001.廃墟調査
9月某日。既に日は暮れて辺りが夜闇に包まれ始める黄昏時、小雨の降る中、1台の自動車が山道を走っている。
ヘッドライトの照らす道はアスファルトが荒れており、凹凸を泥や落ち葉が隠していた。
時折上下に揺れる車内の中では、助手席に座ったスーツの中年男性がナビを見て後部座席へと声をかける。
「そろそろ着くぞ、もう一度今回の仕事内容の確認だ」
後部座席に座る二人。片や中年男性と同じくスーツを着た青年、片やラフな格好をしたメガネの男性。
二人はタブレット端末を取り出すと、助手席の中年男性も同様に端末を取り出した。
「本案件の発生経緯だが、まずS県S市の郊外にある廃墟の撤去工事中に獣の呻き声が聞こえたというのが発端だ。それ自体は山の中にある建造物ならおかしくない話だな。当然、作業員は所属する会社に報告を上げたし、会社から自治体に伝えてある」
タブレットに表示されたページを男性が読み上げていく。
「自治体は注意喚起と同時に野生動物の対策に追加予算まで出してる。が、作業開始から3日目。作業員の1人から白い服の人影を見たって報告が上がった。業者の着ている作業服は青系統、当然白い服を着た人物はいない為、廃墟内の捜索が始まったが結局何も見つけられなかった」
タブレット画面をスクロールさせていくと、男性が読み上げた内容と共に件の建造物の写真と概要が載っている。
年季を感じさせる洋館は、大正時代に華族によって建てられたと書かれている。当時の完成写真もモノクロだが載せられており、レンガ造りの内外ともに豪華な洋館であることがわかる。
だが当の華族が没落、戦後には買い手がつかなくなって遺棄されて久しく、近年では肝試しや動画撮影目的で不法侵入が増えている。
更に、その不法侵入者達が麓の街で騒ぐなどの迷惑行為が多発しており、自治体への嘆願書が多数送られた結果、自治体も重い腰を上げて建築物の解体へと踏みきることになったのだった。
「で、問題はここからだ。白い人影を見たという騒ぎの同日夜に県内の宿泊施設に泊まっていた作業員の内、若手の人間がSNSにとある投稿をするんだが……まあ、見ての通りだ」
タブレットに表示された投稿内容を見て、中年男性の顔が苦々しいものに変わる。同時に青年はため息を、メガネの男性は苦笑した。
曰く、『S県の山ん中にある廃墟の撤去工事来た。流石に雰囲気やべえwww』『先輩が白い人影見たとか言ってるしビビりすぎだろwww』と、ご丁寧に写真付きで投稿されている。
スクリーンショットされた投稿には数多くの反応があったことが数値で見てとれる。
「で、ここからだ。本庄」
はい、とメガネをかけた男性が応える。本庄はタブレットを操作して別画面を表示、そこには様々なグラフが並んでいる。そのデータを2人のタブレットへと送信しつつ、
「投稿の閲覧や拡散、引用によるコメントが増えていくにつれて、一帯の大気中のマナに澱みが発生。更に時間と共に県内県外から澱みの遷移が廃墟に向かって開始しています。そして翌日からは、前日よりも白い人影の目撃証言が増えていますね。更に持ち込まれた重機の不具合が発生したり、勝手に動き出すなどの異常が発生。即座に解体業者から自治体へ、自治体から陰陽庁へと報告が上げられました。陰陽庁は民間発端の事案であることから当社へと斡旋、当社もこれを受けて技術部による観測を実施。結果、技術部は当該廃墟を中心に異界化の兆候が見られることを確認しました」
「で、今回俺たちが派遣された訳だが……速見、どう思う」
メガネの男性の隣、速見と呼ばれた黒髪の青年は顔を上げる。琥珀色の瞳は辟易するような色を湛えていて、
「ひとまず、この投稿したバカは一発シバいた方がいいと思うんですけど」
「それに関しちゃ俺も賛成だわ。ネットリテラシーってやつはどうなってんだろうな……まあ、話によると会社から相当厳しく叱られてるらしいけどな」
笑う中年男性に速見は続ける。
「白い人影っていうのが今回の怪異の親玉なら、投稿から今日で4日。マナの澱みの影響でそれなりに強くなってると思います。現着次第、対処が必要だと考えます」
この世には怪異と呼ばれる存在がいる。大気中に満ちるマナの澱みに惹かれて現世へと現れ、人々に仇なす存在。
