「だー、終わったー!」
「もう、真美ってばだらしなすぎ。彼氏くんが見たら幻滅されちゃうぞー?」
午前中の最後の授業が終わり、生徒たちに憩いの休み時間がやって来た。
キンコン、カンコン、と鳴り響く例の音を背景に、諌山さんはぐでぇ、と机の上に溶けるように乗り出す。
その様はまるで溶けたアイスクリームのようで、猛暑続くこの季節にピッタリな光景だ。諌山真美が季語になる日もそう遠くないのかもしれない。
綾紬さんはそんな彼女を窘める様に、ぺちり、と軽く肩のあたりを叩いて気合を注入した。
「舐めないでくださーい。ウチの彼氏はそんなんじゃ冷めないでーす。ずっとラブラブなんだからー」
「それもそっか。これくらいで真美に幻滅するような人だったら、今日まで続くわけないよね」
「あーん? どういうことだー?」
「あははっ」
そんな小気味良い二人の漫才のような会話に、俺は自然と笑い声を漏らしてしまう。
ちらり、と横を向けばそこでは酒寄さんも口元を手で隠しながら、クスクスと上品に笑っていた。
彼女に今朝、話を聞いたのだが、あの少女は絶賛お留守番中とのことらしい。
家を出る時に多少引き留められたが、学校に行くことは大切な事なんだ、と親切丁寧に教え込んだらきちんと理解してくれたという。
……まぁ、多分嘘だろうけれども。たった数時間くらいしか会話していないが、あの子をそう簡単に説得できるようなイメージが俺の脳内に一切湧いてこない。
恐らく、理解してくれたではなく、無理にでも理解させたのは正しいのだろう。酒寄さん、結構そう言うところあるし。
彼女の為に食事も用意してきたから、今日の間はひとまず安心だ、と言われたが、それもどうだろう。
あの子、そっくりとまでは言わないが、どこかアルクェイドに似ているんだよな。
人間社会の常識を全く知らない――いや、アルクェイドは知ったうえで無視している節もあるが――ところとか、好奇心に弱そうなところとか、我が儘っぽいところとか。
もし仮に、今酒寄さんの部屋に居るはずの存在があの自称・月から来た少女でなく、アルクェイドであったのなら。
少なくとも、安心なんて二文字はとてもじゃないが俺の脳内に、浮かんでこないはずである。
……まぁ、今はいいか。
考えても詮無きことに、これ以上思考を割くのもバカらしい。
「そーいや遠野君は進路面談どーだったの? 転校したばっかじゃ、話す内容もぶっちゃけあんま無いでしょ」
「あー、うん」
ひとしきりに諌山さんとの漫才劇に漫才したのか、綾紬さんは自身の机の椅子に座りながら手元のお弁当袋の紐をほどいていく。
白魚のように美しい指先が、きゅ、と硬めに結ばれたそれを優しく包んだ。
しかし、そうだな。
進路、進路か。
「正直、何も話せてないんだよね」
「へー、意外。遠野君ってこういうの、きっちり考えとくタイプだと思ってた」
そう反応しながら大きめのサイズの肉巻きおにぎりをハム、と頬張る諌山さん。口の周りについた濃い目の醤油タレをぺろりと舌で舐めとり、それでも届かなかった汚れは指先でぬぐい取る。
「なんていうかさ、あんまり将来ってのがイメージできなくって」
「あー、わかるかも。急に将来、って言われても、だいたい物心ついてからずーっと学生だったしねぇ。学生以外の自分がイメージできん、みたいな?」
「私と真美はそれぞれ専門にしてるやつをさらに勉強しよう、って感じで方針決めるのは簡単だったしね」
この高校は都内でも有数の進学校らしく、高校二年の夏で早くも志望校なんかの選定を行っている。
俺も転校生ながら、あくまでこの第二学年の一員として、目指す大学や将来の展望なんかを担任の教師と話す機会があったのだが。
そんなことを言われても、俺は結局のところは異邦の身。
