ヤニねこの大家さんはいかにして大家さんになったかの話 作:namamugi
話に聞いていたほど臭くはなく、ゴミも落ちておらず、そこら中、獣人だらけということはない……が、確かに臭いはあるし、ゴミも他所よりは落ちており、獣人も見かける。にゃがみ原という町は、つまりはそういうところだった。
「噂が先行して、少し話が大げさになってるんだろうな」
噂話というのは常にそういうものだ。人から人への話題に上がる時には面白おかしく、少し盛って話すのが常なのだから、繰り返されれば大げさになっていく。
「っと、ここか」
地図から顔を上げて目の前の建物を見る。ボロアパート……と言ってしまっては物件に失礼か。風呂トイレ別で家賃も決して高くないことを思えば、十二分に綺麗な建物だ。
「で、俺の部屋は……」
部屋の前まで歩いていく。幸いにも外見は綺麗な状態で、扉に目立った汚れもなかった。これなら十分に問題なく住めるだろう。
「引越屋は午後で、大家さんも後に来るって話だから……少し、腹に何か入れてくるか」
グッと体を伸ばし、地図で現在地を確認して、ついでにアプリに登録していた「自宅」を新居に変更してからアパートを出て、ゆっくりと歩く。
「えーと……町田駅の方まで行けば何かあるかな」
時々地図を確認しながら歩を進めていく。
道を覚えるように特徴を確認し、すれ違う人にはなるべく愛想良く挨拶し……暫く行ったところで水音がして、足を止めた。
「ここが……にゃがみ橋か。ここから向こうが町田なんだな。徒歩15分ってとこか」
町田に入りさえすれば駅はすぐそこだ。引越のことを思うと、景気良く焼肉でも食べて力を蓄えようか、いやいやここはカツ丼や蕎麦なんかもありか……などと考えつつ橋を渡る……と、
「獣人だ! 向こうで歩きタバコの獣人が出たぞ!!」
「町田を守るぞ! にゃがみ原に追い返せ!」
ダダダダッ……。
目の前を白の覆面で顔を隠し、長い棒を携えた男……恐らく男だろう、者たちがバタバタと走り抜けていく。
「……なんだ?」
野次馬根性、というわけでもないが、言ってる事が気になって小走りに彼らを追いかける。
(追い返せってことは……なんか攻めてきたってことか? よくわからんが、にゃがみ原から獣人の軍隊が攻めてくるからなんとか追い返そうとしてる? いや、軍隊ってことはないだろうが……じゃあヤクザとか? にゃがみ原の獣人ヤクザと町田の……白装束の集団が抗争中ってことか? だとしたら下手に追いかけるのもまずい……か?)
色々想像を巡らせてるうちに目的地へは着いたようだった。にゃがみ原と町田を結ぶもう一つの橋、大森橋だ。その中央に白装束の男達が集まっている。
「この獣人がぁ!」
「我々の目が黒い内はこの町田で勝手なことは許さんぞ!」
「貴様のような犯罪者はさっさとにゃがみ原に引き返せ! 町田の美しい街並みに、ルールを守れん犯罪者は不要!」
言うほど町田の街並みは美しかっただろうか。
そんな愚にもつかないことを考えながら橋の中央へ向かい……
「! お、おい、子供に何をしてるんだ!」
「にゃ〜」
だっと駆け込んで白装束達の前に立つ。
白装束達が囲んでいたのはたしかに獣人だった。そこまでは予想通りではあったが……予想外だったのはその獣人がおよそヤクザのような輩には見えない、学生服を着た少女だったことだ。
「大の大人が子供相手に武器まで持って……い、一体なんのつもりだ」
「あんた、観光客か?」
お前には関係ない。
お前はそいつの身内か?
