上下になるはずが中編が生まれたのは謎です
「うわ、っととと……」
理由もわからないまま、強い力でヤチヨに放り出された俺は、バランスを崩して前のめりになりながら鳥居をくぐった。
なんとか堪えて転ばずにすんだが、いったい何事だったというのだ。
ツクヨミにおいて、そんなにも乳酸菌は重要な単語なのだろうか?
「わっ、びっくりしたぁ。ちょっと、驚かせないでよ」
「いや、これは俺のせいじゃなくてヤチヨが……。いや、まぁいいや」
はぁ、と小さく息を吐き出してから顔を上げる。
そこに居たのは、一人の少女。
狐の耳や尻尾を生やし、和服とパーカーとを組み合わせたような衣装を身に纏う、目の下の泣きぼくろが特徴的な女の子だ。
「っと、酒寄さんで合ってる……、よね?」
「そ。ここではiroって名乗ってるから、そっちで呼んでね」
「了解」
インターネットでもはや出来ないことはないのでは、と言われる程に情報社会として成長しているこの世界。個人情報流出とは、それイコールで死に繋がりかねない、だっただろうか。
SNSを仕事場としている諌山さんと綾紬さんが、それはそれは実感を込めて言っていたっけ。知り合いがストーカー被害に遭ったとか、明日は我が身だとか。
聞くだけで恐ろしい。
「……ふーん、そんな感じにしたんだ」
「そんな感じ、って……。あぁ、アバターの話ね」
じぃ、と俺の身体の上から下へと順に目を向けていく酒寄さん。こうじっと見られる機会というものもあまりないから、どうしても少し緊張してしまう。
表情も無だし、採点でもされている気分だ。
「……いいじゃん、似合ってる。和服、着慣れてるの?」
暫くしてから、ふっ、と笑みを零す彼女。様になってる、と付け加えられる。
どうやらその反応を見るに及第点程度は頂けたようだ、と安心しながらも、彼女の質問に対し少しだけ悩む。
俺が選んだ衣装は無難な紺色の男性用の着物だ。別にこれを選んだ特別な理由なんかは無く、ただ目についたから選んだだけである。強いて理由を上げるのなら、目立たなそうだな、という思惑は少しだけあった。
だから別に、着慣れているからとか、そんな理由で選んだわけじゃない。
少なくとも十年近く、こういった和装に身を包まれたことは殆ど無かったはずだ。有馬の家で過ごしていた頃も、着ていたのはもっぱら洋服ばかりであったのはまだ記憶に新しい。
故に、もし俺が和服に慣れ親しんでいたことがあるとするのならば、それよりもさらに過去の話ということなのだろうが……。
生憎、そのあたりの記憶は曖昧で、はっきりとしない。
最近少しずつ思い出してきてはいるが、それでもほとんど知らないと同義だ。
「……?」
返事が遅い俺の様子を不思議そうに彼女が見やる。ただの日常会話でこうもフリーズするとは思っていなかったのだろう。
とりあえず明確な答えを持たない俺は、うん、とも、いいえ、とも言わず、ただただ曖昧な笑みを送り返すだけ。
「あー……。というか、こっちでは眼鏡取ることにしたんだ」
そんな俺の様子に気が付いたのか、彼女もすぐに話題を変えてくれた。正直、とてもありがたい。彼女の心遣いにいったい、何度救われたことか。
こちらに来てまだ二週間……、いや早くも二週間かもしれないが、どちらにせよ、何度も彼女には頼りっぱなしだ。
いつかこの恩を返せる日がくればいいのだが……。もし元の世界に帰るにしても、この恩を返し切ってからがいいな、なんて、そう俺は思っている。
……と、今は眼鏡の話だったな。
「かれこれ十年はかけ続けているからね。せっかくの仮想世界なら、普段じゃ出来ないことに挑戦したくってさ」
「普段じゃできないって、たかが眼鏡を外すだけに大げさな……」
はぁ、やれやれ、と彼女は首を大げさに横に振って呆れてますポーズをする。
まぁ、確かに普通ならその通りなのだけれども、こちらにも事情というものがある。
実際はツクヨミにログインするためにリアルで眼鏡をかけないといけないから感触なんかは何ら変わっていないのだけれども。
外見だけでも眼鏡を外した状態になってみたい、というなけなしの男子高校生のオシャレ心をどうか笑わないで欲しい。
もちろん、先生から貰った眼鏡が俺にとっての無二の宝物であることに何ら変わりはないのだけれども。
「あれだけ眼鏡に拘ってたから、てっきり思い入れがあるのかと思ってた」
