日を跨ぐかもしれませんが、今夜は二話投稿したい所存
そんなこんなで三連休はもはや残り数時間となるまでに溶けきる。
慣れぬ育児という壁にぶつかり、翻弄されたかと思えば、あっという間の三日間であった。
もうしばらくもすれば、いつも通りの平日がやってくる。
部屋の中だから見えはしないが、窓の外には夜の寝静まった住宅街が広がっていて、その空には無数の星が散りばめられていることだろう。きっとその中央には我が物顔で陣取っている月も居るはずだ。
後はこのまま眠りに堕ちれば、目を覚ました頃には……。
「……」
背中に感じる敷布団の感触が、この数日で痛めに痛めつけた俺の背骨を慰める。
赤ん坊というものは、思った以上に重いものらしい。あれだけ軽そうな見た目をしていても、やはり人は人、ということなのか。抱っこを続けるだけでもかなり負担が大きいということを、この身を以て実感した。
いや、なんか日に日にドンドン重くなっていったからな気もしたのだが。
流石に気のせいだ。そうに違いない。子供の成長とは、いつだって目を見張るものがあるというが、それはあくまで精神的な話で合って、物理的な話じゃないはずだ。
「……」
掛布団は重めのものを選んで使っていて、全身にずん、と確かな重みを感じさせる。この重みが俺の眠気を誘発してやまない。
一日中感じる眼鏡の重さともいえぬ、あの独特の触感も今だけは無く、瞳を閉じれば真っ暗闇が広がるのみ。
夏場の夜というものは寝苦しいものだけれども、この部屋に唯一備え付けられていたエアコンをつければ、それだけで心地よい温度は保たれる。
ごぅ、と機械が冷気を吐き出す音は多分、当世風の風鈴の音と言った所だろう。
心地よい寝具、快適な室温、静寂の闇。
どれをとっても、眠るには好都合な因子ばかり。
明日からはまた学校が始まる。夜更かしして授業中に眠るわけにもいかない、なんてそんな殊勝な優等生のような考えは持ち合わせてはいないが、しかし、育児の疲労を抱えたまま学校に向かうのはあまりよろしくない。
前の世界なら、アルクェイドと夜の街を歩いたり、遠野の屋敷に戻る前なら友人とゲームをしたりしているような、そんな時間だが……。
たまには変な意地を張って起きていることなく、自然の動物らしい欲求に従って寝るというのも良いのではなかろうか。
「……ふぅ」
最後に、本当に夢の世界へと向かう前に。
この数日で溜め込んだ疲れだったり、感想だったり、感情だったりを一纏めにして一息で吐き出す。
やったこと自体はただの呼吸でしかないのだけれども、心の中で今の行動にそうラベリングをしてやると、なんだか本当にすぅっ、と心の中の良くないものが掻き消えたような気がして来た。
これなら今夜は、気分よく眠れそうだ。
おやすみ、現実世界。こんにちは、夢の国。
遠野志貴は七時間ばかり、そちらの国に訪問を――。
――ガンッ。
「……?」
そう、微睡みの色を帯び始めた思考が、遠くから聞えた鈍い音によってクリアに晴れ渡っていく。
今の音は、なんだ……?
俺はその音の発生源について思案しようとして……
――ドンドンドンドンッ!!
「うわっ、何だっ!?」
その思考が始まるより先に響き始めた轟音に意識を奪われる。
リズムよく、高速で鳴り響く殴打の音。
俺は近くに置いた眼鏡を拾い上げ、装着する。
音の方向へと視線を向ければ、暗くてはっきりとは見えないが、玄関の扉がギシギシと音を立てながら震えていた。
状況から察するに、どうやら俺の部屋の玄関扉が今現在、外から何度もノックをされているということ、なのだろう。それも強い力で、何度も、何度も。
――ガチャガチャガチャッ!!