こちらの世界にいつまでも居るつもりもないので、急に進路を決めてくれ、と言われても寝耳に水というか、なんというか。
それに元の世界に居た頃でだって、そうだ。
自分自身がそんな、将来、なんて言える年齢に達せるまで生きていられるなんて、到底思っていなかったから、そもそもそんなものを考えようと思ったこと自体が生まれてこの方一度もない。
大学生になった自分、だとか、社会人になった自分、だとかよりも、物言わぬ死体になった自分を容易に想像できてしまう。
しかしそんな話を馬鹿正直に担任に言っても、きっとすぐに精神的な病院なりを勧められて終わるだけだ。
なので、とりあえずは当たり障りのない、都内の適当な大学の名前を言って誤魔化したのだけれども……。
「まぁ、もうちょっとゆっくり考えるよ。夏休みも近いしね」
「そしなー? ってかもう夏休みかー。とりあえず海は行きたいよねー? あと、祭も!」
「真美の場合、海の家や屋台が狙いでしょー?」
「えへへー。バレた?」
「モロバレよ、モロバレ」
そこでふと、俺は気が付く。
そう言えば先程から、酒寄さんの口数が少ない。
どうしたのだろう、と彼女の方を向くと。
「……」
無表情の上に笑顔のテクスチャだけを張り付けたような、能面みたいな顔で笑う彼女の姿がそこにはあった。
きっと彼女のことを良く知らない人が見たら、思わず見惚れてしまうような美しさ。
けれども、たった二か月ちょっととは言え、それでも親しい友人として接してきた俺にはわかる。
彼女は今、他ならぬ自分自身と戦っているのだろう。もちろん、頭の中で。
「……ね?」
「……うん」
当然、そんな俺なんかの付き合いでもわかることを、この二人が見逃すはずがない。
二人はそろって顔を見合わせ、互いに頷き合うと、
「いーろはっ!!」
「今日の放課後、バイトないよね?」
ぽん、とそれぞれの手を沈む酒寄さんの両肩にポンと乗せた。
何事か、と顔から先ほどまでの張り付けたような笑顔は消え失せ、すぐに困惑の色が乗り始める。
「えっと、バイトはない……けど」
そう恐る恐る口を開く酒寄さん。まさに言葉を選んでいる、っていう感じだ。
下手なことを口にしたら、厄介なことになるぞ、と。二人が酒寄さんのことを知っているように、酒寄さんも二人のことを良く知っているが故の対応か。
けれども、その警戒は一秒だけ遅かった。初動の反応が僅かに遅れてしまった。
h「だー、終わったー!」
「もう、真美ってばだらしなすぎ。彼氏くんが見たら幻滅されちゃうぞー?」
午前中の最後の授業が終わり、生徒たちに憩いの休み時間がやって来た。
キンコン、カンコン、と鳴り響く例の音を背景に、諌山さんはぐでぇ、と机の上に溶けるように乗り出す。
その様はまるで溶けたアイスクリームのようで、猛暑続くこの季節にピッタリな光景だ。諌山真美が季語になる日もそう遠くないのかもしれない。
綾紬さんはそんな彼女を窘める様に、ぺちり、と軽く肩のあたりを叩いて気合を注入した。
「舐めないでくださーい。ウチの彼氏はそんなんじゃ冷めないでーす。ずっとラブラブなんだからー」
「それもそっか。これくらいで真美に幻滅するような人だったら、今日まで続くわけないよね」
「あーん? どういうことだー?」
「あははっ」
そんな小気味良い二人の漫才のような会話に、俺は自然と笑い声を漏らしてしまう。
ちらり、と横を向けばそこでは酒寄さんも口元を手で隠しながら、クスクスと上品に笑っていた。
彼女に今朝、話を聞いたのだが、あの少女は絶賛お留守番中とのことらしい。
家を出る時に多少引き留められたが、学校に行くことは大切な事なんだ、と親切丁寧に教え込んだらきちんと理解してくれたという。
