カン、カン、カン、と夜も遅い時間に私は金属製の階段を登る。
いかに昼時間が長い夏であっても、時刻が午後十時を過ぎれば周囲はどっぷりと黒一色だ。天では星や月が瞬いている。
太陽がその姿を隠して何時間と立つのだから、いい加減、この蒸し蒸しとした暑さも同様に消え去ってほしいモノだが、生憎と夏の暑さは意地が悪いらしく、未だ健全のまま、私の身体を火照らせていた。
本日のアルバイトも無事終え、自身の住むアパートの一室の前までへと帰って来た私は、くぅ、と身体を伸ばし、背中のあたりの筋肉をほぐす。
ピリピリとした弱い快感が背筋のあたりを走り、微細なアドレナリンでも生成されているのか、それだけでなんだかちょっといい気分。
今日という一日におけるタスク、その殆どはもう終わった。学校も行った、アルバイトも出勤した、家にも帰ってきた。
うん、我ながらよくやっている。
今日はもう、夕飯を食べて、予習と復習さえすれば後は眠るだけ。そのあと余裕があればちょっとだけ自分へのご褒美もかねてゲームをしてもバチは当たらないはずだ。ふじゅ~稼ぎという言い訳だってあるし。
よし、今夜はまず、ヤチヨの配信を見ながら夕飯を食べよう。時間は準備と合わせてだいたいニ十分くらいでいいか。準備って言ってもレンジでチンするだけだし。
それから日中で汗をかいているし、お風呂に入ろうか。本当は湯船につかるなんて言う贅沢は避けたいが、流石にこのシーズンにシャワーだけは臭いが問題になる。
芦花や真美に「ちょっと今日の彩葉、臭くない……?」なんて思われたら軽く百回は死ねるぞ、私は。それに、飲食店で働いている身として不衛生のまま出勤するというのもアレだし。
下手したら首になりかねないからね、しょうがない。別に私がお風呂に入りたいんじゃなくて、節約の為にバイトを首になったら元も子もない、ってだけだから。
お風呂に入るなら、湯船を溜める前にお風呂掃除をしないとだ。夕飯をレンジの中にセットし、回してからの待ち時間でやっておこう。ご飯を食べてる間に湯船が溜められたら最高の時短だ。
お風呂は……、そうだな。せっかく溜めたのにカラスの行水じゃあもったいなさすぎる。ちょっと睡眠時間を削っても良いから、長めに浸かるとしよう。ってことで、三十分くらいは確保だ。
お風呂上がりの諸々は、まぁ、ニ十分くらいか?
その後は予習と復習とを二時間くらいで行えば、終わるのは午前一時くらいのはず。朝は七時までに起きたいことを考慮すると、勉強を終えてすぐに寝たら六時間は眠れることになる。
(……六時間か)
私の中で更なる計算が進んでいく。
(五時間半……、いや、五時間睡眠でも問題はないはず、だよね)
勉強が終わった後、自分へのご褒美の時間を算出する。考えるのは費用と効果のつり合いと、レートだ。
もちろん、こちらの差し出す費用は睡眠時間であり、受け取れるメリットはゲームプレイ中の幸せな時間である。
(……よし、決まったな)
夕飯とお風呂で一時間ちょっと。勉強に二時間。ゲームに一時間。
それから睡眠を五時間で、明日の朝日が昇ってくるのだ。
我ながら完璧な計画だ。惚れ惚れする。
完璧女子高生、酒寄彩葉像を決して崩さず、無理のない年頃の女の子っぽい時間を確保しながらも、締めるところは締め、遊ぶときは遊ぶ。
私の思い描く、エリートそのものの暮らしだ。
うん。思い描いた生活の、はず。
無理なんて、していないし、問題なんて、ない。
私は、私は、わたしは。
まだ、だいじょうぶ。
「……」
耳の奥で久しく聞いていない、けれども確かに毎日聞いているはずの声が聞こえる。
『――――――――……』
何を言われているのかは、わからない。靄がかった声はその母音も子音も予測することさえ難しい。
けれども私は、その声に自分が叱られていることだけは悲しいほどに理解できた。
先ほどまでの浮ついた気分がちょっとだけ冷めてしまった私は、そんな気分を誤魔化すように自室のドアノブを握って捻る。
ドアノブは蒸し暑い外気に晒され熱を持っているようでもあり、それでいて金属特有のぞっとするような冷たさを保持しているようでもあった。
まさしく、今の私と同じ感じ。家主とそっくりのドアノブだなんて、なんとも上等じゃないだろうか。家賃のわりに、気が利いている家具である。
「……ん?」
そこで私は気が付く。
室内がちょっとだけ騒がしいことに。
「……っ、す……、ね……!」
(……かぐやの声?)
