第五話 首なし騎士との決着
ベルディアが警告へ来てから、数日が過ぎた。
めぐみんの爆裂散歩は、俺が責任を持って禁止した。
ダクネスにかけられた死の宣告も、アクアがその場で解除している。
これで問題は解決した。
ベルディアだって、城への爆撃が止まれば文句はないはずだ。
俺はそう思っていた。
考えてみれば、呪いをかけた相手が一週間たっても現れず、爆裂魔法を撃ち込んでいた張本人まで何食わぬ顔で生活しているのだ。
魔王軍幹部からすれば、完全に面子を潰された状態である。
だから、その日の朝。
アクセルの街へけたたましい警鐘が鳴り響いた時、俺は何となく原因を察した。
「魔王軍の襲撃だ! 正門前にアンデッドの大群が現れたぞ!」
通りを駆け抜ける衛兵の叫びに、街中が一気に慌ただしくなる。
住民は家へ逃げ込み、冒険者たちは武器を手にギルドへ集まっていく。
「やっぱり来やがった!」
俺も急いで装備を整えた。
同じ部屋にいためぐみんは、既に杖を抱えている。
「カズマ。あのデュラハンは、よほど私と決着をつけたいようですね」
「お前に会いたいんじゃなくて、毎日家を爆破された恨みを晴らしたいんだよ」
「人気者はつらいものです」
「刺客に狙われるのを人気とは言わない」
アクアとダクネスも合流し、俺たちは宿を飛び出した。
そして数歩進んだところで、俺は重大なことに気づいた。
「イリウスは?」
三人が足を止める。
めぐみんが周囲を見回した。
「そういえば、朝から姿を見ていません」
「どこへ行ったんだ?」
俺が尋ねると、アクアが気まずそうに目をそらした。
「……アクア?」
「知らないわよ」
「まだ何も聞いてないぞ」
「本当に知らないんだから!」
「じゃあ、どうして目をそらす?」
アクアの頬をつまんで引っ張る。
「いひゃい! いひゃいわよ、カズマ!」
「吐け。イリウスに何をさせた」
「ちょっとパンを買いに行ってもらっただけよ!」
「この非常時に朝飯の心配かよ!」
「違うの! 東通りのパン屋で、朝にしか売られない特製クリームパンがあるのよ!」
「なお悪いわ!」
「だってイリウス君が、日頃のお礼をしたいって言うから! 女神へ捧げるなら、限定クリームパンが一番喜ばれるって教えてあげただけよ!」
「それを世間ではたかるって言うんだ!」
俺はアクアの両肩をつかんだ。
「一人で行かせたのか?」
「パン屋はすぐそこよ。一本道だもの」
「受付から酒場へ戻るだけで倉庫へ迷い込んだ奴だぞ!」
「でも、東通りへ行けばいいって、ちゃんと教えたわ」
「イリウスに東西が分かると思うか?」
「……あっ」
駄女神の顔が青ざめた。
俺は頭を抱えた。
魔王軍幹部が攻めてきた日に、こちらの最強戦力はクリームパンを探して行方不明。
あまりにも俺たちらしい状況だった。
「探しに行く時間はない」
ダクネスが正門の方角を見る。
「まずは住民を守らなければ。イリウスなら警鐘を聞けば、異変に気づくはずだ」
「気づいても、正門へ来られるかが問題なんだよ」
「カズマ。今は私たちだけで戦うしかありません」
めぐみんが真剣な表情で言った。
「爆裂魔法があれば、アンデッドの軍勢など一撃です」
「街の門まで吹き飛ばすつもりか?」
「必要な犠牲です」
「必要じゃない! 絶対に俺の合図まで撃つなよ!」
俺たちはイリウスの捜索を後回しにし、正門へ急いだ。
◇
城壁の上から外を見ると、街道を埋め尽くすほどのアンデッドが並んでいた。
錆びた鎧をまとった騎士。
折れた剣を持つ兵士。
土に汚れた骸骨。
その中心には、漆黒の鎧をまとった首なし騎士が立っている。
『出てこい、爆裂娘! そして呪いをかけたクルセイダー!』
ベルディアの怒声が街中へ響いた。
『なぜ我が城へ来なかった! 死の宣告を受けた者を見捨てたのか! それとも、私など相手にする価値もないと言いたいのか!』
「たぶん後者です」
めぐみんが答えた。
「挑発するな!」
『聞こえているぞ!』
「耳もないのに、よく聞こえますね」
『貴様は一言多い!』
