「……ん、んん」
手放していた意識をもう一度拾い集め、ゆっくりと瞼をこじ開ける。視界にすぐさま入り込んでくるのは薄らぼんやりとした月明り。ということは、今は夜なのか?
俺は確か、あのクソ猫の手で底なしの落とし穴に落とされたはずだが……。
「どこだ、ここ……?」
完全に覚醒した意識に従い、周囲を見渡す。
ここは、道か? 知らない街並みだ。ぱっと見、総耶じゃあ無さそうだけれども。
意識を失っていたからか身体にうまく力が入らない。両膝に手を伸ばし、押し上げるようにして何とか俺は立ち上れた。
「……いや、マジでどこだよ」
立ち上がったことで獲得した高めの視座でもう一度、周りを見渡してみる。……が、まったくと言っていいほどに見覚えがない街並みだ。
これでもか、と言ったほどに敷き詰められている建物たち。田舎というよりは都会なのだろう。とりあえず人が居ない場所に一人ぼっち、ということは無さそうでそのあたりは安心といった所か。
「……ん、なんだ?」
などと考えていた所、突然、頭の上からヒラヒラと何か白いモノが落ちてきた。俺はそれを掴み取る。
これは、……紙か。どうやら折りたたまれているようなので、開いてみる。
「これは、手紙か……」
開かれた紙面にびっしりと敷き詰められた文字群を俺は訝し気に眺める。多分、このタイミングで降ってくるってことは、あの猫が書いた手紙ってことだよな。
気は進まないが、今は何よりも情報が欲しい。
「えっと……?」
俺は素直にその手紙の内容へと目を向けた。
『拝啓、殺人貴(予定)殿
アレコレと言ってやりたいことはありますが、それを丁寧に書いていたらコレは手紙ではなく小説になってしまうので、色々すっ飛ばして本題だけ書きます。
ぶっちゃけ、猫の手で文字を書くってのは大変なんだわ。
って訳でメインな。
お前にはこの世界で、『あること』を成し遂げてもらおうと思う。
当然、その『あること』ってのが何かってのはシークレットだ。ネタバレほどつまんないこともないだろ? アタシ様におおいに感謝してくれていい、ぜ?
ぶっちゃけ、その『あること』ってのもそんな難しい話じゃないし。どれくらい簡単かっていうと、初めましてのヒロインを家までストーキングして十七分割にするくらい簡単。
……うーん、改めて文字にするとオタク、ヤバくね?
なんでコレで生まれたのが被害者と加害者じゃなくって色ボケカップルなのか、ちいっともわからねー。
まあいいや。
それさえ成し遂げてくれたらすぐにでもこっちの世界に連れ戻してやるから、とりあえず頑張れ。
当分は何事もないだろうし、久しぶりに激重ヒロインズから解放されたフリーな夏休みとでも思ってくれい。
殺人貴って正直どうなのよ、と思ってなくもないクールな猫様より 敬具
ps.生活拠点としては裏面に書いてある地図の場所にアパートの一室を用意してるから、そこを使ってね?』
「……意味がわからん」
あの猫にまともな説明を求めた俺が悪かったというのか。これといった情報がほとんどなかったんだが。
ここがどこか、とか、これからどうすればいい、とか一切書いてないし。
強いて言うなら帰るための方法として書かれた『あること』とやらの達成だが……。
その『あること』ってのについても何も書いてないしさ。というか、半分以上が戯言だったし。
「……しょうがない、行くか」
とりあえず何もわからない俺は癪だがヤツの思惑に乗る他に道はない。
昼ならまだなんとかなったかもしれないが、今は夜中だ。宿を取るにも時間も無ければこの土地に対する知識もない。そしてついでに言うならお金もそんなに持ってない。
このままではその内、夜中のパトロールをしている警官に補導されるのがオチだろう。
手に持っていた手紙を裏返してみると、表面に書かれていた通り確かにここら一帯の地図が印刷されている。ご丁寧に今、俺がいるであろう場所に『今はココ!!』なんて赤色のペンで強調しながら丸印が書き込まれていた。
そしてその丸印からやや離れた位置に今度は青色のペンで同様に丸印が書き込まれている。おそらく、この場所に行けということか。
俺はその周囲を見渡し、周りの建物と地図との対応を取って方角を確認してから、地図の示す先へと向かうのであった。
歩き始めてからニ十分弱ほど経った頃だろうか。
俺は、地図に示されていたアパートへと到着していた。
「……ここ、か?」
俺は再度、手の中の地図と自身の現在の位置とを見比べる。
――間違いない、ここだ。
「えぇっと、このアパートの二階の、階段を登って二つ目の部屋……」
地図に書き込まれた情報に従うまま、俺は階段を登る。
ぎぃ、と体重をかけられ軋む金属製の階段。頼むから抜けないでくれよ、と念じながら足を踏み外さないようにゆっくりと進んだ。
どうやら、建築されてからだいぶ時間の経ったアパートらしい。夜闇の中だったから全体像はぼんやりとしてしか見れなかったが、こう立ち入ってみるとわかる。
虫とか、出ないと良いんだが。
階段を登り切り、廊下を進む。一つ目の扉は無視をして、二つ目の扉へ。
「鍵は、っと。……あ、あった」
玄関扉の近くに置かれた植木鉢を横にずらしてみれば、そこにあったのは金属製の簡素な鍵。
