ヤニねこの大家さんはいかにして大家さんになったかの話 作:namamugi
内見予約の名前を見た時、おう也は一抹の不安を覚え、当日やってきた内見者の姿を見て、その不安が杞憂ではなかったことを知った。
「やっほー。ハゲちゃん、久し振り」
「お、おう、久し振り……本当に大学生だったんだな……」
「うん。今いるところ追い出されちゃいそうだからー。新しいところ探してるんだ」
「お、おお、そうか……ちなみに、なんで追い出されちゃいそうなのかは聞いても大丈夫か?」
恐る恐る聞く。正直、ろくな理由ではないだろうな、という予想はしていた。
「アパートの入り口で吐いたら、なんか汚くて通れないって他の部屋の人から抗議が来たみたいで、『これ以上は勘弁してくれ』って管理人さんに言われちゃったんだー」
案の定というか予想通りというか。あっけらかんと言ってきたアル子に、おう也は若干頭を抱えそうになるが、内見者の前だ、という意識で、辛うじて抑え込んだ。
「そ、そうか……。いや、それはもう、俺んとこも、勘弁してほしい気はするが……」
「けどハゲちゃん、この間ボクが吐いたの掃除してくれたからー。管理人さんは『俺は知らん、自分で掃除しろ』って言うだけで何にもしてくれなかったしー」
「俺だってやりたくてやったわけじゃないぞ……」
あんまりな回答に、諦めて頭を抱える。アル子はそんなおう也を横目に、アパートを見上げた。
「ハゲちゃんが、ここはにゃがみ原のコーポ大谷だーって教えてくれたから、調べたら出てきた」
「今ちょっと、あの時教えたのは迂闊だったかもって後悔しかけてるぞ……」
「追い出される前に引っ越そうかなーと思って、内見予約したんだー」
何かを言おうとして、やめる。色々事情はあるが、内見者は内見者だ。大家として、しっかり対応はすべきだろう。
「ま、まあ、事情はともかく、内見は歓迎だ。案内する」
「よろしく〜」
と、部屋に案内しようと階段を上がったところでヤニねこにすれ違った。
相変わらずのボサボサ髪で、散々言ってるにも関わらず、アパートの共有スペースでタバコを燻らせている。
「にゃ。大家、そいつ誰にゃ?」
「ヤニねこお前、初対面の相手をそいつ呼ばわりするなよ……」
「アル子だよー。よろしく〜」
苦言を呈そうとする大家を無視して、アル子が言った。ヤニねこはそれに頷くと、
「にゃ。じゃあアルねこにゃ」
とだけ言って、またタバコへ興味を戻した。アル子はそれに、よく分かったね、友達はみんなそう呼ぶんだー、と言いつつ、頷いた。
それを聞いたおう也が一瞬、自分はどう呼ぶべきか考え……。
その間にも、アル子……アルねこはヤニねこのすぐ隣まで歩いていき、すんすんと鼻を鳴らしていた。
「あー。なるほどー」
うんうんと、頷きながらアルねこが納得する。
「ハゲちゃん、もう鼻がダメになってるから、あんまり臭いの気にしないんだー」
「んな!?」
思わず動揺する。ヤニねこも、こっちを見た。
「い、いやそんなことないぞ! 滅茶苦茶気にしてる!」
「ニャーは臭くないにゃ」
揃って抗議する。その拍子に、ヤニねこの口から漂った臭いがおう也の鼻に届き……。
「ゔっ。いや、お前は臭いぞ! また延々タバコ吸ってやがったろ。それに、前に風呂入ったのいつだよ」
「……臭くないにゃ」
珍しく……本当に珍しく、ヤニねこが拗ねたように顔を背けた。
おう也はそれに、一瞬、言い過ぎたか、と思いつつもすぐに気を取り直して続ける。
「お前、そういうこと気にするならまず、部屋をキレイにしてだな……」
「にゃー。大家の説教がまーた始まったにゃ。いい加減飽きろにゃ」
「俺が飽きるのを待つより、お前の生活を見直してだな……」
そんなおう也とヤニねこの言い争いを横目に、アルねこは持っていたレジ袋の中をゴソゴソと探ると、中から缶ビールを取り出し……。
「って何飲んでんだ! 今内見中だぞ!?」
「むー。お酒……」
バッとアルねこの手から缶ビールを奪い取る。
アルねこは唇を尖らせ、不満げに唸ってくるが、おう也はむしろ、レジ袋自体を取り上げると、奪い取った缶ビールをその中へ戻した。
「えーい、飲んでもいいが、せめて内見終わってからにしろ!」
「ケチくさいにゃ。だから選ばれないにゃ。内見終わったらいい酒1本つける、くらい言えにゃ」
横からヤニねこが言うと、アルねこは酒を取り返そうと、おう也の方に伸ばしていた手を戻した。
「おー。それなら、我慢する……」
「いや、付けねえよ! 内見者に酒1本奢る大家なんて、わけわかんねえだろ!」
「たしか大家の部屋の奥にいいのがあったにゃ。山崎だか、白州だか。あれ飲むにゃ」
ヤニねこが呟くように言うのに、ギクリとおう也が動きを止める。
「おま、俺の秘蔵の酒のことなんで知って……」
「おーいーねー。じゃあささっと内見しちゃおー」
「い、いや、ダメだからな。あれは何かの記念日にちょっとずつ飲もうとしてたもので、そんなホイホイ飲むようなもんじゃ……聞いてるか、おい!?」
もはや、ヤニねこにも、アルねこにもおう也の言葉が届いている様子はなかった。
ヤニねこがぷは~と、煙を吐く。
「じゃあ今日はアルねこがアパート決めた記念日にゃ」
「記念日記念日ー。景気良く開けちゃおー」
「おーい!」
アルねこはそのまま、本当にコーポ大谷への入居を決めた。
おう也としては極めて不本意ではあったが、以前吐いたものを、文句を言いつつも処理したことが、よほど好印象だったらしい。
もっとも、本人が決め手としていたのが、大家の人柄なのか、一緒になって騒げる仲間なのか、秘蔵の酒なのかは、おう也にも最後まで分からなかった。
そして、おう也秘蔵の山崎12年はその中身を半分ほどに減らしたのだった。