ベルディアが大剣を掲げる。
それに応じ、アンデッドの軍勢が一斉に動き出した。
『今日こそ、この街ごと貴様らを滅ぼしてくれる!』
「まずい、来るぞ!」
門の前では、アクセルの冒険者たちが迎撃の準備を整えていた。
とはいえ、この街にいるのは初心者が中心だ。
魔王軍幹部が率いるアンデッド軍を正面から相手にすれば、大きな被害が出る。
俺は敵の数と配置を確認した。
その多くは、動きの鈍いアンデッド。
浄化魔法を扱えるプリーストは何人かいる。
そして、こちらにはアンデッドに対してだけは無類の強さを発揮する駄女神がいる。
「アクア」
「何よ?」
「出番だぞ」
「えっ?」
アクアが自分を指さした。
「最初から私を頼るなんて、今日は随分と素直じゃない。ようやく私の偉大さに気づいたのね?」
「いいから、あのアンデッドをまとめて浄化しろ」
「任せなさい!」
アクアは意気揚々と門の前へ出た。
「私の後ろへ集まりなさい! アークプリーストにして女神である、このアクア様が全部まとめて片づけてあげるわ!」
「おお、アクアの姉ちゃん!」
「今日こそ頼むぞ!」
「今日こそって何よ! 私はいつだって頼りになるでしょう!」
冒険者たちから声援を受け、アクアはさらに調子へ乗った。
だが今回は、それでいい。
「前衛はアクアへ近づく敵だけ止めろ! プリーストは浄化を抜けた個体を狙え! 弓使いと魔法使いはベルディアを攻撃するな! まずは雑魚を減らすぞ!」
「カズマ、私への指示は?」
ダクネスが大剣を構える。
「一番危険な場所で敵を止めろ!」
「任せろ!」
満面の笑みで敵陣へ突っ込んでいった。
もう少し嫌そうな顔をしてほしい。
「めぐみんは待機! ベルディアとアンデッドが固まったところで撃ってもらう!」
「分かりました」
「絶対に勝手に撃つなよ!」
「信用がありませんね」
「普段の行いを振り返れ!」
門が開く。
ダクネスを中心とした前衛が敵の進行を受け止めた。
「さあ来い! 死者の軍勢よ! この私を寄ってたかって、好きなように蹂躙してみろ!」
「ダクネスの姉ちゃん、言い方はあれだけど頼もしいぞ!」
「近寄りたくはないけど、壁としては最高だ!」
味方から微妙な評価を受けながら、ダクネスはアンデッドの攻撃を一身に引き受ける。
剣が鎧へ叩きつけられ、何本もの槍が突き出される。
ダクネスは攻撃を避けない。
いや、避けられない。
だが、倒れもしなかった。
「今だ、アクア!」
「任せなさい! セイクリッド・ターンアンデッド!」
アクアが両手を掲げる。
巨大な魔法陣が地面へ広がり、眩い光がアンデッド軍を包んだ。
悲鳴を上げる暇すらない。
前列のアンデッドたちは、光へ触れた瞬間、次々と白い灰になって崩れていく。
「すごい……」
周囲の冒険者たちが息を呑む。
俺も驚いた。
普段は借金を作り、宴会芸で水をまき散らし、俺の金で酒を飲むだけの女だが、腐っても女神。
アンデッド相手なら、本当に頼りになる。
「見たかしら! もっと崇めてもいいのよ!」
「まだ残ってるぞ! 集中しろ!」
「少しぐらい褒めなさいよ!」
浄化を逃れたアンデッドが、アクアへ殺到する。
ダクネスと他の前衛が進路を塞ぎ、プリーストたちが一体ずつ浄化していく。
数の差は、急速に縮まっていた。
『おのれ! 忌々しいプリーストめ!』
ベルディアが動いた。
重い大剣を片手で振るい、冒険者たちを薙ぎ払いながらアクアへ迫る。
「ダクネス!」
「分かっている!」
ダクネスがベルディアの前へ立ちはだかり、大剣を受け止めた。
金属同士がぶつかる音。
凄まじい衝撃に、ダクネスの足元の地面が陥没する。
「くっ……! やはり魔王軍幹部の一撃は重い……!」
『貴様、なぜ生きている!』
「何のことだ?」
『死の宣告だ! 一週間以内に我が城へ来なければ死ぬ呪いをかけただろう!』
「ああ、あれならアクアが解いた」
『解いた!?』
ベルディアの動きが止まった。
『あの場でか?』
「お前が帰った直後に」
『では私は、既に解かれた呪いを信じて一週間も待ち続けていたのか!?』
