You and SpidayS   作:あおい安室

4 / 7
1:A Ordinary Day=1048
2:TThe Drawing M Day=1610
3:Be S Day=616
4:Clandestine V Day = 688◁
5:I F L D
6:B N D
7:A O D


Clandestine V day

 ある日を、秘めている。誰にも言えない、旅路の日。

 

 

 取り立ての免許で旅行に行きたいと両親を説得すると、バイトで貯めていた貯金を元手に、中古のバイクにテントなどアウトドア用品を調達。こうして、旅に出たのが、一週間前。

 

 それは、Clandestine Voyage。誰も知らない私だけの秘かな旅路。

 

 自然の中でのキャンプだとか、飛び込みで入ったレストランでのアルバイト、バイクの故障を直したりだとか。たった一週間だけど、充実した経験にはなった。

 そろそろ、日常に帰らなければならない。大学の長期休暇もそろそろ終わる。

 焼き立ての卵をパンではさみ、インスタントのスープで流し込む。もう寝てしまおう。

 

 バーナーコンロの火を落とし、辺りが闇に包まれる。

 月明かりで夜目が慣れた頃、テントへ歩みを進めた時。

 

 くしゃり。足元から聞き慣れない音と、柔らかい感触がした。

 

 足元を見ると、潰れた昆虫が一匹。拾い上げてよく見ると、それはコックローチだった。細かい詳細は書きたくないので省くが、日本ではゴキブリとも呼ばれる虫である。すぐに投げ捨てた。

 凄まじい嫌悪感と吐き気に襲われ、気が遠くなる。ただでさえ憂鬱なのにとどめを刺された気分で、最悪にもほどがある。黒い体液が手にこびりつき、こすっても取れない。水筒から水をかけて強くこするが、むしろ広がっている気がする。最悪も最悪、最悪のジャックポットだ。

 

 その時。唸り声が聞こえた。冷めていた感情がひときわ冷めていく。

 

 ここに野生生物がいるという話はなかったか。そういえば、ガゼル・鹿が出てくるとかトラックドライバーのおじさんが言ってなかったか。いや、あるいはグリズリー・熊か。どちらにせよ敵う相手ではない。テントの中に催涙スプレーがあったはず。チャックへ指先が触れた。

 

 チャリン、と音が鳴る。足音が、聞こえた。

 ジジジ。チャックを下ろす音に合わせて、唸り声が重なる。

 粘膜に濡れていない方の手でスプレーを取る。気配が、近い。

 

 月明かりが毛むくじゃらの来訪者を照らしてくれた。黒猫だったらどれだけよかったことか、どう見ても猫の数倍ある巨躯、私を頭から丸呑みできそうな巨大グリズリーはお呼びじゃない……!

 

 グリズリーが唸る。ご馳走を見つけて、笑っているかのように。

 

 私は、笑えない!"笑える"

 

 スプレーを構える。震える手をもう片方の手で押さえた。"逃げるな"

 

 "そんなものは役に立たない"指先が踊る。スプレー缶を握る。

 

 "い ら な い"

 

 パシュ。缶に穴が開く。なんで。どうして、壊したの。グリズリーが一瞬ひるみ、吠える。"うるさい"だから、空き缶を投げ捨てた。怒らせちゃダメよ!よくもやったな、食らってやるぞと、言わんばかりに再び吠えた。"だったら言ってやる。オレが言ってやる"

 

 "オマエを食らってやる!”

 

 牙が視界を埋め尽くす。私が制御できない。私じゃない誰かがここにいる。誰かがグリズリーを食らっている。舌が毛むくじゃらの何かを味わう。わたしじゃないの、わたしがたべている。

 

 わたしは、わたしじゃない。わたしは、あなたは、だれなの。

 

 

 


 

 

 

 この一週間で最悪の目覚めだった。おなかがすごく重たくて、起き上がることすら億劫だった。だけど、周りの環境がそれ以上に最悪だった。グリズリーは影も形もない代わりに私のキャンプ道具は散乱しており、乱闘があったことを物語っている。テントの骨組みはひしゃげ、無理やり私を包み込む寝袋と化していた。ホラー映画撮影後ってこんな感じだろうか。

 

 そうだ、バイク。バイクは大丈夫?すぐそばに停めていたバイクは寝る前と変化なし。

 ほっとした。少なくとも、家に帰ることはできそうだ。"バイクはオレも好きだ"

 

 前言撤回。まだ、帰れない。息を大きく吸い込み、一気に吐き出しながらせき込む。喉の奥に、私の中にある何かが気持ち悪い。吐き出して、捨てなければ!"無駄だ、オレは結びついた"

 水筒はまだ中身が残ってる。これを飲み干して、もう一度"吐いたところでオレは出てこない"

 

 "出てくるのはクマ肉だけ。それで我慢してやるから吐くな"

 

 何かの声が頭に響く。耳をふさいでも、頭の中から聞こえてくるような、誰かがいる。頭の中にいる厳格であれば、どれだけよかったことか。私に寄生している何かが、いる。

 

 ”なんだと思う?”