また、人々の間で囁かれる噂や、語り継がれる伝説の類。それらが形を成したものを総称して怪異と呼ばれている。
そして、そんな怪異を始めとした脅威への対処を公的に認められた彼らを、人々は異能士と呼んだ。
「だな。データ見た限りじゃあ、結構な量の澱みが集まってやがる。親玉以外にも発生している可能性がある以上は速攻で片付けなきゃいけねえんだが」
中年男性はタブレットから目を離し、後部座席に座る速見へと顔を向ける。
「異界対策第二課班長として、そんで一級異能士の
「いいんですか?」
「高校出てすぐに入社してもう5ヵ月、そもそも正式入社前から知ってんだ。今更お前の実力を疑っちゃいねえよ」
速見一真が目を丸くするのに対し、橘啓二は何を今更と笑う。
「で、どうする?」
「やります」
「上等」
不敵に笑う一真に満足げに笑う橘、そしてつられてほほ笑む本庄。
「着きましたね」
運転手の嘉山が車を減速させる。屋敷を囲む壁は既に撤去され、敷地内には重機や道具類が置かれている。
敷地内に入りながらハイビームに切り替えたヘッドライトが照らす先には、資料で見た洋館の変わり果てた姿があった。
蔦に覆われた外壁にはいたる所に罅が入っており、一部はすでに崩落を始めている。開け放たれた入口は周囲に設置されたバルーンライトによって照らされているが、少し奥まった先には光が届かず、深い闇と化していた。
敷地内に設置されたプレハブ小屋の近くに車を止めると同時に、小屋の中から数人の作業者が出てきた。
4人が車から降りて挨拶を済ませると、一真と本庄が車のトランクからPCやアンテナ、その他機材を運び込み、プレハブ小屋の1つを簡易の指揮所へとする。
「よし、速見。準備はいいか?」
「……うっし、いつでもいけます」
廃墟の入り口前。
橘の問いかけに一真は靴紐を締め直し、腰のベルトから提げたポーチの中からタクティカルグローブを取り出してつける。
耳には小型のインカム、更にポーチからライトを持ち出せば、準備万端とばかりに頷いた。
「危険だと思ったらすぐに戻れ、いいな?」
「了解です」
「それから、今回の相手も怪異だ。油断も手加減も必要ないからな」
「分かってますよ」
橘の忠告に、言葉は軽くともその瞳は真剣な色を帯びて頷いた。
「じゃ、行ってきます」
一真はライトを点灯させ、廃墟内へと踏み出していく。その姿が見届けた後、橘は指揮所へと戻る。
「あ、あの……」
すると作業員の一人、現在の現場責任者が声を掛けてきた。
「どうかされましたか?」
「どうかって、今の子、1人で行かせるんですか?随分若い……それこそ、今回やらかしたうちのバカよりも若いような……」
「ああ、確かに若いですね。まだ18だっけか?」
橘が本庄へと問うと、本庄はモニターを見たまま首を横に振った。
「先月誕生日だったんで、今19ですよ」
「ああ、そういやそうだったか」
「橘さん、誕生祝いだっってラーメン奢ってませんでした?」
「あ、それ私ですねえ」
と、橘と本庄、嘉山の緩いやりとりがなされる。
「「「19!?」」」
だが、現場責任者だけではなく周囲の作業員も驚愕に顔を染めた。
年齢をいえば高校を卒業したばかり。まだ社会人となって1年も経っていない。
そんな人物を危険地帯に1人で送り出したのかと、顔が青くなっていく。
「ん?ああ、年齢のことならお気になさらず。我々異能士にとって年齢はあんまり関係ないので」
橘を始めとして、本庄や嘉山の顔には不安や心配の色は一切なかった。
「あれで二級……異能士の中でも主力と呼ばれるクラスにいますからね」
※ ※ ※
「で、意気揚々と探索を始めたわけだけど」
廃墟内へ入って既に5分。
「なんもねえな」
洋館内の玄関ホールから先、1階を見て回る最中に見たものは撤去作業によって出た瓦礫を纏めた山や、運搬に使用されるスコップや一輪車。
そして数が多すぎる為に残されていた年代物のテーブルや椅子、棚の類だが長年手入れがされていなかった為、朽ちてボロボロになっている。
『そうは言うけど、マナの変異濃度はだいぶ高くなってるよ』
一真のぼやきに、本庄からの通信が入る。
「マジですか。ちなみにどれくらいで?」