「そうなるな」
『なぜ教えなかった!』
「敵へ報告する義務はないだろう」
『それはそうだが、一言ぐらいあってもよいだろう!』
妙なところで律儀なデュラハンである。
「めぐみん! 今だ!」
俺の合図で、めぐみんが杖を構えた。
ベルディアの周囲には、浄化から逃れたアンデッドが集まっている。
街から十分に離れ、他の冒険者たちも退避を始めていた。
「我が深紅の流出を以て、白き世界を覆さん――」
『待て! その詠唱は!』
ベルディアが慌ててめぐみんを見る。
「日々、あなたの城で磨いた爆裂魔法です。存分に味わってください」
『やはり貴様だったのか!』
「エクスプロージョン!」
閃光が戦場を白く染めた。
巨大な爆発がアンデッド軍の中央で起こり、大地が揺れる。
残っていたアンデッドたちは爆風に呑まれ、ベルディアの漆黒の鎧さえ炎の中へ消えた。
衝撃波が収まった後。
地面には巨大な穴ができていた。
その中心で、全身から黒い煙を上げたベルディアが片膝をついている。
『おのれ……爆裂娘……!』
「倒せてないのかよ!」
「さすがは魔王軍幹部です……」
めぐみんは満足そうに倒れた。
「後は任せました」
「またそれか!」
ベルディアは大きくよろめきながらも立ち上がる。
鎧には亀裂が入り、外套は焼け落ちていた。
だが、まだ戦える。
『許さん……! 一人残らず、我が呪いで――』
「アクア! もう一度浄化できるか!」
「さっきの魔法で、かなり魔力を使ったわよ!」
「できるのか、できないのか!」
「できるけど! あいつに近づかないと、威力が足りないわ!」
ベルディアは俺たちと距離を取り、大剣を構えている。
近づけば斬られる。
ならば、剣を使えない状態にすればいい。
俺はベルディアが脇へ抱える兜を見た。
「スティール!」
手の中へ、重い物が現れた。
ベルディアの兜。
つまり、奴の頭だった。
『なっ!?』
「取れた!」
「カズマ、でかしたわ!」
俺は兜をアクアへ放り投げた。
アクアは両手で受け取る。
『やめろ! 私の頭を投げるな!』
「アクア、浄化しろ!」
「任せなさい!」
『待て! 騎士の頭を抱えて何を――』
「セイクリッド・ターンアンデッド!」
アクアの手の中で、ベルディアの兜が激しく光った。
『ぎゃああああああっ!』
黒い煙が噴き出し、離れた場所にある鎧まで苦しそうにのたうち回る。
「効いてるぞ!」
「もっと魔力を込めなさい!」
『やめろ! 兜の内側から浄化するな! 外から受けるより痛いのだぞ!』
ベルディアの身体が俺たちへ突進してくる。
頭がなくても、こちらの位置は分かるらしい。
ダクネスが前へ出て大剣を受け止める。
「行かせるものか!」
『退け、クルセイダー!』
「もっと強く押せ! 私を地面へ縫いつけるほど激しく――」
「今は黙ってろ!」
ベルディアの剣がダクネスを押し込む。
周囲の冒険者たちが援護へ入るが、爆裂魔法を受けた後だというのに、魔王軍幹部の力は圧倒的だった。
このままでは押し切られる。
「おい、イリウス! こんな時にどこを歩いてやがる!」
俺が思わず叫んだ、その時だった。
「カズマさん!」
聞き慣れた声が、街とは反対の方向から響いた。
振り返る。
戦場の向こう側。
アンデッド軍が現れた方角から、金髪の少年が走ってくる。
片手には剣。
もう片方には、紙袋を抱えていた。
「なぜ敵の後ろから来た!」
「警鐘が聞こえたので正門へ向かったのですが、気づけば城の外にいました!」
「どうすれば、街の中から外へ迷えるんだよ!」
「東通りのパン屋も見つかりませんでした!」
紙袋の中から、黒く焦げた硬そうなパンが覗いている。
「それ、絶対に別の店だろ!」
「でも店主の方は、これが特製品だと」
「また騙されてるじゃねえか!」
ベルディアの身体がダクネスを弾き飛ばした。
そして兜を抱えるアクアへ、大剣を振り下ろす。
「アクア様!」
イリウスが地面を蹴った。
離れた場所にいたはずなのに、一瞬でアクアの前へ現れる。
安物の剣が閃いた。
