2:TThe Drawing M Day=1610
3:Be S Day=616
4:Clandestine V Day = 688
5:I F L Day = 14512B◁
6:B N D
7:A O D
ある日、キミが落ちてきた。キミの驚くべき秘密と共に。
正直に言うと、怖かった。ボクは逃げ出して、キミのことを忘れ、ただのひとに戻れば良かったのかもしれない。
キミにボクはいらない。ボクがいなくてもキミは立ち直り、ヒーローとして立ち上がって、戦い続けていた。
物語にもしもがあるのなら、あの日がターニング・ポイント。
でも、ボクたちは出会ってしまった。
I F L Day。
もしもはない。あの日の出会いは、消えない。
I Felt Lost Day。ボクがただのひとでなくなった日。
ある日、雨がたくさん振ってきた。傘は持っているが、風も強くて当てにならない。靴は中身までびっしょり。リュックサックの教科書はまだ無事のはず。
日が沈み、暗くなってきた通りを車が駆け抜ける。
ボクは傘を構えて、車が撒き散らすしぶきを防ぎ、また、歩き出す。早く免許が取れる大人になりたいな。
酷い雨の日だった。学校で勉強にかまけたばっかりに、帰るタイミングが遅くなりすぎた。
そういえば、雨が歌詞に入ってる童謡*1があったっけ。ボクは音楽のセンスはまるでなくて、歌う度に笑われた。
隣の子みたいに上手に歌えたら良かったのに。あの子の歌声は今でも思い出せる。
ちっちゃなクモさん、雨どいを登ってく。
記憶の中の歌声に酔いしれる。下手な歌声を重ねる。
雨が振ってきて、流し出された。
歌のように、雨が振っている。ふと視線を向けた路地裏に、雨どいがあった。開ききった蛇口のように、水をぶちまけていた。
歌みたいにクモが混じってるかもしれないな。さて、歌の続きは、太陽が……
彼女の歌声を思い出す思考は、轟音で遮られた。
路地裏の奥で、何かが落ちたのだろうか。
周りに人はいない。気づいているのはボクだけだ。最近物騒な事件が多いとニュースでも言ってた、早く帰った方がいい。
足を通りに向けた。もう一度、歌を思い出そうとした。
でも、思い出せなかった。歌声よりも落下音の方が気になった。怖いはずなのに、好奇心の方が上回った。スマホを取り出してライトを付ける。
照らされる範囲には何もない。路地裏の奥へ、足を進める。
ゴミがこぼれたゴミ箱が散乱していた。足を進める。
金属がこすれるような音に、足がすくむ。足を、進めた。
闇の中に、かすかに赤い光が見えた。足が、止まった。
ライトを足元から、奥へ向けた。ガラクタの上に、とびっきりのガラクタが座っている。
それは、手足の生えた卵、機械じかけのハンプティ・ダンプティ。
それは、ニュースで見たヒーローの姿に似ていたけれど、もはやガラクタ同然だった。
レッドとブルーのオシャレカラーは傷だらけで見る影もなく。手足はほとんど引きちぎられていたし、卵も叩き割られて中身を覗かせていた。赤い光は、そこからの警告灯のようだ。
ガラクタのバランスを崩さないように、慎重に登る。荒い呼吸は緊張か、あるいは久しぶりの肉体労働への悲鳴か。卵のヒビに手をかけながら、一番大きなヒビ、割れたキャノピーを覗き込む。液晶を兼ねるキャノピーのハイテク技術に興奮したいところだが、それよりも中身が気になった。
正体不明のハイテクメカへの好奇心は、死人同然の有様が発する恐怖心に負けそうだった。
それよりも。ずっと、気になっていたことがあったから。
年相応の無茶と使命感に突き動かされ、覗いた卵の奥に、黒髪の少女がいた。うなだれた少女の顔は見えなかったが、流した血がコクピットを染めていた。スマホのライトにすら反応せず、うめき声さえも聞こえない。ヤバいと、直感が叫び、キャノピーを殴りつけていた。
何度か殴ってみたが、子供は非力だ、びくともしない。破壊するのは無理だ。ハッチを開けるボタンはどこだ。外部にそれらしきものが見当たらない。正体を隠すためにそこまでしているのか。