『本社で測定した数値と比較するとざっと2倍』
「……めちゃ上がってますね」
ただでさえ異界化の兆候を見せるマナの変異が更に進んでいる。即ち、廃墟が怪異の巣窟となりつつあるということでもあるのだ。
『そうだよ、橘さんじゃないけど油断大敵で』
「気をつけます……」
バツの悪そうな、乾いた笑いと共に返す。
『……あれ?』
「本庄さん?」
インカムから聞こえる音声が遠くなる。
『変ーー度が急ーー上ーー』
『速見ーーー外に出ーーー』
インカムにノイズが入り、背後からバタン!という音がした。
振り返ると玄関ホールの入り口が閉まっていた。
近づきドアノブを操作、鍵は閉まっていないのに開かない。何度か殴ってみてもびくともしない。
「……そういう感じね」
異界化が進んだのだと判断し、ライトを握り直す。
インカムからの音声も完全に届かなくなり、閉じ込められた。だが、一真は至って冷静な様子で探索を再開する。
「どうせ元凶……いや、この場合は怪異の親玉か?ぶっ潰すことには変わりないし」
暗闇の中、廊下を突き進む。扉を片っ端から開けていき、内部に怪しいものがないかを確認していく。
食堂やキッチン、風呂場、リビングに応接室。かつては洋館に相応しい内装だったものの名残りに一抹の侘しさを感じつつ、1階の探索を終える。
「……なんもいねえ。てことは」
玄関ホールに戻ってきた一真は、ホールから2階に向かう為の階段を見る。
「ボスはダンジョンの一番奥って相場が決まってるか」
意気揚々と階段を登る。10、20と登って、
「……だよなあ」
振り返る。
異界化が進んでいる、と感じつつ階段を登る。カウントが40に近くなった時、ようやく2階に辿り着いた。
「さて、と」
2階に辿り着き、ライトで廊下を照らそうと思った矢先に気づく。廊下が明るい。
元々は廃墟だった上、昭和の頃には遺棄された建物。外見は言わずもがな、施工前の写真を見た時にはどの階も荒れていた上に照明などつくはずもない。
だというのに見上げると照明は傷ひとつなく正常な様相を見せている。
更に言えば、
「うわ、壁紙キッショ……」
床や壁の内装の模様が渦巻いていた。本来は美しい模様だったであろう壁紙とカーペットが、混じり合って名状しがたいものとなっている。
「親玉の趣味か?怪異とはいえ悪すぎるだろ」
ライトをポーチにしまい、元々高めていた警戒レベルを引き上げつつ手近な扉を開ける。
誰もいない。だが照明はついたまま、窓が開け放たれていた。
窓から風を感じ、ここから脱出はできるだろうかと近づけば、窓はひとりでに閉まった。
「期待はしてなかったけどよぉ……」
おちょくられている気がして、わずかな苛立ちに拳を握る。
「ーーーッ」
気配と視線を感じて振り返る。だが、視線の先には誰もいない。
「いるなあ」
にやりと、獲物を見つけたかのように笑う。
さっさと見つけだして殴ろう、そう心に誓い部屋を出て、隣の部屋の扉を蹴破る。誰も居ない。
「次、はい次!」
次々に扉を蹴破っていく。誰も居ないことを確認しては更に隣の扉を蹴破る作業が始まった。
※ ※ ※
廊下を走りながら扉を蹴破っていく闖入者。
その姿を、闖入者自身が出ていった部屋から顔を覗かせながら、白い人影が見つめていた。
※ ※ ※
「どう考えても元の部屋数より多いなあ、はい次!」
もっと言えば、フロア自体も広がっている。
既に蹴破った部屋数は30を超えており、廊下も数回曲がっているのに端が見えないどころか同じ場所を回っているわけでもない。
時折振り返っても扉閉まっている様子はなく、角を曲がった直後に引き返しても扉が閉まっている様子はない。
次々と扉を蹴破る中、一真の耳が微かな音を捉えた。音の発信源は、
「そこかあっ!」
先ほど曲がったばかりの廊下の角。一歩で距離を縮めて引き返すと、
「……髪の毛?」
何もいないように見えて、僅かに光を反射する物体が床に落ちていた。
屈んで摘まんで目の前まで持ってくると、それは細く長い白い髪の毛だった。
「目撃証言にあった白い人影……服だけじゃなかったのか」
会社からの情報では白い人影としか書いていなかった為、白い服だと一真も思い込んでいた。