 

 間違ったら、どうするの?

 

 ”どうもしない、聞いただけ”

 

 ……エイリアン。あなたは、まるでエイリアン。私だけじゃない、人間とは違う、ナニカよ。

 

 ”察しがいいな、気に入ったぞ”

 

 エイリアンの囁きに背筋が凍りそうだ。それでも、散らばったキャンプ道具からナイフを拾い上げ、喉元に突きつけようとした。でも、片手が止めた。私の身体は、私の物ではなくなっていた。

 

 ”やめろ、ようやく見つけた居心地がいい乗り物だ、死なれたら困る”

 

 そうは言っても、あなたみたいな化け物が何をするかわかったものじゃない!私の大切な家族に指一本でも触れてみろ、私の身体ごと焼き尽くしてあげる!ちょうど、ガスバーナーがあるわね。 

 

 ”火は嫌だ。いいから話を聞け。オレがおまえに何をした”

 

 私の身体を不法占拠してる!出て行って。

 

 ”それ以外”

 

 キャンプをめちゃくちゃにした。直して。

 

 ”暖かくしないと寒くておまえ死ぬ!オレはいいことをした!それ以外!”

 

 ……グリズリーを食べた。気持ちが悪い。

 

 ”食べないと食べられたのはおまえ。さあ、悪いことはどこにある!”

 

 悪いことは……不法占拠、だけ、ね。

 

 "ようやくわかったか。なら、何か言うことがあるだろう”

 

 ……ありがとう、不法占拠エイリアンさん。

 

 ”いいんだ。ほら、さっさと片付けしろ”

 

 腹の中身を吐き出したいけど、出そうにない。出るのは重い溜息だけ。エイリアンに促されながら、黙々とキャンプ道具を片付ける。せっかくマーケットで安く変えたのに、半分以上はゴミ箱行きね。それにテントは二度と使えない。大量の失ったもので頭が痛いけど、一旦置いておく。

 私に住み着いたこのエイリアンは、いったい何が望みなのか。

 

 "旅だ"

 

 旅、ね。アメリカ中のグリズリー食べ放題ツアー?それともガゼル?

 

 ”どっちも不味い、人間の代用食だ”

 

 ああそう。なんですって?

 

 ”間違えた。悪人の代用食だ”

 

 何をどう間違えたのかわからないんだけど。

 

 ”オレは人間を食う。だが、悪人しか食べない”

 

 嘘じゃないでしょうね。

 

 ”嘘じゃない。はず、だ”

 

 一気に信用できなくなったけど。私にとってすごく大切なことなのにどうして曖昧なのよ。

 

 "少し前に酷くズタズタにされた。昔のことがぼんやりする"

 

 記憶喪失のエイリアンね。絶対に家に上げないから。

 

 "目的地はニューヨークだ、そこまで連れて行け。そこにオレは行かなければならない"

 

 知らないの、エイリアン。一口にニューヨークと言っても、すごく広いのよ。市街地だけでも8,000㎢以上、市民は800万人以上。あなたが食いつくすには一日じゃ足りないわよ。

 

 "だから悪人しか食べないと言ってるだろう!悪人じゃない奴らに悪いことはしない!"

 

 わかったわかった。いいわ、連れて行ってあげる。連れて行ったら、出て行ってくれるの?

 

 "……多分、出ていく!"

 

 ……信じるわよ。それじゃ、片付けも終わったし、ニューヨークへ帰るから。1点忠告。運転中は邪魔をしないこと、事故ったら私もろともあなたも終わりなんだから。いいわね。

 

 "退屈だ。お喋りには付き合え"

 

 しょうがないわね。それじゃ、最初の質問。あなたの名前は?

 

 "オレの名前か。オレは……"

 

 オレは?