なら、内部にはないか。ヒビからコクピットを覗く。いくつもの計器にまぎれて、赤く光っているボタンがあった。Emergency Escape。これだ。
腕を突っ込む。指先が彼女の髪先を触れた。かすかに、吐息を感じて安堵する。もっと奥へと突っ込み、ボタンを押した。ガコン、とキャノピーが外れた。
続いて、コクピットの椅子が外れたらしく、少女が椅子ごと落下した。椅子の自重で足を潰された少女が小さく悲鳴を上げる。
支えを失ったキャノピーを慌てて放り出し、少女の向きを変えながら、慎重に引っ張り出した。瞳は開いていなかったが、痛みを堪えるような表情と、小さな呼吸をしていた。雨に紛れて焦げ臭いような匂いがする。火傷しているのか。
彼女を病院へ連れて行かなければ。ちょうど、行ったことがある病院が近くにある。リュックサックを放り出し、代わりに彼女を背負う。傷が圧迫されて悲鳴をこぼしていたが、なんとか耐えて欲しい。膝はさっき椅子に潰されていたから、触るのは不味い。なら、他に触れるのは……
緊急事態とはいえ、それはよくない。
畳んだ傘の上に彼女の臀部を乗せて、傘の両端を持つことで代用とする。後は、病院へ。
ガラクタを慎重に降りて、駆け出した。雨は、やまない。
ちっちゃなクモさん、雨どいを登ってく。
雨が振ってきて、流し出された。
雨はまだ降り続いている。あまりにも降り続いていることからヴィランの仕業が疑われていたが、ハイテク企業のオズコープが単なる異常気象との見解を語っていた。これまでの人類が放置してきた地球温暖化に起因している。人類が抗いようもない脅威が迫ろうとしている。
しかし、我々オズコープは人類の英知で立ち向かい、脅威を解体して見せる、と。
で、あるならば。ボクの目の前にいる女の子のことも、英知でどうにかなるのだろうか。
「ですから。その方法では一時しのぎにしかなりません。ニューヨーク周辺の降雨現象を一時的に止めることはできますが、揺り戻しで周辺地域の雨量が増えますし、再発の危険性も高い」
機械じかけのハンプティ・ダンプティのパイロットは、痛々しい姿のまま、ベッドに腰掛けて電車キーボードを叩きながら誰かと話していた。お見舞いに来たボクのことなんか、眼中にない。
最新型のスマホは空間上にキーボードを投影できるとは聞いたけど、それですることがどうにも見た目とそぐわない。
椅子に腰かけて、手を振ってみる。まるで反応がなく、スマホの先にいる誰かと会話を続けている。半分くらいしかわからない技術話の果てに、相手を説き伏せて、画面を閉じた。
「ふぅ……ごめん、仕事が立て込んでるんだ。それで、キミは誰?オズコープにキミみたいな子はいないし、ここの患者でもなさそうだし。お見舞いなら、病室間違えてるよ」
キミの第一発見者兼搬送者だよ。イライアス先生から、キミが目覚めたと聞いて、お見舞いに。
彼女はようやくボクを見てくれた。だけど、表情はあまり変わらなかった。無ではないけれど、熱は感じられない。
「キミだったんだ。ありがとう。今退院申請してるから、次のお見舞いはなくて大丈夫だよ」
嘘ばっかり。昨日今日で退院できる怪我じゃないって先生から聞いてる。
「どうしてキミが私の怪我の具合知ってるの?」
誰も君のお見舞いに来なかったからだよ。だから、代わりに聞かされた。
「……そう、だった。そうだったよ。どこまで聞いたの」
額の切り傷に体中の火傷、体内にもダメージが見られることから高電圧にさらされたらしい。幸い、スーツのおかげで軽傷で済んでるからちゃんと治療すれば痕にはならないってさ。さらに足も骨折とまではいかないけど、ヒビがあるとか言ってた。しっかり治療しないと、だよ。
「そうも言ってられない。私のスーツどこか知ってる?」
損傷が激しかったから治療の際に処分したとは聞いてる。一部は火傷で貼り付きかけてたけど、なんとか脱がせられた。もちろん、脱がせたのは医者だよ。まだ回収車は来てないはず、探してくる。
「そっちじゃない。キミ、私の秘密見たよね。秘密のスーツはどうしたの」
ハンプティ・ダンプティ?
