ヤニねこの大家さんはいかにして大家さんになったかの話 作:namamugi
月が替わってしばらく経ったというのに、暑さは一向に和らぐ気配がない。
おう也は早朝の掃除をしながら、ふと今日という日について思い出したことがあって、階段を上がっていた。
(アルねこやつの大学はたしか今日からだったはずだが……。あいつ、ちゃんと覚えてるだろうな……)
そのままアルねこの部屋のチャイムを鳴らし……もう一度鳴らす。
それを何度か繰り返し、いくらチャイムを鳴らしても全く反応のない扉にいよいよ業を煮やして、試しにドアノブを回してみると、案の定、鍵はかかっていなかった。
「アルねこ、起きろー」
部屋の中を見れば、ようやく起きたのか、アルねこが眠そうに目を擦っている。
「んあー? ハゲちゃん、出張は?」
「とっくに終わったよ。お前、昨日で休み終わりで、今日から大学だったろうが」
「……そうだっけ?」
首を捻りながらアルねこが返してくる。どうも本気で言ってそうなその様子に、おう也は溜息を吐いた。
「忘れるなよ……。ほら、さっさと朝食摂って、大学行ってこい」
「うーん……今日は自主休講にしようかな……」
アルねこが眠そうに言った。おう也はビシッとそれに指を差す。
「するな! まだ初日だぞ!?」
「でもどうせ初回はガイダンスとかだけだし、眠いしー」
「ええい、顔洗ってこい!」
「う〜」
あくまで立ち上がろうとしないアルねこにおう也は、頭を掻きむしると、ダダダッと玄関から上がってアルねこの側まで駆け寄った。
「しゃあねえなあ、ほら、行くぞ!」
「んー!」
アルねこをおぶってそのまま洗面所まで行き、頑として動こうとしない彼女の顔に、手ですくった水をぱしゃぱしゃとかける。
「どうだ、目え覚めたか!?」
「うー……」
流石に効いたのか、アルねこがブルブルっと体を震わせながら言った。
「ハゲちゃんがいじめるー」
「ええい、嫌なら自分で顔くらい洗え! ほら、飯食って着替えてこい!」
「うーん……このままでいい……」
「お前なあ……それ何日着っぱなしだよ」
「あー……3日くらい?」
「さっさと着替えろ!」
流石に自分で立った(まだフラフラはしていたが)アルねこを部屋に押し戻し、おう也自身は部屋から抜ける。
「……前から思ってたんだけど……」
後ろからアルねこが言ってくるが、時計を見ると、もう余計なことを言ってられるほどの余裕はない。おう也は急かすように遮って答えた。
「後にしろ、急がねえと間に合わねえぞ」
しばらくして、着替えと食事を終えたアルねこが部屋から出てきた。
おう也としては二度寝しだして、また起こすところから始めなければならないのではと、若干心配したが、幸いにしてアルねこはそのまま起きて準備をしていたようだ。おう也は内心安堵した。
「よし、ちゃんと持つもの持ったな? 今日何の講義があるかはちゃんと分かってるよな?」
「うーん。たぶん大丈夫」
「不安だ……」
たぶんと言われると、不安にならざるを得ない。
そもそも、今日から学校ということも忘れていたのだという事実を思い出して、おう也は益々不安になった。
ともあれ、もう大学へ向かって出なければ、そもそも遅刻してしまうことになる。おう也は相変わらずフラフラしているアルねこに肩を貸し、なんとか階段を下っていく。
「……何? アル子、骨折でもしたん?」
そんな二人の前に通りかかったカンサイ……アルねこと違い、キチンと身なりを整え、一目でこれから外出するのだと分かる姿のカンサイが、訝かしんで言ってくる。
アルねこは肩を貸されたまま笑顔で手を振った。
「あー、カンサイ、おはよー。ハゲちゃんがボクに学校行ってほしいらしくて、無理矢理連れ出されてるとこー」
「お前の為にやってるんだろうがー!」
おう也が頭を掻きむしりながら唸った。実際、肩を貸しながら階段を下るのは中々の重労働だったし、避けられるものなら避けたいというのは本音である。
カンサイはそんな二人を見ながら苦笑する。
「大変やねえ、大家さんも」
「……カンサイ、お前今日大学は?」
おう也のその言葉に感じるものがあったのだろうか。カンサイは露骨に警戒した様子になりながら答えた。
「今日は午後からだけですね。午前はこれからバイトの予定で。やから、アル子を大学連れてくみたいなのはちょっと難しいかなって」
「そ、そうか……。えーい、しょうがねえ。アルねこ、車出すからのれ!」
見透かされた形になったおう也は諦めて、自分でなんとかすることを決意した。アルねこをそのまま壁際に寄せ、車庫に向かう。
「本当、大変やねえ大家さん……」
カンサイが再び苦笑する。
しばらくして、おう也が車をアパートの前につけて呼びかけた。
「よし、乗れ、出すぞ!」
「りょーかーい」
言いつつ、アルねこが乗り込む。だがおう也はそれで車を出さず、アルねこもドアを閉めようとしない。
ハッと気づいた様子で、カンサイが自分を指差した。
「ウチも?」
「大学の近くにバイト先あるんだろ? 途中で降ろしてやるぞ」
「カンサイもーいこー」
言ってくる二人にカンサイは三度苦笑しながら、車へと乗り込んだ。
「うーん……人柄やねえ。そしたら、ありがたく世話になるとします」
「さっきの話なんだけどー」
「あん?」
車の中で、アルねこがおう也に話しかけてきた。カンサイは自分のバイト先をカーナビに登録している。
「ハゲちゃんってボクのこと好きなの?」
キキーッ。
思わず車ごとズッコケそうになったところを、なんとかコントロールを取り戻し、おう也はどうにか車体を真っ直ぐに戻した。
「あ、危ねえ……何言ってんだお前」
「いやあ、なんか凄いお世話してくれるし、やたら部屋来るから」
「そうしねえとお前、大学行かねえじゃねえか!」
「そっか〜。まあ、いいんだけどね」
「ったく、急に妙なことを言うんじゃねえ」
はあっと、おう也がため息混じりに言うその後ろで、カンサイがガシッとアルねこの肩を掴んだ。
「アル子……あんた、笑いのセンス、あるかもしれん」
「そー?」
満更でもなさそうにアルねこが答える。カンサイは心底もったいない、と言わんばかりの様子で拳を握った。
「こんな車ん中じゃなくて、場所が場所なら大爆笑取れてたのに、惜しいことしたなあ」
「俺をネタに笑いを取ろうとしないでくれ……」
運転席のおう也はもう一度ため息をついた。