ヤニねこの大家さんはいかにして大家さんになったかの話 作:namamugi
「……そういうわけで、今日で僕は失礼します」
「はい……」
和服の老人と、おう也と同年代くらいの男、そして一回りほど年下に見える女が三人並んでこちらを見ていた。
獣人……ヤニ子を受け入れて2日後のことである。
話がある、ということで、以前から住んでいた唯一の住人である漫画家に呼び出され、仕事が終わってから行ってみれば、何故か三人並んで出迎えられた上、切り出されたのはアパートを出たいという話だった。
「いやあ、獣人はいいんですが、タバコはどうにもダメで……すいません」
そう言われては、頭を下げるしかない。
「あ、いや、こっちこそ謝らせて下さい。アパートでタバコオーケーにしたせいで、申し訳ない……」
目の前の漫画家は、それに逆に恐縮した様子で、より深く頭を下げてくる。
「いえ、こっちこそオーケーって言っておきながらすいません。獣人アパートってのは聞いた時はおおっと思ったんですけどねえ……刺激的で、僕の漫画のネタにもなるかなって……けど、やっぱりタバコの臭いがどうにも合わなくて、気持ち悪くなっちゃうんですよ」
ははは、と目の前の漫画家が頭を掻いて苦笑した。
「あ、で、ここからはお願いなんですが、うちの編集長が……」
「ニャンマガ編集長のカズシです。よろしく」
隣に立っていた三人の中央の、荘厳な雰囲気を漂わせながらこちらを見ていた老人――カズシが、深みと重厚感のある声で言ってくる。
おう也としては、そもそも何故ここにいるかも分からない人物だが、その威圧感の前には怯むしかなく、
「はあ、どうも……」
とだけ返した。カズシはそれに頷くと、
「獣人アパートという試み、大変面白いと思いましてな。既に入居した獣人も、ワシの知った顔でしたんでな。この縁を無駄にしたくないと思い……こやつの代わりにこっちの……うちの新人漫画家を入居させて貰えませんか」
「よ、よろしくお願いします!」
カズシの紹介に、最後の一人……おう也より一回り年下に見えた女性が頭を下げた。察するに、彼女が新人漫画家なのだろうが……
「そりゃあこっちとしては助かりますし、大歓迎ですが……」
「本当ですか!? よかったー」
最初にそう返したのは元々の住人だった漫画家だった。露骨に胸をなで下ろしている。
「この部屋、講談組の借り上げってことで、代わりに誰か入ってくれないと出るの難しそうだったんで……助かります!」
今にも小躍りしそうな様子で言ってくるのを見ると悪い気はしない。ただ、懸念点もないではなかったので、念の為確認しておく。
「ええと、あ、けど、今更かもですけど、ここ、獣人歓迎、タバコ可にしちゃってるんですが、大丈夫ですか?」
新人漫画家の方に尋ねたつもりだったが、答えたのは元々の住人の漫画家の方だった。
「僕と違って彼女はタバコオーケー……というか本人がタバコ吸ってるんで……あ、見ての通り、獣人じゃなくて人間ですよ、一応」
「あの、まだまだ連載始まったばかりの身ですが、よろしくお願いします」
そう言って、新人漫画家が改めて頭を下げてくる。
おう也としては、部屋に空きができない上に、タバコも問題ない住人が入ってくれるのは助かるし、何より……今入っているヤニ子と比べると、彼女の印象は圧倒的にいい。礼儀正しく、常識がある。
もはや拒否する理由が全くないことを心中で確認すると、おう也は答えた。
「いやあ、また漫画家先生に住んでもらえるなんて名誉なことですから」
それに頷いたのはカズシだった。おう也に対して頭を下げてくる。
「ではまた、これからもよろしくお願いします。トキワ荘、とは行かないでしょうが、また希望者がいたら紹介させて頂きますので」
「そ、それはどうも……」
この老人の威圧感はどこまでも変わらない。おう也にとってはメリットしかない提案にも、若干怯みながら頭を下げ返すしかなかった。
「では、ワシらはこれで。辰野君、家具類は真賀里君がそのまま置いていくそうだから、不要なものは自分で処分するように」