「何の話?」
知らないの?鏡の国のアリス。落っこちたら終わりの卵人間さ。
「知らない。それで、卵人間ですって?馬鹿にしてるの」
してないよ。でも、すごくそっくりな見た目だよ。丸っこい身体に細い手足。劇場にだって上がれるさ。
「わかったから。それで、スーツはどうしたの」
あのまま置いてたら不味いかなって思って、ボクの家の倉庫に隠してる。
「変な話だけじゃなくて、嘘も得意なんだね、キミ。私と同い年くらいの子供がどうやってスーツを運べるのかな。あなたもスーパースーツ、持ってるの?」
キミは意地悪だね。普通にお父さんとお母さんに頼んで運んだ。そんなに大きくなかったから、トラックの荷台に少しずつパーツを積めば運べた。卵だってガラクタを足場にして転がせば余裕さ。
「……そう。言われてみれば、普通はそうか」
そういえば、話したいことがある。こういうことはあんまり言いたくないけど。
「治療費なら大丈夫、私が払うから。貯金だけはあるのよ」
察しが良くて助かるよ。キミの保護者に連絡がつかなくてさ、なるべくサービスはするけど少しでいいから治療費を出してくれると助かるって言われて、貯金箱を割る寸前だった。
「本当に変な話が好きだね。普通の人、ましてや子供の貯金じゃ足りないでしょ」
それはそう、半分は冗談。キミを笑わせたいんだけどね。ちっとも笑ってくれない。
「私にそういうのはいいから、他の子にしてあげて。で、本題の話。スーツを回収したいから、住所を教えてくれないかな」
彼女は相変わらず、スーツの話ばかり。表情一つ変えず、ボクを見てくれない。
そのことへの、意地悪か。あるいは、怒っていたのか。
ボクは、いやだ、と言った。初めてキミは表情を変えた。キョトンとした、驚きの顔に、ようやく見覚えがあった。
「聞こえなかったことに、してあげる。スーツは、どこ」
それを教えたら、どうするの?
「スーツを回収して、改造する。今のままじゃ駄目だから、もっとパワーアップしないと」
それを、誰がするの?
「私が。馬鹿にしないでよ、こう見えても天才なんだからね」
この部屋のどこに天才がいるのさ。
「ここにいる。からかってないで、早く教えて」
……どこにもいないじゃないか。一週間後、教えてあげるよ。
キミは表情を歪めた。シーツが巻き上がり、ベッドから飛び立つ。かわす間もなく、ボクはされるがままに押し倒された。傷がひきつれた激痛で表情はさらに歪み、痛々しい声が耳元で聞こえた。それでも、キミは求めた。スーツは、どこ。
ボクは、いやだ、と言った。キミが怒りに任せて動くよりも、ボクの方が先だった。
キミの首裏に指が触れた。
温かくない感触。冷たい金属がそこにあった。
治療前にスーツを脱がせた時に見えた首元には、赤い機械が埋まっていた。
「っ……人の体触らないで」
先に触ったのはキミだ。これ、なんなの。
「……神経インプラント。私とスーツを接続してる」
キミは、そんなものつけてなかった。
「つけてた。これでスーツを動かして、ヒーローの中身をやってた」
ボクは変な話が得意だけど、キミは嘘ばっかりだね。
「私の何を知ってるの」
今のキミよりは知ってるよ、ペニー・パーカー。
「……それも医者から聞いたの?」
まさか。キミは身分を示すものは何も持ってなかったよ。
「……あなた、ヴィラン?」
違うよ。ともだち。だから、知ってる。
「とも、だち?」
キミがどう思ってたかはわからないけど、少なくともボクはそう思ってた。その反応でキミにとってのボクがだれなのかわかったけど。戸惑う彼女の力が抜けた。なるべく火傷がないところに触れて、彼女を抱き上げた。軽すぎる。抵抗される前にベッドへ戻した。