だが、全国に存在する怪談は怪異の目撃談が発端となったものも少なくない。
そして逆に、怪談が人間の恐怖や嫌悪を元に変異したマナによって形成されるケースも存在する。
故に、全国的に有名な怪談に出てくるとある怪異をそのまま想像していたのだ。
「やっぱ思い込みって駄目だな、もっと柔軟に考えないと」
ため息を一つ、そしておもむろに背後へと右の裏拳を振り抜く。
「そう思うよな、オマエも!」
確かな手応え。轟音を発して近くの壁に叩きつけられ、めり込む人間大のナニか。
ほぼすべて壁に埋め込まれた頭部から伸びる長い白髪。一真に両手を伸ばした体勢のまま痙攣するそれを一瞥しながら立ち上がる。
同時に、開け放たれた扉から同じ白髪の人影が出てくる。
更に周囲の扉がどんどんと開け放たれていく音と、こちらへ向かって駆けてくる足音。
10秒もする頃には、一真を囲むように長い白髪に白い服で揃えた大量の怪異が集まっていた。
「……オフ会とか百物語でもやってたか?」
あまりの多さに苦笑いしながら、一真はスーツの懐から手帳を取り出し、開く。
そこには盾の中に火の灯った燭台、その中央にアルファベットのCを配したエンブレムが刻まれ、青年の顔写真が貼り付けられた資格証が収まっていた。
「国家公認、民間異界対策組織の『異能総合警備保障クレイドル』所属の二級異能士、速見一真だ。自治体からの依頼により、オマエら全部祓わせてもらう」
白髪の向こう側から血走った目と剥きだしの歯を向けてうめき声を上げる怪異の群れは一真の言葉には反応を見せず、飛びかかるタイミングを図っていた。そんな怪異達にため息を吐きつつ、一真は手帳を懐へと戻す。
「……まあ、反応期待してた訳じゃないけどな」
グローブの装着具合を確かめつつ、構えれば一真の身体から炎のような赤いオーラが立ち昇る。
それは人類が怪異と戦う為に扱う2つの力、その1つ。
生命力を練り上げて振るわれる『気』だ。
「じゃあ、やるか」
一真の言葉に、白い怪異群が一斉に飛びかかった。
※ ※ ※
まず、飛びかかってきた怪異の顔面を正面から殴り、砕いた。
次に左右から掴もうと迫ってきた怪異の腹を近い順に蹴り飛ばし、破裂させる。
蹴りの勢いで振り向き、寸前まで迫っていた怪異の顔面を掴み、振り回す。
「オラァ!!」
怪異を一周、振り回した後に投げ飛ばす。巻き込まれ、進軍の止まった怪異とは逆方向の怪異達が迫ってくる。
一真も怪異へと向かって駆けだし、すぐさまスライディング。数体の足を掬い、転がした後はネックスプリングの要領で跳ね起きながら覆いかぶさろうとしてきた怪異2体の顎を両手で掴み、握り潰す。
消失していく怪異の残骸を別の怪異へと押しやりながら、壁際から迫ろうとしていた別の怪異は顔面を掴んで壁との間で挟み、圧殺する。
そのまま背後へと回し蹴り。まとめて3体を蹴り飛ばすと、今度は廊下の反対側、体勢を立て直した怪異達へと突っ込んでいく。腕を伸ばし、掴んでこようとする単調な動きの怪異に対し、一真は鋭く拳を打ち込んで次々に消滅させていく。
「どうしたどうした!」
手足に赤い気を纏い、暴れ蹂躙する様はまるで嵐のようだ。そんな一真に、最前列の怪異がわずかに臆したように足を止めた。だが、直後にその怪異は電流を受けたかのように身体をびくりと震わせた。
「ーーー、ーーー!!」
声にならない叫びと共に、先ほどよりも動きの鋭くなった怪異達が殺到する。
「動きが変わった?やっぱどっかにいるなあ、ボス個体」
拳の連打で怪異を撃ち抜きながら、怪異の動きの変化に確信する。同じフロアでなくとも、必ずボス個体がいると。故に拳を加速させていくが、
「お?」
遂に一真の処理速度を、怪異の数が僅かに上回った。数十体の犠牲の末、怪異2体が一真の腕を掴み、抱き抱えるようにして捕らえることに成功したのだ。更に別の怪異が群れとなり、次々に一真の腕を抑え込み、磔刑の如くその場に止めた。
「ーーーーーー!!」
そして怪異の群れの奥、離れた位置では怪異の1体がまるでクラウチングスタートのように構えていた。一真を他の怪異が抑え込んだと同時に、その怪異の下半身の筋肉がまるで風船のように一気に膨らみ、そして溜め込まれた力を解放した。
