廃墟での任務から数日後。時刻は早朝、6時より少し前。
ベッドの中で目覚める直前、速見一真は夢を見ていた。
まだ幼い頃の倒れ伏す自分と、泣く誰か。
そして襲い来る怪異を一刀の元に斬って捨てた、偉大な背中。
異能士になるつもりのなかった自分が、異能士の道を志すようになった記憶。
同時に、己の無力を痛感させられた後悔と痛みの記憶。
「……また……」
忘れてはいけない記憶だと理解しているし、忘れるつもりもない。
なのに脳みそが定期的に刻みつけようとしているのか、頻繁に見るというのは流石にうんざりしてしまう。
「……飯」
時計を見れば、普段の起床時間よりも幾分早い。だが、活発な胃袋は二度寝を許してくれそうにない。
ベッドから抜け出し、顔を洗って着替える。インナーにワイシャツ、黒い上下のスーツ。
部屋の玄関脇に置いてあるカバンの中身を確認して問題なし。ヘルメットとグローブも持って部屋を出る。
向かうは一路、食堂へ。
※ ※ ※
クレイドル社員寮の1階には50人が同時に座れる規模の食堂がある。
普段は利用する社員で賑わっているが、流石に今の時間は利用者も少ない。
一真は食券を購入し、荷物を一旦席に置いてセルフの水を汲んだ。
食堂の壁に設置されたテレビには朝のニュースが流れている。
『続いては、イギリスで行われている異能競技世界大会の続報です。日本代表は決勝リーグ二戦目を勝利し、決勝トーナメントへの進出をほぼ確実なものにしました』
画面には気や魔力を纏った選手10人が入り乱れている様子が映っていた。
そんな中、日本の選手が1人集団を抜け出し、相手チームの陣地奥へと駆けていく。
背後から迫る相手チームの妨害を、若い日本人選手が食い止め、抜け出した選手が相手チームのモノリスへ渾身の一撃を叩き込み破壊した。
「おお、ナイスアシスト」
水を飲みながら呟く。同時に注文した定食の用意ができたことを告げるアラームが鳴った。
カウンターで受け取り、テーブルに食事を置く。
大盛りのご飯に味噌汁、焼き鮭。追加で卵焼きとサラダもつけてある。
「いただきます」
手を合わせ、食べていく中もニュースは続く。
『いや〜、貝塚選手見事な抜け出しとそこからの一撃でしたね』
『流石は日本のエースですね。これで2試合連続のラストアタック、現時点で今大会トップタイですよ』
『今年の日本代表は層が厚いですからね、ベテランから若手まで優秀な選手が揃ってますから期待できますよ』
『前回大会は惜しくも3位でしたからね、是非とも選手の皆さんにはここから更なる活躍を期待したいところです』
『続いては、先日発生したS県S市の異界化事件についてです』
「あ」
ニュースキャスターが告げた言葉にやべえと思いながら箸を進める。
米はふっくらと炊き上げられており、味噌汁は出汁がきいている。
焼き鮭は皮がパリッとしているし卵焼きは甘い味付けが好みだ。そしてサラダはシャキシャキとしている。
「うっま」
4月からこの社員寮に入ってすでに5ヵ月と少し、食堂の料理の美味さが非常に嬉しい。
テレビの中では先日一真達が対処した事件について、自治体から無事に解決したとの発表がなされている。
ただ一つ、冷や汗が背中を伝ったのは、
『ただ、自治体から発表されている事件解決と同時刻に麓の街から山の上に赤い光が見えたとの声もありますが……』
というコメントがあったことだろうか。そして周囲からいくつか、こちらに向けられた視線を感じた。
お前なにかしたんだろ、という視線に込められた意志を無視して食事を進める。
特段何も悪いことはしていないはずなのだが、妙に居心地が悪い。
「ごちそうさまでした!」
こういう時はさっさと離れるに限るので空になった食器を返し、寮の駐輪場へ向かうのだった。
※ ※ ※
異能総合警備保障クレイドルの本社ビルは社員寮からバイクで約20分の位置にある。
敷地前の門衛に社員証を見せ、そのまま職員用の駐輪場へ停める。
「おはようございます」
社員用の認証ゲートを抜け、時折すれ違う夜間当直の職員に挨拶しつつ異界対策第二課の部屋へと向かう。
部屋の中は無人。部屋の中に据え付けられた個人ロッカーにヘルメットやカバンを収めていると、ちょうど橘が入ってきた。
「おはようございます、班長」
「おお、速見か。おはようさん」
ネクタイを緩めながら大欠伸を見せる橘が横を通り過ぎれば、コーヒーとタバコの混じった匂いがした。
