「ヤチヨぉ……っ」
「むー……」
ツクヨミ世界における最古にして最大のイベントである月見ヤチヨのミニライブ。
ミニと付けられている通り演じられる楽曲は僅かで、時間にしてニ十分にも満たない演目であったが、それは、決してそのニ十分を短いとは思わせない程に濃密で、圧倒的な時間であった。
時間が溶ける、とはまさにこのこと。
一秒も一分も大差ない。どちらも呼吸を忘れ、魅入っていればあっという間に過ぎ去る時間。
彼女のファン、というわけではない俺ですらかなりの感動を覚えたくらいだ。
ヤチヨを信仰している、と言っていいほどに熱狂的に支持している酒寄さんなど、それはそれはとんでもない顔をして感涙にむせび泣いている。
瞳からは大粒の涙を流し、頬は緩み切り、瞳孔はガン開き、声も普段より何段階も大きいものに。
俗にこの世界ではこの現象を限界化、と言うんだったか。なるほど、的確な呼称だ。あれは人の限界のギリギリ手前、もしくは一歩先くらいまで行ったような状態に見える。
かぐやちゃんはどうやらそんな限界化した酒寄さんの様子がお気に召さないのか、むすっとしながら彼女の顔を眺めている。
ライブ中の様子を見るに、別にミニライブ自体が気に入らなかった、という訳ではなさそうなので、やはり彼女の不機嫌の原因は酒寄さんの今の状態に依るものらしい。
……と、かぐやちゃんと言えば。
(結局、ライブ前のあの線は何だったんだ?)
思い出すのは数十分前にこの視界に収めた、空中に浮かぶ罅の如き赤黒き線。
見ているだけで吐き気を催すほどに悍ましい、この世界における絶対的な終着点。始まりがあるのならば、必ず訪れる対の概念の集合対。
即ちは……、死の線。
(ライブ中でも見ることはなかったしな)
たった一瞬とは言え、見えるはずのないその存在に警戒をして居た俺だったが、結果としては無駄だったと言えるほどに、その影はゼロもゼロ。
ライブ中に周囲を見渡そうが、見えるのはヤチヨのライブに心奪われる観客の姿と、少し上には満天の星空輝く夜空のみ。死の線などどこにも見当たらなかった。
こうも見る影もないと、気のせいであったとそう思いたいんだが……。
(あれを見間違える訳がない……)
こればかりは死を視た人間にしか分からない感覚だろうが、アレを別の何かと見違えるなどはまずありえない。
今後も続くようであったら、いくらか対策を講じたり、最悪はツクヨミへのログイン自体を控えなければいけないのだが……。
(できればそうしたくはないなぁ)
人間というのはほとほと愚かな生き物で、一度でも便利さに慣れてしまうと、もう手放したくはなくなってしまうのだが、俺もその例に漏れず、だ。
数か月前までの俺にとっては縁もゆかりもない未知の技術であったそれも、今では当たり前のものとなってしまった。
それというのもAR機能による生活補助や、仮想空間ツクヨミでの遊楽など、便利が過ぎるのが悪い。
正直、今回の件関係なく元の世界に帰るってなった時に、俺はこれらを手放せるだろうか、と心配なくらいだ。
などとアレやコレや、と俺が頭を悩ませていると。
「ココでみんなにお知らせ!」
ライブを終え、締めのMCトークに興じていたヤチヨが空中で声高々に宣言をする。
俺はその一言で意識をこちら側へと引き戻し、視線をヤチヨの方へと向けなおす。
死の線は、……見えなかった。
「何事だ……?」
「さあ?」
ざわざわと観客たちも騒ぎ出す。
お知らせ。そのたった四文字に心を弾ませ、もしやあれか、それともこれか、と皆が各々の希望的予測を並び立て、期待に満ちた表情で空に座すこの場の主を眺めていた。