澄んだ金属音。
ベルディアの大剣が、根元から切断された。
折れた刃が回転しながら地面へ突き刺さる。
『何……!?』
イリウスは止まらない。
二度目の剣閃。
漆黒の胸当てが斜めに断ち切られた。
三度目。
両肩の装甲が落ちる。
四度目。
ベルディアの身体は腰から上下に分断され、鎧の破片が地面へ散らばった。
誰も声を出せなかった。
あれほど苦戦していた魔王軍幹部が、反撃すらできずに斬り伏せられたのだ。
イリウスはアクアを背にかばい、倒れた鎧へ剣を向ける。
「アクア様へ剣を向けたこと、後悔していただきます」
「イリウス君! やっぱりあなたは分かってるわ!」
アクアが感激している。
『ば、馬鹿な……。ただの剣で、我が魔剣と鎧を……』
「剣は安物ですが、問題ありません」
『それで斬られた側の気持ちを少しは考えろ!』
地面へ散らばった鎧から、黒い霧が立ち上る。
斬り分けられた破片が震え、少しずつ元の形へ戻ろうとしていた。
「再生するのか?」
『私はデュラハン! ただ肉体を斬っただけで、滅ぼせると思うな!』
「では、再生できなくなるまで斬ります」
イリウスが再び剣を構える。
「待て、イリウス!」
「ですが、カズマさん」
「そいつはアンデッドだ。斬るだけじゃ完全には倒せない」
俺は兜を抱えたアクアを見る。
「最後は浄化するしかない。お前はベルディアが再生できないように押さえろ!」
「分かりました」
イリウスは即座に剣を返し、再生しようとする鎧を地面へ縫い留めた。
ベルディアの黒い霧が暴れる。
『離せ! 貴様、本当に王族か! 安物の剣でアンデッドを地面へ縫いつける王子がいるものか!』
「僕はただの旅の剣士です」
『まだ言うか!』
「アクア、今だ!」
「ええ!」
アクアがベルディアの兜を高く掲げる。
その身体から、これまでとは比較にならないほど眩い光があふれ出した。
「魔王軍幹部ベルディア! 女神であるこの私が、あなたの魂を浄化してあげるわ!」
『女神だと? そのようなふざけた女神がいてたまるか!』
「誰がふざけてるのよ! セイクリッド・ターンアンデッド!」
白い光が戦場を覆った。
ベルディアの鎧から噴き出していた黒い霧が、瞬く間に消えていく。
『おのれ……! この私が、このような連中に……!』
兜の奥で燃えていた青白い光が、少しずつ弱くなる。
『爆裂魔法しか撃たぬ娘……攻撃の当たらぬクルセイダー……頭のおかしいプリースト……卑怯な盗賊まがいの冒険者……そして、方向すら分からぬ王子……!』
「最後に随分と正確な評価を残すな」
『認めん……! このような、ふざけた者たちに負けるなど……!』
ベルディアの声が途切れる。
その鎧と兜が白い灰へ変わり、風に乗って空へ消えた。
戦場へ静寂が訪れる。
少しして。
「魔王軍幹部を倒したぞおおおおっ!」
冒険者の一人が叫んだ。
歓声が爆発する。
武器が掲げられ、互いの無事を喜ぶ声が響いた。
めぐみんは地面に倒れたまま満足そうに笑い、ダクネスは傷だらけの鎧で立ち上がる。
アクアは皆から褒められ、得意げに胸を張っていた。
イリウスは剣を鞘へ収めると、俺のもとへ来た。
「カズマさん。遅くなり、申し訳ありません」
「まったくだ」
「ベルディアを倒したのは、アクア様ですね」
「ああ。お前の剣がなければ危なかったが、最後に浄化したのはアクアだ」
「皆さんの力を合わせた勝利なのですね」
イリウスは嬉しそうに笑った。
「カズマさんが指示を出し、ダクネスさんが敵を止め、めぐみんが軍勢を吹き飛ばし、アクア様が浄化する。僕一人では、この戦い方はできませんでした」
意外だった。
自分が最後にベルディアを圧倒したのだから、少しぐらい誇ってもいい。
だがイリウスは、誰の功績を奪おうともしなかった。
「そういうことだ。どれだけ強くても、一人で何でもできるわけじゃない」
「はい」
「だから次からは、ちゃんと戦場へ来い」
「努力します」
「約束しろ」
「それは……」
「そこで迷うなよ!」
◇
ベルディア討伐の翌日。
