ありふれて、描かれて、あろうとして、ひそやかに、もしも、新しく。
ある日々。スパイダーマン達は、そこにいる。
2:T D M D
3:B S D
4:C V D
5:I F L D
6:B N D
7:A O D
ある日の話をしよう。いつも通り、誰にでもあるありふれた日のことだ。
僕にとってありふれた日とは、肌に合わない仕事に橇の合わない人間関係、価格一番味二の次の食事に悩まされる日常を指す。近頃はアウトローの抗争に巻き込まれることもあり、疲れ果てた。
退屈で、つまらなくて、夜明けのたびに憂鬱になる、A Ordinary Day/ありふれた日。
肩にずっしりとのしかかった重荷が、腹の奥に住処を移そうとしているのがわかる。夕食の冷凍ピザが消化しきれずに腹で暴れている気分だ。このままベッドに沈み込んでいたいが、運動不足は悪循環。どうにか目覚め、ありふれた日を始めなければならない。重荷を吐きながら体を起こす。
安っぽいつくりの窓から強い日差しが差し込む。どんな人間にも等しく与えられる恵みの光。
冷めた体に熱を通しながら、ニューヨークのありふれた日常に目を通す。朝早くなら荷台を引く浮浪者や、自転車カゴの新聞を玄関めがけて投げる子供が見られるが、昼間近の休日。仕事か買い物かあるいは旅行か、自動車の群れが目立つ。ちなみに、僕は車を持っていない。
瞳を閉じて耳を澄ます。喧騒に甲高いサイレンが混じるニューヨークのありふれた音楽。ただ、今日はどこか騒がしい。風を切るような、口笛のような音がする。音楽家でもいるのか?
窓から体を乗り出した時、風が頬を撫で、紙がへばりついた。目線が風を追いかける。二本羽を背負ったトンボのような人間が街道を飛び抜けていった。スーパーヴィランさえも、この街のありふれた風景である。で、あるならば。ヴィランを追いかける彼もきっといるのだろう。
「ちょっと通るよ、頭上注意!」
赤い人影が風のように通り過ぎていく。漫画のように、SWOOSH!と音を鳴らしそうな速度で通り過ぎ、トンボ人間へぶつかり、羽をむしり取って糸球に変えてぶら下げた。動体視力が悪い僕には一瞬の攻防でしかなかったが、当事者ならばもっと長々と語れるのだろう。だが、僕はただの男でしかない。スーパーパワーもなく、マネーも多くはない、一般人。ありふれた男だ。
ヒーローから目を背け、頬にへばりついた紙をはがす。100ドル紙幣。どこかでトンボ人間が盗んできたこれを警察に返す億劫なところから、一日を始めることになりそうだ。
ありふれた日。休日ですら騒がしいニューヨークの、ありふれた日。
ほんの少しだけ暖かい懐で、何をすべきかと頭を悩ませる。細かい傷が目立ってきたメガネを新調するには少なく、昼食を5回注文してもまだあまる。もっとも昼食はホットドッグにコーヒーと簡素なセット。もう一つ注文するならベジタブルドッグにしようか。
残り半分のホットドッグとメニューで視線を往復させていると、客が一人増えた。
「やぁエディー、彼が食べてるのはホットドッグじゃなくてドッグ?サイドメニューでも近頃流行りのハーフサイズを始めたのなら、ボクもそっちにしようかな。今日は珍しく平和であまりおなか空いてないんだよね」
騒がしいトークにピザ屋が苦笑しながら、ハーフはやってないしいつものでいいか、などと尋ねている。ケチャップをこぼしても困らなさそうな衣装の隣人は、どうやらここの常連らしい。などと考えていると、隣人は自分のホットドッグをケチャップ染めにした。
なんともまぁ、と眼鏡の奥で目をしかめると、隣人もコミックのように目をしかめた。
「おや、ケチャップ否定派?見たところマスタードファンクラブ会員なドッグ食べてるけど、ケチャップが許されるのは18歳までかな」
年齢制限はないし、否定派でもない。ケチャップがけのオムレツは半年に1回は食べる。
「ボクは1か月に5回は食べるよ。ヒーロー活動はセールで買った卵には毒でね。よく割るから、よくオムレツを作る。割れてない卵で作るサニーサイドアップが恋しいよ」
最近は作ってないな、フライドエッグ。ジャパンだと眼球に見えるからか、目玉焼きと呼ばれると聞いてね。フライドアイボールだなんて気色が悪いから、どうにも作る気にならなくてね。
「ジャパンのネーミングセンスってどうにもそのまんまだよね。もうちょっとひねってくれた方が美味しそうなのにね。オムライス、とかしゃれた名前もあったりで両極端だから不思議な国だ。スパイダーマンが言えたもんじゃないだろ、というのは禁句」
親愛なる隣人が言っていい言葉ではないね。
「言った!禁句って言ったのに言った!」
一部変えたからセーフということにしてほしいな。などと、たまたま出会った隣人との談笑を楽しんでいると、上空を鳩の群れが横切った。この街はどうにも騒がしい。隣人がホットドッグをかきこみ、鼻先まで上げていたマスクを下ろして右手を掲げた。
ハワードの鳩だ、捕まえてくる!そう言い残して、隣人は飛び去る。その姿は目で追えなかった。どうやら知人の鳩を探してるらしい。大した隣人だ。
彼の仕事は、僕のような一般人にできるようなことではない。わかっているとも。ただ、こうもスーパーパワーを持つ人を見ていると、自分にも何かできるんじゃないかと思うことがある。マスタードの何倍も強い刺激を求めるような、無謀な好奇心が顔を出し。ため息一つで押し殺す。
僕には彼らのような大きな力はない。大それたことはできないだろう、と。
僕のできるのは小さなことだけ。例えば、隣人が払い忘れたホットドッグ代を払うとか。
え、いらない?彼には世話になったことがあるから、サービス?