ヤチヨはそんな観客の興味津々な様子に満足したのか、「よしっ」と一度ニッコリと笑ってから首を縦に振り、くるりとその場を横に回ると、両の手を宙へと向ける。
その仕草に擬音を付けるのならば、おそらくじゃーん! とかだろうか。それとも、ばばーん、か。
ブワン、とやや古めかしいSEを鳴らしながら彼女の開いた腕の先に表示される大型のモニター。
そのモニターにはデカデカと『YACHIYO CUP!』の文字が書かれている。
いったい何事だ、と騒めく人々にヤチヨは楽し気に、そのヤチヨカップなるものの説明を始める。
皆はその言葉を決して聞き逃すまい、とライブの時と同じくらい、いや、下手したらそれ以上に集中していた。
……曰くヤチヨカップとは、ツクヨミ内の全ライバーを対象としたイベントであり、これより期間一か月の間に、最も新規のファンを獲得した者が優勝となる。
参加権は対象者となるライバーであることと重なっており、逆説的に言えばライバーは強制参加のイベントとのこと。
一口にライバーと言ってもその配信内容は多岐にわたるが、そこら辺にも特に規制はなし。
ゲームをするもよし、雑談する世もよし、歌うもよし、踊るもよし、というかもう何でもよし。
どんな手段でも良いから、この一か月で誰よりもファンを獲得しさえすれば勝者なのだ。
そしてその勝者が得られる優勝賞品とは……。
「ツクヨミ管理人、月見ヤチヨとのコラボライブの権利をプレゼント!」
ドン、と。
今日一番の衝撃発言を自信満々に宣言した電子の歌姫は、満面の笑みでド級の報酬を掲げる。
「うっそ、コラボ!?」
落とされた爆弾はすぐさま炸裂し、彼女のファンたちはざわざわとそれはそれは大騒ぎを始めた。
「なにそれ、すごいのー?」
「凄いって言うか、ヤチヨが誰かとライブでコラボ何てしたこと無いんだよ!」
当然、ヤチヨのことなど何も知らないかぐやちゃんは「……?」と顔に大きなクエスチョンマークを描きながら酒寄さんに尋ねる。
ヤチヨガチ勢こと酒寄さんはそれはそれは荒れ狂い、狂瀾怒濤の体現者になりながらも、そんなかぐやちゃんの質問に対し、簡潔に答える。
そんな彼女の答えが気に入ったのか、かぐやちゃんはキラリ、とその瞳を一度輝かせると。
「へー、んじゃ私らでヤチヨの初めて奪っちゃおーよ!」
と、それはそれは楽し気に言う。新しいゲームを買ってもらったばかりの子供の用に無邪気で、元気で、無敵な笑顔だ。
「バカ、話聞いてなかったの? ライバーだけのイベントだってさ」
「んじゃかぐやがライバーになればいいんでしょ? そんで勝てば、コラボよ!」
「あー言うのは誰が勝つのか、だいたい最初から決まってるもんなの。今から始めた初心者が勝てるわけないじゃん」
「え゛ーっ! やる前からそんなのわかんないじゃん!」
ぴょんぴょん、と酒寄さんの肩を掴みながらぴょん、ぴょんと跳ねるかぐやちゃん。まるで本当のウサギの様だ。
……と。
「……なんだ?」
遠くから、キリキリと何かが軋む音が聞こえてくる。
俺は自然と重心を低くし、周囲を探った。念のため、武器を懐に出現させておく。何かが起きたときの、念のために。
それはシエル先輩との訓練で身に着いた反射的な動きだった。
「アレは……、虎か?」
遠くから黄色と黒の毛並みを携えた大柄の獣が駆けてくる。
その獣、……虎は何やら牛車の荷台のような部分を引き下げており、あの虎は馬車を引く馬のように荷を引きながら走らされているということに気が付いた。
どうやら、誰かしらの人間を運んでいるようだが……。
――斬。
どこからか、何かを斬り裂いたような音が聞こえてくる。
その音がどうやら視線の先の、あの荷台から奏でられた時が付いたと同時。
その牛車……、いや虎車と呼ぶ方が正しいか。虎車に無数の切り傷が走り出し、そして……。
