ヤニねこの大家さんはいかにして大家さんになったかの話 作:namamugi
一人目の内見者が現れたのは、誘った金髪の獣人が訪ねてくるよりも早かった。
タバコを咥え、ぷかぷかと勢い良く煙を燻らせながら、アパートに入ってくる。
「……」
そういう条件で出しているとはいえ、いくらなんでも、初対面から歩きタバコは非常識じゃないか。いや、内見希望者の名前が「ヤニ子」だった時点で多少の覚悟はしていたが、そういうものなのだろうか。等と思いつつ、煙が晴れたタイミングでその獣人の顔をちゃんと見る。と、
「あ」
「にゃ?」
見覚えのある顔だった。このにゃがみ原に来て初日、大森橋で出会った獣人だ。
「お前、2ヶ月前に大森橋で叩かれてたやつじゃねえか。ほら、ステーキとタバコ奢ってやったろ?」
「お前みたいなハゲ知らんにゃ」
「いや、あの時はハゲてなくて……」
「そんなことより、早く部屋入れろにゃ。タバコ吸ってもいいとこにゃ」
「そんなことって……ま、まあ、どうあれ内見は歓迎だ」
気を取り直してアパート2階へ案内し、鍵を開ける。すると、何も言わずにタバコを咥えたまま獣人が入って行き……。
「いや、ちょっと待て! 何タバコ吸いながら入ろうとしてんだ!?」
「? タバコオーケーの部屋にゃ?」
「そりゃ借りたやつが吸うのがオーケーであって、まだ借りてもいないやつが吸ったら問題だろうが!」
「面倒臭いにゃ。別にいいじゃないかにゃ」
「良い訳あるか! せっかく綺麗に掃除して畳も張り替えたのに、灰でも落ちたらどうすんだ!」
「どうせ誰か借りたら落とすにゃ」
「その誰かが部屋を借りる時に不快に感じるだろうが!」
「にゃ〜。ごちゃごちゃうるさいにゃ」
鬱陶しそうに獣人が封筒を押し付けてくる。
「今月分の家賃だにゃ」
「は?」
呆気にとられるおう也をよそに、そのまま、獣人は当然のように部屋へ上がり込んだ。そして辺りをキョロキョロ見回す。
「お、おい……」
その後ろからおう也が顔を出して呼びかけようとするが、
「……灰皿がないにゃ」
そう言って、獣人はタバコを畳に向け……。
「わーっ待て待て、馬鹿、やめろ!」
咄嗟に飛び込んで、タバコを持った手を押さえる。間一髪、畳に焦げ跡がつくことはなかった。
「にゃあ……タバコオーケーで募集してるんだから、灰皿くらい用意しとけにゃ」
「いや、内見に来たやつがタバコ持って部屋に入った挙句、いきなり畳で火を消そうとするとか誰にも想像出来るか!」
「もう家賃も払ったんだから住人にゃ」
「はあ? い、いや決めてくれるのはありがたいが、引越とかは……」
「ニャーはタバコだけあれば生きていけるにゃ」
「いや、そうじゃなくて家電とか着替えとか……」
「その内妹ちゃんが持ってきてくれるにゃ」
「ええ……」
「ん!」
「ど、どうした?」
「うんこにゃ!」
「ええ……」
タタタッ。バタンッ。ブリュブリュブリュッ。
男が同じ部屋にいることを物ともせず、トイレで派手過ぎる音を立てるのを聞いて。
「……早まったかもしれない」
モワッとした臭いと、トイレから上がるタバコの白煙を前に、なんで獣人を嫌がる大家が多いのかを、ほんのり、身をもって理解してしまうおう也だった。
「にゃ。なんでニャーの部屋にまだいるのにゃ」
「そりゃまだ色々やることがあるからな……。家賃渡してはい終わり、とは行かないんだよ。契約の書類にサイン貰ったりしなきゃいけなくてだな……」
「にゃー。そういう面倒なのは適当にやっといてくれにゃ」
「お前、自分がこれから暮らそうとしてるところなんだからもう少しちゃんとだな……」
「ニャーは面倒なのは嫌いにゃ。大家、ハンコ渡すから、あとは任せるにゃ」
「いやお前、俺が悪徳業者だったりしたら大変だぞ……自分のハンコをそんな安々と人に預けるなよ」
「静江が言ってたにゃ。外に出て大事なのはしっかりした人間を見つけて、よく分かんないことはさっさと全部頼むことにゃって。家じゃ妹ちゃんに全部頼んでたけど、ここじゃ大家に全部頼むことにするにゃ」
「頼むことにするにゃ、じゃなくて、少しは自分でだな……」
「大家を信じるから、あとは任せるにゃ」
迂闊にも。
迂闊にも、そう言われて自分が喜んでしまっていることに気付く。
(くそ〜。あんな最低な『自分では何もやらない』宣言に喜んでしまうとは……大谷おう也一生の不覚!)
「ええーい、常識知らずのネコちゃんめ……ええと、名前は……」
内見希望の連絡を改めて確認する。
「佐藤! 佐藤ヤニ子さん!」
「にゃ」
「実家じゃどうだったか知らんが、俺のアパートに来たからにはそうはいかん。お前を一人前の社会人として更生してやるから覚悟しろ! まずは賃貸契約からだ! 座布団とボールペンと、後朱肉持ってくるからちょっと待ってろ!」
「にゃー。面倒臭いにゃ」
「面倒臭いこともやるのが一人前の社会人だ! これからみっちり叩き込んでやるからな!」
「にゃにゃにゃ」
結局、正式に契約書類が揃ったのはその日の夜だった。
特に、道具を取って戻ってきたところを、内から鍵をかけた上にドアチェーンまで掛けられ、ヤニ子がトイレに立った隙に、半開きのドアから手を突っ込んでどうにかチェーンを外して侵入するまでに半日かかったあたりには、獣人可かタバコ可か、どっちかはやめておけばと大分後悔したが、何はともあれ獣人アパート、コーポ大谷は動き始めたのだ。