 

 "忘れた!そのうち思い出す!次の質問、おまえの名前はなんだ!"

 

 私の名前。ふふっ。なら、ジェーン・ドゥね。安心したわ。

 

 ”なぜ笑っている”

 

 あなたは頭の中にいるけど、私の記憶を読める力はないってことがわかったから!

 名無しのジェーンをよろしくね、名無しのエイリアンさん?

 

 "一つ訂正だ。おまえは気に入ったけど、気が強すぎ"

 

 


 

 

 

 ジェーン・ドゥという名前は、身元不明の女性を指す名前よ。ジェーン自体はありふれた名前だから、名無しの誰か、というニュアンスで使われることもあるわ。今の私のことね。

 

 "つまりおまえは身元不明。死んでるのか"

 

 まだ死ぬつもりはないわよ。ちょっとはいい名前を持ってるんだから。

 

 "じゃあ、名無しじゃないおまえはなんなんだ"

 

 頭はそれなりに良いし、体もそれなりに動かせる。天才や秀才と呼ばれるほどじゃないけど、将来の選択肢は無数にある。ただし、肝心の意欲が欠けている。自分のやりたいことが見つからない私は、どこかの会社から請われるままに雇われ、惰性的に事務職でもしているのかしらね。

 

 "どこにでもいる、ありふれた誰か。おまえはそんなものか、つまらない"

 

 つまらなくて結構。でも、このバイクの免許は私が自分の意志で取ったのよ。

 

 ”将来がはっきりしなくとも、どんな職業でも役立つ。つまらない考えだ”

 

 ちょっと、人の頭の中読んだの?

 

 ”おまえの身体は居心地がいい。少しづつ、慣れてきた。運転に集中しろ、事故る”

 

 勝手なエイリアンね。それで、免許を取ったのが先月の話。免許を取った後、気まぐれに聞いてたラジオのドラマが面白かったのよ。途中からだからタイトルはわからないけど、こんな話。

 

 それは、二人の男たちの友情と子供の話。血のつながらない子供の育成方針で男たちはいがみ合うが、最後で男たちは子供からあるものを受け取る。それは、旅行道具。

 二人の友情を育むべく、子供は二人を旅へ送り出すのだ。

 彼等ほど気の合う友人はいないし、好きな人がいなければ当然子供もいるわけがないけれど。

 旅に出ることに惹かれた。いわゆる、自分探しの旅に出てみたくなった。

 

 でも、それだけ。結局、なりたい自分は見つからなかった。

 

 それどころか今は不法占拠エイリアンと二人旅。どうしてこんなことになっちゃったのかしら。

 

 ”おまえがたまたまそこにいた。それだけだ”

 

 なら、あなたはどうしてたまたまそこにいたのかしら。

 

 ”旅の途中だ。ニューヨークへ行く”

 

 なら、あなたはどうしてニューヨークへ行きたいのかしら。

 

 ”しつこいぞ”

 

 でも、さっきよりは元気じゃない。私の考えてることがわかるくらいには、元気になってる。それなら思い出したことの一つくらいあるんじゃないの。家賃は払いなさい、不法占拠エイリアン。

 

 ”わかったわかった。そうだな……約束だ。約束がある”

 

 それはどんな。

 

 ”続きはルームサービスをしてくれたら教えてやる”

 

 またグリズリーを食べろっていうの?私は嫌だからね。

 

 "ならチョコだ、チョコをよこせ!"

 

 一気に俗っぽくなったわね。いいわ、ちょうどいいしエネルギー補給としましょうか。バイクの燃料が心もとないし、そこのガソリンスタンド兼コンビニで皆おなか一杯になりましょう。

 

 ……そういえば。私、財布どこにおいたかしら。

 

 


 

 

 バイクから降りて荷物をばらす。通行客の視線が痛いが、財布は何よりも重要だ。壊れた道具の中からようやく見つけ出した財布はズタズタだった。きっとエイリアンVSぐりずりーのせい。カードの束が重いからと言って、テーブルの上に放り出すんじゃなかった。

 幸い免許証は無事だったけど、クレジットカードはハーフサイズ、お札は全て紙切れ。

 使えるのは小銭が少し。全部使えば帰りの燃料は買えそうだけど……

 

 チョコレートは買えないわね。

 

 ”なら増やせ!スロットだ、ギャンブルだ!!”