等という返答が来ることを予想していたが、実際に返ってきたのはそれからはおよそ外れた……予想外の反応だった。
そのことに微かに動揺しつつ答える。
「い、いや、今度にゃがみ原に越してきた者だ。あんた達が子供を囲んで叩いてるように見えて……」
「子供がタバコを吸うか?」
白装束が獣人の口元を指さした。振り返ってみると、遠目からは気付かなかったが、たしかにその口元には学生服に似つかわしくないタバコが赤く火を灯している。
「だからって、が、学生服を着てるんだから……」
「町田は歩きタバコ禁止だ。守れないような獣人は一人二回までぶっ叩いていいように条例で決まっている」
「いや、そんな無茶な条例あるわけないだろう」
「ある」
「……あるのか?」
「ある」
「…………」
少し時間を置いて考え……。
「……だ、だが仕方ない面もあるんじゃないか。たしか、にゃがみ原は歩きタバコが許可されてるんだから、市の境が分からずに越えてしまうことも……」
「その許可されてること自体が異常だと思わんか? 何で俺達がこんなもん付けて、こんなことしてると思う?」
「い、いや、それは……」
それはそう。と思わず言ってしまいそうになって、慌てて口を紡ぐ。その様子に勢いを得たのか、別の白装束の男が重ねて言ってくる。
「日に百匹はいるんだよ、歩きタバコだの歩き酒だのしたまま町田に入ってきて、挙句道端にゴミを捨てていく馬鹿な獣人が。最初は俺達だって口で注意してたさ。そのうちわかってくれるはず、ってな。けどな、一向に減りやしない。むしろ増えてやがるんだ。昨日百匹注意しても、今日は二百匹来る。しかもうちの百匹は前日と同じ奴らだ。結局獣人なんてのは人間じゃねえんだ。言葉で言っても分からねえんだよ。で、町田じゃ日に二度までこいつをぶっ叩いてもいいって条例が出来た。そうでもしねえと分からねえんだよこいつら。町田とにゃがみ原の間に関所でも作れれば良かったんだろうが……」
「せ、関所って……それじゃまるで隔離じゃないか……」
おう也の何とか絞り出した反論には、別の男が反応した。はあ、と溜息を吐きながら言ってくる。
「……あんた、にゃがみ原にこれから住むんなら知っとけよ、そこは実質的には獣人どもの隔離場所だぜ」
「いやそんな……」
「見ろよ、そいつ」
指されて、改めて、学生服の獣人へ目を向ける。
「あんだけぶっ叩かれてもまだタバコを吸ってるんだぜ。人間扱いなんて、するだけ無駄なんだよ」
その場に倒れこみながらも獣人はタバコを咥えたままだった。おう也と白装束の男達のやりとりを聞いていないわけはないはずだが、それでもプカプカと煙を出している。
「き、君……聞いただろ、町田は歩きタバコ禁止なんだ……これは預かるからね」
「にゃ、ニャーは何にも悪いことしてないのに……」
バッと口から直接タバコを取り上げる。唾液が付いていて臭いが凄かったが、それはグッと堪えた。獣人が恨みがましい目でこちらを見てくるが、今はその視線を気にする余裕はない。
「……タバコを吸ってないなら、俺達もそいつに用はない。あんた、にゃがみ原に住むんなら、そいつらに何か期待するのはさっさとやめた方がいいぜ」
それだけ言うと、男達は振り返って、歩いて行く。その後姿にホッと一息落ち着き……ふと思いついて、声をかける。
「あっ……け、けれどその、叩いていいようになってからは歩きタバコも減ったんだろう? なら……」
「減ってたら、今度町田で叩いていい数が3回に増えたりしないだろうよ」
男達は振り返りもせずにそれだけ答えて離れていった。
その姿が見えなくなったところで、ふう、と一息ついてから学生服の獣人に声をかける。
「……おい、大丈夫か?」
「にゃあ。タバコ返すにゃ」
「君何歳だ? まだ二十歳になってないだろ? いくらにゃがみ原が特区だって言っても、二十歳未満の喫煙は禁止されてるんじゃないのか?」
「知らないにゃ。早く返すにゃ」
「知らないって……」
「にゃあ、お前泥棒にゃ? ニャーのタバコを盗む犯罪者にゃ?」
「……。ならここに警察呼んで聞いてみるか?」
話してる内に面倒になって、本当に警察呼んで引き渡すのが早くて楽なんじゃないかと思い始めたので言ってみる。
「にゃっ!? い、いや、タバコ返せばそれでいいにゃ。警察呼ぶほどのことじゃないにゃ」
残念ながら同意は得られなかったが、まあ予想通りといえば予想通りだ。獣人から取り上げたタバコの先を地面に擦って火を消してから言う。
「ほら、もうこうなっちまったらしょうがねえだろ、このタバコは諦めろ」
「にゃ!? ニャーのタバコにゃ!」
「代わりに飯奢ってやるから」
「にゃー。じゃあ、タバコ一箱も付けるにゃ」
「無茶苦茶言うな、君……」
「じゃないと割に合わないにゃ」
「……君が喫煙していい年齢だったらな」
「にゃ。それならまあ許してやるにゃ」