ヤニねこの大家さんはいかにして大家さんになったかの話 作:namamugi
「どやー」
帰宅すると、扉の前にアルねこが1枚の紙を掲げて待ち構えていた。待ち構えつつも缶ビールをストローでチューチュー吸っている。
おう也は何も言わずにアルねこの手元の紙に目を通した。赤字で大きく書かれている。成績評価:B。
「まあ、よくやったな、大したもんだ」
「ふふーん。ハゲちゃん、梅酒よろしくねー」
「いや、それは残り全部取れたらって話だっただろ。まだ一つだけじゃねえか」
引っ越してきてまだ数週間だが、アルねこについて確かに言えることは、やたら記憶力が悪いということだ。恐らくアルコールの摂り過ぎだろう。
「むー……。じゃあ、どっかでお酒奢ってー」
「いやだから、まだ一つだけだろ」
「奢ってくれないとやる気でないー。単位取るたびにちょっとずつご褒美が欲し~」
大学生とは思えない駄々のこね方である。見た目が小学生であることを思えば相応かもしれないが、そう見るには片手の缶ビールが邪魔過ぎる。
「そんな奢れるほどオレも懐に余裕あるわけじゃ……」
「奢ってくれないと次の単位取れないー」
うっとアルねこが口を押さえる。
瞬間、玄関先の大掃除と、酒を一杯奢ること。どちらが安く済むか、おう也の頭の中で猛烈な勢いでそろばんが弾かれた。
はあ、と溜息を吐く。
「あー、もう、しょうがねえなあ。今日だけだぞ」
「で、なんでお前までいるんだよ……」
おう也が呆れた声を出したのは、町田の居酒屋の個室だった。
チェーン店で、安く飲み放題がつけられることで有名な店だ。
アルねこに酒を奢るだけのはずが、なぜかヤニねこと辰野までついてきている。
「にゃ。奢りって聞いたから来たにゃ」
運ばれてきたビールを気分良さそうに飲みながらヤニねこが言う。既に若干酔っているのか、頬に赤みがさしている。
「お前には奢らねえよ! アルねこの……まあ、なんていうか……残りの単位を取るための景気づけが目的なんだから、お前関係ねえだろうが!」
ちなみにこれを言うのは3回目である。おう也も既にビールを一杯飲みきっているせいか、普段より少し声が大きくなっていた。
「あ、す、すいません、大家さん。私、自分の分は自分で出しますから!」
ヤニねこに連れられて一緒に来ていた辰野が少し小さくなりながら言う。そんな彼女の前にも、空になったグラスが一つ置かれていた。
おう也はかーっと、手元のビールを飲み干して言う。
「聞いたかヤニねこ。これが社会人の姿だよ。自分のことは自分でやる。自分の分は自分で払う。当たり前だが大切なことだぞ」
ヤニねこも負けてはいない。まだ半分以上残っていたグラスを、一気に口に注ぐと、ゴクゴク喉を鳴らした。
「っにゃー。稼いでる奴が稼いでない奴に奢るのが社会人にゃ。この中で大家が一番稼いでるんだから大家が奢るにゃ」
「すいません、お待たせしました、こちらご注文の……」
「こっちこっち~」
アルねこが、個室の襖を開けて入ってきた店員を迎える。その前には、他の三人の分を合わせたよりも多くの空きグラスが並んでいた。
「どうせ飲み放題の一番安いプランなんだから気前よく奢るにゃ」
「飲み放題の一番安いプランくらい、自分で出せー」
「にゃー」
ついにおう也とヤニねこが向かい合い、互いの両手をがっしりと組み合った。これから腕相撲でも始めるような勢いだ。
「や、ヤニねこちゃん、大家さんも、そのへんに、ね?」
辰野がオロオロするが、二人は互いの手を掴んだまま、一歩も引こうとしない。
「あー、トイレー」
「あ、トイレは出てすぐ右のとこ……」
