ヤニねこの大家さんはいかにして大家さんになったかの話 作:namamugi
大谷おう也の二度目の昇進は本部への配置変更を伴った。
就職以来、20年近い付き合いになった地方勤務地と、個性豊かな気の置けない同僚達との別れには名残惜しさを感じないでもなかったが、栄転と言っていい昇格であり、拒否しようとも思わなかった。
「悪いな、わざわざ来てもらって……。行くのは決まったけど、俺、本部のこと、何も知らねえからよ」
「気にすんな、久し振りにお前と呑みたかったしな」
カチン、とビールの注がれたグラスを合わせる。
目の前の男は同期入社で、おう也よりも、一足早く、本部に呼ばれた男だった。同期の中では出世頭と言われていて、おう也自身、こういう奴が出世するんだろうな、とは何度も思ったことがある。名前は土岐同気。
「それで、本部のこと、か……。そうだな、まずは……」
いくつか会話をやりとりする。本部のこと、仕事のこと、最近のこと。
聞きたかったことは勿論、そこにプラスアルファで、必要な情報や知っておくと助かることまで過不足なく教えてくれる。
暫く会話を続けている内に段々仕事の事から離れていき……ふと、思い出したように同気が言ってくる。
「そうだ、本部は通勤電車が結構混むから住む場所はそこも考えて選んだ方がいいぞ」
「ああ、実は引っ越し先はもう決めてんだ。そんなに遠くないのに、やたら家賃が安いとこがあってな。にゃがみ原ってところの……」
「にゃがみ原?」
同気が露骨に顔を顰めた。らしくない、険しそうな顔でこっちを見てくる。
「お前、それもう契約したのか?」
「あ、ああ。もう、入居日まで決めちまったけど……なんかまずかったか?」
「……一応聞いとくが、実際にその建物まで行って、物件を見て決めたのか? それ?」
「い、いや、物件探しは時間がなくて……ネットで探して、そのまま決めちまった。け、けど、一応写真は綺麗だったし、水回りなんかも何かあったらすぐ連絡入れれば対応してもらえることに……」
何となく気まずくて慌てて言い訳したが、同気はそれに首を横に振った。
「いや、問題は物件じゃないんだ。にゃがみ原って町が……まあ控えめに言って、あまり褒められたところじゃなくてな」
「町が?」
「……まず、臭い。あそこに入った瞬間わかると思うが、とにかく臭い。配送業者なんかも、臭いが付くってんで、入りたがらないらしい」
「そ、そうは言っても町で、つまり屋外だろ? そんな臭いが残るような……」
「ヤニ臭さに獣臭さ。挙句、そこら辺からゴミの臭いまで。昔住んでた先輩が居たんだが、洗ってない猫がゴミ置き場で灰皿をひっくり返したような臭いだって言ってたくらいだ」
言われた通りに何となく想像して……思わず鼻をつまむ。ただでさえタバコの臭いは好きではないのだ。
「それは……何というか、凄そうだな」
「衛生的にも酷い。道を歩けば吸殻に当たり、そこら中にゴミが散ってる。何よりヤバいのが、獣人が多いからって路上喫煙まで条例で認めてるところだな」
「獣人が多いから?」
「にゃがみ原はな、日本で唯一、獣人の比率が三割越えてるとこなんだよ。特区扱いで移住の条件が緩くて、獣人専門の会社なんかもあるせいで、色々集まってきたみたいでな」
「あ、ああ。聞いたことはあったが……三割って……そんなにいるのか」
以前の職場や地元にも獣人がいなかったわけではない。が、3割というのはかなりの異常値だった。学校の一クラスが30人だとしたら、10人近くいることになる。
そんな大谷を見かねたわけでもないだろうが、同気が声を潜めた。
「あまり大きな声で言うべきじゃないかもしれないが……奴らは自制が効かない。捨てたいと思った時にゴミを捨て、吸いたいと思った時にタバコを吸い出す。周りの状況なんかお構いなしだ。ルールもマナーも通じないから、にゃがみ原でそれを取り締まるとキリがない。だから、合法にしちまったんだ。特区だからってことでな」
「そ、そうなのか? けど、その、俺の……身内にも一人獣人がいたがそんなことは……」
「そりゃちゃんとしてる奴もいるさ。お前みたいなやつの身内なら獣人だってそうそうおかしなのはいないだろうよ。だが、獣人のほとんどはそうじゃない奴等だと思った方がいいってことだ。人間というより、人間大の野生生物かなんかだと思うべきだったって、にゃがみ原に住んでた先輩は最後に言ってたよ。その後退職して実家に帰ってた。いい先輩だったのにな、勿体なかったよ」
「そ、そこまでなのか……」
「まあ、実際に行ったら嫌でも分かるだろうけどな。悪いことは言わねえから、次の引っ越し先は探しておいた方がいいぜ」