いいかい。キミは怪我人だ。怪我を治さずに動こうとするなんて、天才じゃない。馬鹿だよ。
「馬鹿っ……!?でも、私がいなくちゃ、誰がヴィランを止めるの!」
キミ以外にもヒーローはいる。デアデビルだったかな。他にも色々いるって聞いた。それにキミがいたところで、スーツは壊れてる、ヒーローにはなれないじゃないか。
「だから、直すって言ってるでしょ。次は負けないように、もっと強くならなくちゃいけないの……!時間がないの、早くスーツの場所を教えて!」
嘘だね。そんなに急ぐなら、もっと早く聞けばいいのにボクとお喋りしてたじゃないか。少なくとも、今は時間があるってことだ。
「……嘘をついたのは謝る。急ぐほどじゃないのは、そう。でも、私は、やらないといけないのよ……お願い、スーツを……返して……」
今のキミじゃ無理だ。平行線だね。もうこれ以上の反論は聞かないよ。
「っ……逃げるの?卑怯者」
逃げるよ。キミは頭が良かったからね。言い負かされるのはいつもボクだった。
「なら、言い負かされたって、いいじゃない。キミが言うところの、いつもみたいに」
なら、ボクの名前はなんだったかな。
「あなたの、名前、は……ステイシー」
覚えてないじゃないか。一応、電話番号だけ教えるよ。どうせ忘れられてるんだろうけど。
体だけじゃない、頭もボロボロだよ、ペニー・パーカー。どっちも休む時だ。
「……ねえ」
なんだい、天才失格忘れん坊のペニー・パーカー。
「……意地悪」
そうだね。そうでもしないと、キミは聞いてくれないから。
「……メール。メールアドレス、教えて」
悪いことに使われそうだから、いやだ。
「使わない。嘘じゃない。スーツのメンテナンス方法教えるから、私の代わりに面倒見て」
直した瞬間、ガレージから病院まで飛んでったりしないのなら、面倒見るよ。
「そんなことはないって。信用してよ。ともだち、なんでしょ?」
それは……そうだと思うけど。まったく、意地悪な女の子。
「そうだよ。そうでもしないと、キミは聞いてくれないから」
キミは、ペニーは微笑んだ。あの頃のように。それは、いたずらが成功して、喜ぶ女の子のようで。ボクはキミの言葉だけじゃなくて、笑顔にも勝てそうにない。お互いにスマホを向けあった。
スマホの中にずっと残っていた連絡先に、新情報が加わった。
太陽が出てきて、雨がすっかり乾いた。
太陽が出てきて、雨がすっかり乾いた。隣の子のペニーが上手だった歌の続きの歌詞はそれだったが、残念ながらもう少し雨は続くらしい。たまり続ける洗濯物をみかねた両親がランドリーの乾燥機へ駆け込む一方、ボクはガレージに一人で大きなプラモデルを組み立てている。
「後は前腕部と上腕部の連結。これで四肢完成だよ。最初よりペース上がってる、流石だね」
訂正。車椅子から声援を送ってくれるドクターが一緒。彼女の指示に従いながら、助手はせっせと動いてフランケンシュタインを組み立てる。ライトを消せばホラー映画の冒頭にちょうどいい。
「フランケンシュタイン……なんだっけ。ドイツ人よね。お城の名前だったような……」
相変わらず博識だけど知識の方向性がだいぶおかしいね。すごいけどさ。昔のホラー小説兼映画で今でもリバイバル上映がある、出演する怪物はハロウィンショーの定番俳優だよ。
「ちょっと。SP//drは怪物じゃないわよ」
はいはい、スパイダーはヒーローね。
「発音が違う。S・P・/・/・d・r!!」
どう発音するんだよ、それ。そのうち発音は覚えるからさ、とりあえず完成した腕見てくれる?