俺たちは冒険者ギルドで、報酬の説明を受けていた。
「魔王軍幹部ベルディアの討伐報酬として、三億エリスが支給されます」
「三億!」
俺とアクアの声が重なった。
ついに来た。
貧乏生活との別れ。
三億あれば、働かずに暮らせる。
上等な屋敷を買い、毎日好きな物を食べても余る。
「カズマ! 高級なお酒を買いましょう!」
「待て。まずは家だ! その後、残った金を運用して――」
「ただし」
受付のお姉さんが続けた。
「戦闘で破壊された城壁、周辺の農地、建物の修繕費が報酬から差し引かれます」
嫌な予感がした。
「主な損害は、爆裂魔法による街道の陥没。それからアクアさんがアンデッドを一掃するために放った浄化魔法による水害です」
「水害?」
俺はアクアを見る。
「浄化魔法に、少しだけ水を追加したのよ」
「聞いてないぞ」
「その方が女神らしくて格好いいと思って」
「格好よさで街を水浸しにするな!」
受付のお姉さんは、申し訳なさそうに一枚の請求書を差し出した。
「差し引き後も修繕費が報酬を上回るため、皆さんには四千万エリスの借金が残ります」
世界が止まった。
「……もう一度お願いします」
「四千万エリスの借金です」
「報酬は?」
「すべて修繕費へ充てられました」
「俺の三億が……」
膝から力が抜ける。
隣ではアクアが口笛を吹きながら目をそらしていた。
「おい、駄女神」
「何よ」
「お前、何か言うことは?」
「魔王軍幹部を倒せてよかったわね!」
「よくねえええええっ!」
俺の叫びがギルド中へ響いた。
その時。
ギルドの扉が勢いよく開いた。
「第二王子殿下!」
立派な鎧をまとった騎士たちが、一斉に入ってくる。
先頭の騎士はイリウスの姿を確認すると、その場へ膝をついた。
「ご無事で何よりです! 陛下の命により、お迎えに上がりました!」
ギルド中の視線がイリウスへ集まる。
イリウスは困ったように笑った。
「人違いです」
「その言い訳は、もう無理じゃないか?」
「殿下。何度お逃げになれば気が済むのですか!」
「僕は逃げていません。ただ冒険の旅へ出ただけです」
「窓からシーツを結んで降りることを、世間では脱走と呼びます!」
「門を通ると止められますので」
「止めるための門です!」
騎士たちは慣れた様子でイリウスを囲んだ。
「カズマさん」
イリウスが俺を見る。
「何とか言ってください」
「王子様を連れ回した罪で、俺まで捕まりそうだから黙ってる」
「そんな」
「殿下。今度こそ王都へお戻りいただきます」
騎士たちはイリウスの左右を固め、半ば強引に連れていった。
イリウスは何度もこちらを振り返っていたが、やがて人混みの向こうへ消える。
「行ってしまいましたね」
めぐみんが寂しそうにつぶやく。
「仕方ないだろ。あいつは王子なんだ」
「少し静かになりますね」
「お前も寂しいなら素直に言えよ」
「別に寂しくなどありません。討伐数の勝負が途中だっただけです」
めぐみんはそっぽを向いた。
アクアも珍しく黙っている。
ダクネスは、王族として帰るべきだと理解しているのか、何も言わなかった。
こうして、俺たちの五人パーティーは、短い期間で解散することになった。
――はずだった。
◇
その夜。
俺たちは、ギルドが手配した安宿の大部屋で休んでいた。
高級宿に泊まれるほどの金はない。
それどころか、今日から四千万エリスの借金持ちである。
「三億エリス……」
俺は布団の中で失われた報酬を思い出していた。
隣のベッドでは、借金の原因を作ったアクアが気持ちよさそうに眠っている。
こいつを窓から投げ捨てたい。
だが、二階から落とした程度では死なないだろうし、窓の修理代まで増えそうなので我慢する。
その時。
天井から小さな物音が聞こえた。
「……何だ?」
また音がする。
ネズミにしては大きい。
俺が明かりをつけると、めぐみんとダクネスも起き上がった。
「天井裏に何かいます」
「魔物か?」
ダクネスが剣を手にする。
俺は椅子へ乗り、天井の点検口を開けた。
暗い屋根裏へ光を向ける。