 

 あなた本当にエイリアン?地球に詳しすぎないかしら。

 

 ”ここに来てからの暮らしは長いからな。マシーンを探しに行くぞ”

 

 スロットならここのコンビニにある。行きの道中で見たわ。でも、運次第のゲームなんてお金にならないわよ。せめて反射神経が良ければ、目押ししやすいからまだマシだけど。

 

 ”それなら当てられるんだな”

 

 まだいいとは言ってない。ちょっと、人の足勝手に動かさないで、硬貨を握らないで!

 

 ”いいから黙ってみてろ”

 

 勝手に動いた手がコインを投入する。スロットが回り始める。人の言うことを聞かないで勝手に始められた!この型だったら小役を狙う分には確率ってことはないだろうけど、苦手なのよ。

 

 ”無駄なことを考えるな。いくぞ”

 

 頭がズキリ、と痛む。だが、痛みの感覚よりも先に、周りの様子がおかしくなるのが先だった。周りが急に遅くなった。スロットがゆっくりと回っている。絵柄が細部まではっきりと見える。

 これは、エイリアンの力なのか。問いかけたいところだが、今はスロットが先だ。

 ポン、ポン、ポンと。小役を揃えて、ほんの少し儲けが出た。もう一回。

 ポン、ポン、ポンと。小役を揃えて、ほんの少し儲けが出た。こんなものね。

 

 ”おい、なぜ7を狙わない。どうせなら大きく稼げ”

 

 こういうのは当たらないようにイカサマされてるのよ。チョコ代は稼いだからもう終わり。

 

 ”イカサマだと!店員に文句を言ってやる、替われ!”

 

 あのね。こういうのは皆やってるの。ラスベガスだってそうなんだから。

 文句言ってるとニューヨーク行かないわよ。

 

 ”グ、ググ……わかった。その代わりうまいチョコを買えよ”

 

 ええ、もちろん。ところで、一つ質問なんだけど。隣台の客の目が怖いんだけど。

 あなた、何かした?

 

 "オレは何もしてない。したのはおまえ"

 

 いきなりスロット当ててたらそうもなるか。よかった。私が化け物になったとかじゃなくて。

 

 "それより、一つ思い出した。紙とペンをよこせ"

 

 生憎持ってないの。チョコのレシートでいい?

 

 "ペンはどうする"

 

 レシートに使われてる紙は感熱紙っていうの。爪でこすったりして熱くなると色がつくのよ。

 あ。待って、今の無し。聞かなかったことにして、店員からペン借りるから。

 

 ねえ、待って、お願い。買ってすぐのチョコ食べないで。レシートに爪を立てないで。

 

 私の制止を聞くことなく、エイリアンはレシートに絵を描いた。私の爪で。

 爪が削れるほどのスピードで、指先が火傷しそうなほどの熱と共に。

 もうここのコンビニには行けないわね、と今朝同様に重い溜息を吐きながら、レシートに描かれたものを見つめる。エイリアンの目的地。アメリカの象徴であり、自由の象徴。

 

 ニューヨーク湾、リバティ島にある自由の女神像。

 

 


 

 

 ニューヨーク市内に入ったのは既に夕暮れ。そこからリバティ島へ行くには時間が遅すぎた。見えるところで構わない、というエイリアンの指示に従ってバイクを走らせ、見えるところに着いた時には日が沈み、街は夜を迎えていた。家族には遅くなることを伝えながら、街を歩く。

 

 "ようやく目的地だ、旅の終わり、自由になる時!"

 

 ご機嫌ね。楽しい旅路で何よりなことで。

 

 "おまえは楽しくなかったのか"

 

 生憎とね。本当なら今頃家族とディナーの時間。現実はエイリアンとウォーキング。

 最後に待ってるのは何?他の星のエイリアン?米軍の特殊部隊?デッドエンドはごめんよ。

 

 "そんなエンドは面白くないな。オレも好きじゃない"

 

 せめてコメディがいいわね。やたらと人間社会に詳しいお調子者エイリアンとの旅とか。

 

 "オレのことを言ってるのか!"