「約束だからね。えっと……曲げて。関節部の配線具合見るから。そう、その角度」
ズーム機能付きらしいメガネと、ペンライト片手に先生の評価が始まる。一本目はボッコボコに酷い評価で、やっぱり私がやる!と立ち上がった彼女が車椅子から立ち上がるほどの赤点アーム。無理言って車椅子で外出したんだから、無茶は厳禁と座らせたが、次はないと言われた。
もっとも、ボクは反省をしっかり次へとつなげるタイプ。ドクター・パーカーからは合格点がいただけた。次はフランケンシュタインへつなぐ作業。ここまでが一連の作業だ。
ハンプティダンプティは影も形もない。殻を外して中身だけのフレームに四肢がつながっているが、丸っこくないだけで不気味な人型に見える。今度は頭も付けるらしい。そんなに卵は嫌か。
「私、ベジタリアンなの」
タンパク質もしっかり取ろうよ。栄養不足で怪我の治療が遅いかも、って先生困ってたよ。
「怪我の原因は防電性能不足。コクピットブロック周辺を帯電しない素材に変えたり、余剰電力の排出機能を搭載することで対応するつもり。今度は、負けない」
それとキミが細いことは関係ないでしょ。お昼ご飯はハンバーガーでいい?ジャパンから輸入してきたテリヤキなる調理法でバーガーを作るお店を見つけたんだ。
「……ポテトも付けてよ」
はいはい、ベジタリアンベジタリアン。接続おしまい。ドクター、テストをお願い。
車椅子をフランケンシュタインへ近づけ、ケーブルを首裏の機械へつなげる。こうしてみるとまるでスパイダーだ。首に埋まった赤い機械から、8本の極細ケーブルがペニーの首裏へ張り付いている。蜘蛛がくっついているようにも、あるいは蜘蛛にかじられた痕にも見えた。
ねぇ、少し聞きたいんだけどさ。
「あっ……うー?」
うつろな瞳でボクを見る。パチクリ、ぱちくりと、何度か瞬きすると、少しずつ瞳に意識が返ってきた。ボクだ。キミの助手だ。ボクのこと、わかる?
「ボク?じょ、しゅ……うん、OK。さっきよりはだいぶ接続した時のラグは減ってる」
本当に大丈夫なの。いくらスパイダーが治っても、肝心のキミがその調子じゃ危ないよ。
「並行してSP//drのソフトウェアもチューニングしてるからね。軽量化する分物理的な操作を減らすから、神経由来で操作できる範囲を広げてるところ。もうちょっと負荷を減らせば実用範囲ってとこかな」
そういう意味で言ったんじゃないんだけどなぁ。アームの調子はどう?
「待ってね。ロック・シザーズ・ペーパー。アームレスリングに……良好、各部関節稼働OK、パワーも想定値と誤差無し。仕上げの精密性検査に、キミの顔をマッサージ」
何してんの。頭潰されるかと思った。
「落っことした卵も天使みたいに優しくキャッチする繊細さ、SP//DRはパワフルだけじゃない」
キミはどっちかっていうと小悪魔だけど。尻尾、生えるよ。
「これ以上体に何かつける予定はないかな、っと」
アームを定位置に戻してから、キミはケーブルを抜いた。フランケンシュタインは死体へ返った。まだ2度目だけど、1度目は彼女が死んだんじゃないかと思って怖かった。意識が落ちるんじゃなくて、抜け殻のようになった彼女に恐怖を覚えた。こんな鋼鉄の蜘蛛が、彼女の体の一部。
「本当はね。SP//DRとリンクしてる蜘蛛がいたんだけど……寿命で亡くなったのが半年前」
スマホからリアルな蜘蛛の写真を見せてきた。赤い蜘蛛と自撮りしてるキミは、ボクが良く知っていた隣の子、昔のペニーだった。この頃から、キミはヒーローだったんだね。
「あの子を技術的に再現したのが首裏のこれで、最初は情報の波に溺れて大惨事。慣れると前よりも自由で便利だから、気に入ったんだけどね」
