親愛なる隣人(笑) 作:TMG chicken
ネットニュースに取り上げられた僕も、スーツを脱げばただの高校生だ。
いや、ただの高校生以下、と言った方が正しい。
学校での僕は、何者でもない。
幸い、誰かに暴力を振るわれているわけではない。
ただ、空気なだけだ。
誰とも目を合わさずに、僕はひたすらロッカーだけを目指す。
ミッドタウン高校の廊下を歩いていると、そこら中が同級生だらけだ。
だけど、その殆どの名前を、僕は知らない。
向こうも僕の名前を知らないだろう。
ピーター・パーカーという男は、この高校には存在しないも同然だ。
時々思うことがある。
僕が突然死んだとしても、この学校からは誰もお葬式には誰も来ないんじゃないか。
それどころか、僕が死んだことに気づいてくれる人も、誰もいないんじゃないかって。
「構うもんか」
学校の友達がいなくたって、僕にはゴブリンというかけがえのない親友がいる。それで十分だ。
だけど、学校にいる間はゴブリンと話が中々できなくて寂しい。
スマホがないとゴブリンにメッセージを送れない。でも、授業中にスマホを使ってるのがバレたら、一週間の没収になってしまう。
アメフト部のフラッシュは何度もそれがバレて、ついには学校へのスマホの持ち込みが禁止になったらしい。
「……帰りたい」
まだ1時間目も始まっていないのに、ついついそんなことを口走ってしまう。
ゴブリンはホームスクーリングというやつを受けていて、学校には行っていないらしい。
代わりに専属の家庭教師が付いているとか。まさに僕とは正反対のブルジョワムーヴだ。
「1時間目の化学は、実習か」
久しぶりに、化学の授業で実験をやるらしい。
『象の歯磨き粉』を作るという初歩的なものだが、他の科目に比べたら断然楽しい。
化学実験室に足を踏み入れるとともに、授業開始のベルが鳴る。
「はい、じゃあホワイトボードに書いた通りに座ってー」
先生がボードに座席表を書いたので、それに従って移動する。
どうやらこの実験は、三人一組で行うらしい。
そして、僕の班の他のメンバーは――
「ちょっとフラッシュ、スマホしまいなよ」
「うるっせーな」
よりにもよって、ユージーン・トンプソン――フラッシュだった。
彼はミッドタウン高校のアメリカンフットボールチームの選手で、次の主将候補の一人らしい。
しかしアメフト以外のことではあまり良い噂を聞かず、先生たちからもかなり目をつけられているらしい。僕ですら名前を知っているほどの有名人だ。
僕よりもかなり背の高い、ガタイのいい金髪の男で、見た目はザ・体育会系って感じだ。
フラッシュに注意をしていたのは、黒いカチューシャを付けた金髪の女子生徒。
名前は知らないが、確か文化祭の時、バンドでドラムを演奏していた気がする。
二人とも、いわゆる陽キャの部類だ。
僕とは相性が悪い。
うう、ゴブリン。ここから僕を助けて。
「じゃあ、今学期の実習とかプロジェクトは基本このグループでやるから、よく覚えておくように」
先生がそう言うと、フラッシュから呻き声が上がる。
目線は僕の方に向けられている。
友達じゃなくて、僕みたいな陰キャと一緒に一学期間を過ごすのが嫌なんだろう。
「グウェンはまだしも、もう一人のメンバーはこいつかよ」
「ちょっとフラッシュ」
「なんだよ、別にいいだろ?」
そう愚痴りながら、フラッシュはスマホに目線を戻した。
実験の説明を始めた先生も、もはやフラッシュに気をかける様子はない。
彼のスマホ中毒は、治らないものだと学校の誰もが諦めている。
しばらくすると、フラッシュは金髪の生徒――グウェンだっけ?――にスマホの画面を見せた。
「おい、このニュース見たか?」
「ああそれ? 昨日の全身タイツの奴でしょ?」
その瞬間、僕の注意は先生からフラッシュとグウェンの会話に向けられた。
彼らは、僕の話をしている。
皆は僕のこと、全身タイツを着た変態だと思ってるのか?
「すっげぇ変態だよな」
「そう? 地下鉄にはこういう人結構いるじゃない」
「それはそうだけどよ」
あれ、僕ってニューヨークの地下鉄によくいる変人たちと同じ扱いされてるの?
「警官を殺そうとしてた犯罪者をぶちのめしたんだぜ? こりゃもうヒーローだろ」
「漫画の読みすぎよ。それだけ聞けばそう思うかもしれないけど、直前に道を歩いてる人を殴ってたって、その記事にもあるじゃない」
「そいつも指名手配犯だってさ。しかも殺人のな」
「だからといって、私刑が許されるわけじゃないでしょ?」
記事を実際に読んだわけじゃないが、僕がおじさんを殺した犯人を殴ったところまで書いてあるのか。
でも、フラッシュは意外とポジティブに僕のことを捉えていたのか。
ちょっと好感度上がったよ。
「はい、じゃあ指示したとおりに実験を開始してください」
と、二人の会話に耳を傾けているうちに実験の説明が終わってしまった。
「ちょっと、フラッシュのせいで聞き逃しちゃったじゃない」
「どうせこの
あれ!?