ドアを叩いている何某かは、このままでは扉を壊しかねない、とそう判断したのか。今度はドアノブが捻られる。
もちろん鍵をかけているので、それは完全に回ることもなく、無情なロック音を鳴らすのみ。
それにしても。
一体全体、何の用だというのだ、こんな時間に。
俺は若干の用心をしつつ、玄関へと向かい、その扉にかけられた鍵をかちゃり、と解く。
その間にも回し続けられていたドアノブは、開錠と同時に漸くか、と言わんがばかりにすぐさま捻られ、扉は開く。
その先に居たのは……。
「酒寄、さん……?」
「どうしよう、志貴!? 赤ちゃんが、赤ちゃんが……!」
寝間着姿の彼女は血相を変え、そう叫ぶ。
その顔色は真っ青で、まるでお化けや宇宙人なんかをみたみたいな色をしている。
赤ちゃん。赤ん坊が、どうしたというのか。まさか、死……
「赤ちゃんが、大きくなったの!!」
「……はい?」
ガシリ。彼女に腕を掴まれる。逃がさないぞ、とそう高らかに宣言する肉食獣のように。
彼女の言っていることはよくわからないけれども、それでもわかることは、そう。
どうやら、夜はまだまだこれからのようだ。
「おー、志貴じゃん! なになに、急に部屋を飛び出したかと思ったら呼びに行ってただけ~?」
酒寄さんに引っ張られるまま、彼女の部屋へと連行された俺。
部屋に入ると何やら見慣れぬ人影があり、それは俺に向かってピシ、と指を差しながら、まるで知人かのような気安さでそう語りかけてくる。
年齢は十歳ほどだろうか。
淡い栗色の長髪と、特徴的なたれ目で印象的な、そんな愛らしい少女が部屋の中央で王様のように仁王立ちをしてふんぞり返っている。
「言うまでもないだろうけど、……あれが?」
俺の雑な問いかけでもその意を組んでくれたのだろう。
こくり、とすぐに頷き返す酒寄さん。
「マジか」
……マジかぁ。
赤ちゃんが大きくなってた、なんて言っていたが、まさか一言一句、そのままの現象が起きていたとは。
「あー……、あの赤ん坊が、君ってことで、合ってる?」
「そだよ? ブイ!」
念のため、本人にも確認を、と少女に尋ねるも、彼女はあっけらかんとイエスと返事を返しながら、右手のピースサインを向けてきた。
「なる、ほど……」
「あっはは、志貴も彩葉も変な顔ー!」
何が面白いのか、少女はそうケタケタと笑いながらぴょんぴょんとその場を跳ねまわる。
その様子はまるで兎のよう。自由、気ままに、楽しそうに跳ね回るのみの小動物。
急ごしらえで酒寄さんが着せたのであろう、黒色のシャツは幼い彼女にはまだ大きすぎるのかダボダボで、跳ねる度に裾が捲れて危なっかしい。
しかし、どうしたものだろう。
赤ん坊の段階でも警察や孤児院のお世話になるのは難しそうだったと言うのに、この年齢にまで育ってしまうと、もはや誰も頼れないぞ。
俺は……
――ぐぅ。
「ねぇ、お腹空いた~」
唐突に部屋に響いた小さな腹の音と、続けざまに告げられる少女の要望。
それら二つによって俺の思考は遮られる。何とも愛らしいディフェンスだ。
「まぁ、話の前に腹ごしらえが先かな。何食べたい?」
「え、いーの!? んーっとね、とにかくうんまいの!!」
「りょーかい。酒寄さんは? 何か適当にコンビニで買ってくるよ」
「あ、私は別に……」
「遠慮はいいって。この三日間、酒寄さんの負担の方が大きかったんだから。そのお礼、ってわけじゃないけども」
移動したばかりだが、そうとなれば金が必要だ。
俺は二人を残して自室に戻り、財布を手にとって再度外に出る。
当然俺も寝間着の状態だが、一応、私服に見えなくもないデザインのものを選んできているので、特別着替える必要はないだろう。
夏の夜は室内だけでなく、外も同様に蒸し暑い。
ここから最寄りのコンビニまでだいたい一キロはないくらいだったか。
なるべく急いで戻ろう、と、俺は早足気味に目的地へと向かう。
ちょっと前に夢想していた通り、夜空はやはり綺麗だった、だとか、こんなところに新しいアパートが建つのか、だとか。
そういった街を歩く時ならではの感想も、今はいらない。
――結果として。俺がコンビニの中身の詰まったビニール袋をひっさげ、あのアパートの一室へと戻るのはその出立からおよそ、三十分ほど後のことになるのであった。
「それにしても、女の子とお隣の部屋になったってのに、色気のいの字もありませんねぇ。せっかく、二人とも一人暮らしだって言うのに」
「当然でしょう? 二人とも、盛りのついた犬じゃないんですから。人間らしく、知性と品を保った交流をしていただかないと」
「……恐れながら、高校生二人だけでの育児というのは、知性と品を保った交流と呼んでよろしいのでしょうか?」
「大丈夫ですよ、翡翠ちゃん! 子育てのどこに、いやらしさがあるというのでしょう! いやらしさがあるとするのならば、それは子育てではなくその前段階の、子づ」
「いい加減にしなさい、琥珀。下品ですよ」
「ひぃん、怒られちゃいました~」