで疲弊して散々な目にあった。反省は活かさなければ。
人混みの中を歩きながらピーターは手の中にあるカメラの重みを確認する。これをいつもの店に持ち込んで現像して、それをジェイムソンの元に持っていく。そうすれば多少の金が手に入る……ハズ。
(幾らぐらいになるかなあ。MJとのデートもあるし……それに指輪だって)
ドック・オクとの一件の後に晴れて交際を始めたピーターとMJ。これまで色々あったが、今ではスパイダーマンというもう一つの姿を打ち明け、共有し、共に支え合う関係になった。親友であるハリー・オズボーンとの関係が拗れてしまっている事は気掛かりだが、それでも、諸々はうまく行っていた。
(……兎に角、今はお金が必要だ。よしっ、頑張るぞ)
少々浮かれながらも気合をいれた瞬間、猛烈なクラクションの音が遠くで響いているのをピーターの聴覚が捉えた。
足を止め、その方向を向く。
「うんざりするほどトラブルの予感」
ピーターは裏路地に駆け込むと、手にしていた荷物を物陰に隠し、衣服を脱いでコスチュームである赤と青のタイツ姿になる。
「頼むから、閉店時間には間に合ってくれよ!」
最後にマスクを被り、彼はスパイダーマンになった。
――――――――――――――――――――――
路地からビルの屋上へ。壁を蹴り、跳び上がり、スパイダーマンはマンハッタンの空に躍り出た。
大きな通りの交差点で車が何台も止まっている。止まっているそれらの扉は開いていて人影はない。クラクションを鳴らしているのは更に後ろの車たちのようだ。
異様な喧騒に包まれた通りで、車の間を一人の男が走っていた。
いや、逃げていた。
両腕で大事そうにカメラを抱え、肩には黒いバッグをかけている。ビンテージと言うには安っぽい古ぼけたジーンズにシワと汗染みの目立つシャツを着て、平たい顔に必至の形相を浮かべたアジア人の男だ。
「あーもうなんなんだよ! チクショー! あーソーリー! ソーリー! あ痛っ! 扉開けんじゃねえよ!!」
悪態をつきながら逃げているのはスパイダーマン――ピーターにとって見覚えのある顔だった。
「……ヒデアキさん!? なんで!? まだ店にいる時間じゃ」
驚いたスパイダーマンの声はマンハッタンの空気に溶けて消える。
間違いない。逃げているのはこれから向かおうとしていたカメラ屋の店員だった。
名前は『田村ヒデアキ』。三十歳。出身は日本で、ニューヨークに来て三年くらい。カメラマンとしてのピーターとは数ヶ月くらいの付き合いだ。
そんな彼が普段の気取った様子もなく何故逃げているのか。何から逃げているのか。猛スピードで移動するスパイダーマンは視線を彼の後ろに向ける。
ヒデアキの後方。止まっていた乗用車たちがまとめて薙ぎ払われた。幸い、運転手や通行人は逃げていて被害は無さそうだったが、通り沿いのショーウィンドウなどに突っ込んで大騒ぎになっている。
「待てェ゙! サル野郎!!」
そして現れたのは大男だった。作業用の重機を思わせる無骨で重厚な外骨格を全身にまとっている。油圧シリンダーが剥き出しになっている腕と肩周りが異様に大きく、シルエットはゴリラを思わせた。
銀行強盗でもしてきたのか、片手には札束の詰まったバッグをいくつも抱えている。
つまるところ、分かりやすく悪党だった。
「誰が待つかこのゴリラ野郎!! それはキングコング気取りか? あ゛あ゛っ!?」
「そのバッグを寄越せ!」
「ざっけんな! こちとらこれ持って帰るのが仕事なんだよアルバイト舐めんな時給上げろ!」
「俺のだ! 俺の金だ!」
「ハァ!? 薬でもやって……」
ヒデアキは怪訝な顔をしながら視線を一瞬バッグに落とし、そして目を剥いた。ファスナーの隙間からベンジャミン・フランクリンが覗いている。
それも沢山。
「うわキモっ!? つーか俺のバッグは!? 逃げる時別の掴んだ!?」
「俺のだ! 返せ!」
「いや絶対違うだろうが! 他人の金だろこれ! ……これ俺のにならないか?」
「返せえええぇぇぇ!!」
大男は空いていた片手で道端に止まっていた750ccのバイクを掴むと、ヒデアキに向かって投げつける。
「危ない!」
マスクの中で叫んだスパイダーマンがウェブを放つより早く、ヒデアキの足がもつれ盛大に転んだ。
「うおわぁっ!?」
ゴロゴロとみっともなくアスファルトの上を転がり、その頭上をバイクが通過する。
身体を起こしたヒデアキがゆっくり後ろを見る。街灯はへし折れ、バイクは潰れ、漏れたガソリンに火花が引火して燃え上がった。
顔が熱を感じる。体の節々が痛むが、呼吸はしてるし手足も動く。
「生きてる! サンキューゴッド! こんどお参りに行くぜ! 賽銭? お布施? は幾らだ? 良い御縁で15セント?」
「わけ分かんねえ事言ってよお、ぶっ殺してやる!」
大男が迫ってくる。
ヒデアキは立って逃げようとして、札束の詰まったバッグに躓いて転んだ。
顔を上げると、そこには冷徹な鉄仮面がある。
表情が引きつった。
「ま、まあ待て。話せば分かる」
「ここはアメリカだ。英語で話せよ、チャイニーズ」
