「……コップ無いから直接飲んでね」
そう言いながら、ん、とノエルは水が入ったペットボトルを二本、差し出してくる。
俺たちはそれぞれ一本ずつ、それを受け取った。ペットボトルはヒンヤリと冷たくて、夕方とは言え真夏の外気に晒されながら移動してきた俺たちの火照った体を冷やしてくれる。
「あ、ありがとうございます」
「喉カラカラだったんだよねー」
お礼を言って、キャップを捻り、ごくりと一口。
なんてことはないミネラルウォーターの味だが、今の水分を欲する身体にとってはこれ以上ないほどに美味である。
一口だけのつもりが、気が付けば三口くらいまで進んでしまい、ペットボトルの中身は半分くらいまで減っていた。
「はー、メンドー」
よっこいしょ、と若干古臭い掛け声とともに椅子に腰かけるノエル。
ここはノエルの住むマンションの一室なのだが、一人暮らしらしい部屋作りをしているので、椅子はそれ一つだけ。なので俺とかぐやちゃんは床に直で座っていたりする。
その椅子というのも、通常の椅子ではなく、いわゆるデスクチェアのようなもので、大きな背もたれや肘置きが取り付けられており、機構を見るにリクライニング機能も搭載されているような品だろう。
いわゆるゲーミングチェアってヤツだ。
近くにはかなり大きめのデスクが設置されており、その下にはかなりゴツめの、でっかいパソコンが置いてあった。ピカピカとピンク色に光っていて若干、目が痛い。
デスク上には大きなモニターが横並べで三つ置かれており、他にはマウスやキーボード、あとはよくわからない機材が点在している。
ぱっと見だが、ただの教育実習生の部屋としては異常な雰囲気である。
「……で、なんだっけ? ライバーとして跳ねるには、だっけ?」
心底めんどくさそうにしながら、玄関口で伝えた要件を反芻する彼女。そう言う反応をするのならば入り口の段階で追い返せばいいって言うのに、部屋に挙げて話を聞く当たりが彼女の憎めない所だと俺は知っている。
「えぇ。この間会ったときに言ってたじゃないですか。ライバーになったって」
「言ったけどさぁ。あー、調子乗って言わなきゃよかったかなぁ。それもこれもシジミの味噌汁のせいよ、まったく。オルニチンが憎い……」
そう数日前の自身を悔いながら、カシュッ、と手に持つ缶を開け、一気に飲み下す。
缶のデザインはかなり派手で、原色をそのまま使っているのではというくらいに目に痛い。エナドリの一種何だろうが、メーカーや味なんかはさっぱりだ。
「エナジードリンクを常飲すると余裕で身体ぶっ壊れますよ」
「うるわいわね。アルコールじゃないだけマシでしょ? んっ、……このフレーバーはあんま美味しくないわね」
「ねーねー、それ何味ー?」
「あん? パッションフルーツとグアバ、って書いてたけど。何、飲みたいの?」
そう尋ねるノエルに、全力で頭を縦に振るかぐやちゃん。美味しくない、とノエルが言ったのを聞いていただろうに、彼女のチャレンジャー精神は凄まじい。
ノエルは手に持った缶を床上で胡坐をかいているかぐやちゃんに手渡した。
かぐやちゃんは受け取るや否や、「いざ、尋常に勝負!」とよくわからない掛け声を上げると、既に開いている缶口に口をつけ、一気に呷った。
その感想や如何に。
「うぇー、ビミョー……」
「だから言ったでしょ、あんま美味しくないって」
べぇ、と舌を突き出し、顔を顰めるかぐやちゃん。地球人に合わない味は、宇宙人にも同様に合わないらしい。
「志貴も飲むー? これ、思ったよりマジぃよー?」
「そこまで言われたら、気にならないと言ったら嘘になるけど……」
目に見えている落とし穴に落ちたくもない。ということで、丁重にお断りした。
カツン、と床にエナドリの缶が置かれる。中身はまだ残っているので、チャポッ、と液体が揺れる音がした。その中身は最終的にどうなるのか。誰かが責任を取って飲み切るのか、それともシンクの流しへと捨てられることになるのかは、まだわからない。
と、そこでノエルは今更ながらな質問を思い出し、口を開く。
「……てか、志貴君。この子は?」
「この子じゃないよ、かぐやだよー?」
ピッ、と椅子に座りながらかぐやちゃんを指さすノエルと、その指された指を右手のチョキで挟みながら、「ヘイ! コールミー、かぐや! オッケー?」とカタコト英語を
話すかぐやちゃん。
ウザったかったのか、すぐにノエルは伸ばした指を引き戻す。
俺は、なんと説明すればいいのかピンと来ず、少し黙って、考えを纏めてから口を開いた。
かぐやちゃんを説明する言葉は色々とあるが、彼女に分かりやすく、端的にまとめて伝えるのならば……。
「この間買いに行ったベビー用品が必要だった赤ん坊が彼女です」
「……はい?」