……まぁ、多分嘘だろうけれども。たった数時間くらいしか会話していないが、あの子をそう簡単に説得できるようなイメージが俺の脳内に一切湧いてこない。
恐らく、理解してくれたではなく、無理にでも理解させたのは正しいのだろう。酒寄さん、結構そう言うところあるし。
彼女の為に食事も用意してきたから、今日の間はひとまず安心だ、と言われたが、それもどうだろう。
あの子、そっくりとまでは言わないが、どこかアルクェイドに似ているんだよな。
人間社会の常識を全く知らない――いや、アルクェイドは知ったうえで無視している節もあるが――ところとか、好奇心に弱そうなところとか、我が儘っぽいところとか。
もし仮に、今酒寄さんの部屋に居るはずの存在があの自称・月から来た少女でなく、アルクェイドであったのなら。
少なくとも、安心なんて二文字はとてもじゃないが俺の脳内に、浮かんでこないはずである。
……まぁ、今はいいか。
考えても詮無きことに、これ以上思考を割くのもバカらしい。
「そーいや遠野君は進路面談どーだったの? 転校したばっかじゃ、話す内容もぶっちゃけあんま無いでしょ」
「あー、うん」
ひとしきりに諌山さんとの漫才劇に漫才したのか、綾紬さんは自身の机の椅子に座りながら手元のお弁当袋の紐をほどいていく。
白魚のように美しい指先が、きゅ、と硬めに結ばれたそれを優しく包んだ。
しかし、そうだな。
進路、進路か。
「正直、何も話せてないんだよね」
「へー、意外。遠野君ってこういうの、きっちり考えとくタイプだと思ってた」
そう反応しながら大きめのサイズの肉巻きおにぎりをハム、と頬張る諌山さん。口の周りについた濃い目の醤油タレをぺろりと舌で舐めとり、それでも届かなかった汚れは指先でぬぐい取る。
「なんていうかさ、あんまり将来ってのがイメージできなくって」
「あー、わかるかも。急に将来、って言われても、だいたい物心ついてからずーっと学生だったしねぇ。学生以外の自分がイメージできん、みたいな?」
「私と真美はそれぞれ専門にしてるやつをさらに勉強しよう、って感じで方針決めるのは簡単だったしね」
この高校は都内でも有数の進学校らしく、高校二年の夏で早くも志望校なんかの選定を行っている。
俺も転校生ながら、あくまでこの第二学年の一員として、目指す大学や将来の展望なんかを担任の教師と話す機会があったのだが。
そんなことを言われても、俺は結局のところは異邦の身。
こちらの世界にいつまでも居るつもりもないので、急に進路を決めてくれ、と言われても寝耳に水というか、なんというか。
それに元の世界に居た頃でだって、そうだ。
自分自身がそんな、将来、なんて言える年齢に達せるまで生きていられるなんて、到底思っていなかったから、そもそもそんなものを考えようと思ったこと自体が生まれてこの方一度もない。
大学生になった自分、だとか、社会人になった自分、だとかよりも、物言わぬ死体になった自分を容易に想像できてしまう。
しかしそんな話を馬鹿正直に担任に言っても、きっとすぐに精神的な病院なりを勧められて終わるだけだ。
なので、とりあえずは当たり障りのない、都内の適当な大学の名前を言って誤魔化したのだけれども……。
「まぁ、もうちょっとゆっくり考えるよ。夏休みも近いしね」
「そしなー? ってかもう夏休みかー。とりあえず海は行きたいよねー? あと、祭も!」
「真美の場合、海の家や屋台が狙いでしょー?」
「えへへー。バレた?」
「モロバレよ、モロバレ」
そこでふと、俺は気が付く。
そう言えば先程から、酒寄さんの口数が少ない。
どうしたのだろう、と彼女の方を向くと。
「……」
無表情の上に笑顔のテクスチャだけを張り付けたような、能面みたいな顔で笑う彼女の姿がそこにはあった。