「班長、夜勤だったんですか?」
シフト表を確認する限り、橘は日勤となっている。一真の問いに橘は自身の席ーーー第二課の課長席に倒れ込むように座ると、そのままリクライニングを倒して身体ごと天井に向けた。
「上杉が忌引。俺は昨日たまたま昼からの予定だったからシフト変わったんだよ。つっても、夜の間も市内や周辺一帯のマナ変異は落ち着いてたからなあ。お陰で若い連中に稽古つける以外何もすることねえからタバコとコーヒーが止まらねえのなんの」
言われて一真の視線は気持ち床へと向けられた。今でもクレイドル地下に設置された訓練室では第二課に限らず、他課の実働担当がへばっている頃だろう。
「そういや速見、社長からメール入ってたぞ。今日10時に社長室に来いってよ」
橘の言葉に、一真の動きが一瞬止まる。
「……こないだの案件に対してのお叱りですかね?」
「わからん。廃墟の屋根ふっ飛ばしたことを言ってんなら、怪異相手なら建物の一部がぶっ壊れることなんてよくあるしそこは社長も理解してるから大した問題にはならんと思う。ただ、うちの社長はお前と星の字には厳しいからなあ」
まあそれも期待の裏返しだろうと橘は笑う。
「多分そっちのPCにもメール飛んでるだろうけど、確認しとけな。あと速見は始業から9時半までは基礎トレな。きっちり着替えてから社長室行けよ」
「わかりました」
橘からの指示に頷き、PCを立ち上げ、メールをチェックする。
「マジでメール来てる」
社長のアドレスから橘と副課長、そして一真宛。
内容自体はシンプルであり、『異界対策第二課所属 速見一真は本日10時に社長室へ来るように』とだけ書かれている。
「あれこれ考えても仕方ないし、基礎トレの準備するかあ……」
時計を見れば始業まであと30分以上はある。着替えてもまだ余裕のある時間だ。
一真はロッカーからトレーニングウェアを取り出し、更衣室へと向かうのだった。
※ ※ ※
この世界の人類は、例外なく二つの力を宿して生まれてくる。
生命力を根源とした気と、精神力を糧に魂から汲み上げられる魔力。
これらを扱い、超常の力を行使する者を人々は異能者と呼んだ。
そして、その力で異界からの脅威に立ち向かうことを国家に認められた者を異能士と呼ぶ。
日本の異能士は通常、国家機関である陰陽庁または異能士の互助組織に所属している。
だが、それらは組織の大きさや歴史の古さ故にしがらみがあり、故に取りこぼされる者達も多くいた。
力と歴史を積み重ねる中で、一部の異能士はある種の傲慢さを身に着け、その取りこぼしを仕方ないと受け入れるようになってしまったのだ。だが、それを見て見ぬふりを出来ない男がいた。
異能の名門に生まれ、将来を嘱望されながら名門の看板に向けて中指を立てたその男は、自身と肩を並べる男や同じ思想の者達と共に20年ほど前に会社を立ち上げた。
それが異能総合警備保障クレイドル。異界・異能に関する脅威から人々を護ることを目的とした、日本初の民間異能警備組織である。
そしてそんな会社の創設者、つまり社長が扉一つを挟んで向こう側にいる。
「……」
別段、緊張するような間柄ではないがそれはそれ。
社会人になった以上は節度を持った接し方が必要だ。ましてや相手は自身の雇用主。
いざとなればどこだろうと異能士をやっていく覚悟はあるが、流石にわずか半年でのクビは避けたい。
ネクタイを締め直し、服装に乱れはないかチェック……OK。
汗はちゃんと拭いてデオドラント済み、髪も整えた。
身だしなみはOK……のはず。
「……うっし」
深呼吸を一度して、ノックした。
「異界対策第二課所属の速見一真です」
「おう、入っていいぞ」
「失礼します」
扉を開け、入社直後の研修で叩き込まれた作法を守り社長室へと入った。
同時に鼻を刺激するほど濃いタバコの匂いにしかめっ面になりそうになったが、どうにか我慢する。
顔を上げれば、部屋の奥では中年男性がタバコ片手に書類を読んでいた。
黒髪をオールバックにした男だ。
精悍な顔つきであり、タバコを咥えながら口元には笑みが浮かんでいる。
黒いワイシャツに白いネクタイ。白いジャケットはデスク近くのスタンドにハット帽と共に掛けられている。
部屋の内装は社長室に相応しく豪華だ。
背後は一面、防弾ガラスが張られ、社長用のデスクの前には品を感じさせる応接用のテーブルとソファ。
