→追記しました
「二人とも気をつけて帰ってねー!」
「はーい、ありがとうございまーす!」
「ありがとう……、ございます……」
すっかり暗くなった夜の街。
俺と酒寄さんの二人組は、学校帰りから始まった五時間の労働を終えて帰路についていた。
「すごいね、酒寄さん。仕事中もあんなにテキパキと動いていたってのに、まだそんな声を出す余力があって……」
「そりゃあ遠野君よりも慣れてるから。というかありがとね、急な誘いだったのにさ」
街灯や店から漏れる灯りを頼りに二人並んで進みながら数時間前の出来事を思い返す。二人とも、目指す先は同じアパートで、まだまだ到着には時間がかかるだろう。
「いや、俺も出来る限り稼ぎたからね。知らない人しかいない所で働くよりもよっぽど気が楽だったし」
「そう言ってもらえると助かる~。ちょうど今日シフトの子が風邪ひいちゃったらしくってね。一人穴が開くと飲食店は夜キッツいのよ」
「あぁ、身をもって体験したからよくわかるよ」
数時間前、帰路に就こうとした俺に声をかけてきた酒寄さん。その内容は、彼女が働いているバイト先で一日限定で働いてみないか、というものであった。
彼女が今言った通り、突然人員が足りなくなってしまったからというのが理由らしいのだが、確かに先ほどまでの激動の労働時間はバイト初心者の俺には面食らうモノがあった。
今日初めてやって来たようなずぶの素人な俺は、延々と食器を裏で洗い続けていたのだが、本当に終わりが見えない永遠の時間。いったい今日一日で何年分の食器洗いをしたのだろう。
もう両手と腰とがヘトヘトだ。
「ちなみに昨日までのゴールデンウィークはもっとヤバかったよ、お客さんの数」
「げっ、マジ?」
「マジもマジ。だいたい今日を基準にして、その三倍は居たかなぁ……」
三倍って、それ店がパンクしていないか? 考えるだけでゾッとする。
「本当、労働って大変なんだな……。てか、酒寄さんってばそれを知っているってことは……、もしかして?」
「もちろん、出勤してたよ? 連休は学校が無いから稼ぎ時だしね」
「……失礼かもだけど、身体が鋼か何かで出来てらっしゃいます?」
たはぁ、と感嘆の声を漏らし身体を前に倒す。
怖くて聞けないのだが、俺の隣に立つ女子高生はいったい今日で何連勤をしてらっしゃるのだろうか。一日でこうもボロボロになってしまった自分が恥ずかしい。
「丈夫な体に産んでもらいましたから。こうして働けるだけ、ありがたいってもんですよ」
「立派過ぎる……」
俺なんてあの事故以来、ずっと体の弱さで周りに迷惑をかけてしまっている。貧血を起こしたり、失神したり、そこまで行かなくても熱を出したりと、それはそれは周囲からしたら気が気でないだろう、こんな人間時限式爆弾。
どういう訳かこっちの世界に来てから身体がいつもより元気で、だからこそ今日のバイトにも参加しようと思えたのだが……。本当に何でだ?
「飲食店のバイトだと賄いが出るし、あんま良くないんだろうけど持ち帰りまでさせてもらってるからさ。バイト代に追加で食費まで浮くってなると、出勤するだけ得なんだよね」
そう言って彼女は手に持ったビニール袋を横に振る。その中には今日の賄いであるタコライスがタッパーの中に詰められており、なんとその数は二つ、と俺の分までいただいてしまった。
「今日限りの臨時メンバーだって言うのに、こんな良くしてもらってもよかったのだろうか……」
「何言ってんの。人が足りないってのは結局、職場における一番の死活問題なんだからね。遠慮なんてしなくていいの」
そう言ってもらえると気が楽になるよ、と返して俺は軽く笑う。
「それよりさ、どうするの? 店長が言ってたこと」
「店長がって……。あぁ、もしよかったら正規のアルバイトとして働かないかってヤツ?」
「それそれ。確かに仕事内容はキツめだけどさ、学校帰りにも行けるし、賄いもあるし、知り合いもいるし、で選択肢としては大分良いと思うよ? 遠野君、お金必要なんでしょ?」
バイト上がりの直前、店長に呼び止められた俺はそのまま店で働かないかと誘われた。
彼女の言う通り、この先かなりの金が必要になってきそうな俺としてはその提案にすぐさま乗っかればよかったのだが……。
その時の俺の答えは首を縦にイエス、ではなく「ちょっと考えさせてください」といった、返答を先延ばしするものなのであった。
「確かにお金も必要なんだけどね……。やっぱり、ずっと体調で他人に迷惑をかけてきたからさ。長期で働く、ってなるともう少し慎重に判断したいな、って」
