葉山颯香は断らない。   作:名無し

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第三話 葉山颯香は嘘をつく。

 

 

 

 断るという行為には、後処理が発生する。

 

 これは昨日、葉山颯香が人生でようやく学んだ新事実らしい。

 

 いや、人生初というのはさすがに言い過ぎかもしれない。

 

 嫌いな食べ物くらいは断ったことがあるだろう。

 

 ……ない可能性もあるな、あいつの場合。

 

「ヒッキー、やっはろー!」

「うす」

 

 翌朝。

 

 教室に入ると、由比ヶ浜がいつもの調子で手を振ってきた。

 

 その向こうには葉山。

 

 さらにその隣には三浦由紀夫がいる。

 

 昨日の件があったので、なんとなく視線が向く。

 

「颯香」

「うん?」

「昨日どうしたん?」

「あー……ごめんね。ちょっと疲れてて」

「体調悪かった?」

「ううん。そういうわけじゃないよ」

「なら言えよ。なんかあったのかと思ったじゃん」

「ごめんごめん」

 

 三浦が葉山の頭に手を伸ばす。

 

 葉山は避けなかった。

 

「今日ならいい?」

「今日?」

「放課後。昨日会えなかった分」

「あー……」

 

 一瞬。

 

 葉山の視線がこちらを向いた。

 

 見るな。

 

 俺は何も助けないぞ。

 

 昨日一回断ったからといって、毎回俺が横で送信ボタンを見守るサービスなど存在しない。

 

「……今日は、結衣たちと帰ろうかな」

「え?」

 

 三浦が眉を上げる。

 

「ね、結衣」

「えっ? あ、うん! いいけど!」

 

 由比ヶ浜が反射的に答える。

 

「じゃあ俺も一緒でよくね?」

「…………」

 

 葉山が詰まる。

 

 だろうな。

 

 今のは断ったんじゃない。

 

 由比ヶ浜を盾にしただけだ。

 

「……女子だけで話したいことあるから」

「何それ。俺に聞かれちゃまずいやつ?」

「そういうわけじゃないけど」

「じゃあいいじゃん」

「……」

 

 三浦が笑う。

 

 葉山も笑う。

 

 そして。

 

「……まあ、いっか」

 

 言った。

 

 おい。

 

 一日で元に戻ってんじゃねえか。

 

 × × ×

 

「颯香ちゃん、最近由紀夫となんかあった?」

 

 昼休み。

 

 由比ヶ浜がストローを咥えながら訊いた。

 

「どうして?」

「なんかちょっと変じゃない?」

「そうかな」

「うん。なんていうか……」

 

 由比ヶ浜が首を傾げる。

 

「前より疲れてる?」

「大丈夫だよ」

 

 出た。

 

 大丈夫。

 

 俺は少し離れた自席でパンを食いながら、聞こえていないふりをする。

 

「ほんと?」

「ほんとほんと」

「ならいいけど……」

「心配してくれてありがとう、結衣」

「んー……」

 

 由比ヶ浜は納得していないようだった。

 

 三浦は戸部たちと話している。

 

 葉山はそちらを一度見て、それから由比ヶ浜に笑いかける。

 

「そうだ。今日、駅前寄らない? 新しいお店できたんだって」

「行く行く!」

「由紀夫くんたちも誘おっか」

「いいね!」

 

 俺はパンを噛む。

 

 何やってんだ、あいつ。

 

 別れたいんじゃなかったのか。

 

 むしろ自分から彼氏を誘っている。

 

 意味が分からない。

 

 ……いや。

 

 分かる。

 

 分かってしまったから、余計に面倒くさい。

 

 昨日断った。

 

 三浦は「わかった」と返した。

 

 それで終わった。

 

 なのに葉山の中では終わっていない。

 

 自分が一度三浦を拒絶した。

 

 その借金を返そうとしている。

 

 だから今日は、いつも以上に優しくする。

 

 昨日傷つけたかもしれない分を、今日埋め合わせる。

 