「アイアムジャパニーズ!」
「スシは好きだぜ。ゴジラもな」
大男は拳を振りかぶり、その瞬間にスパイダーマンはウェブを打ち込んだ。
「――あ?」
振り下ろそうとした腕が動かない。違和感に大男が視線を向けると、自慢の銀腕には蜘蛛の糸が絡みつき、その先には赤と青のコスチュームを身にまとったヒーローが立っている。
「そこまでにしときなよ」
「スパイダーマン……!」
大男は唸るように彼の名を言う。スパイダーマンはウェブを引いて大男と拮抗しながら、尻餅をついているヒデアキの方を向いて声をかけた。
「逃げて!」
「もうやってる! サンキューな!」
ヒデアキは脱兎のごとく走っていった。アレだけのことがあってもカメラだけは手放さなかったのは流石だった。
ピーターはその背中が建物の向こうに消えるのを見届け、ちょうどウェブがぶつりと切れた。
「おっと……なかなかパワーがあるね」
「うおおおおおお!!」
振り下ろしを避ける。道路が砕け、破片が飛び散った。
「凄いや。道路工事が天職じゃないか?」
「ぶっ潰してやる!」
「生憎と、今日は急ぎなんだよね!」
そこから十分もしない内にスパイダーマンは大男をウェブで雁字搦めにして手近な街灯に吊るしてその場を離れたが、路地裏に隠していた荷物が不幸にも置き引きにあっており、それを取り戻すのにヴィラン退治よりも遥かに多くの時間を要した。
「こんなんばっかりだ!」
ピーター・パーカーは夜のマンハッタンを駆ける。
――――――――――――――――――――
「まだやってますか!?」
息を切らせて店内に飛び込んできたピーターを見て、カウンターから微かに腰を上げて、拳銃の入った引き出しに手を伸ばしていた日本人の男は「ふぅ」と息を吐くとどっかりと椅子に座り直した。
「お前の眉間に風穴を開ける所だったぞ、ピーター」
「ああすみませんでもぼく急いでて、いやホントはもう少し早く来る予定だったんですでも色々あって」
「オーケー、落ち着け、ピーター。俺はな、ロックやメタルなんかよりクラシックが好きなんだ。良く眠れるからな」
「あっ……」
ピーターはそこで言葉を切る。男はシニカルな笑みを浮かべているがその瞳の奥には微かな恐怖と戸惑いがあった。
そうだ。彼はほんの少し前までヴィランに襲われ命の危機に瀕していたのだ。よく見れば、店の店員用のエプロンの下の服は所々汚れや解れがある。なのに早退せずに働いているのは日本人故だろうか。
彼は一度二度と深呼吸をしてから落ち着いて話し出す。英語がそれほど堪能ではない彼にもしっかり伝わるように。
「えっと……お騒がせしてすみません。その……まだやってます、か……?」
ただ、店内の壁掛け時計を見てピーターの声は尻すぼみになった。20時03分。閉店時間を僅かに過ぎている。日本人というのは時間に正確で厳格と聞いている。なんでも、トーキョーのサブウェイでは数秒の誤差も無くホームに電車が出入りし、たった数分の遅れで謝罪するのだという。
けれど、ヒデアキは苦笑を漏らすだけだった。
「お前が来なけりゃ店じまいだったよ。ったく……で、今日は何だ? またカメラ落としたか?」
「あ、いえ。今日は現像を」
「現像だぁ?」
ヒデアキは顔をしかめる。
「受け取り、明日の昼じゃダメなのか?」
「午後から講義で……」
家賃の支払いはまだ先で、急ぎという訳では無い。けれど、学業やヒーロー業の合間を縫って写真を撮り現像してジェイムソンに売り渡しているのだ。今を逃すと金が手に入るのは数日後になる。薄っぺらい財布でMJをエスコートするような情けない男にはなりたくなかった。
エサ入れをひっくり返した大型犬のような様相のピーターに、男――ヒデアキは「はぁ」とため息をついてからガシガシと頭を掻く。
「はぁ……たくっ、しゃーねーな。ほら、フィルム出せ」
「――はいっ!」
ピーターが差し出したフィルムケースを持ってヒデアキは店の奥に入っていた。
少しして、奥から誰かとやりとりする声と、唸るような音が微かに聞こえ始めた。何か機械が動いているらしい。
戻ってきたヒデアキはきぃと軋ませながら椅子に座る。
「今の時代、フィルムさえセットしちまえば後は機械が自動でやってくれる。まあ、目を離せるほどいい子ちゃんじゃないが……ピーター」
「はい」
「夕飯は?」
問われて、ピーターの腹が空腹を訴え始めた。昼に大学の近くのサンドイッチ屋でコーヒーと共にターキーサンドを流し込んだきりだ。ぐぅと叫び声すら上げている。
「まだ、です」
「そうか、俺もだ」
そう言って彼は10ドル紙幣を一枚、ピーターの前に置く。
「とりあえず、適当に俺の晩飯を買ってきてくれ。お前も腹が減ってんなら好きに買って戻ってこい。その後は閉店作業手伝え。あ、釣りをちょろまかすなよ? レシートは貰って帰ってこい。それと、飲み物はあるから要らん」
「分かりました。ヒデアキさん」
ピーターは頷くと、預かった紙幣をポケットに詰め込んで店を出た。
彼は何が好物だろうか。
「少なくとも、今日はスシの気分じゃなさそうかな」
男主人公の書き方分からん