最初の最初だけ彩葉視点
「斬刑に処す。その六銭、無用と思え。……なんて、な」
嘘でしょ、と思わず私は声を漏らす。自身の目の前で起きている異常事態に口が塞がらない。
隣を見れば芦花も真美も同じように驚愕したような表情を浮かべている。
目の前で和装の男が振り返り、手に持った短刀を軽く振った。仮想空間において血液など付着するはずもなく、意味のない血振りだが、その仕草が嫌なほどに様になってしまっている。
男は……、志貴は顔に付けていた天狗の面を押し上げ、こちらを向いてニコリと笑う。
「ふぅ……。こんな感じでいい、のかな?」
「こんな、って。アンタねぇ……」
こちらの気も知らず、呑気なセリフを言いやがって。
「う、うぅ……」
「化け物だ……」
「オレ、生きてる……? 生きてる、よな?」
志貴の足元で蠢く死屍累々たち。それらすべて、志貴との一対一の勝負で切り伏せられたプレイヤーたちである。
だが、その反応も至極当然のモノだろう。
――なぜなら、彼らはたったの一度として志貴に触れることさえできず、その勝負に敗北したのだから。
「どうして……」
どうしてこんなことに……。
私はこの惨劇の一時間前の、志貴がツクヨミに初めてログインするその瞬間に思いを馳せ、この現実から目を背けるのであった。
「へー、これを眼鏡の柄に取り付けるんだ。てっきりレンズに貼るだけだと思ってた」
「スマコンって私たちの脈拍とかも測ってて、それをツクヨミでの感情表現とかに使ってるらしいからね。眼に直接貼れない代わりなんじゃないかな」
「なるほど……」
酒寄さんの解説を聞いて、そういうことか、と納得しながら俺は付属パーツを眼鏡の柄に取り付ける。
もちろん、裸眼状態で手元を見るわけにもいかないので手探りで、目を閉じながらの作業だ。
このままいつも通りに眼鏡をかければ、このセンサーが耳の裏側に丁度当たる感じの位置に来るはずである。
耳の裏側の脈から感情を読み取る、ということなのだろう。何度も言うが、未来の技術はすさまじい。
俺は付属パーツがしっかり取り付けられたことを確認してから、急いで眼鏡をかけなおし、今回のメインであるレンズに貼る奴――ちなみに正式名称はスマートシートだった――をケースから取り出す。
「ケースの中、若干濡れてるけど精密機器的にはどうなんだ?」
「完全防水性だから問題なし、だってさ。まぁ、外でも使うモノだしそりゃあそうだろうけども。そこらへんもスマコンと一緒なんだ」
耳の裏に感じる、普段は無い感触に若干戸惑いながらも目を開く。
説明書を読むと、中に入っている液体はシートの洗浄液としての役割と、レンズとシートを張り付ける粘着剤との二つの役割があるらしい。
詳しいことは全く分からないが、一石二鳥であるということだけはよくわかった。
ちなみに眼鏡のレンズのサイズは人それぞれだが、それに合わせて商品にもSからLまでのサイズが販売されていた。
俺が勝ったのはMサイズなのだが、採寸通りサイズピッタリのようで一安心である。
「これを、レンズに貼って……、それからいつも通り装着する……、と、おぉ!」
眼鏡をかけた状態でシートを貼るのに手間取りながらも、無事、指示書に従ったすべての前準備を終えた俺は、ようやくとばかりに眼鏡をかけてみる。
瞬間、視界に広がってきたのはまるでアニメやドラマなんかで見るような、ハイテクな視界上の実世界に浮かぶ画面たち。
それらに興奮した俺は、柄でもなくはしゃいだ声を上げてしまった。
「これは、すごいな……!」
「私からしてみたら今の時代、ARにそれだけ興奮できる志貴の方がよっぽどすごいよ」
周囲を見渡してみれば、その頭の動きにあわせて視界内の画面も一緒に動く。右下に浮かぶニュース画面は変わらず右下に、逆に左上の日付や天気の情報も同じく左上に残り続けていた。
話に聞いてはいたが、聞くのと体験するのとは全く違う。
コレは確かに、便利すぎる製品だ。手が空く、じゃすまない利便さを装着一秒から醸し出している。
そしてやはり、予測通り魔眼殺し越しのシートに死の線は見当たらない。これなら心置きなく、俺でも使えるな。