話が僕の方に飛んできた!?
フラッシュの方を向くと、二人がこちらを見ている。
どうしよう、もしかしたら高校に入ってクラスメイトとの会話はこれが初めてかもしれない……!
だけど僕も二人の話を盗み聞きしてて、先生の指示は聞いてない!
「え、えっと……ごめん、僕も聞いてなかった」
「はァ? なんだよこの役立たず」
「フラッシュ! ごめんね、私の友達が」
「い、いや……うん」
どうしよう、こういうとき、どう返事すればいいのか全くわからない。
助けてゴブリン!
「で、でも、『象の歯磨き粉』ならつくり方わかるから……」
「え、わかるの?」
僕がスーパーパワー以外に唯一誇れるところがあるとすれば、それは科学の知識だ。
ウェブシューターの仕組みだって僕が考えたし、ミドルスクールでは理系科目だけは常に成績トップだった。
『象の歯磨き粉』は薬品を順番に混ぜるだけの簡単な実験だ。
机の上に置いてある三種類の薬品を、少量ずつ混ぜれば、実験は成功するはずだ。
「えっと、過酸化水素水と、洗剤を混ぜて――」
「おう、混ぜればいいんだな?」
僕が説明しだすと、フラッシュは聞き終わる前に机においてあった2種類の薬品を掴んで、フラスコの中に一気に注ぎ込んだ。
「フラッシュ! それ過酸化水素水じゃなくて、ヨウ化カリウムって書いてあるじゃない! それに、ちゃんと計量しないと、多すぎ――」
「過酸化水素水って、これか!」
グウェンの指摘が終わるよりも先に、フラッシュは3つ目の薬品を掴むと、それを全て注ぎ込んだ。
「あ――」
『象の歯磨き粉』とは何か、説明しよう。
過酸化水素は、酸素と水に分解される。その分解を促進するのが、ヨウ化カリウムだ。
しかし、過酸化水素水に洗剤とヨウ化カリウムを混ぜると、急激に分解されてできた酸素が、大量の泡になり、その泡の集合体が膨らんだ歯磨き粉のような物質に見える。
ほとんどが気体になったため、元の液体よりも遥かに大きく見える物質――それが『象の歯磨き粉』の正体だ。
適切な分量で実験を行えば、問題はない。
だが、フラッシュのように計量せずに薬品をぶち込むとどうなるか――
「――熱っつ!?」
膨らんだ『象の歯磨き粉』は、勢いよくフラスコから吹き出し、フラッシュの身体に降り注いだ。
大量に生成された『象の歯磨き粉』は、フラッシュだけではなく、同じ机で実験していた僕とグウェンにも降りかかる。
最悪なのは、過酸化水素水は分解されるときに、高熱を発すること。
つまり、僕たちに降り注ぐこの歯磨き粉は――とてつもなく熱いのだ。
「アチチチチチチチ!?」
「熱っちい! 熱っちいって!!」
「アチ、アチアチ!」
こうして僕たち三人は見事に実験に失敗し、降り注ぐ高熱の泡に悶え苦しむ無様な姿を、クラス中に晒したのであった。
* * * * * * *
「ひどい目にあったぜー」
保健室のベッドの上で、フラッシュはそう呟いた。
「全部フラッシュの自業自得じゃない。私たちも巻き込んどいてよくそんなこと言えるね」
「……うっせぇ」
『象の歯磨き粉』を浴びた僕たちは、火傷の疑いがあるとして保健室に連れて行かれた。
幸い、被害は服だけで大したことはなかったが、授業をサボりたかったフラッシュに口裏を合わせるために、僕とグウェンも保健室で少し様子を見ることになった。
「お、全身タイツヒーローのニュース、新情報出てるぞ」
そんな中、突然フラッシュがそう呟いた。
僕たちに見せられたスマホには、こう書かれていた。
【全身タイツの男を追って、新たなる鎧の男がNYに現る】
グウェンは「へー」と感嘆の声を上げると、そのニュース記事を読もうと下にスクロールし始める。
「えーと? 『現れたパワードスーツの男は、警察と戦闘中。先日の全身タイツの男の身柄を要求しており、現在周辺区域の住民避難が――』って結構ヤバいんじゃない?」
「今、ヘリのライブ中継やってるってさ」
「へー……あれ?」
「どうした?」
「パーカー、どこ行ったの?」
この日、僕は初めて学校を早退した。