「うひゃーっ!!」
「こら、走らないのー。転んじゃうよ」
瞳を爛々と輝かせながら、街中をかけていく黄金色のお姫様。
モチーフとなったウサギの如く、ぴょんぴょん、ぴょんぴょんと前へ、前へ。
すっかりこの数日で母性に目覚めたのか、酒寄さんはそんな愛娘の様子を「まったく、もう」とでも言いたげな表情を浮かべながら、眺めていた。
こちらの世界に来てから知った「後方彼氏面」なる言葉があるが、それを借りるならばまさしく「後方母親面」である。
「彩葉ーっ、志貴ーっ! 早く来て~! これ、すっげーよ!!」
「あのアホ、リアルの名前を呼ぶなって何度言ったら……!」
あの大鳥居から移動してツクヨミ内の大通りへとやって来た俺たち三人組。
現在は初ツクヨミログインであるかぐやちゃんに、俺と酒寄さんとでこの世界の案内をしようと思っていたのだけれども……。
彼女の溢れ出る好奇心は想像以上のモノであったらしく、案内など必要ない、とばかりに次から次へと、気になったモノ全てへと突貫しては、表情を綻ばせ歓喜している。
その度に、自身の喜びを共有しようと、離れた俺たちに声を掛けるのは彼女本来の優しさからだろう。
とはいえ、酒寄さんがボヤいた通り、その度にこの世界での名前であるプレイヤーネームではなく、現実世界の本名を叫ばれるから、ネットリテラシーもあったものではないのだが。
「はいはい、今度はどーしたんですか、お姫様?」
「彩葉見て! このぬいぐるみクソデカくてかわいーの! そんでもって、そこはかとなくふかふかな気がする!」
「女の子がクソなんて言うもんじゃ……、って、うぉっ、マジでクソデカいな」
「これってあれだっけ? ヤチヨと一緒にいるウミウシだっけ?」
露店に売られていたバランスボール位の大きさのぬいぐるみを腕いっぱいに掴み上げて、ぎゅうと抱きしめるかぐやちゃん。
そのぬいぐるみの特徴的な白黒ボディに既視感を覚え、ちょっと引き目で見てみれば、それはこのツクヨミ界のマスコット、FUSHIをモチーフにしたぬいぐるみであることがわかった。
「こういうのいいなー。犬DOGEもクソデカぬいぐるみにならないかなー」
「無理でしょ、知名度が天と地の差じゃん。こういうのは採算が取れなきゃ作らないっての」
「うぇー、世知辛ぇー」
そう言いながら、おいでー、と足元を駆けまわるマスコット風な犬型NPCを抱き上げるかぐやちゃん。もちろんぬいぐるみは店の元にあった場所に戻す。
犬――かぐやちゃんがプログラムを打って作成したらしい子で、名前は犬DOGE――は飼い主の腕の中に納まると、心地よさそうな表情を浮かべ、ぺろぺろと彼女の頬を舐め始める。
「あっはは、やめろよー。くすぐったくはないけど、逆にそれがムズムズするー!」
「触覚とかは全然だからね。視覚と触覚とが釣り合わなくて違和感、ってのは初心者あるある」
確かに言われてみれば、俺も最初の頃は特にそのあたりで戸惑ったっけ。
視覚と聴覚とは完璧なんだが、触覚はやや再現、嗅覚と味覚とに至っては全然再現されていない、という状態が現状のツクヨミの五感再現度だ。
イヤホンとスマコンなどを用いたログインが基礎となっているので、視覚と聴覚とはいくらでも再現度を上げられるが、それ以外となると技術的に難しいらしい。
そのため、この世界では見た目では美味しそうなパフェを食べようとしても、匂いもしなければ味もしない、といったアンバランスさに見舞われるのだ。
その異常さに一定数の人は酔いのような錯覚を覚えるともいう。
「なんとかなんないのー?」
「私に聞かないでよ。そーいうのは、どっかに居るはずの天才科学者様にお願いしなさい」
どんぴしゃり。
「……てか志貴ってば、さっきからなんでずっと黙ってるの?」
話題は転げて、かぐやちゃんは視線を抱いた犬DOGEから俺へと向ける。