「今日見た感じだったら全然大丈夫そうだけど……」
そう、若干腑に堕ちなさそうな表情を浮かべる酒寄さん。
確かに勤勉な彼女からしたら俺の発言は少々、怠け者のそれに聞えてしまったのかもしれない。実際のところ、今は多少の無茶をしてでもこちらの生活での地盤を固めなければならないので、正しいのは彼女の方だ。
世知辛いことだが、この社会では金がない事では何事も立ち行かない。それこそ、俺が普段世話になっている医療機関だって、無料では無いのだ。
「……あ」
若干、会話が気まずくなった頃、突如として酒寄さんが声を漏らす。
どうやら何かを発見した様子で、視線を上へと向けている。何事だろうか、と興味を引かれた俺は彼女に釣られて視線を上へ向けていった。
そこにあったのは、よくある商業ビルの角に取り付けられた大型のモニター画面であった。
その画面の上には一人、白く長い髪をした美しい女性が映っていた。
「ヤチヨ……」
「ヤチヨ……って。あぁ、あれが」
酒寄さんの呟きに、その女性の正体にピンとくる。というか今日、具体的に言えば十時間くらい前に知ったばかりの存在だから思い当たらない方がどうかしているのだが。
確か、彼女の名前は……。
「月見、ヤチヨ……だっけ」
月を見る、と書いて『るなみ』。月をルナと呼ぶのは確かラテン語であっただろうか。
ヤチヨ、とはそのまんま八千代と八千もの年を意味し、彼女の設定である八千歳という情報を盛り込んだ名前となっているらしい。
大きなメンダコのようなオブジェクトを胸の前に下げ、フグのような靴を履いた和装の女性。
青色の和服と赤色の和傘との色の対比が素晴らしく天才的……のだと、昼に隣の彼女に力説されたのだっけ。
『本日は、もうすぐ仮想空間ツクヨミの全世界総ユーザー数が一億を突破するということで、その管理人である月見ヤチヨさんに来てもらいました!』
『画面の前のみんな、ヤオヨロ~。仮想空間ツクヨミの管理人、月見ヤチヨでーす。今日はせっかくのインタビューだから、いろいろ答えちゃうよー』
「噂には聞いてたけども、インタビューが街頭で流されるくらい人気なのか……」
こういう人通りが多い場所で流れるのって大体は企業の広告とかニュース番組とかだったりするのだが、どうやら彼女のインタビューはそれらに類する扱いをされるくらいのものらしい。
「あぁ、バイトで疲れた体が癒される……」
突然の最愛の人……、この時代で言うところの推しの登場に限界化した酒寄さんは画面をじっと見つめてうっとりとした表情を浮かべている。
というかマジで回復してそうなんだが、どうなっているんだ。頬に血色がみるみる戻っていっているぞ。
というか、彼女の声。なんかどっかで聞いたことある気がするんだが……。
「はぁ、そんな訳ないでしょ? ヤチヨの声は唯一無二の天性の才能なんだから」
「うわっ、声に出ちゃってた!?」
「そりゃもう、ばっちりと」
はぁ、と呆れたように息を吐き出す彼女。やれやれ、まったくと言わんがばかりで、まるで俺は聞き分けの悪い子ども扱いだ。
「しょうがない。私が厳選したヤチヨの神枠百選のリンクを送ってあげるから、それを見てヤチヨがオンリーワンの存在だってことをちゃんと学んでね?」
「百選って、それ選べてないんじゃ……?」
「ん? なに?」
「いや、なんでもないです……」
がくり、と俺は肩を落として敗北を受け入れる。
――これは後で知ることになるのだが。
――どうやら彼女は自身の推しであるヤチヨを俺に布教することで、ストレスが溜まった時にいつでも、お隣さんと推し語りをしてそのストレスを解消できるようにしようと画策していたとのこと、らしい。
「いーなー。私も志貴の働いているお店にお客さんとしていきたーい」
「働いている、といっても裏方ですから行ったところでって感じはしますがね」
「……使用人としてあるまじき願いですが、志貴さんと二人並んでお皿洗いとか楽しそうですねぇ」
「姉さんと一緒に皿洗いなんてしたら会話する時間ないでしょ」
「もー、翡翠ちゃんってばロマンチストなくせにリアリストなんだから」
「あれが件の月見ヤチヨですか。八千歳とはこれまた、とんでもない設定ですね」
「ねー。私よりもお婆ちゃん」
「……あの方、どことなく見覚えがあるのですが」
「奇遇ですねぇ、秋葉様。私もあの古風で和風な服装とか、まろまろな顔立ちとか、特徴的なお声とか。どーしても初めましてって感じがしないんですよ」
「デジャブというものでしょうか……」