そこには、毛布へくるまった金髪の少年がいた。
「こんばんは、カズマさん」
「何してるんだ、お前は!」
イリウスだった。
俺たちは屋根裏からイリウスを引きずり下ろした。
「王都へ連れていかれたんじゃなかったのか?」
「騎士たちが泊まっていた宿の窓から出ました」
「また脱走したのか!」
「違います。皆さんの無事を確認しに来ただけです」
「どうして屋根裏に隠れてた?」
「騎士たちが探していたので」
「完全に脱走犯の行動だよ!」
イリウスは少しだけ俯いた。
「僕は、まだ王都へ戻りたくありません」
いつもの世間知らずな王子様ではなく、十二歳の少年らしい声だった。
「城へ戻れば、また外へ出られなくなります。剣の訓練と勉強だけを続け、決められた相手としか話せない生活へ戻ります」
めぐみんが黙ってイリウスを見る。
「僕は皆さんと冒険を続けたいのです。戦うだけではなく、街で買い物をしたり、自分で働いて食事代を稼いだり……そういうことを、もっと知りたい」
「買い物は一人でさせられないけどな」
「努力します」
「道も覚えられないけどな」
「それも努力します」
「人の話を何でも信じるし」
「……努力します」
少し自信がなくなっていた。
「カズマ。いいではありませんか」
めぐみんが口を開いた。
「イリウスは、まだ私との勝負を終えていません。途中で逃げられては困ります」
「めぐみん……」
「それに、四千万エリスの借金があります。イリウスの戦力が必要です」
感動しかけた俺の気持ちを返してほしい。
「私も賛成だ」
ダクネスが言う。
「王族としてではなく、仲間としてここにいたいというのなら、その意思を尊重したい」
「ダクネスさん……」
「それに、殿下をかくまった罪で王家から厳しい尋問を受けることになれば――」
「後半は言わなくていい」
最後に、眠そうなアクアが手を挙げた。
「私もいいと思うわ」
「珍しいな。何か裏があるのか?」
「イリウス君は私の信徒だもの。それに、私の分のパンも買ってきてくれるし」
「買えてなかっただろ」
「次はきっと大丈夫よ」
「大丈夫じゃないから、お前は二度と一人で買い物を頼むな」
俺はため息をつき、イリウスを見た。
戦えば魔王軍幹部さえ圧倒する。
それなのに、日常生活では一人でパン屋にも行けない。
面倒が増えるのは間違いない。
だが、既に三人の問題児を抱えているのだ。
今さら一人増えたところで、大した違いはない。
「分かった。ここにいていい」
「本当ですか?」
「ただし、これまでの約束は守れ。単独行動禁止。金銭管理は俺。敵の話を聞いたら、まず俺に確認する」
「はい!」
「あと、買い物も一人で行くな」
「それもですか?」
「今日の結果を見て、自分に買い物ができると思ってるのか?」
イリウスは手にしていた紙袋を見る。
中には、特製クリームパンと騙されて買った黒焦げのパンが入っている。
「……カズマさんと一緒に行きます」
「それでいい」
イリウスが嬉しそうに笑った。
その直後。
宿の外から騎士たちの声が聞こえた。
「殿下を捜せ! まだ遠くへは行っていないはずだ!」
「一部屋ずつ確認するぞ!」
イリウスの顔から笑みが消える。
「カズマさん」
「何だ」
「屋根裏へ戻ってもよろしいでしょうか」
「早く隠れろ!」
俺たちは慌ててイリウスを屋根裏へ押し込み、点検口を閉じた。
数秒後、部屋の扉が強く叩かれる。
「失礼する! こちらに第二王子殿下はいらっしゃらないか!」
「知りません! 俺たちは何も知りません!」
「カズマ、声が裏返っていますよ」
「お前は黙ってろ、めぐみん!」
天井裏から、小さなくしゃみが聞こえた。
騎士たちが一斉に天井を見る。
俺は笑ってごまかした。
こうして、最強の家出王子は正式に俺たちのもとへ戻ってきた。
同時に始まったのは、五人での騒がしい共同生活と、王都の騎士団を相手にした長いかくれんぼ。
そして何より。
魔王軍幹部を倒した翌日に、四千万エリスの借金を背負うという、まったく祝福されていない新生活だった。