「というか、ARモードでそんなに興奮していたら最後まで体力持たないよ?」
そう笑いながら彼女は自身のスマコンをケースから取り出し、慣れた手つきで目に取りつける。
コンタクトレンズ自体をつけたことがない俺としては、その仕草に若干の尊敬を覚えながら彼女を見つめた。
「……じっと見て、何なの?」
「いや、コンタクトつけれるのすごいなぁ、って」
「別に、普通だよ。昔は目が悪い人だけ使うものだったらしいけど、今じゃみんなスマコン使ってるしね」
そう言いながらも、すごいと褒められたことに気を良くしたのか若干口元を緩めさせる酒寄さん。自己肯定感の低い彼女は、他者からの評価に飢えているらしい。
「リモコンは後で必要になったら使えばいいから、最初は脳波での操作に慣れよっか。慣れるまで、結構癖あって難しいし」
「了解」
なんでもツクヨミ内での操作方法はいくつかあるらしいが、主に使われるのは脳波による操作と、コントローラーによる操作の二つだとか。
彼女曰く、ワールド内を散策したり、友達とまったりしたりするくらいの操作では脳波による全身操作でも十分とのことだが、動きに精度や速度を出そうとするにはそれだけでは不十分らしい。
詳しくはログインしてから教えてくれるらしいが、KASSENとやらのゲームをする時にリモコン無しで操作をするというのは自殺行為そのものだとか。「ラグが命取りなんよ」と言った彼女の瞳が死んでいたことは記憶に新しい。
「よっと」
俺はイヤホンを両耳に取り付ける。
取り付けた瞬間から、まるで聴覚を失ったかのように錯覚するほどの静寂が訪れた。この技術はノイズキャンセリング、というらしい。毎朝、学校に行くときの電車の中でお世話になっている。
そんな中、突如として一人の声が聞こえてきた。
「どう、聞こえてる?」
「あぁ、ばっちり」
言うまでもなく、その声の主は酒寄さんだ。
イヤホンに内蔵されたマイクを通じ、彼女の声が俺の鼓膜まで直接届けられている、という仕組みである。
「それじゃ、早速行こうか……」
そう聞えたと同時、酒寄さんは瞳を閉じる。それがスマコンでのツクヨミへのログイン方法らしい。
俺の場合、眼鏡のレンズ越しでログインをするため、目を閉じては何も見えない。
視界の隅にある、『ツクヨミへログイン!』という表示に視線を送り、そのリンクへとアクセスし……。
――そして、世界は一転した。
気が付けば俺は、星が輝く夜空の下に立っていた。先ほどまで居たアパートの一室とはかけ離れた、広大な景色だ。
大きな赤い鳥居と、その中を通る参道の石畳。ちゃぷりと水音がするので下を見れば、浅く水が上がっていた。
思わず、その景色に心を奪われる。
自然と俺は、その夜空の中にあって然るべき天体を探し……、そして気が付いた。
少し離れた位置に、一人の少女が立ち尽くしていることに。
「――太陽が沈み、夜がやってきます」
少女が言葉を発するや否や、星が巡り、宙が廻る。世界がその表情をガラリと変えた。
ニコリ、と少女が笑みを浮かべる。それは魔性の微笑みだ。人によってはその表情一つで心を奪われ、一目で恋に落ちることだろう。
月見ヤチヨ。
この仮想世界ツクヨミの管理人であり、親しき隣人、酒寄彩葉の推しでもある存在。
長く白い髪を独特の結い方で束ね、海洋生物をデザインに用いたこれまた独特の着物に身を包んだ和装の乙女。
なるほど、これが酒寄さんの言っていたチュートリアルというやつか。
後は酒寄さんの話通りなら、この世界でのアバターの作成を行うことになるらしいのだが……。
(というか、再現度凄いな)
ちらり、と全身を流し見れば仮想空間に立つ、リアルの俺の姿が。
これも脳波と事前情報の登録の合わせ技による技術らしいが、どうやってんのか全くわからない。
そこで、月見ヤチヨ……、ヤチヨが初めて口を開いた。
「って、あれれ~? 君ってば、ちゃんとカルシウム摂ってる? ついでに乳酸菌も~」
「カルシウムに、乳酸菌?」
いったい、何の話だ? と訝しむ。
まさかこの機械、ハイテク過ぎて使用者の健康状態まで把握できるとは言うまいな。だとするのならば、引っかかるのはその二点じゃない気がするのだけれども。