 

 あなたのことを言ってるの。楽しくはなかったけど、思い返せば少しは面白かったから。

 

 "気に入らないな。そこはかっこいいとかもっと勇ましい表現がいい"

 

 わがままなエイリアンね。出会った時よりは調子が良くなったけど、相変わらず。でも、いよいよお別れの時だ。市街地の端の端、海のそばまでやってきた。海の向こうに見える自由の女神像を見つめながら、一人、ベンチへ腰かけた。振り回されてばかりだけど、面白い旅路だった。

 

 誰にも話せない、密やかな旅路。

 今日のタイトルは、Clandestine Voyage Day。

 日記帳にもClandestine Voyageと書いているし、いいタイトルになる。

 

 なんて、帰ってからのことを考えていると、ベンチの振動を感じた。震えた方に、どこか疲れ切った様子の中年男性が立っていた。小さく苦笑しながら、ベンチを指先でノックしている。

 

「隣、いいかな」

 

 断る理由もない。私は端に寄った。ここは眺めがいい。彼のお気に入りの場所なのだろうか。

 

「あー……その。疲れてる?」

 

 疲れています。ついさっきまで旅行中でしたから。ここがゴールで、ようやく終わりました。

 

「それはお疲れ様。俺も前に旅行してたんだけど、ここみたいに自由の女神が見えるところがゴールだった。長くて、辛くて……悲しいこともあったけど。彼女に見て、気分が晴れたよ」

 

 それは良かった。私はこれからのことを考えると、虚無感が酷くて悩んでいるところ。

 

「これからのことか。よかったら、相談に乗るよ。こう見えても人生経験豊富なんだ」

 

 じゃあ、せっかくなのであなたの話を聞かせてください。お仕事は何をされてますか?

 

「記者だ。デイリービューグルの記者。少し前まで殺人事件の濡れ衣を着せられていたが、無事に復職してる。その代わり、表に出ないような危ない現場に放り込まれることもあって大変だがね」

 

 危ない現場って、何を取材しているんですか?

 

「殺人現場や強盗事件の取材だよ。最近の連中は記者ですら目の敵にするもんだから、命がいくつあっても足りやしない。残念ながらお嬢さんみたいな美人がつくにはお勧めしないね」

 

 それは残念。なら、何が似合うと思いますか。

 

「そうだな……女優なんてどうだろう。お世辞で言ってるわけじゃないぞ。本当に君は美人だから、モデルとしてもやっていけると思う。だけど、俺はあえて女優を推す」

 

 お世辞なのか本気なのか、悩ましい答えですね。理由をお聞きしても?

 

「女優はいくつもの顔を使い分けていく仕事だ。直接会ったことがある人でも作品ごとに全く別の人間に見えるものだから、どうしてそんなことができるのか、俳優に詳しい監督と聞いたことがある」

 

 その答えは。

 

「自分を隠すことが上手だから、とね。本当の自分を隠して、偽りの自分を演じることが俳優業。だから、秘密を抱えていたことがある人間を一度劇場に立たせると、なかなかにいい演技ができる、とね。そういう意味で言うと、だ」

 

 君、何か隠してたりしないか。

 

 逃げようとした。それより先に男が距離を詰めていた。男は瞬時に私の手を掴んでいた。黒い汚れがまだ残っている手を握る。エイリアンの痕跡が残っている手を。逃げて、エイリアン。

 

 "いや、逃げなくていい"

 

 背中から妙な感覚がした。背筋へ感じる冷たさに、ぬめりが混じる。

 左側から、声が聞こえた気がした。振りむこうとした時、男が顔を押さえてきた。

 

「すまない、突然。これは親切心で聞くんだが、彼の姿は見たことがあるか」

 

 首を横に振る。左側を見ないようにして。

 

「なら見ない方がいい。なかなかにショッキングだ。それにしても、久しぶりの再会だっていうのに、おまえは彼女連れと来た。どこでひっかけてきたんだ」

 

『山奥でキャンプしてた。そこを襲ってきたグリズリーを食ってやった代わりに、ここまで連れてきてもらった。ヒッチハイクだ!』

 

「乱暴なヒッチハイクだな。お嬢さん、こいつとの旅は大変だったろ」

 

 こくこく、と頷いた。エイリアンと男、二人が揃って笑った。私からすれば、笑えるような状況じゃない。こんなエイリアンのことを知っているあなたはいったい、何者なんだ。

 

「話せば長くなる。簡潔に言うと、こいつは俺の相棒だ」

 

 "そう、こいつはオレの相棒!"