「思い入れはあるよ。アレ、実はずっと昔に恩人から貰った眼鏡なんだ」
まぁ正確には、フレームは交換しているからレンズだけだけれどもね、と付け加えて笑う。
――それは、あの病院を抜け出した幼き頃の日のことの話。
当時、事故から目覚めた俺は突如として視界に映るようになった死の線に振り回され、自暴自棄となってしまっていた。
事故にあったってのに、面会には誰も来ない。
医者たちはいくら目に映る線の話をしても信じてくれない。
白い病室のベッドの上は、俺にとって監獄そのものだった。
自分は今後一生、一人きりなんだって悟った気になってしまうくらいには地獄の日々。
――そこから救ってくれたのこそが、先生だ。
この魔眼殺しの眼鏡をくれたから恩人なんじゃない。
この眼との付き合い方を教えてくれたから恩人なんじゃない。
もちろんそれらもある。あるが、それ以上に……。
――ただ、病院の中で一人ぼっちとなっていた幼いオレと、対等な友達となってくれた。
その意味において、俺はあの人に返しきれないほどの恩を受けているのだ。
……と、また思考が逸れてしまった。今日はほとほと過去を偲んでしまうな。
このツクヨミの和風で古風な造りがそうさせてくるのかもしれない。
話を戻そう。
「でもさ、その服とか似合ってはいるけど、顔とかほぼリアルのまんまじゃん。身バレとか、怖くないの?」
じぃ、と俺の顔を見上げてくる酒寄さん。身長差の分、こちら側が見下ろすような体勢になってしまい若干気まずい。
しかし彼女はそんなことを気にも留めていないのか、コツンと俺の額を指で軽く弾いて来た。
……酒寄さんって、すごいモテそうだよな。主に女子に。たまに凄く自然に少女漫画のヒーローみたいなことをしてくるし。
俺はそんなことを考えながら、彼女の質問に答えようと、先ほどのアバター作成で獲得した数少ない小物の一つを出現させて手に持った。
「それはこれでカバーするつもり」
ふりふり、と右手に持ったそれを軽く振って彼女に示す。
酒寄さんもいったい何を、とそちらに視線を向けて……。
「天狗のお面?」
「うん、そう」
端的にそれを言葉で表現して見せた。
カポリ、と俺はそれを頭の上へと被せてみる。うん、いいフィット感だ。俺専用のための面って感じがする。
赤い肌に厳つい顔つき、そんでもって長い鼻。誰がどう見ても立派な天狗の面だ。神社の催事などで使われそうな、そんなリアルな質感を再現するだなんて、ツクヨミの技術は凄まじい。
「いざって時は、これを被っておけばまぁ大丈夫でしょ」
現実世界で有名人だってならともかく、ただの男子高校生でしかない俺の顔と、もうすぐ一億人を超すツクヨミユーザーのなかの一ユーザーとの顔が一致している、だなんて誰が気が付こうものか。
そもそも、気が付いたところでという話しだし。
というか、個人情報バレが起きたとしても、この世界にある俺の情報が幾ら盗まれたところで、という話だ。そんなの、大体があのネコとノエル先生が用意した嘘の情報だろうし。
「まぁ、本人がいいって言うんだったらいっか」
酒寄さんも納得してくれたのか、そうだね、と一回頷き返す。
「それじゃそろそろ行くよ」
そう言って彼女はくるり、とその場を回り背を向け、そして石畳の向こう側に架かる、木製の端へと歩みを進め始めた。
「そうだね、二人とそろそろ合流する時間だ」
俺は先を行く彼女の横へと駆け寄り、隣に並ぶ。
なんだかんだ、チュートリアルにアバター作成と時間がかかってしまった。メッセージアプリで約束した合流の時間まで、あと十分も残っていない。
少しばかり、歩む速度を上げた方が良いかな、なんて思った頃。
酒寄さんは「あぁ……、そういえば」と何かを思い出したかのようなことを言い、そしてこちらを向く。
「こっちで志貴のことはこっちで何て呼べばいい?」
俺は、彼女の質問に簡潔に……。
「七夜、そう呼んでくれ」
そう、返す。
和装に身を纏い、眼鏡を外し、直死の魔眼を持たぬ遠野志貴でありながら遠野志貴ではないこの身体。
それに仮初めの名前を付けるならば、俺はこれ以上に最適な名前を知らない。
(月が、綺麗だな……)
なんとなく、顔を上げて空に浮かぶ月を見つめる。
無数の小さな星と、遠近法により巨大に映るまん丸なお月様。なんてだだっぴろい夜空なのだろうか。