「……げっ」
何かを確認したかと思えば、気まずそうな表情を浮かべかぐやちゃんと俺の影に隠れる酒寄さん。
そんな彼女の珍しい様子を少々疑問に思いながら、俺は再度、傷だらけの虎車に視線を移す。
きっと、もはや耐久力はなくなっていたのだろう。
視線を戻すや否や、その虎車はボロボロと形を崩していき、その中身を周囲へとさらけ出し始める。
俺はその光景に、どことなく浦島太郎を連想した。
竜宮の姫を模したであろう月見ヤチヨ、そのミニライブ。突如現れた古風な入れ物が、煙を吐き出しながらその中身を露わにする。
まるでどこかで聞いた昔話ではないか。
では中から出てくるのは、虐められた亀なのか、それとも年を取った老人なのか。
その答えは……。
「よぉ、子ウサギども! お前たちの帝様が来たぜ!」
大柄な赤い髪の半裸な男が前に出る。後ろには見るからに無口そうな男が一人と、いわゆる地雷系っぽい恰好の女……、いや、男か? が一人、それぞれ左右に構える。
その三人は一見、なんの繋がり無さそうな要素ばかりなのだが、ただ一つだけ共通点が存在している。
彼らは皆、頭部に大きな角をお揃いで生やしていた。
その角だけで、彼らのモチーフとなった種族は誰だってピンとくるだろう。日本に生まれたのならば、その存在に触れず生きる方が難しいほどにメジャーな空想上の生き物だ。
俺はそんな彼らを見てボソリと一言。
どうしても抑えきれなくなって、こぼしてしまう。
「いや、浦島太郎かと思ったら桃太郎の方かよ……」
鬼が島の鬼たちこと、プロゲーマー兼ライバーのブラックオニキスの三人組。
リーダーである帝アキラを中心に、寡黙でクールなキャラを演じる雷と、小悪魔でキュート――あくまでキュートな小悪魔ではない――を押し出す乃依のトリオで売り出しているグループなのだが、どうやら彼らの目的はつい先ほど発表されたヤチヨカップに向けた宣伝、であったらしい。
彼らは目的は済んだ、とばかりに早くも消え去ってしまった。
もとはヤチヨのライブであったので、配信越しでこの場を見ている人は数十万人に及ぶ。
何事も初動が大切、というが、そう言う意味では彼らは他の全ライバーとは圧倒的な大差をつけたと言っても良いだろう。
というか、割と反則に近い気がする。他のライバーは恨んでいい。場合によっては運営のお問い合わせフォームに投稿してもいい。
多分それを閲覧するのはヤチヨ本人で、この場で彼らを黙認した以上、意味は無いのだろうけれども。
……と、そう。初動が大切と言えばなのだが。
「このっ、このっ! この口かっ、余計なことを言っちゃうのはこの口かっ!?」
「んぐぐっ!?」
この何十万人の視聴者に対して、熱烈な宣伝を行ったライバーがもう一人だけ居る。
正確に言うと彼女はまだライバーでは無いのだが……、そこら辺はまぁおいおい解決する話だろう。
その彼女とは、何を隠そう……。
「アンタってヤツは!」
我らが月出身のお姫様、かぐやちゃんだ。
酒寄さんはかぐやちゃんの口を両手で押さえつけ、これ以上、余計なことは言わせない! と必死だ。その顔は真っ赤で、今にも火が付きそうなほど。
遡ること数分前。
場はブラックオニキスの突然な優勝宣言に沸き立つ中、一人、まるでその場の空気を読まないがの如く大声を出したかぐやちゃん。
『かぐやがヤチヨカップ優勝する! そんでもって、絶対コラボライブする!!』
周囲の反応は、はっきり言って冷ややかなモノだった。
それは皆があの大人気のブラックオニキスと、それ以上に人気な月見ヤチヨとの奇跡的なコラボをもはや確定の未来のように思い描き、その妄想に浸っていたからだ。
あの帝とヤチヨが並んだら、きっとそれは凄いライブになるぞ。
