ヤニねこの大家さんはいかにして大家さんになったかの話 作:namamugi
「大家さん、おはようございます。この間はすいませんでした……」
辰野が頭を下げながら、階段を降りてきた。エロ漫画の締め切りがー、と言って数日間引きこもっていたせいなのか、髪は乱れ、表情にはかなり疲労が滲んでいる。
「おお、先生。お疲れ様だな」
「いやあ……なんとか原稿終わりました。最後三日徹夜でしたよ。それで寝る前に一度、太陽の光でも浴びようかなと……」
「大変だったな、おい……。ええと、もう片方の雑誌連載の方は今は一休み……次の連載に向けて英気を養い中ってところだったか?」
「ああ、いえ。そっちも、いつまでも休んでいられないので、いくつかネームを担当さんに見てもらってて、評判良かったやつを連載会議に向けて仕上げていこう、って感じです」
「おお、凄いな、もう新しいのに向けて動いてるのか」
素直に感心して、おう也が頷いた。
辰野は少し照れながら続ける。
「いやあ……連載してた時は毎週漫画描くなんて無理だーってなってたんですが、いざ連載がなくなると、手を動かしてないと不安で不安で……。これも職業病ってやつなんですかねえ」
「いやあ、真面目に生きてるってことじゃねえかな。まったく、ヤニねこのやつに爪の垢煎じて飲ませてえくらいだよ」
うんうん、と頷く。と、そこに下の階から、欠伸混じりにカンサイねこが出てきた。
「ふわあ……あれ、大家さん、そちらは?」
「おお、カンサイ。まだ紹介してなかったな、こちらは漫画家の辰野先生だ。先生、こっちはこの間入居してきたカンサイ。アルねこと同じ大学生だ」
「ああ、この間アルねこと飲んでましたね。よろしゅうに」
辰野がジッとカンサイを見つめた。そのまま一歩前に出る。また、ジッと見て……一歩前に出る。
「……」
「な、何?」
「あ、ああ、先生はちょっと目が悪くてな……」
おう也の説明が終わる前に、バッと辰野が飛び退いた。そのままおう也の背に隠れて耳打ちしてくる。
「あの、この子、私が関わっても大丈夫なタイプです……?」
「何言ってんだ?」
「いや、めちゃくちゃギャルギャルした陽の者って感じの子じゃないですか? ヤニねこちゃんみたいに臭ってもこない……どころか、なんかいい匂いするし……私が関わったら湿っぽい臭いが移ったりしません?」
ヒソヒソとおう也の背で続ける。
アパートの中では比較的まとも(この間の暴走は一旦置いておいて)な辰野にしては奇妙な様子だ。
まあ、三徹であればまともに理性が働いていないのも不思議ではないし、早く寝かせてやった方がいいかもしれない。
そんなことを考えていたおう也に対し、カンサイはどう反応したらいいのかわからなさそうに、戸惑っている。
「あ、あのー?」
「服もなんかオシャレで……こんなボロシャツ着た私が話してたらあまりに分不相応っていうか……世間からバッシングされません?」
「どんな世間だよ、そりゃ……」
「ええと……なんかウチ、まずいことしました?」
カンサイがどこか申し訳なさそうに言ってくる。
辰野は慌ててブンブンと手を振ると、
「い、いいいいいいや、全然そういうことじゃないの! むしろ私がまずいっていうか、存在しててごめんなさいっていうか……」
「は、はあ……」
「ええと、そ、そうだ、何か好きな漫画とかある!? ニャンマガで! 私、真賀里先生とか知り合いだから、サインもらってあげようか!?」
「ええと……すいません、ニャンマガってなんです?」
「う、生まれてきてごめんなさい……」
完敗だった。
辰野がその場に倒れかけながら、おう也にもたれかかってくる。
「うう、大家さーん……」
「そんな動揺しなくても……」
「だって〜」
「あー、これはヤニねこの評価なんだが……」
ヒソヒソと辰野に耳打ちしながら、しれっと押し付ける。まあ、いつも迷惑を押し付けてきてるのだから、偶にはいいだろう。
「この子、ギャグが面白くないらしい」
「……えーと、カンサイさんなのに?」
「ヤニねこもそうだったが、その関西人に対する信頼はどっから来るんだ……」
「いや……なんかそう言われると、あんまり怖くなくなってきましたね」
「意外と先生も理不尽だな……」
辰野のテンションが急激に切り替わる。
きっと睡眠不足で切り替えがうまくいってない……というか、極端になってしまっているんだろうな、とおう也は他人事のように思った。
「えーと、カンサイちゃん? 随分オシャレだねー。これ、結構いいのじゃない?」
「あ、分かります? 評判良いんですよーこれ」
「ニャームロのやつでしょ?」
「あ、詳しい」
「この間オシャレ漫画を描こうと思って断念したから……。描いてる内に、私には致命的に向いてないと気付いたんだよね……」
「えー、そんなことないですよー。今度一緒に買い物とか行きません? ウチ、コーディネートしますよ?」
「ふふふ、カンサイちゃん。私が向いてないと気付いたのはね、そうやって服を選ぶのがなんにも楽しくなかったからなのよ」
「知ったら楽しくなりますよー」
そんな会話を聞きつつ、内心おう也は感動していた。
まさかこのアパートでこんな、女の子同士のキャピキャピしたような会話が行われる日が来るとは思わなかったのだ。たとえ片方が三徹後でボロボロだとしても、だ。
そんな会話が暫く続き……おう也がジーンとした感動から帰ってきた時には、どうやら話は別のところに移ったようだった。
「へー、カンサイちゃんはお笑いが好きなの?」
「そら、関西人のアイデンティティですから」
「あ、アイデンティティとまで……」
「ヤニねこのやつ、うちをおもんない言いよったんで、何とか笑わせたろ思ってるんですよー」
「へー。じゃあヤニねこちゃんを爆笑させられそうなギャグ教えてあげよっか? あの子のこと、結構詳しいよ私」
「ホンマですか!? 是非お願いします!」
「オッケー。じゃあ、大家さんこっち来てもらっていいです?」
嫌な予感がした。
思わずその場を一歩退いたが、ガシッと持っていた箒を辰野に掴まれてしまう。
そのまま抵抗する間もなく、辰野に体を引き寄せられ、頭をがっしりと掴まれる。
「はいじゃあ、あっち向いて下さい。で、ここをこうして、こっちにこうして……」
「せ、先生? なんか頭の後ろでキュッキュと音がしてるんだが、大丈夫なのか?」
「大丈夫です。可愛くするので!」
「それ大丈夫じゃないだろ! やっぱ先生、今日はさっさと寝た方が……」
「はいできた! せーの!」
バッとおう也が回され、ハゲた頭の後頭部が晒された。
「親指姫!」
「ブフォッ」
辰野が宣言し、カンサイが思わずといった様子で吹き出した。そのまま腹を抱えて笑い出す。つられたのか、辰野も大笑いしている。
「いいでしょこれ? 大家さん初めて見た時からずっとやってみたかったんだよねー。ヤニねこちゃんも大爆笑だよ」
「めっちゃおもろい……姐さんと呼ばせて下さい!」
「おい、これどうなってんだ、後ろ! 大丈夫なんだよな本当に!?」
おう也には何が面白いのかさっぱり分からない。分からないが、頭の後ろに何かを描かれたこと、そしてそれがカンサイの爆笑を誘うものだったことは確からしい。
まあ先生のストレス解消に繋がるならいいか、とおう也は内心思う反面、描いたのが水性ペンであることを願うのだった。