 そんなことをしていたら、永遠に断れない。

 

 × × ×

 

「比企谷くん」

 

 放課後。

 

 廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。

 

 振り向く。

 

 葉山だった。

 

「何だよ」

「ちょっといい?」

「よくない」

「ありがとう」

「会話しろよ」

 

 葉山が横に並ぶ。

 

「今日ね、由紀夫くんたちと駅前行くことになった」

「知ってる」

「聞いてたんだ」

「勝手に聞こえてきただけだ」

「そっか」

 

 しばらく歩く。

 

「……昨日のことなんだけど」

「何だ」

「やっぱり、ちょっと悪かったかなって」

「何が」

「会いたくないって言ったこと」

「別に」

「でも由紀夫くん、心配してたみたいで」

「そうか」

「だから今日くらいは」

「埋め合わせ?」

 

 葉山が黙った。

 

 図星らしい。

 

「……そんな言い方しなくてもいいじゃん」

「じゃあ何だよ」

「普通に、一緒に遊びたいだけ」

「そうか」

「うん」

「なら俺に言い訳する必要なくね?」

「…………」

 

 葉山が止まった。

 

 俺も仕方なく止まる。

 

「お前、自分でも分かってんだろ」

「何が?」

「昨日断ったことに罪悪感あるから、今日は三浦の希望を一個聞いて帳消しにしようとしてる」

「そんなこと……」

「ない?」

「…………」

「ほら」

 

 葉山は露骨に嫌そうな顔をした。

 

「比企谷くんって、本当に嫌なところ突くよね」

「よく言われる」

「友達少ないでしょ」

「ゼロだ。舐めんな」

「そこ威張るところじゃないよ」

 

 少し笑う。

 

 けれど、すぐにその笑顔が消えた。

 

「……でも」

「禁止」

「え?」

「昨日言っただろ。その『でも』禁止」

「横暴だなぁ」

「いいから続けろ」

 

 葉山は少し考える。

 

「……由紀夫くんが、かわいそうなんだよ」

「何が」

「だって由紀夫くんは、普通に彼女と付き合ってるつもりなんだよ?」

「まあ、そうだろうな」

「私が勝手に悩んで、勝手にしんどくなって、勝手に別れたいって思ってるだけで」

「そうだな」

「否定してよ」

「事実だろ」

「……ひどいなぁ」

「で?」

「だから……せめて別れるまでは、ちゃんと彼女でいてあげたいっていうか」

 

 俺は思わず立ち止まった。

 

「葉山」

「うん?」

「それ、一番駄目じゃねえの」

「……どうして?」

「三浦はお前が普通に付き合ってくれてると思うんだろ」

「うん」

「その裏でお前は別れる準備してんだろ」

「……」

「だったら『ちゃんと彼女でいてあげる』って、三浦にとっても嘘じゃねえか」

 

 葉山の顔から笑みが消えた。

 

 こいつには「自分を大事にしろ」より、こっちの方が効く。

 

 自分が傷つくことには鈍感でも。

 

 誰かを傷つける可能性には、異常に敏感だから。

 

「……私、由紀夫くんに嘘ついてる?」

「少なくとも、何も問題ありませんって顔はしてるな」

「…………」

「昨日から別れたいと思ったわけじゃねえだろ」

「うん」

「どれくらい前からだ」

「……分かんない」

「一週間?」

「もっと」

「一ヶ月?」

「……たぶん」

「三浦は知ってんのか」

 

 葉山が首を横に振る。

 

「だろ」

 

 葉山は俯いた。

 

「……最低だね、私」

「何でそうなる」

「だって、由紀夫くんにずっと嘘ついてたんでしょ?」

「極端なんだよ」

「でも──」

「禁止」

「……」

「お前は何でも自分が悪いことにしねえと気が済まんのか」

 

 葉山が顔を上げる。

 

