ヤニねこの大家さんはいかにして大家さんになったかの話 作:namamugi
朝日が眩しい中を、車が街中の道を進む。
「こっちか?」
「っすね」
中で運転しているおう也がハンドルを切って車を右に曲げる。おう也のスマホで地図アプリを見ていたヤクが、ふわあっと薄くあくびをした。
その様子に若干の申し訳なさを覚えながら、おう也が呟く。
「しかし……何考えてんだ、アルねこのやつは……」
「いやまあ……予想してたから大家さんの番号控えてたんじゃないっすかね」
「いや……にしたって飲み会の最中に本当にどっか行く奴があるか?」
「トイレって言ってたんすよね?」
「ああ、カンサイって大学の知り合いが来てて、色々ウダウダしちまったが……」
「それで、戻ってこなかったんすよね?」
「ああ、だな……」
赤信号に捕まって車が止まる。ヤクがもう一度、眠そうに欠伸をした。
昨日、ヤニねこや辰野達との飲み会の際、アルねこがトイレと言って席を立ったまま、帰ってこなかったのだ。
閉店近くに流石におかしいということで、念の為店の人にも聞いたところ、席を立った時に、店の外へ出ていく姿を見かけたが、それ以降は見ていないという。
おう也は誘拐でもされたのかと、警察に通報しようとしたのだが、ちょうど同じタイミングで帰ろうとしていたカンサイが顔を出し、『アル子にはよくあること。自宅でケロッとしてるか、迷子になってるなら明日の朝頃に迎えに来いって連絡が来る』と言って、それをやめさせたのだ。
不安になりながらも一度おう也はアパートに戻って、アルねこの部屋のチャイムを鳴らし、反応がなかったところでますます不安になって、翌朝にも帰ってなかったら絶対に警察に行こう、と決意して目覚ましをかけ、その翌朝になってアルねこから『府中にいるから迎えにきて』と連絡があったのだ。
どこをどうやったら町田の飲み屋街から府中に行ってしまうのかは全くの謎だったが、ともあれ一安心したおう也は電話番とナビ役としてヤニねこを起こそうとし、一向に起きてこない中で、隣の部屋のヤクがゴミ出しに起きてきて、自分が代わりに行くことを提案したのだった。
「にしても、悪かったな朝早くから。本当はヤニねこのやつを付き合わせたかったんだが……」
「いえ、どうせ今日は暇でしたから。テスト返ってきて、まあまあ良かったんすよ。ハメ子の奴は2つ補習になって、結構へこんでましたけど」
「おいおい、あいつ補習、食らっちまったのか」
「はい。まあ、試験期間中も結構ゲームとか配信とかしちゃってたみたいっすから。自業自得っす」
「うーん、何言われても、配信機材、テスト終わるまでは返さない方が良かったのかね」
「いや、そんなことしても、あいつ新しいの買うだけなんで。どこまで行っても本人の問題だと思いますよ」
本人以外が出来ることには限界があるっす、とヤクが続けた。
信号の色が変わり、車が発進する。と、同時にヤクねこに預けた大家のスマホが震え出した。
「あ、着信っす」
「アルねこか?」
「みたいっす」
スマホの着信画面に表示された名前を見ながらヤクねこが言う。
おう也は頷くと、通話がしやすいように車のラジオを切ってから答えた。
「出てくれ。さっき、なんか目立つもの探せって言っておいたんだ」
ヤクねこがスマホの画面をあまり慣れない手つきで叩いてから耳に当てる。そういえば、スマホは持っていないと言っていた。
「……はい、ああ自分、ヤクっす……ええ。代わりに自分が出てるっす……はい、多摩川っすね。それで……」
話しつつ、ヤクがもう片方の手で鉛筆を持ってメモを取る。しばらくその作業を続け……。
「一旦府中の方を目指す、のままではいいみたいっす。で、多摩川近くにいると」
「……そりゃ川は目立つが、広過ぎるだろ、府中で多摩川付近……。もっとなんかこう、分かりやすいもんないか探すように言っといてくれ」
「っす」
おう也の言をそのまま伝え、ヤクがピッと電話を切り、おう也が再びラジオをつけた。
しばらくラジオの音声だけが車の中に響く。
ーー次のリクエストはにゃがみ原市にお住まいカキカキネコさんから、90年代に大流行したアニメのオープニングです、みなさんも思い出深いーー。
「……大家さんは将来、何になりたいとかあるんすか?」
「将来……まあ、このままいけば、今の会社で定年まで勤めて、って感じじゃねえかな。老後はまだ何にも考えてねえ」
「そっすか」
ヤクが窓の外をボーッと見る。
海か山でもあれば絵になる光景だったのかもしれないが、生憎と町中だ。よくあるチェーン店がポツポツとあるに過ぎない。