髪を少したくし上げて、首を見せてくる。前よりは笑うようになったけど、ボクは笑えない。
技術的な話はわかる。でも、危ないことはやめてほしい。だけど、彼女を止める権利はない。ボクはペニーの助手だけど、あくまでも臨時。スーツが直ったらボクはクビ。
もうちょっと一緒にいられるかなって思ったけど、キミは天才だった。パーツをブロック単位で3Dプリントして、ボクの家まで配達。細かい組み立てはボクとキミでやる。無茶だと思った。
でも、出来てしまった。一週間もたたないうちに、ハンプティダンプティはフランケンシュタインへ。フランケンシュタインはスーパーヒーローへ成長しようとしている。
ペニーは変わっていた。隣の子だった頃はメカ好きな女の子だったけど、今のキミはスーパーヒーローとしての硬い覚悟を秘めた大人寸前の少女。何も変わってないボクが、みじめだ。
ようやく、笑えたボクを見て、キミはもっと笑った。
ボクの気持ちは、伝わっていないんだろうな。楽しかった時間が終わるのはいつだって寂しいものだけど。それがキミに伝わってないと思うと、もっと寂しかった。
「それじゃ、今日のお仕事は早いけど終わりにしよっか。お昼食べに行こっ」
車椅子の背を向けてきたキミに言われるがまま。彼女に傘を持たせて、ガレージの外に出してから、戸締り。暗闇の中にたたずむフランケンシュタインはかっこよかった。
ペニーを、キミを見る。首を傾げられた。
キミの恋人は、機械仕掛けのスーパーヒーローなんだね。そう口にしたところで、喧嘩になるか、からかわれるか。口をつぐんで、笑うしかなかった。
ちっちゃなクモさん、また雨どいを登ってく。
ボクが好きだった隣の子の歌声が、記憶の中で最後の一節を口ずさむ。
ふりだしにもどる、愉快な童謡。なぜかそこが好きだったことを、思い出した。
失敗してもやり直せるって感じで、好きだったのだ。ボクも、ペニーも。
ボクらは、やり直せるのだろうか。
ちっちゃなクモさん、また雨どいを登ってく。
テリヤキバーガーの味はよくわからなかった。キミは濃いけど癖になるかも、と絶賛していたが濃いだけでおいしいとは思わなかった。口直ししたいけど、おなかがいっぱいだった。
「食べないの?」
食べるけど。食べてくれるの?
「お肉だけなら食べようかな。キミは細い女の子よりも肉がある女の子派みたいだし」
キミが細すぎるんだってば。もう少し筋肉つけようよ。
「えー、そっちなの。私そっちの意味で太いのは嫌かな」
じゃあお腹ってことか。言いかけたところでキックが飛んだ。蹴られたボクも蹴ったキミも悶えた。怪我してる足でやるからそんなことになるんだよ。大体、他に肉があるって何さ。
「……言いたくない」
どうして。
「それは……キミだってそうでしょ。私のこと何度も見ては黙ってるし。キミが言いたいこと言ってくれないから、私だって言いたくないことの一つや二つあるんだからね」
ポテトで指さされる。そのまま口へ放り込まれた。キミは拗ねた顔でポテトをくわえ、行儀悪く上下に振る。子供っぽいしぐさにどうしたものか、と頬杖をつく。
「……はぁ。私なりに懐かしいかなってこと、してみたんだけど覚えてないの?」
え?
「パパが喫煙者だったの。この時代に珍しい喫煙者。ポテトでマネしては、ママに叱られてた。いつの頃だったか、キミがそれを見て面白そうにマネしてくれてた気がしたんだけど」
そんなことはなかったと思う。多分。記憶が混じってるんじゃない?
「そっか。ねえ、可愛かった?」
かわい……かったけど。今のキミに似合うかというと、60点くらい?