「悪いね、辰野さん」
「あ、ありがとうございました編集長、真賀里さん」
「えっと……先生?」
カズシ達が去った後、暫くしておう也が新人漫画家……辰野に声をかける。
「せ、先生!? 私のこと!?」
「え? い、いや漫画家先生……ですよね?」
「あ、あ〜。な、なるほど……先生、先生なんですね、私」
よっぽど言われ慣れてないのだろう。地に足がつかない感じで言ってくるのを見ると、おう也としても、何も言えず……。
「そうやって念押しされると不安になっちまうが……」
「あ、今のいい。そっちの方がいいですよ、大家さん。敬語はなしでいきましょう」
「そ、そうかい? 悪いね、先生」
敬語を外して、改めて言い直すおう也に、辰野は噛み締めるようにスーッと目を閉じた。
「あー、先生っていい響き……。私、田舎から出てきたんですけど、ここいいとこですよね。都心の方にもいたんですけど、結構色々うるさくて、ビルも高くて怖い感じで。にゃがみ原ってそういうのなくて、なんていうか、獣人ちゃんの為の町って感じがして、いいなあって。そんな風に思ってたところに大家さんがこちらで、獣人アパートってのをやるって聞いて、ヤニねこちゃんも入ったって話だったんで、是非一度見せてもらえたらなーと思ってたんですよ!」
まさか編集長に話したらいきなり住んでみろって言われるとは思いませんでしたけど、とつけ足して辰野が笑う。
そう言われると、ここに至るまでに色々あったおう也としても何となく可笑しくなって笑いが込み上げてきた。
「ははは……そうだな、たしかにここは、良くも悪くも獣人の為の町って感じだよな」
「大家さんが獣人アパートをしようとしたのは、何かきっかけがあったんですか?」
問いかけに、にゃがみ原に越してきてからの色々な場面が頭の中で過ぎった。さて、きっかけというとどれになるだろう。……どれでもあるし、けれど全てがそれ単体できっかけだったとは言い難い。
少し悩んだ後におう也は答えた。
「いや……まあ、ほとんど勢いだな。なんていうか、色々調べたり聞いたりしたんだが、あんまり獣人には普通に暮らせる場所がないなと思ってな。それで、俺に何か出来ないかと思って……まあ実際、ほとんど勢いなんだけどよ」
「いいですねえ、勢い。大事ですよ。私も勢いで就職もせずに漫画描いて、何とか連載までこぎつけたわけですし。勢い仲間ですね」
クスクスッと辰野が笑った。おう也もそれに笑い返すと、
「いやあ、それで結果出してるんだから、先生は大したもんだよ」
「大家さんも出てるじゃないですか! ヤニ子ちゃん……ヤニねこちゃんも入ったって聞きましたよ!」
ヤニねこという言葉が誰を意図しているかを測りかね、数瞬後にヤニ子のことだと気付く。なるほど、いい呼び方かもしれない。動きも猫っぽいし。
これからは自分もそう呼ぼう、と思いながらおう也は辰野に返した。
「ありがとよ、先生。まあ、俺の方はこれからだな」
「それなら私もこれからです! 連載は毎週が戦いですからね。お互い、頑張っていきましょう!」
「おう! ……そういや、先生の書いてる漫画のタイトル教えてくれよ。今度読んでみるからよ」
「あ、そしたらそっちの棚に……」
「お、もう持ってきてたのか、準備いいな……ええと、雌達の夜の喘ぎ、発情期の獣達……作、お◯んぽ辰郎? えっと……先生?」
ド派手で扇情的な格好と色っぽい表情をした女の子が溢れる表紙を前に、流石にそのまま読むのが憚られて辰野に声をかける。
辰野はそれを見ると、バッと飛び込んできて、自らの背に本棚を隠した。
「あーっ! い、いや違……いや違わないんですけど……その、私エロとか同人の本も出しててそっちがむしろメインで稼いでるっていうか……あ、いや、そのそうじゃなくて!」
「お、おう……はは……」
必死で誤魔化す辰野を見ながら。
タイトルと表紙を見ただけで膨らんできた下半身の一部を、辰野以上に必死に隠しながら、おう也は誤魔化すように苦笑した。