確かに俺は鳥居から移動を始め、今に至るまで一言も口を開いてはいない。最後に口を開いたのは、チュートリアル中のかぐやちゃんを待っていた時の、酒寄さんとの会話だったか。
「あー、それね。なんていえば良いのかな……」
「彩葉は知ってんの?」
「知ってるっていうか、なんていうか……」
ちらちら、とこちらの様子を伺いながら言葉を濁らせる酒寄さん。
かぐやちゃんはそんな様子の酒寄さんに、仲間外れにされていると思ったのか、ぷくぅ、と頬を膨らませ「おーしーえーてー!」と両方の肩を掴んで、振り回した。
「あばばばっ!?」
「イジワルしないでさー!」
回る扇風機の羽のように揺れる酒寄さんの頭部とキツネの耳が残像を映す。
「なんで私なの!? やるなら七夜の方でしょ!?」
「あ、そっか。ごめんねー彩葉」
酒寄さんの渾身の静止の声に、確かにと、そう思ったのか、腕の動きをピタリ、と止めて解放する。
「ねー志貴? なんでさっきからダンマリなの? ネット弁慶ならぬ、ネット陰キャなの?」
「……」
ぐぐぐ、とこちらに詰め寄り、下から覗き上げるようにして詰問してくるかぐやちゃん。
俺はその問いかけに対し、どうしたものかと模索する。
可能ならば今すぐ口を開いて答えたいのだけれども、こちらにも事情というものがあってそうはいかないのだ。
「ねぇ……、聞いてるの?」
「…………」
だが、そんな事情など知るはずもない彼女からしたら、俺からずっと無視されているような気分なのだろう。
次第にその瞳には陰りが差し始め、表情は落ち込んでいく。
あぁ、もう。これは明らかな俺のミスだ。
彼女にこの無言状態について、なんの説明もせずにここまで来てしまった。
いくらでも説明するタイミングがあったってのに、この二か月でもはや日常となってしまっていたから、そもそも説明をするって思考自体が抜け落ちていた。
そりゃあそうだろう。
かぐやちゃんが知っているはずがないのだ。
俺が今、こうして口を閉ざしている理由。
それは、二か月前の自分自身も知らなかっただろうに。
俺は……。
「実は――」
覚悟を決めた俺は、この場で初めて、口を開く。
かぐやちゃんは、ようやく口をきいてくれたことが嬉しかったのか、暗かった顔を一転、明るい満面の笑みへと転じさせ……。
「あいや、ちょっと待った!!」
「……来ちゃったよ」
そして背後から、大きな野太い声が聞こえてきた。
その声は、もはやこの二か月の間でこれでもか、というほどに聞き飽きた男の声。
ツクヨミ内の付き合いで言うのならば、それこそ酒寄さんたちと同等の長さとなるか。
「お前さん、ルール……。破ったよなぁ?」
はぁ、と俺はため息を一つだけ吐き出す。
くるり、とその場を振り返ればそこには……。
「ちょっと、面ァ、貸してもらおうか……?」
狼を模したアバターが、モチーフの大きな鉈を手に持ち、ニタニタと笑みを浮かべているのだった。
「うわっ、志貴ってばクソ強じゃん!」
わーっ、と興奮しながら視線の先の戦闘とも呼べぬ殺戮劇に目を輝かせるかぐや。
月出身のお姫様は、こういった荒事も物珍しいのか、それはそれは楽しそう。
「あの狼の人、この二か月ずっと理由を見付けては七夜に挑んでくるんだよね」
「へー、ライバルってヤツ? 友情、努力、勝利?」
「いや、ライバルとは微妙に違うかな……」
それに週刊少年ジャンプも関係ない。
志貴の初ログインの時、謎の因縁をつけてそれはそれは見事にボコボコにされた狼たちだが、その時のあまりにも一方的すぎる結末がトラウマとなったのか、それ以降、志貴にに関わろうとはしなかったのだが……。
どういう訳か、そのリーダー格であったあの男だけは別の用で、その志貴の強さを気に入ったのか、ことある毎に志貴にああやって挑んでは、斬りつけられている。