「ビミョー。あーあ。うまくいかないなぁ」
ポテトをサクサクとつまみ、野菜ジュースを口にした。そのまま、ボクから視線を外した。
「これはひとりごとだけど。私、キミの名前相変わらず思い出せないの」
ひどいひとりごとを聞いた。聞かなかったことにするには大きすぎるカミングアウトだ。
「でもね。引っ越す前にすごく仲がいい男の子がいたのは覚えてる。まだ小さいのに、私たちメカ好き。2人でおっきな発明するのもいいかもね、なんて。言ったっけ?」
ひとりごとなのに聞いてくるんだ。多分、言ってないよ。でも、仲が良かったのは本当。
「だいぶ忘れっぽいね、私。でもね、思い出したら、懐かしくて。嬉しくて、暖かくて。私の子供時代は楽しいことばっかりだったって思える。そういう意味では、キミにすごく感謝してる」
おや、ひとりごとなのにお礼付き。とりあえず、受け取っておくよ。
「でも。今のキミは、今の私のこと嫌いなんでしょ」
それ、は。
「私を見てくれてるけど、私を見てくれない。キミが好きな昔のペニーしか、見てくれてない感じがする。私を呼ぶ時はずーっと、キミキミキミ。私は、ペニーじゃないんだね。思い出ばっかり見られるの、辛いよ。今の私は可愛くない?」
それ、は、そう、だけど。可愛いかどうかからかってお茶を濁そうと、舌が動く。
噛んだ。心にないことは言わないけど、本題から逃げる舌を噛んで、黙らせる。
本当のことを、言わなきゃならない。そうだろ。ペニーは、本当のことを言ったのだから。
ボクは今のキミは好きになれない、といった。
キミは、笑ってくれた。瞳だけは、悲しそうに。
「そっか。ごめんね、期待外れの幼馴染で。キミには迷惑ばっかりかけた」
だけど。その迷惑は全部自分から被った迷惑だ。キミが好きだから、率先して被った迷惑だ。
「でも今の私のことは好きになれないんでしょ」
それはそうだ。だって。今のキミは、すごくアンバランスだ。
「昔の私と今の私で、ってことかな。確かにキミが気に入ってくれるかなーって、思い出しながら昔の私っぽく喋ってたけど不自然だったわね。でも、今の私のことは見てくれないから、こうするしかなかったのよ」
見てるよ。今のキミを見てるからアンバランスだって言うんだ。
今のキミはペニー・パーカーなのか。それともスパイダーなのか。どっちなんだ。
目の前の少女から表情が消え、力が抜けた。ともだち、と呼んだ時のように。
ボクはスパイダーのことは嫌いじゃない。むしろ、話題のヒーローだったし、好きだったよ。だから初めて出会った時、中の人を助けようとした。でも、中にいたのはペニー・パーカーだった。いや、キミはスパイダー、だった。自分のことも顧みず、ヒーローをやろうとしてる女の子。
自分を大切にしない女の子なんて、ボクは大っ嫌いだ。でも、キミが好きなんだよ。
首の裏にスパイダーのための機械を埋め込んで、ペニー・パーカーとしての記憶はないがしろにしてボクのことも忘れっぱなし。酷いとは思うけど、ボクのことは忘れて構わない。でも、ね。
ペニー。キミを、失いたくないよ。
ボクは、キミが好きだ。ともだちがいない僕に寄り添ってくれた、隣の子としてのキミが好きだった。だけど、それももう昔のことだ。昔のペニーになってほしいとは言わない。
だけど。キミは幸せであってほしい。スパイダーとして、ヒーローとしてじゃなくて。
一人の、ペニー・パーカーとして幸せになってほしいけれど。キミは、アンバランスだ。
ボクなんかよりもスパイダーを優先するキミのバランスを、揺らすことすらかなわない。
それがどれだけ悔しくても。キミは、きっと、口先だけでわかったって。
続きの言葉は、出なかった。目の前の少女に呑み込まれた。胸の中に詰まった想いを、最後の一滴まで吐き出そうとして、全部空っぽにして、キミへの想いを、忘れたかった。キミが好きだった想いを捨て去る寸前で、ペニーは。ボクの想いを呑み込むかのように、キスをした。
下手なキスだった。開きかけた口に無理やりぶつかってきたから、歯がカチリとぶつかった。
ポテトの塩味まで感じたし、キスとしては下から数えた方が早い。
だから、ペニーはやり直した。いたずらっ子な隣の子の笑みを浮かべて、互いの口を拭いて。