あぁ、楽しみだ、楽しみだ。今から一か月後が待ち遠しい。
そう言った言葉を、彼女は一切合切切り捨てた。
そんな未来は残念ながら訪れないぞ。だって私が勝つんだから、と。
場に水を差された、と思った人も居るだろう。
白けさせられた、と恨む人も居るだろう。
けれども、確かに彼女という存在はあの優勝宣言一つで、鮮烈に皆の心に刻まれたはずだ。
そう言った意味では、同じ宣伝であったとしても、ブラックオニキスの彼らはすでに負けている、とも言えるだろう。
仮にこの場を見ている人間が五十万人だとして。
ヤチヨカップのルールに則って、ブラックオニキスが新規で獲得できるファンの数はいったいどれだけか。
既に人気者の彼らに、全取りなんて選択肢は初めから存在しない。五十万のうちの半分でも取り入れられたら御の字ではないか。
一方でかぐやちゃんはどうだ。
彼女にはファンなんてものは当然いないし、それどころか、彼女のことを知っている人すらいないのが現状である。
これらを踏まえれば、どちらが宣伝として効果的であったか、は陽を見るより明らかだろう。
もちろん、だから勝てる、とは言わない。
けれども、絶対にありえない、とはもはや言えないのも事実。
これは大げさな言い方かもしれないが、かぐやちゃんは未来を変えたのだ。
つい先ほどまで確定していた、そして誰もが信じていた、ブラックオニキスの圧倒的な優勝という結末を、彼女の一言は、万が一の可能性でひっくり返りうる、というところまで引き下げた。
コレは持論だが、確定した未来ほど脆いモノは無い。
未来なんて言うモノはあやふやだから最強なんだ。形あるものは常にいつかは壊れる。
帝は自身らの勝利を確固たるものにしようとした。
それはもとから九割九分で勝ち抜けるであろう戦いを、十割の勝率で挑めるようにするために、というものだったのだろう。
高確率や、きっと、おそらく、多分、という枕詞を、絶対にと転じさせるための奔走である。
皮肉な話だ。
未来を確定させてしまったために、その未来は脆さを獲得してしまった。たった一つの、少女の大声で砕け散ってしまうくらいの脆さを。
これはもしかしたら、もしかするかもな、なんて。
予感のような、確信のような、よくわからない感想を抱きながら、俺はとっくみ合う二人に寄ろうとして……
「……ッ!?」
ガツン、と後頭部を思い切り力強く殴られたような錯覚を覚え、その場に崩れ落ちる。なんとか耐えようと、膝立ちの姿勢を取るが、それもどうにか、かろうじて。気を抜けば頭を地面に投げ出しそうだ。
「七夜!?」
俺の異変にいち早く気が付いた酒寄さんは、抱えていたかぐやちゃんを解放し、こちらに駆け寄ってくる。
「志貴、どしたの!? どこか痛いの!?」
二人の声がどこか遠くに聞える気がする。距離にして数メートルもない程度なのに、聞こえる声は霞がかっている。
頭が痛い、頭がいたい、あたまがいたい。
もはや思考が不可能となった俺の脳は、そうそうと意識を手放し始めた。理路整然さは消え去った。思考の呂律も無に帰した。
ぼやけていく視界、音はさらに遠くなる。
そんな最中、俺は最後に見た、見てしまった光景を何度も、何度も思い返す。
(あ、れは……)
や、ちよ。
月見ヤチヨが、確かに、彼女たち二人のすぐそばに居たんだ。取っ組み合う二人を、どこか羨ましそうに、微笑みながらすぐ後ろでじっと眺めているヤチヨが。
俺は、そんな三人を同時に視界に収めて……。
(死の……、点)
線を越えた極点を、確かに認めて。
――俺は、俺は。
そこまで思考を深めさせた俺は結局、奮闘敵わず答えへとたどり着けぬまま、意識を失ってしまうのだった。
後日掲載