何やら興奮しているようで、時間帯も気にせず、室内からは漏れ出る高めの声とドタバタと言った物音が聞こえてくる。
隣に住んでいるのが志貴だから許されているが、まったくの知らない人が住んでたら壁ドンを何発貰っていたことだろう。
宇宙人ってのはもっと夢があるものだったり、金銀財宝だったりを繰れるものだと思っていたが、ヤツが寄こすのはご近所トラブルだけ、なんて可能性もあったのかもしれない。
本当に面倒なヤツである。アイツの良いトコロなんて、本当に容姿くらいなんじゃないだろうか。
(……まぁ、性格も悪いってわけじゃないけど)
私が死ぬ気で溜めたお金を勝手に使ったことについてはいまだ許し切れていないが、とはいえその使い道の一つとして手料理を振舞ってくれたあたり、悪い子ではないと思う。
いくら私にとってその存在が害悪そのモノであろうと、本性までもが害悪とは限らないのだ
(……にしても、なんでこんなに騒いでいるんだ?)
また気を失わないように、とかぐやには志貴の監視をお願いしているのだけれども……。
多分、彼の性格的にも私が帰ってくるまではかぐやを一人にはしないだろうし、まだ室内に居るはずだが。
何か、話に花でも咲いているのか。
ちょっとだけ興味惹かれた私は、面白そうな話だったら混ざろうかな、なんてそんなことを考え名ながら握ったドアノブを捻る。
「ただいまー……、何盛り上がってるんですかー、っと」
「それって……、って、あっ、彩葉だ! おかえりー!」
「駆け寄るなっ、そんでもって抱き着くなっ、暑苦しい!」
室内に入るや否や、かぐやはキラン! とその流れ星を散らしたような美しい瞳を輝かせると、ぱぁっ、と花のように笑顔を爆発させる。
ぱたぱたぱた、とまるでチワワのように忙しなく駆け寄り、だっと抱き着いてくるエリアン。
ぎゅう、と強めの力を籠められ、彼女の身体の柔らかさが直に伝わってきて心地よさも感じるが、それ以上に今は暑苦しい。真夏のハグは拷問と何ら変わりない
気恥ずかしさもあった私はぐぃ、ぐぃ、と引っ付きムシの頭を押し出して、すぐさま離れるように命令する。
けれども、かぐやは全く離れようとせず、むしろその腕に込める力を増していく。数日前まで赤ん坊であったというのに、気が付けばいつのまにこんな腕力を手に入れて。
もしやその内、私の身長も追い越すのではなかろうか。そうなったらいよいよ勝ち目がない。
その前に、彼女の内在的な精神に、私が上で、彼女が下、という上下関係を刻み込むべく、私は心を鬼にしようとして……。
「ねぇ、彩葉! 志貴ってば吸血鬼狩りなんてカッケーことやってたんだって!!」
「……はぁ?」
鬼になり切る前に、トンデモナイ素っ頓狂発言を受けることとなり、あまり品のない、よろしくない反芻の言葉を漏らすのだった。