ヤニねこの大家さんはいかにして大家さんになったかの話 作:namamugi
「あら、あなたが大谷さん? 随分男前な方ねえ」
「あ、はい。大谷おう也です。これからよろしくお願いします」
アパートに戻ったおう也を迎えたのは妙齢の女性だった。恐らく70は超えているだろう。手に持った箒がとても様になっている。勿論、獣人ではない。
「あらあら、ご丁寧にどうも。大家の大矢田です。こちらこそよろしくお願いします。これ、鍵ね」
「あ、ありがとうございます。あの……今更なんですが、ここって獣人も住んでたりするんですかね?」
鍵を受け取り、懐にしまい込んでから、先ほどのファミレスでのことを思い出して尋ねる。
大家は、ほほほっと笑って首を横に振った。
「ああ、安心してちょうだい。ここは獣人は禁止よ」
「禁止……」
「ええ。まあ、そうは言っても表立って獣人禁止とは言えないから、実際には話が来た時に書類審査ってことで弾いてるわ。昔、一人獣人が入ったことがあったんだけど、1年で部屋がゴミだらけ虫だらけにされてね。全面リフォームで何とか使えるように戻せたけど、補助金が出ることを考えても、まあ大赤字だったわ」
「それは……大変でしたね、はは……」
大家が肩をすくめて言うのには苦笑するしかない。
だがまあ、実際に学生服で歩きタバコをしている獣人の姿を見てしまった後では、恐らく特に大袈裟に言ってるわけでもないのだろう、と想像出来てしまった。
「本当にねえ。その獣人は家賃も滞納しがちで……たまったもんじゃなかったわよ」
「ええと、その獣人さんは今は……?」
「さあ。もうこの辺にはいないと願いたいけど……。とにかく、こっちとしては二度と関わりたくない相手でしたよ」
「ははは……大変なんですね、アパート経営も……」
おう也が言うと、大家は我が意を得たり、と言わんばかりに箒を振り上げた。そのまま声を一段大きくして言ってくる。
「大変ですよう、そりゃ! もう私もいい年だし、家は2駅向こうだから毎日のようにここまで来て掃除して整備してっていうのも中々重労働で……まあ今は上の階の漫画家先生と、大谷さんしか入ってないんですけどねえ」
「あ、結構空いてるんですね」
意外、と言うわけでもない。……だから価格が安かったというのもあるのだろう。
すると、大家は、今度は箒を横持ちにして、コソッと声を潜めて言ってくる。
「やっぱり、にゃがみ原って場所が良くないみたいでしてねえ。ここだけの話、にゃがみ原のアパートはみんな空室が目立つんですよ」
「それはやっぱり、獣人が?」
「ええ、そりゃもう。獣人と来たら臭いか汚いかばっかりで。そうでないのも夜のお仕事の方なんかばっかりですからねえ。出来れば関わりたくない、っていうのがみんな本音でしょう? せっかくこの近くにお仕事のある人もみんな、町田か座間の方に住んじゃうみたいで……だから、大谷さんみたいな方は助かるんですよ、本当」
「ははは、いや、まあ……色んな人がいるんですね、やっぱり」
まさか深く調べもせずに決めたから、今まさに引っ越すことを検討中、などとは言えるはずもない。曖昧な笑みで誤魔化しつつ、ペコリとお辞儀をして、部屋へと戻って引越の荷物を整理していく。
幸い、男の一人暮らしだ、そこまで荷物は多くなかったので、日が暮れて夜半に差し掛かる頃には一通り荷物を整理できた。
「夕飯は……今度こそ町田の方に行くか……」
腰を上げて立ち上がり、グッと体を伸ばしてコキコキと肩を鳴らす。
ガスは明日の開通予定だ。それまでは外食するか、コンビニで何かを買うことになるだろう。
部屋を出て、大家から受け取った鍵をかけ、改めて町田を目指す。
「……またあの獣人、歩きタバコで町田の方に行こうとしてないだろうな……」
再びにゃがみ橋にさしかかったところで、微かな不安が過って、曲がり道を1本変えた。少し遠回りにはなるが、大森橋の方へと向かう。
「……いやがった……」
遠目に橋で、タバコを吸っている獣人のシルエットが見える。今度は歩いてるわけではなく、欄干にもたれかかりながら吸っているようだ。
「おい、そこは町田だから歩きタバコはダメだって、昼も言っただろう……」
「は? 誰っすか、あんた?」
駆け寄って声をかけたのに対して返ってきたのは突き放すような反応だった。
街灯に照らされた獣人を見て、ゲッと言いそうになる。
獣人は獣人でも、昼に会ったのとは別の獣人だ。よく見れば金髪が目立つし、鋭そうな目つきは、昼ののんべんだらりとした獣人とは決定的に違う。考えてみれば当たり前だが、にゃがみ原なのだから、獣人はいくらでもいるのだ。
「す、すまん。人違いした。いや、お昼頃にここで歩きタバコをしていた奴がいて、町田の人達に叩かれてたんだよ」
「ああ、大丈夫っすよ。このくらいの時間だと奴等来ないんで。治安がどうとか偉そうな事言ってますけど、昼だけです、連中が活動してるの」
「お、おお。よく知ってるんだな」
昼に出会った獣人とは大分様子が違う。少なくとも、話をちゃんと聞いているし、ものをきちんと考えている感じがして、感心すると、金髪の獣人が肩をすくめた。
「やることなくて、最近この辺ずーっと歩いてたんで」
「ええと、学校とかは……?」
「行けないっす。停学中なんで。この間まで捕まってたんっすよ」
「捕まっ、え? ええと、それはまたにゃがみ原独特の獣人ルールみたいな話か?」
「そういうルールだったら注意はされても、中々捕まりはしないっす。捕まるのは本当に法律破った時だけっすよ」
「ほ、法律って……」
金髪の獣人が反応を楽しむように顔を傾け、大谷へ視線を滑らせた。
「……何したか、聞きたいっすか?」
「い、いや……」
「そっすか」
ビビった……というわけでもないが、こちらを覗き込むその様子に戸惑っていると、あっけらかんと金髪の獣人が離れた。短くなったタバコの火を消して、次のタバコを咥え、ライターを取り出す。
咄嗟に、声が出た。
「その、余計な事かもしれないが、停学中ならあんまり外に出たり、タバコ吸ったりはマズイんじゃないのか? 詳しいわけじゃないが、自宅謹慎とか、そんなイメージなんだが……」
「いやあ、それはそうなんすけど……まあ、実際のとこ、家にいる方が気マズイんで。嫌われてるんすよ、自分」
それだけ言うと、カチッとライターを鳴らして火をつける。
ボッ
その揺らめく炎の中に、不意に昔のことを思い出した。
――家にいたくなかった。
いてもいじめられる。勉強もできない。 友達なんて、恥ずかしくてとても連れてこられなかった。
ずっと昔のことなのに、そんな記憶だけは妙に鮮明に残っている。
「……お前、家にいたくないのか?」
金髪の獣人は煙を吐いて答えた。
「まあそうっすね。なんで、寝静まった頃にこっそり戻って、みんなが起きる前にさっさと家を出るのが基本っす。姿見せると面倒なんで」
「そんな……」
「家族も何も言わないんで、いいんすよこれで。このまま行けば退学で、まあ、そうじゃなくても1年後には卒業なんで。そしたら家出て、どっか部屋でも借りて、関わらないようにするんで。それまでの辛抱っすね」
「辛抱、か……」
「ああ、そろそろ時間なんで自分、失礼するっす」
「お、おい……」
声をかけたが金髪の獣人はもはやこちらを振り返ることもなく去っていった。