きっと彼女のことを良く知らない人が見たら、思わず見惚れてしまうような美しさ。
けれども、たった二か月ちょっととは言え、それでも親しい友人として接してきた俺にはわかる。
彼女は今、他ならぬ自分自身と戦っているのだろう。もちろん、頭の中で。
「……ね?」
「……うん」
当然、そんな俺なんかの付き合いでもわかることを、この二人が見逃すはずがない。
二人はそろって顔を見合わせ、互いに頷き合うと、
「いーろはっ!!」
「今日の放課後、バイトないよね?」
ぽん、とそれぞれの手を沈む酒寄さんの両肩にポンと乗せた。
何事か、と顔から先ほどまでの張り付けたような笑顔は消え失せ、すぐに困惑の色が乗り始める。
「えっと、バイトはない……けど」
そう恐る恐る口を開く酒寄さん。まさに言葉を選んでいる、っていう感じだ。
下手なことを口にしたら、厄介なことになるぞ、と。二人が酒寄さんのことを知っているように、酒寄さんも二人のことを良く知っているが故の対応か。
けれども、その警戒は一秒だけ遅かった。初動の反応が僅かに遅れてしまった。
故に、勝者は既にこの段階で決まっていたのだ。無論、敗者も。
「おっけ、んじゃー放課後、時間開けといてね?」
「……え、急に?」
「急にじゃないよー。ずっと前から誘ってたじゃん?」
「そう言われましてもぉ……。えぇ……?」
視線を戸惑わせる酒寄さん。
既に二人は掴んだ肩を離さないぞ、とばかりに力を込めていて、脱出は不可能のよう。
「ど、どうしよ……、かなぁ」
そう言いながら、ちら、ちら、とこちらに視線を向ける酒寄さん。今すぐそこに割って入ってほしいと言わんがばかりの眼だ。
視線には『わかるよね? 今日は流石に帰りが遅くなるわけにはいかないって、わかるよね!?』とその想いがありありと重ねられている。
言いたいことはわかる。
今の彼女の部屋にはあの女の子がいる、……はずなのだ。無論、彼女がどこにも行っていなければ、の話だが。
その状態で家を空けるのは不安なのだろう。
しかし……
「いいんじゃない? 言ってる通り、バイトも無いんだし」
「へっ!?」
「えへへー、遠野君もこちら側なのだよ?」
「おとなしく観念なさいな」
悲しいかな。その願いは叶わない。
彼女は勘違いしているみたいだが、そもそもこの場における布陣は酒寄さんvs綾紬さんと諌山さん、そして傍観している俺、などではなく。
酒寄さんvsそれ以外三人と、卑怯極まりない、負け確の布陣だったのだから。
『グッジョブ、遠野君!』
『ナイスパス!』
二人から視線でぐ、とサムズアップ(空想)を受けとる。
どうやら俺のここぞという時の裏切りはベストなタイミングであったみたいだ。
『後は二人に任せた』
お返しとばかりにこちらも視線でサムズアップ。どこに親指があるのかはわからぬが、とりあえずサムズをアップ。
そもそもの話だけれども。
彼女たちが酒寄さんを放課後に連れ出そうとしているのは、数日前の俺からの応援要求メッセージが発端だ。
赤ん坊を拾って、更にはその子が急成長したから忘れかけていたが、そもそも、その話と、酒寄さんが限界そうって話はまったくもって別のこと。
あの夜、彼女が目元を腫らしていたのは何の見間違いでもない。潤んだ瞳で確かに空に走る流れ星を見つめていた。
ならば、そう。
そりゃあ……、放課後の一つや二つ、たまには息抜きの為に友人に連れまわされる、なんて日があったって、バチは当たらないってものだろうよ。
俺はエキサイトした二人にもみくちゃにされていく酒寄さんを眺めながら、
(ってわけで、今日は早めに帰ることにしますか……)
なんて、誰向けでもないことをボソリ、と心の中で呟くのだった。
後日更新予定