なかなか懐が深いピザ屋だ。粋っていうのはこういうことだろうね。
それに良い宣伝になる、と。確かに彼は目立つけども。え、違う?SNSに上げてくれるからバズって宣伝になる?本人も客も上げてくれる?ちゃっかりしてるなぁ。
では、隣人との会話が楽しめて、美味しいホットドッグも食べられる最高の店にチップを少々。
また来てもいいかな。休日に出掛ける目当てが一つ増えた。
次はメインのピザを買ってくれ?それはごもっとも。
おすすめはペパロニたっぷりとな。いいね。今晩一つ予約するよ。また後で。
思わぬ出会いで夕食の予定までできた。外食続きは少し財布に痛いし、冷蔵庫の食材が痛まないかと不安になる。世話になっている医者からも胃腸が弱いから痛んだものを食うな、と言われたばかりでこれだ。とはいえ今からキャンセルできるものでも無し。諦めて夕食を楽しみにしよう。
さて、昼飯も食べたばかりだ、ウィンドウショッピングでほどほどに運動しよう。
今日の行き先はトイショップ・トニー。かの有名なシェルヘッドの中身と同じ名前の店長が営む昔ながら玩具屋だ。町の裏通りにひっそりと佇む店であるが、くすんだ窓から1/1サイズのアイアンマンヘルメットがこちらを見つめている。派手なおもちゃはいつだって子供の目を引く、父が通っていた頃はミニチュアのホットロッドが憧れの的だったと聞く。
僕には憧れのおもちゃはない。どうにもピンとくるものが無くなった。
カラカラと作り物のベルが鳴る。棚いっぱいのおもちゃと子供の喧騒が僕を出迎えた。
見知ったおもちゃの数は減ってきたが、いつだってここはにぎやかだ。昔ながらのアニメキャラクターの人形の横に、新シリーズのグッズが並ぶ。どちらかといえばプラスチック・トイが好きだが、最近はコスプレ服やぬいぐるみといった布物に押されてきているらしい。
アベンジャーズ等のスーパーパワーヒーローグッズもいつの間にか可愛いぬいぐるみが並ぶ。我らがアメリカの象徴はこんなにキュートだっただろうか。顔が見えるヒーローでこういうグッズがありなのかは諸説あると思う。見えないヒーローなら、ありだと思うが。だからといって色とりどりのふわふわアイアンマンが並ぶ光景もなんともいえない。赤青黄緑橙灰ととんでもない種類だ。
スーツの種類には詳しくないが、とりあえず白目が大きく蜘蛛の巣模様の人形は場所を間違えてそうだ。向こうの棚がホームだったはず。店員ではないが、家に帰すくらいの優しさはある。
……そういえば、これ正規品なんだろうか。彼、正体不明だよな。制作許諾どうしたんだ?