俺は自然と上がる口角を意識して抑えながら、約束の場所へと向かうのだった。
「おー、来たねぇ二人とも」
「初ツクヨミのご感想はどうかな、七夜君?」
約束の場所に到着した俺たちを待っていたのは、諌山さんと綾紬さんの二人の姿。
どうやら、あちらの方が先に到着していたらしい。
だが、視線を動かしてデジタル時計を確認すれば、約束の時間はまだ越してないみたいなので、単純に彼女たちが予定よりも早く到着したみたいである。
それにしても。
「いや、話には聞いてたが凄いなこの世界……」
諌山さんこと、まみまみの質問に答えようとぐるりと俺は周囲を見渡せば、そこはまるで映画のセットの中のようで、否、現実では到底作成しきれなさそうな世界観が広がる。
和風とテクノロジーとを組み合わせたかのような街並み。
イメージで言うのならば京都の街並みに東京のセンター街を組み合わせ、エッセンスにゲーミングカラーとSF要素を散りばめた、みたいな感じか。
ダメだ、俺の語彙力じゃあ到底表現しきれない。
「すっげぇ……」
「うーん。初見の反応からしか得られない栄養が確かに存在する。ごちそうさまです!」
「そう言いながら本当にパフェを貪るまみまみなのであった……。太るぞー?」
「へへーん、電子のパフェだからゼロキロカロリーですぅ!」
「まぁ、味もしないからただのパフォーマンスなんだけどね」
「ちょっとiroってば、それは言わない約束でしょ!?」
諌山さんの渾身の叫びに俺たち三人は「あはは!」とそれぞれ笑い声をあげる。
本当、彼女の明るく場を照らしてくれる性格は場を和ませるうえで最強だ。彼氏さんもさぞ自慢の彼女なことだろう。
「それじゃ、早速七夜にツクヨミの案内をしようと思うんだけど、七夜的にはどっちがいい?」
「どっちって何が?」
唐突な選択肢に面食らいながら、俺は声の方を向く。
そこにはニヤリ、と何かしらの悪戯を思い付いたぞ、と言わんがばかりな、珍しい表情をする酒寄さんが立っていた。
(……割と酒寄さんてノリがいいんだよな)
バイトに勉強と忙しいから誘いに乗りにくいだけで、当の本人の性格だけで言うならばどちらかというとふざける時は思いっきりふざけるタイプの人。
それがこの二週間で俺が知った酒寄彩葉という少女の意外な一面だ。
「このままプラーっと街の案内がてら四人で散策するか、それとも……」
そう言うやいなや、酒寄さんは手元にキーボードのような意匠を施された二振りの武器を出現させこちらに向ける。
ピタリ、とその切っ先が俺の首筋へと宛がわれた。
「もっと刺激的な方向性で、ツクヨミに慣れちゃう……?」
そう言い放ち、ニヤリとした表情をさらに好戦的に変化させていく酒寄さん。
俺は、望むところだ、と。
そう答えようとして……
「ちょいといいかい、兄ちゃん?」
「……はい?」
突如として後ろから聞こえてきた、覚えのない声に振り返る。
そこに広がっていたのは……。
「ちょっと……、面ぁ貸してもらおうか……?」
「……いや、その、誰ですか?」
本当に見覚えのない、十人弱の男たちが俺を取り囲むように並んでいる光景なのであった。
「……」
「……」
「……」
「……」
「おーっと、皆さん十点の札を掲げながら無言の投げ銭だぁ! それだけ眼鏡ナシ、アンド和服の志貴さんがぶっ刺さったんですかね! いや、気持ちは痛いほどわかるんですけども!」
「……」
「……」
「……」
「……」
「唯一理性を保っている琥珀さんとしましては、大切な妹が主人とは言え男性にお金を貢いでいる姿に若干の悲しみを覚えてしまいますが……。まぁ、いいでしょう! すごく幸せそうですしね!」
「……あ、皆さんの投げ銭の手が止まりましたね。私としましてはこの短時間でいったい幾らが投げられたのか、計算したくもありません」
「……今さだだけれども琥珀。兄さんのクラスメイトの女子三人、全員、ちょっと距離が近いんじゃなくて?」
「うーん、お子ちゃま、もとい純真な秋葉様にはまだちょーっと難しいかもしれませんが、アレはそういうタイプの距離感じゃないですよ。一人はそもそも恋人がいらっしゃるみたいですし」
「そんなのわからないでしょう? 男女が二人そろえば、間違い何ていくらでも起きるんですから」
「いやぁ、アレは大丈夫だと私は思いますけどねぇ……」