なんとも不用心な。まるで昭和だ、と言いたいが、まぁ良いだろう。
俺はその鍵を目の前の扉の鍵穴に刺しこもうとし……
――ぎぃ。
その僅か前に、横から聞こえてきた軋むような音に反射的に目を向ける。先ほど登って来た階段で鳴る金属が軋む音じゃない。それは、木材の繊維が伸ばされたことで生じるタイプの異音だ。
「あ、どうも……」
目を向ければ、黒髪の少女がオレが先ほど飛ばした一つ目の扉から姿を現しており、ぺこりとこちらに頭を下げ挨拶をしてきた。
どうやら、お隣さんらしい。
「あっ、はい。えっと、初めまして。今日ここに引っ越してきた遠野です」
正確に言うと引っ越してきたつもりは毛頭ないのだが。しかしそれを主張したところで意味はないと、俺はニコリと人障りない程度の笑みを浮かべて会釈をする。
見たところ、高校生くらいだろうか。もしかしたら同い年なのかもしれない。
「ご丁寧にどうも……。私は隣の部屋に住んでる酒寄です」
初めまして、と再度ぺこりと彼女は俺に会釈する。
何とも、礼儀正しい子だ。物件選びにおいて何よりも重要な要素としてお隣さんガチャ、なるものがあるという話は聞いたことがあるが、その点で言うとどうやら俺は神引きをしたのかもしれない。
少なくとも、隣人トラブルに遭う可能性はかなり低そうだ。
「えっと、私、これからバイトに行かなきゃなので……、これで」
そう言って最後にもう一度ぺこりと今日一番の深い角度で会釈をすると、扉に鍵をかけ、彼女は階段を下り去っていく。
カンカンカン、と金属製の階段特有の高音が耳に届く。そのリズム的に、どうやら彼女は急いでいたらしい。引き留めてしまって悪いことをしたかもしれない。また今度会ったら、謝ろう。
なんてことを考えながら、俺は今度こそ鍵穴に鍵を刺しこみドアノブを捻る。
(あれ? そう言えば酒寄さん、家を出るときに電気を消していたよな?)
それはつまり、こんな夜の時間帯に彼女以外、隣の部屋には誰も居なかったということだが。ご家族とか、まだ帰ってきていないのだろうか。
それとも、まさか……。
(いや、ないない……)
もしや一人暮らしとか? と思ったが、俺はそれを内心で否定する。
流石に高校生くらいの女の子が一人で暮らしている、なんてあるはずがない。そんなの、普通の親御さんが認めるはずがないし。
今自分で開けた鍵だって、昔ながらの金属製の鍵を一本差し込んで捻るだけのものだ。セキュリティの観点から言えば、心もとないにもほどがある。せめてオートロックくらいは必須だろう。
「まっ、俺の考えすぎだな」
目の前のドアノブを捻り、引いてみる。
鍵を開けたから当然と言えば当然だが、何の抵抗もなく扉は開かれた。
「今日はさっさと寝よう……」
そう一人呟いて、しばらくの間の拠点の中へと俺は脚を進めるのだった。
後書きでは今後、月姫世界側のヒロイン視点(という名のその回の実況、および解説)を描きます
「怪生物が置いていったこの水晶……。これで別世界へと送られた遠野君の様子を見れる、らしいのですが……」
「何も見えませんねぇ。故障とか? 私、壊れたテレビをつけるのには得意ですが」
「姉さん、袖を捲らないで。水晶は斜めに叩いても直らないと思う」
「……あ、映りましたね。でもここ、どこです……?」
「琥珀が知らない、となると少なくとも総耶の中じゃ無さそうね。本当に、別の世界へと送られた……、ということかしら」
「異世界というにはファンタジー感ゼロの日本の街の一角、という感じですがね。あのネコのことだから、もっとぶっ飛んだ世界に遠野君を送り込んだのでは、と危惧していましたが。とりあえず、無事そうで何よりです」
「……志貴様はどうやら、手紙を読んでいるみたいですね」
「……宿があることには一安心、と思っていましたが何ですか、コレは! こんなアパート、犬小屋にも劣るじゃないですか!」
「まぁまぁ秋葉様! そう怒らないでください! アレ、世間ではだいたい平均よりちょっと下くらいの賃貸ですよ!」
「黙りなさい! 兄さんはただでさえ身体が弱いというのに、あんな清潔感もない場所で、さらには一人で生活などと……。すぐに身体を壊すに決まっています!」
「……」
「ちょっと翡翠ちゃんも秋葉様を止めて……、って私が今までに見たことない顔をしていますねぇ!?」
「志貴様の付き人として、流石にあの住まいは看過できません。私がお傍に居られたら……」
「……誰か出てきましたね。隣人の方、でしょうか」
「可愛らしい子ですねぇ。歳は志貴さんと同じくらいでしょうか」
「……同い年の、女の方?」
「はーい、秋葉様ってばジェラシーはストップですよ~。お隣さんが異性になるかなんて確率、50:50ですから、気にしない、気にしない」
「……別に何とも思っていません。ただ、遠野家の長男として恥ずかしくない振る舞いをしてくれるか、と。そう、心配しただけです」
「……とりあえず、今夜は無事、夜を過ごせそうで一安心です。流石にあの怪生物も夜の街に放置は不味い、と思ってくれたみたいですね」
「……はぁ。本当、どうしてこんなことに」
「あれっ、みんなして何見てんの? 私も混ぜて混ぜて!」