 

 手がぶんぶんと振られる。男との再会を喜ぶかのように。

 

「で、だ。色々と言いたいことも聞きたいこともあるんだが……少なくとも、お嬢さんには毒だ。引っ越すっていうことでいいんだよな」

 

 "もちろんだ。世話になったな、ジェーン。また世話になる、エディ"

 

 頭が何かに撫でられた気がした。背中の変な感じが消えないけど、エイリアンの一部でも生えているのだろうか。それが私を撫でた、と。気絶していないのが奇跡だ。

 

「じゃあ、さっそく始めよう。お嬢さん、もとい、ジェーン。目を閉じて。これからの光景も、なかなかにショッキングだ……なぁ、キスじゃなくて大丈夫だよな」

 

 "握手でもいいぞ、それで引っ越す"

 

 恐ろしいことを言っているが、言われるがままに目を閉じる。背中の変な感じが、流れるように手に移る。手に移り、指先から、男の指へと移っていくのが感じられた。ほんの少しだけ、体が軽くなった気がするが、これが正常だ。たった一日で異常に慣れすぎた。寂しさは気のせいだと思いたい。

 

「あー……よし、大丈夫だ。ありがとう、お嬢さん、っておい、まだ出るな。いつも礼を言ってる。楽しい旅行だったそうだ」

 

 それは何より。ところでこれ、どこかにタレこんでもいい話かしら。

 

「やめておけ。自慢じゃないが、それなりのところから俺たちは目を付けられてる。金になるかもしれないが、待ち受けているのはデッドエンドだ。今日のことはネタバレ厳禁の映画試写会に行ったとでも思ってくれ」

 

 冗談よ。と、いうことは。あなたこそ大丈夫なの。デッドエンドはごめんよ。

 

「大丈夫。俺だけなら怪しかったが……オレたちはもう死なない」

 

 それならよかった。それじゃ、さようなら、ええと、エディさんと……エイリアン?

 

「名前まだ聞いてないのか。いや、なるほど、そういうことで聞いてない、と。なんだって?」

 

 私に見えないエイリアンと会話する彼の姿はまさにコメディ映画染みていた。今日の私も他人からはこう見えていたのかと思うと、笑えないが。笑顔になりきれない表情で何度目かのため息を吐くと。彼が失礼、と叫ぶ。私の手を引っ張り、抱き寄せられる。

 

 瞬間、背後から爆発音が響き、熱風が髪を揺らした。

 

 すぐそばのビルが爆発していた。彼はエイリアンの力でそれを察知したのだろう。

 

「見えたよな。アイツは最近この街を騒がせてる鳥だ。いい加減駆除してやらないと、皆が困る。脳みそが小さいって?馬鹿言え、あれは食いごたえある人間だよ。しかも悪人だ。食っていい」

 

 彼は私のことを忘れたかのように、エイリアンとの会話に夢中になっている。

 一体、何をする気なの。震えた声に彼は大丈夫だ、と返す。

 

「あいつは俺たちがやる。周りが落ち着いたら、君は家族のところへ帰るんだ、いいね」

 

 いくらエイリアンでも、危険よ。せっかく会えた相棒を命の危機にさらすつもり?

 

『大丈夫だ、俺たちは弱くない』

 

「そういうことだ。後、女優が似合うと言ったのは本心だ。検討してみてくれ」

 

 彼は私の頭を撫でた。一回り、大きな手で。彼が私に背を向ける。彼から何かがしみだしていく。黒い液体が渦のように彼の体を覆いつくし、一人の巨人がそこにはいた。

 

「『オレたちはリーサル・プロテクター。弱者を守る存在であり』」

 

 振り返った巨人の口は、いくつもの牙が並ぶ。牙の奥から覗いてきた長い舌が、頬を舐める。私は動くこともできず、それを受け入れていた。安心させるように、彼等は残虐な笑みを浮かべる。

 

『「俺たちは……ヴェノムだ」』

 

 彼等は飛び立ち、夜の闇へと消えていく。俺たちは帰ってきたぞ、獲物は逃がさないと言わんばかりの咆哮と共に。力が抜けてへたり込む。もはや、笑うしかなかった。

 

 

 こんな秘密、誰に言えるものか。

 

 

 

 日記のタイトルに、斜線を引く。Clandestine Voyage。そして、書き直した。

 

 あの日は、Clandestine Voyage/Venom Day。秘密の毒を浴びた日。

 

 ありふれた日々に飽きそうになった時、私の旅が終わり、彼等の旅が始まったあの日が、脳裏によぎる。

 毒は忘れられない秘密と化した。




Next Spiday

もしもはない。あの日の出会いは、消えない。

I F L Day 14512B

ペニー。キミを、失いたくないよ。
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