「いやぁ、こんなのヤッチョも初めて見たよ。君、骨が普通の人より全然軽いみたいなんだよね。お医者さんから何か言われたことある?」
「骨、って……あぁ、なるほどそれでカルシウム。じゃなくって、ええっと」
骨が軽い、と急に言われても……。
――って、あぁ、そういえば。
「阿良句博士、じゃなくてえぇっと、前に見てもらったことがある先生に俺の骨は鳥類に近いって言われたことがあった気が……」
「鳥類、鳥類かぁ……、なるほど。確かに、それっぽいデータになってるねぇ」
むむむ、とこちらの身体をじっと見つめて唸るヤチヨ。
その仕草を見るに、俺の身体はよっぽどのレアケースらしいな。
俺なんて、普通にどこにでもいるただの男子高校生だって言うのに。違うのなんて、それこそ、この眼くらいだけのつもりなんだけれども。
「まぁ、チートツールの痕跡も見つからないし、下手に弄ったらリアルの身体との乖離で転んじゃいそうだし、このままでいっか!」
「……割と雑なんですね」
「まぁねー。あくまでツクヨミは、みんなが笑える場所を目的にしているからさ。問題なさそうだったらオールオッケー!」
そう、彼女はニコリと笑ってからくるりと周り、俺との間に距離を取る。
そしてこほん、と先ほどまでのやり取りをリセットするかのような咳を一度、わざとらしく行うと、仕切り直しとばかりに自己紹介を始めた。
「私が仮想空間ツクヨミの管理人、月見ヤチヨで、こっちのふわふわなのがFUSHI」
肩に乗せた白黒の謎の生命体がぴょこん、と跳ねる。確か、酒寄さん曰くウミウシなんだっけ。
実際のウミウシを見たことはないが、多分こんな感じではないことだけはわかる。目とか、くりくりしていてマスコットチックだし。
それからいくつかの説明事項をうけたのち、彼女はおもむろにこちらに左手を伸ばすと
「――その恰好じゃ、つまらない!」
パチン、と指を弾き、それと同時に俺の眼前に大きめのウィンドウが浮かび上がってくる。
これが酒寄さんの言っていたキャラクリ、か。
現在のリアルの見た目を元にしたアバターでは身バレをしてしまうため、それを元に様々な要素を追加したり、元の形を整えたりとをしてもう一人の自分へと変化させるのだ。
画面に手を伸ばし、携帯の操作画面のような要領で動くことを確認した俺は、くい、くいと指でスワイプしていろいろと流し見る。
「……まぁ、こんなものかな」
特別、こういう風にしたい、といった要望がなかった俺は、適当に目についた衣装や小物を選択し、アバターの作成を終える。
これで、一通りの準備は終わったわけで、あとはいざ、ツクヨミへ……、と言った所なのだけれども。
一つだけ心残りのあった俺は、まるで人形のように――実際、ここにいるヤチヨはNPCらしいので、半ば人形のようなモノだが――同じ笑みを浮かべているヤチヨの方を向いて、問いを投げかける。
「ところで、なんで乳酸菌なんです?」
「よよよ、まさかこのネタも通じなくなったのかー!」
何が気に障ったのかはわからないが、俺はコミカルに泣いたような表情をした彼女に腕を引っ張られると、そのまま鳥居の方へとぶん投げられるのであった。
「ねぇ、シエル! 私もあれ欲しい! やってみたい!」
「無理に決まっているでしょう! というか、貴女にとって十五年なんて大した時間じゃないんですから、待てばいいじゃないですか!」
「琥珀、確かあの手の技術を研究している研究所があったわよね?」
「少々お待ちを、すぐに資料を用意いたしますから……」
「なるべく早くお願い。……良い投資先が見つかったようで、何よりだわ」
「あー、志貴ってそういえば普通の人間と身体の構造、だいぶ違うわよね」
「……え、初耳なんですが」
「いや、見ればわかるじゃない。そんなの」
「わかるわけないでしょう!? 誰しもが貴女みたいなトンチキな身体をしていると思わないでください!」
「……なんで乳酸菌なの?」
「……なんで乳酸菌なんでしょうね?」
「ヤチヨ嬢……。誰もわかってくれなくても、このパーフェクト給仕の琥珀にだけは、キチンと伝わってますからね!」