一真とその怪異を結ぶ直線上に存在する同胞を巻き込み消し飛ばしながら、砲弾と化して高速で迫る。自身の命すら擲った、確殺の一撃。失せろニンゲン、死に腐れ。そんな鬼気迫る怪弾が、一真へと激突する直前、
「ーーーシッ!」
一真の右足、そこに込められた気がより一層輝きを増して、パンッ!という音と、一瞬遅れた轟音と共に怪弾は天井へと叩きつけられていた。
なんということはない。
ただ迫る怪異の顔面を、それを上回る速度と威力で天井に向かって蹴り上げただけだ。
呆然とする怪異の群れに対して、一真は振り上げた右足をそのまま床へと振り下ろし、震脚。
体勢を崩した怪異を後目に、次は両腕の気を増加。更なる強化を得た膂力で両手を掴んだ怪異達を一斉に振り回し、吹き飛ばす。
即死を免れた怪異達は、もはや恐怖に満ちた目でそれを見た。
全身から赤い気を立ち昇らせ、琥珀色の瞳を輝かせるーーー怪異にとっての悪魔。
それが蹂躙の直前、消えゆく怪異の見た最後の光景だった。
※ ※ ※
「通信が途切れてから15分経過しました」
PCモニターを見ながら、本庄が告げる。
特段声に焦りはないがその目はモニターに映る数値、クレイドル製のウェアラブルセンサーから断続的に送られてくる一真のバイタルを油断なく見つめている。
「橘くん、本当に行かなくて大丈夫かい?」
「大丈夫ですよ、感じる圧からすれば速見が後れを取るような奴はいませんし」
缶コーヒーを口にしながら、嘉山の問いに橘が答える。
視線は妖しい光に包まれた、これまでとは雰囲気の違う廃墟へ向けられた状態だ。
「そもそもあの歳で、例の学院出身でもないのに二級資格を取ってる時点で十分バケモノなんだ、心配するだけ無駄ですよ」
「そんなものですかねえ」
「そんなもんですよ」
異界に対する企業に勤めているとはいえ、嘉山自身は異能者でもない一般人だ。
度胸と運転技術を買われて所属しているが、異界関連のことなど大して詳しくない。
対して橘は一級異能士だ。自身よりも異界や怪異に造詣深いのは間違いないだろう。
何より、ここ数か月一緒に仕事をしてきたあの青年ならば、簡単にくたばることはないのも理解できる。
「……ちょいちょい気の出力が跳ね上がってますね。相変わらずデタラメな数値だなあ」
本庄の声に呆れが混ざる。
観測できる一真のデータからは、本人が怪異相手に大暴れしていることが理解できる。
だが時折跳ねる出力と、その為のリソースがいろいろとおかしい。
「ほ、本当に大丈夫なんですか!?」
傍目からは若手を危険地帯に送り出して自分たちは安全な指揮所で呑気に会話しているように見える3人に、現場責任者の男が未だに焦った様子で問いかける。
彼も一真と同世代の子供がいる。気が気ではないのだろう。
「心配はいりませんよ。何かあっても覚悟の上ですし」
気楽に返す橘が更にコーヒーを口に含んだ瞬間、
「あ、ヤバ」
本庄の視線の先、モニターに表示された一真の出力がそれまでよりも遥かに高く跳ね上がり、それを維持し始めた。
直後、爆音と共に廃墟の屋根の一部が吹き飛んだ。
「な、なんだ!?」
狼狽える現場責任者と、その後ろで同じように身体を震わせる作業員達。
「あのバカ……まあ解体予定の廃墟だからいいのか?」
それらを後目に、こぼれて口の端についたコーヒーを拭う橘と、まるで花火でも見たかのように感嘆の声を上げる嘉山、モニターから視線を外す本庄。
3人の視線は、吹き飛んだ屋根と共に落ちてきた巨大な白い人影へと向けられていた。
轟音と共に指揮所の目の前に落ちてきた巨大怪異は、震える手を指揮所へと伸ばしていた。
それは目の前に新たな獲物が現れたからではない。
命からがら逃げるチャンスを得た者が助けを求める仕草だ。
橘達の視線が上空へと向けられる。視線の先では赤く輝く星が瞬いて、
「ーーー終わりだぁ!!」
死刑宣告の叫びと共に、星が怪異の頭部へと落ちた。
※ ※ ※
衝撃で巻き上げられた泥水が降りやみ、怪異の消失と共にそれらを構成していたマナが霧散していく。
マナの霧の向こうで赤い輝きもまた霧散していき、
「廃墟内に発生した異界、そのボス個体の討伐完了しました」
一切の疲労も負傷も見せない速見一真が姿を現した。