「右……あっ」
立ち上がり、個室を出たアルねこが驚いたように動きを止めた。珍しいその様子に、おう也とヤニねこが争うのをやめて目を向ける。
「おお、アル子やんか。珍しいなあ、あんたがこんな個室居酒屋来るなんて」
「カンサイー」
アルねこの横からヒョイッと背の高い獣人の女が顔を出した。
「知り合いか、アルねこ?」
「今年同じ授業あった人ー」
「いや、あんた、あんだけノート貸して写させたったのに、それだけかい」
ビシッと背の高い獣人……カンサイが手を動かしてツッコミを入れる。なんとは言わないが、おう也は随分コテコテだなと思った。
「にゃー」
「な、なんやあんた」
いつの間にかおう也の向かいから抜け出したヤニねこが、カンサイの前へと動いた。初対面の相手に、全く物怖じする様子がない。
「なんか面白いことするにゃ」
「え? い、いや、なんやの急に」
「関西はみんな面白いってテレビで言ってたにゃ。お前もカンサイならなんか面白いことするにゃ」
言いながら、つかつかっとカンサイの目の前まで寄っていく。
おう也と辰野はあんまりと言えばあんまりに失礼なその様子に、若干酔いを覚ましながら言った。
「お、おいヤニねこ。それはいくらなんでも無茶振りってやつじゃないか」
「そ、そうだよヤニねこちゃん。いくら関西の人だって、そんな急に面白いこと出てこないよ」
「ちょっと待ちい!」
カンサイがおう也と辰野の前にバッと手を開いた。
「舐めてもろうたら困る。ウチは急なフリでも最高に面白く仕上げてみせるで!」
「いや、そんな無理しなくても……」
「やるにゃ、やるにゃ」
「ひゅーひゅー」
おう也が流石に申し訳なくなって言うが、そのすぐ前で、ヤニねこと、ついでに隣にいたアルねこの囃す声が煩く、カンサイまで届かない。
カンサイはくるりと背を向け、背筋を伸ばして爪先立ちになった。片手をひょいひょいと天井に向かって伸ばし、妙に甲高い声を出す。
「昨日の岡本教授!」
沈黙。
「……?」
「……?」
「……?」
「……? あ、トイレー」
全員が黙り込み、周りの個室の音がやたらと煩く聞こえるようになってしまった中で、アルねこがさっとその場から離れた。
「え、えーと、今のはその、うちの大学に岡本教授ってセンセがいてな。その岡本教授が昨日、教室に入ってくる時にな……」
「くそ面白くねえにゃ」
諦めきれなかったのか、カンサイがなんとか解説をしようとするところを、ヤニねこが上から叩き切る。
カンサイはうぐっ、と衝撃を受けたような動きをした。
「ま、まあ、その、急なフリだったからな。しょうがない、しょうがない……」
「そ、そうそう、そんなに急に面白いことなんて中々思いつけないからね」
おう也と辰野がなんとかフォローを入れようとするが、ヤニねこはそんな二人を気にかける様子もない。
「テレビが嘘ついたにゃ。関西人面白くねえにゃ」
「ちょちょちょ、ちょっと待ちい!」
またなんだか、コテコテだなあ、とこっそりおう也が思った先で、カンサイがヤニねこにビシッと指を差す。
「ええやろ、そこまで言うなら、うちの爆笑ネタ見せたろやないかい」
「い、いや、そんな無理しないでも……」
「いーや、やらせてもらう。ここで引いたら、関西人としての沽券に関わる!」
辰野が言うのにも関わらず、カンサイは一度廊下へ引っ込み、三人の視界から姿を消した。
次の瞬間、カンサイは両腕を奇妙な角度に曲げ、勢いよくジャンプしながら個室の入口へ飛び込んできた。
「ドボーンとするニャボーン小鶴! どや!?」
ピシャッ。
ヤニねこが問答無用で個室の襖を閉めた。