もう一度、キスをした。柔らかい唇だけを触れ合わせて、互いに幸せで満たされるキス。
そして、ペニー・パーカーは微笑んだ。ありがとう、と。
大人になりきれない少女が、精いっぱい背伸びしたような、落ち着いた笑顔と共に。
「大丈夫。バランスは揺れたよ。いい方向に傾いた。私は、SP//DRを捨てられない。でも。ペニー・パーカーとしての私のことをキミが愛してくれるのなら。私は、ただの女の子でいたい」
「でもね。お願い。私のことは、忘れて」
店の窓が叩かれる。窓の外に、スパイダーがいた。組み立て途中だったのに、どうして。すると、彼女はアームだけで自動組み立てさせていた、と。本当は今晩姿を消すつもりだった、と。
なんてことのない様に語ったけれど、ボクの手を握った。忘れていないと、行動で示すように。
「SP//DRの活動をしてるとね、大変なことがたくさんあるの。パパは事故で亡くなって、ママも後を追うようにいなくなった。そんな私を育ててくれたおばさんも、兄弟機の事故で消えた」
握った手が引き寄せられた。細く、まだ薬の匂いがする手で抱きしめられた。
「私も……キミを、失いたくないよ。キミを、好きになれたから。だから、お願い。私の遠くにいて。私たちの危険が及ばない、遠くで、幸せにっ――!」
ペニーの言葉を呑み込む。天才ではないボクは後を追うことしかできないけれど、それでも縋るように、口をふさいだ。ボクの想いを共有してくれたように、ペニーの想いを共有したかった。
ペニーが遠ざかっていくのなら、ボクは追いかけてやる。
キミを失ったら、ボクは幸せになれるもんか。だったら、キミを失わないように、助けたい。
ペニーを幸せにしたい。ペニーと一緒に、幸せになりたいんだ。
「……けほっ。だとしたら、どうやって助けるつもりなの?」
それは今から考える。それに君は大切なことを忘れてる。何かわかる?
「キミの名前?」
違う。スパイダーの身長だ。
「……え?なんで?今それ関係ある?」
ある。だって、スパイダーは大きすぎる。この店には絶対に入ってこれない。どうやって乗り込むつもりなのか天才の見解を伺いたいね。
「普通にお店の外に出るよ。それで乗り込めば……よかったけど、ここ、入り口が階段だったね。イマドキバリアフリー非対応のクラシックなお店……」
そう。軽いペニーと重い車椅子を担いで入ってきたお店だね。ボクを遠ざけるなら、一体どこの誰が、キミを外に出すのかな。キミを誰がスパイダーに乗せるのかな。
「う、ぐぐぐ……もう、わかったよ。助手として正式に雇用してあげるけどさ、履歴書には変な話ばっかり得意って書くように。後、意地悪。絶対昔のキミはこんなんじゃなかったよ」
キミに会えたら、笑わせたかったからね。今のボクは嫌い?どこかで聞いた言葉に、僕たちは笑いあった。それはそれとして、ポカポカとパンチされたけど。
絵に描いたような、恋に落ちたボクらを、ただ一人だけが見つめていた。
窓の外にいるスパイダーの黄色い瞳が、祝福しているように思えた。
「SP//DR」
え。
「私の助手兼恋人になるなら、この子はあなたの相棒でもあるんだから、ちゃんと名前を呼ぶように」
そういえば、そんな約束もしたっけ。記憶違いじゃない?
「ちゃんと約束したよ。忘れっぽいからってからかわないで。S・P・/・/・d・r。一緒に言ってみよう」
ス・パ・イ・ダ・ー。
「発音が違う。S・P・/・/・d・r!!」
だからどう発音するんだよ、それ。
物語にもしもがあるのなら、この日がターニング・ポイント。
でも、ボクと私は選んだ。
『ただのひと』であることを捨てて、『ヒーローの助手』になることを選び。
『ヒーロー』でありながら、『ペニー・パーカー』であることを受け入れた。
今日は、キミが今までの自分を捨てた日/I Felt Lost Day。
そして、I Fell Love Day。/私が恋に落ちた日。
I F L Day。
もしもはない。あの日の出会いは、消えないよ。私の助手の、ワトソン君。
Next Spiday
あなたは誰なの。親切な隣人さん。
B New Day = 99999
スパイダーマン。知らないとは思うけど。