他のグッズも本人に許可取らずに作ったものじゃなかろうか。言わぬが花、か。
深く考えたら怖いことになりそうなので、この辺にしておこう。スーパーウェブスリンガーなるグッズに惹かれたが、これ糸がシリーストリングか。糸っぽい物を簡単に出せるスプレーだが、粘着力高すぎてピンと張らないから後片付け大変だそ、これ。いいなと思う心と買ってどうするんだという心が喧嘩するが、財布の中身を見て心を落ち着かせる。よし、買えないな。
まあ……でも、これぐらいあれば、足りはするか。
先ほどホームに帰したばかりの人形に視線を向けた。既にそこにはなく、子供の手の中。
今日から彼はあの子の隣人になるらしい。残念ながら、縁はなかったということだ。
結局、ウィンドウショッピングだから何も買わなかった。財布の中が寂しいのも一因だが、購入意欲があったのはあの人形だけで、他はどうにも琴線に触れない。
それ以前に、なぜあの人形が欲しかったのだろうか。
おもちゃが買えなかったから安いもので満足する、という思いはあったが、それ以前に親愛なる隣人、もといスパイダーマンの玩具を欲しがったのが不思議だ。
正直なところ、スパイダーマンのことは好きか嫌いかというとどちらでもない。ポッドキャストでは彼を悪人だと評する、または善人であっても迷惑であるとも言われる。
彼がこの町、ニューヨークの隣人となってから8年が過ぎたが、特には、と言ったところが正直な感想。彼がいてもいなくても悪人はいるし、騒がしいことに変わりない。助けられたこともあるにはあるが、そこまで多いかというと、そうでも無し。
好きになるには遠すぎるし、悪人として見るにはどうにも近い。
そう、昼飯時に合った時の様に、気楽に話しかけてくる姿を知っていると、どうにも彼が悪人だとは思えないのだ。1年に2回会えれば多いくらいの彼は、友人でもないのに親しく接してくる。
親愛なる隣人を自称しているが、本当に隣人の様だと思える。今住んでいる安アパートの隣室にも誰かが引っ越してきたが、忙しいらしく中々顔を合わせる機会がない。
それでも、共用スペースの洗濯待ちの時とか、顔を合わせた時にはそれなりに会話する。
好きになる理由は足りないが、嫌いになる理由もない。程よい距離感の、隣人だ。
だから、気に入ってるのか、と。腑に落ちた。
帰ってきた自分の部屋には誰もいない。僕だけの一人暮らしの部屋で、生活に必要なものはあれど趣味趣向の物は乏しく寂しげな部屋。一人は気に入っているが、孤独が好きなわけではない。誰かが近くにいる事ぶ安心したかったのだろう。だから、隣人に惹かれるし、人形が欲しかった。
納得したところで、そろそろ夕食にするか。確かレトルトのパスタソースがあったから、炒め野菜と併せてボリュームを出す方針でいくとしよう。考えるだけで美味しそうだ。
ありふれた日だったが、いい締めくくりだ。いつもよりちょっといい、ありふれた日。
などと考えていたら窓がコンコンと鳴らされた。雨音じゃないし、子供のいたずらか、泥棒か?いや、でもここ4階だぞ。しかもベランダ無し。誰がこんなところまで来るんだ。幽霊か?
ガラス窓の向こうの配達員が蜘蛛の巣顔で、納得した。
「どうもー、エディーズピザデリバリー。ペパロニたっぷりピザのお届けだよ」
親愛なる隣人が気を聞かせて、受け取り忘れたピザを届けに来てくれたらしい。それ自体は非常にありがたいのだが、ピザの中身は大丈夫なのだろうか。今朝みたいなアクロバティックで運ばれたらグラタンの材料になるのだが。受け取った箱を開くと、出来立てのまん丸ピザのお出まし。
よほど丁寧に運んでくれたみたいだが、そこまで気を聞かせてくれたのか。
「いや、実のところウェブ切れで歩くしかなくてさ。予備補給するついでに歩いてきたんだ」
ついでに1枚食べたんじゃなかろうか。どうもそんな匂いがするが。
「食べてないよ。箱越しに匂いが移っただけ。こればかりはどうにもならないのがエディーズピザの難点。この前もピザ食べてから知人のところ行ったらちょっと文句言われたくらいでさ、スーツに消臭機能つけるか迷ってるところ。いい洗剤使いたいんだけど、色落ちが怖いんだよね」
あるいはその蜘蛛がピザ好きなんじゃないかな。胸と背中に大きいの付けてるだろ。
「一応匂いが定着しにくい素材のはずなんだけどね。コーヒーこぼしてもすぐ落ちるよ」
それはすごいというべきか、実体験あることに笑うべきか。ところで、1ピースいるか?
「え、いいの?君の晩御飯でしょ」
なかなかに楽しい会話をくれたチップってことで。その代わり、一つ教えてほしいことがある。
その白いクモのスーツ、どういう名前なんだ。
今日というありふれた日を振り返る。
ほぼルーティーン通りのありふれた日でありながらも、親愛なる隣人とすれ違った一日を。
そして、振り返った一日へ感謝し、明日もありふれた日でありますようにと、期待した。
今日は、Advance Ordinary Day。ありふれた日へ、これからも前進していく。
語感はいいけど文脈めちゃくちゃだねと笑いながらピザをほおばる隣人がいる限り、ありふれた日であっても、悪い一日になることはないと、信じられるから。
Next Spiday
嘘でしょ、夢だと言ってよ。
The Drawing M Day = 1610
「これこそまさに、アルティメットだね」