最初は志貴もまぁ、良いか、くらいに受け入れていたのだが、ログインする度に現れるので面倒になったらしく、次第に上げ足を取られぬように、人が居る場所では喋らなくなったのだ。
それが先ほどまでの無言に繋がる。私も志貴がずっと黙っているのが最近のデフォだったから説明を忘れていた。
あの人、毎回毎回、百合に挟まった、なんていう変な理屈で襲い掛かってくるし。
「百合ってなに……?」
「あんたは知らなくていいこと」
「えーっ!? またイジワル言う!」
これが意地悪なモノか。うら若き乙女の口で何を説明させようって言うのか、って話。
てか、私も説明できるほど大して詳しくないし。女の子同士の恋愛、って言ったらアイツらに「浅はかな理解」とバカにされたのは今でも許していないぞ。
「にしてもホントに志貴ってば圧倒的じゃんか。相手の人がめっちゃ弱いの?」
「いや、むしろだいぶ上手い方だと思う。プロ、とは言わないけど、素人の中だったら上澄みよりかな」
「えっ、マジ?」
げっ、と引き攣った顔をして前を見るかぐや。なかなかな表情をしている癖に愛らしいのが若干腹立たしいが、まぁいい。
「間合いの取り方とか、武器の取り扱いとか慣れてるみたいだからね。ただ……」
つい、と私もかぐやに合わせて眼前の試合を見やる。
狼男がその大きな鉈を振り下ろし、志貴は最小限の動きで横に避け追撃へ移行。
その動きは滑らかで、まるで身体を這い上る蛇の如く首筋を一点に狙っていた。
志貴が手に握る逆刃のナイフが、その対象目掛けて寄っていく。鉈を振り下ろし、無防備な体勢となった狼男の首を一撃で刈り取らんと勢いよく、刻一刻と。
……が。
「油断したな、喰らえッ……!」
狼男が吠える。苦節の末の勝利を確信した早めの勝鬨を叫ぶ。
男はその両腕を、バッ、と振り下ろした鉈から離した。
鉈は囮であったのだ。
「シンプル・イズ・ベストってな!」
いつのまにか男の拳に取り付けられていた金属の籠手モドキ。いわゆるメリケンサック。小さいながらも殺意に満ち溢れたソレは、各指の関節の位置にゴツい棘が取り付けられている。
男が振り抜く。拳を振り抜く。
振り下ろした鉈であったらその質量から間に合わなかったであろう反撃も、拳による殴打であるのならば話は別だ。
プロボクサーのように、身体を少し引き、間合いをリセットし、志貴の頭部を一撃で吹き飛ばすような勢いで拳の弾丸を弾く。
「……」
男の首を狙っていた志貴の頭部は今や、まるで男に撃ち抜いてくれ、と懇願しているようにさえ錯覚するほどに男にとって格好の位置にある。
更にはナイフを振り抜いた状態、……つまりは腕を伸ばしている状態なわけで、体勢も不安定。
もはや、男の拳は不可避である。
だというのに……。
「…………」
志貴は只管に、冷静であった。
その瞳は凪いでいて、とても冷たいモノだったのだ。
私はそんな、絶体絶命の状況でもまるで何事もないかのように振舞う志貴の様子に、やはり、あの日感じたものと同じ恐れのような感情を抱いてしまう。
これは、たかがゲームだ。
そんなことはわかっている。わかっているんだ、私だって。
けれどもどうしても、志貴のあの瞳が、蛇がカエルを睨んでいるように見えてならない。
……いや、蛇やカエルや、などと言葉を濁すのは辞めよう。
殺人鬼とその得物のように見えてしまうのだ。
「…………はッ」
「え、嘘……、マジでッ!?」
隣から聞こえるかぐやの絶叫。
耳元で大声を出すな、とそう叱りたいが、しかし自身も全く同じ気分であったので、咎めない。
絶体絶命。
そう、私は絶体絶命とそう評した。目の前の男と志貴との間合いを、私はそう言った。
だが結果はどうだ。
狼男は拳を確かに振り抜いた。志貴の頭部目掛けて、一切の遠慮なく、その拳の弾丸を撃ち抜いた。
では、志貴の頭部は弾けたか?