「……なんていうか、未来が決まってないって不安すよね。自分、大学は行かないつもりっすけど、じゃあどっかに就職するかって言ったら全然宛もなくて」
「……」
「にゃがみ原だと、獣人専用の日雇い窓口みたいなとこも使えるみたいなんすけど、ずっと日雇いってわけにも行かないと思いますし……」
ヤクが窓を少し開けた。懐からタバコを取り出し……口にせずに戻す。既ににゃがみ原の市境は越えてしまっている。高校生がタバコを吸えば、今度は一人でまた補導されてしまうだろう。
若干口寂しそうにしながらヤクが続ける。
「ちゃんと就職しようとしたら、今度はたぶん、口座持てないのに就職ってどうやるんだ、今時、給料を現金で払うとこなんてあるのか、みたいな話にもなってきそうで」
「まあ……そうだな。それは、残念だが、間違いなく大きなネックになるだろうな」
おう也が頷いた。一瞬誤魔化すことも考えたが、現実問題、口座のことは必ず問題になるだろう。それを口先だけ誤魔化しても仕方がない。
ヤクが外から入る風を受けながら言う。
「テスト期間中は勉強だけやってりゃ良かったんで、逆に良かったんすけど。終わったらなんだか、ふわふわっと先のこと考えちゃって……アルねこさん、お酒飲むのなんでか知ってます?」
「味じゃなくて多幸感が目的だとか言ってたが……」
「自分もそれ、分かるんすよ」
再びの赤信号で車を止める。
ヤクが懐のタバコに視線を落とした。
普段と違うその表情の危うさに、おう也には懐のものがタバコよりも更に良くないものに見えた。
「とにかく頭に浮かんでくる嫌な考えを潰したくて、先のことなんて何にも考えたくない時、大家さんにも……やっぱないっすかね? 大家さんは、なんていうか、人生上手く行ってそうですもんね……」
言ってから、ぶんぶんと頭を振る。言うべきでないことを言ってしまった後悔が見て取れる。
「いや、すいません、今の忘れて……」
「そういう時があるかないかで言えば、死ぬほどあるぞ」
会社にいると半分くらいはそんな時間だし、ヤニねこといると、ほぼ全部そんな時間だ、とおう也が付け足した。
「未来は不安なもんだ。何しろ分かんねえからな」
信号が青になり、車が走り出す。
「あのアパート」
おう也が慎重に運転しながら続ける。朝日がちょうど正面に来て、少し視界が悪い。
「買うのに俺は貯金をほとんど吐き出して、ローンまで組んでる。買う時に色々計算はしたが、どうやったって元を取るのに30年はかかる。不安だよ。そんな状態なのに、火事でも起きて全部灰になっちまったらどうしようって、思うこともある」
言いつつ、ラジオの電源を切ってサンバイザーを下ろすと、眩しさが少し和らいだことを確認してから続ける。
「で、そういう時どうするかって言うと……俺は取り敢えず計算することにしてる」
「計算っすか?」
「ああ。さっきの話で言うなら、アパートが全部灰になっちまったら、火災保険が効くのはどこまでで、いくらローンが残って、その分返すには月いくらを何年つぎ込んで、ってな」
「な、なるほど……」
あまり、これがヤクの欲しがっているような答えではないのだろうな、とは思いつつもおう也は続けた。
「で、そうなると薄っすらだが未来が見えてくる。分からねえのが不安なら、少しでも頭使って分かる範囲を広げるしかないってことだな」
「出来るっすかね、自分にも」
その響きに前向きなものを感じて、おう也はすぐに頷いた。
「出来る。さっきハメねこの補習のことをとやかく言ったが、人のこと言えるほど、立派な成績取ってた訳じゃねえんだ、俺も」
あ、これ他のやつには秘密な、とつけ足す。
ヤクは驚いて目を丸くした。
「そ、そうなんすか? なんか、意外だな……」
「だから、お前にも出来るさ、先のことも忘れるくらい勉強に打ち込めるんだ、大したもんだよ。いい成績も取れて立派なんだから、もっと胸を張っていい」
「っす」
ヤクが顔を再び窓の外へ向けた。照れたのかもしれない。
と、再びおう也のスマホが振動した。ヤクはそれに表示された名前を見ると、すかさず出る。
「はい、アルねこ先輩、ヤクです。……ええと……ビ、ビール工場っすか……はい、アルコールの匂いに惹かれて……なるほど……」
ヤクが一旦、通話口を塞ぎながらおう也に言う。
「あの、なんかビール工場見つけたから、見学ついでに試飲させてもらえないか聞いてくるそうです。それで、見学終わってから迎えに来てほしいと。ビール工場の場所はこっちであってそうっすけど……」
「もう迎えに行くのやめようかな……」
運転するおう也はどうあっても試飲できないし、にゃがみ原でないのだから、ヤクも飲めない。
おう也はちょっとビールが嫌いになった。