「三連休の間に気が付いたらここまで大きくなってました」
「……???」
「わー、すっごい顔してる。おもろー」
ぽかん、と。
それはそれは見事なまでの呆け顔で固まるノエル。目を見開き、口は大きく開いている。
「え、何……? つまりはこっちの世界で仕込んだガキが、三日で小中学生くらいまで成長したってことで合ってる?」
「合ってません。何勝手に人を子持ちにしてくれてるんですか。俺がこっちに来てまだ二か月とちょっとですよ!?」
混乱しているのか、奇妙なことを口走り始めた彼女に訂正を入れる。
三日で成長した、ってあたりは合っているので、そこは訂正をせず、あくまで俺がかぐやちゃんの父親である、って部分のみを否定した。
と、そこで何に感化されたのか、かぐやちゃんはポン、と両手を叩くと
「なるほど、志貴ってかぐやのパパだったのかぁ……。となると、彩葉はママ?」
「やめてくれっ! 聞く人全員を勘違いさせかねない問題発言は!」
そう、ノエル以上に奇妙な爆弾発言をぶっこんでくる。
「認知してくれないのー? ひじょーだよ、志貴!」
「認知も何も、それを認めてしまったら俺は警察に捕まりかねないんだよ!」
「だいじょーぶ! そん時はかぐや、彩葉と一緒に志貴が出所するまで待つから!」
「なにも大丈夫じゃないから!」
ぜぇ、はぇ、と肩で息をする。
久しぶりに大声でツッコミを入れて、身体が悲鳴を上げている。
こんな風に叫んだのなんて、それこそあっちの世界振りか。世間知らずのアルクェイドに振り回されるたびに、こんなふうに突っ込んでいた気がする。
というか、話が逸れ過ぎだ。
そもそもの本題はそこじゃない。
俺は半ば強引に、元の話題へと戻ることにする。
「話を戻しましょう。……実はかぐやちゃん、数日前から配信業を始めたんですが、何をすればいいのかがわかんないらしくって。アドバイスを貰えないかなぁ……、なんて」
「戻すにしては聞き捨てならないワードが多かった気がするけども……。はぁ、アドバイスねぇ……」
じとり、とした視線を浴びながら、俺は彼女の言葉の続きを待つ。
ちょっとしたことでも良いので、何かのきっかけになりそうな教えを貰えたら有難いのだが。
「嫌よ。なんで同業者にご飯のタネを無料であげなきゃならないっての?」
しかし、にべもなし。
ノエルは冷たい表情でそう言い放つ。
それから彼女はニヤリ、とイヤらしい笑みを浮かべると。
「まぁ、どうしてもって言うんだったら? 志貴君が私のお願い事を聞いてくれるんだったら、考えなくもないけど……?」
チラチラ、とこちらの顔を伺う様に見下ろしながら、優越感に染まった表情を見せてくる。
性格が良い、というよりは、良い性格をしている、って感じの顔だ。実に彼女らしい、と言えば彼女らしい。
「具体的に言いますと……?」
彼女の要望が気になった俺は、とりあえずどんなことを望んでいるのか尋ねてみる。
ノエルはニヤリ、と口角を上げた。
「そうね。まぁやっぱり、ライバー活動してると他のこととか手が回んないのよねー。だから、部屋の掃除とか、買い出しとか、そう言った雑用とかはしてほしいでしょー? あとは、マッサージとかもして欲しいかなぁ。座りっぱなしは身体が凝るのよ。あとはねぇ……」
「ねぇ志貴? ホントにこの人、やさしーの? さっきからお願いが止まらないけど」
「いや、優しい人ではあるんだよ、本当に……。ただ、ちょっと他人に優しい以上に、自分に優しいことがあったりするだけで……」
良くも悪くも、普通の人としての感性を持っているのが彼女のイチバンの特徴だ。
調子に乗れるときには乗れるだけ乗る。
自分に利が生まれそうなチャンスは最大限の利が得られるように尽力する。
その上で、自罰的になってしまうこともあれば、自分を腐るときもある。
俺としては身の回りの人がだいたい、精神的に人外じみていたりするので、人間らしい彼女には共感が出来て好ましいのだが。
「ってか、志貴ってばあの止まらないお願い全部聞くの? 流石にかぐやのためにそこまでしてもうのは申し訳ないんだけど」
ノエルの止まらない要望に次第に顔を曇らせていくかぐやちゃん。
自分の何気ない一言で俺が生贄になりかねない、と心配しているのだろう。ここはツクヨミではないので見えないが、あちらの世界だったら、あの特徴的なロップイヤーが下に垂れ下がっていたのでは、と思える。
俺は、
「大丈夫、心配しなくていいよ」
と、心配そうにするかぐやちゃんに答えると、
「ノエル先生、ちょっとお話が……」
「ん、なーに志貴君? 条件、吞んでくれる気に」
「ところで後ろの配信機材って、すっごく高そうですけど、給料も出ない教育実習でどうやって買いそろえたんですか?」
用意していた、第一の切り札を突き付けるのだった。
後日掲載