……否。
「――っは、テメェ、マジで人間かよ?」
「失礼だな。正真正銘、何の変哲もないただの人間だよ」
狼男はボソリ、と今吐き出せる、最大の悪態をつく。
それに志貴は少しだけ笑って、否定をした。自分如きが人外の訳がない、などと意味不明な根拠を引き下げて。
一拍を置いて……。
――ぱぁん。
そう、軽やかな破裂音を響かせながら、敗者の身体は無数の桜の花びらへと転じて崩壊していく。
敗者の……、傷だらけの、人狼の身体が。
「……マジか」
ぼそり、と自分の口から漏れ出た声は、自分でも信じられないほどに低いモノであった。
眼前で起きた光景に、ただただドン引く。
目を疑いたいが、生憎と春先の健康診断でも私の視力は2.0だった。
「……」
志貴の取った行動は、シンプルと言えばシンプル。
結果から逆算すれば明らかで、攻撃をしたはずの狼男が逆にやられた、というのだからその動きは反撃であったと断ずる他にない。
が、その反撃が問題なのだ。
――志貴は。
志貴は、振り抜かれた男の腕を抱え込んだかと思えば、そのまま男の勢いを利用して、投げ飛ばした。
詳しくはないが、柔術、というヤツだろうか。柔よく、剛を制す、などとは言ったものだが、実際に目の当たりにすると言葉が出ない。
志貴の体勢は明らかに不利だった。トドメの為に腕をピンと伸ばしていて、身体も若干前のめりであった。
だというのに、そんなことは関係ないとばかりに、ナイフを握ったまま、伸ばした腕の二の腕辺りを支点にしてあの巨体を回したのだ。
その後は呆気にとられたまま地に伏す男を、いつものようにその刃で八つ裂きでフィニッシュ。
別に、私だって正面から戦えばあの狼男に負けることはない。それくらいの実力はあるつもりだし、それ相応の軽い自負、プライドくらいはある。
だが、今さっきの、志貴と全く同じ状況に置かれた場合。
私は、あのように反撃できたか、と問われると……。
いや、反撃などという贅沢は言わない。防御、もしくは回避が叶ったか。
この世界での細かな動作はマニュアル操作、即ちは脳波による操作だ。あんな風な、攻撃を避けると同時に相手を投げ飛ばす、なんてニッチなコマンドなど存在するはずもない。
だから、先ほどの一連の動作も、志貴の脳波でのみで再現された動きということになる。
それが、つまりはどういうことか。
(志貴は殺すことと同じくらい、殺され慣れている……?)
あり得ない考えだ。
少なくとも、現代社会において生まれる思考ではない。
が、今日、この時に至るまで私は志貴がこと戦闘における操作にて、コントローラーを使用したところを見たことがない、ということを踏まえると……。
そうなのではないか、と思えてきて仕方がない。
「っへー、志貴てばやるじゃーん。今度、かぐやちゃんにも教えてね?」
「教える、って言われても、どう教えればいいのかわからんけど……。まぁ、基本的な武器の使い方とかで良ければ」
「やりぃ! かぐやも早く敵をボコしてー」
ツクヨミ、およびKASSENについての知識のないかぐやは眼前の絶技を、そのままただの絶技として飲み込み、ただただ感激して盛り上がっている。
無知は罪、などというが、とんだ大嘘だ。
むしろ逆じゃないか。
知識があるが故、私は意味もなく、大切な友人を疑ってしまっている。
私は……。
「……ん?」
――ブブブブ!
そこで思考の沼に沈もうとした私を、一つの鈴の音が引き戻した。
(なんのアラームだっけ……、って、あぁ!?)
「やっば!?」
目の前の衝撃映像に一瞬、忘れかけていたが、そうだ、そうだ、そうだった!
そもそも、今日のイチバンの目玉イベントはまだだったんだ。
――ツクヨミの夜は、まだまだ終わらない。
「あわわ、志貴さんがドンドン人間離れしていきます……! ナチュラル殺人貴の志貴さんに、メカ翡翠ちゃん、そんでもって身も心も鬼そのものの秋葉様! 遠野邸はもうお終いです!」
「私がメカ……、メカ?」
「雇い主のことをよくもまぁ、そこまで悪しく罵れたものね。逆に褒めてあげたいくらい」
「志貴ってばああいうヘンテコな技、妙に得意よねー。別に練習してるわけじゃないみたいなんだけど」
「まったく、遠野君のことを人外呼ばわりだなんて心外ですね。……いや、若干合ってはいますけれども。化け物、っていうのは、こう、居るだけで周囲に迷惑をかける真祖の姫とかに対して使う言葉ですのに」
「よく言うわよ。私からしてみれば、道理に合っていない貴女の方がよっぽど化け物呼ばわりに相応しいと思うけど。私はあくまで、この世界のルールに則って生まれているもんね」