壁の本棚にはファイルや分厚い本の他に、何故かウイスキーやブランデーの瓶が置かれている。
以前来た時よりも酒瓶の数が増えてるな、と考えつつ一真はデスクの前まで歩く。
山盛りになった灰皿の近くには、『社長 麻狩雄斗』と刻まれた名札が置かれてある。
「来たな、お疲れさん」
「お疲れ様です」
デスク前まで来た一真に軽い調子で声をかける麻狩雄斗。
対して、一真の返答は固い。社長と新入社員、と考えれば当然の態度ではあるのだが麻狩雄斗は苦笑。
どれほど経っても、
「ここには俺とお前の二人なんだ、別に伯父さんでも構わんのだぞ?」
「そう呼んだ瞬間、どやされるのは知っていますから」
「つまらんなあ……まあいい、座って話そう」
立ち上がり、デスク前の応接用ソファを指差す雄斗。彼の言葉に頷き、一真も雄斗の対面に座る。
「まずは先日の案件、お疲れさん。啓二から聞いたし報告書も読んだが、随分派手にやったな?」
「申し訳ございません……」
雄斗の言葉に頭を下げる一真だが、対象的に雄斗は笑っている。
「いいさ、周辺一帯を吹き飛ばしたとか民間人に怪我させたならともかく、異界関連で建造物の破損なんて日常茶飯時。ましてや今回は公的に取り壊しが決まっていたものだ。気にしなくていい」
むしろ俺達が若い頃なんてもっと派手にぶち壊していたぞ、とタバコに火をつけながら笑う。
対して一真、ならば何故呼んだのかと疑問が浮かぶ。
入社して半年、いろいろと気にかけてくれているのは知っているが、それでもこういった呼び出しは初めてだ。
一真の疑問を察知したのか、雄斗も紫煙を吐き出し、ひとまずと灰皿にタバコを置いた。
「ま、当然の疑問だな。なら、早速本題に入るか。一真、お前榊原とは仲良かったよな」
「榊…技術主任の榊原さんですよね?まあ、歳が離れてるのによくしてもらってますけど」
「ああ、その榊原だ。来月からあいつにとある仕事をしてもらうんだが、お前にはその護衛に入ってもらう」
「護衛任務、ですか」
一真の返答に硬さが混ざる。目つきや表情も、怪異相手に戦っていた時のような鋭さが宿り始めていた。
「おいおい、まだ早いっての。護ることに意欲的なのは買うが、あんまり早すぎると肝心なところでエンスト起こすぞ」
腕を組み、笑う雄斗と、はっとしてバツの悪そうな顔を見せる一真。
眉間の皺が取れたと雄斗が更に笑い、一真はため息をついた。
「任務についての詳しい話は後日説明するが、場所は先に伝えておく。蓮城大学、榊原の母校だ」
「蓮城……確か、隣の市にある大学でしたっけ」
大学名を記憶の中からどうにかこうにか掘り起こす。
高校時代の友人が進学先候補に入れていたはずだが、あの愚か者は家から近くて一人暮らしできないからと結局別の大学を選んだのだった。あと、純粋に学力的にも厳しかったはず。
「え、あそこ滅茶苦茶頭いいとこでしたよね……やっぱ榊さんてめっちゃ頭いいのか」
「そりゃお前、うちの技術部エースな上に元陰陽庁職員だぞ?バカには務まらねえよ」
「……知ってはいたけど、普段の榊さん見てると」
「気持ちはわかるが、人格と学力は比例しねえよ」
二人の脳裏に、共通の人物が浮かぶ。
一真を諌めるような発言をした雄斗でさえ、正直内心では疑わしいと思ってはいるのだが。
「さっきも言ったが、後日改めて任務内容の説明はする。お前はこの後榊原のところにでも行って挨拶してこい」
「わかりました。それじゃあ」
失礼しますと部屋を出る為にソファから立ち上がろうとした瞬間、雄斗に止められた。
「なんですか?」
「それはそれとして、一杯やってかないか?」
にやりと雄斗が指を指す先には棚に置かれた酒瓶。本気の顔である。
「未成年だし勤務中だし、まだ午前中だっての」
伯母さんにチクったろうかな、と思いつつ一真はそのまま部屋を出ていくのだった。
tips的なメモ
クレイドル設立:元々陰陽庁や互助組織から外れてフリーで活動していた異能士はいたが、あくまで個人や数人でやっていた(あまり大々的にやると上記の組織からの横やりが激しい為)。そこを自分達のネームバリューや実力で仕事をもぎ取り、黙らせ、更にバラバラだった異能士をスカウトしたりして設立されたのがクレイドル。麻狩雄斗とその相方が陰陽庁や互助組織の連中よりも頭一個分どころじゃないくらい強かったのでできた超荒業。