「三浦が悪いか、自分が悪いか。どっちかにしなきゃ別れちゃいけないと思ってんだろ」

「…………」

「雪ノ下も言ってたろ。裁判じゃねえんだ」

「聞いてたんだ」

「俺もいたからな?」

 

 何だと思ってたんだ。

 

 × × ×

 

 その日。

 

 葉山は結局、三浦たちと駅前へ行った。

 

 俺には関係ない。

 

 関係ないはずだった。

 

 翌日。

 

 昼休みに、また聞こえてきた。

 

「颯香、昨日楽しかったな」

「うん」

「今度二人で行こうぜ」

「……うん」

「あとさ」

 

 三浦が葉山の耳に何か囁く。

 

 聞こえない。

 

 葉山の肩が少し固まる。

 

「……それは」

「いいじゃん」

「由紀夫くん」

「な?」

 

 葉山は笑った。

 

 まただ。

 

「……考えとく」

 

 三浦は満足そうに、

 

「期待してる」

 

 と言った。

 

 葉山は何も答えなかった。

 

 × × ×

 

「今日も来たのね」

 

 放課後。

 

 奉仕部の扉を開けた葉山に、雪ノ下が言った。

 

「迷惑だった?」

「依頼人が来ること自体は当然でしょう」

「よかった」

 

 葉山は昨日と同じ席に座る。

 

 今日は由比ヶ浜もいる。

 

「で、でもびっくりしたよ! 颯香ちゃんが奉仕部に相談って」

「ごめんね。結衣には言ってなくて」

「それはいいんだけど……」

 

 由比ヶ浜が俺と雪ノ下を見る。

 

「由紀夫のことなんだよね?」

「うん」

「喧嘩したの?」

「してないよ」

「じゃあ……」

 

 葉山が少し黙る。

 

 昨日までなら。

 

 たぶんここで笑って、

 

「大したことじゃないよ」

 

 と言っていただろう。

 

 葉山は一度、俺を見る。

 

 見るな。

 

 次に雪ノ下を見る。

 

 雪ノ下は何も言わない。

 

 最後に由比ヶ浜を見る。

 

「……私ね」

「うん」

「由紀夫くんと、別れようと思ってるんだ」

「…………え?」

 

 由比ヶ浜の顔が固まった。

 

「え、なんで?」

「私が、もう付き合い続けたくないから」

 

 俺は葉山を見る。

 

 雪ノ下も見た。

 

 昨日なら絶対に出てこなかった言葉だ。

 

「由紀夫がなんかした?」

「ううん」

「じゃあ嫌いになった?」

「嫌いじゃないよ」

「じゃ、じゃあなんで……」

 

 葉山が困ったように笑う。

 

「私にも、うまく説明できないんだけど」

「……」

「でも」

 

 葉山がそこで止まった。

 

 ちらっと俺を見る。

 

「言っていいぞ。今回は」

「何それ」

「話進まねえだろ」

「ふふ」

 

 そして、

 

「でもね、結衣」

「うん」

「嫌いじゃなくても、別れたいって思っていいんだって」

 

 由比ヶ浜が目を瞬く。

 

「……たぶん、やっと分かったから」

「颯香ちゃん……」

「だから、ちゃんと由紀夫くんに話す」

 

 言った。

 

 雪ノ下が静かに尋ねる。

 

「いつ?」

「…………」

 

 葉山が固まる。

 

「具体的な日程を決めない限り、あなたは永遠に先延ばしにするでしょう」

「雪乃、容赦ないね」

「知っているでしょう」

「……うん」

 

 葉山は考える。

 

「明日」

「明日?」

「うん」

 

 自分に言い聞かせるように。

 

「明日の放課後、由紀夫くんに話す」

 

 由比ヶ浜が心配そうに葉山を見る。

 

「颯香ちゃん、一人で大丈夫?」

 

 その問いに。

 

 葉山は反射的に、

 

「大丈夫だよ」

 

 と言いかけて。

 

「大丈──」

 

 止まった。

 

 部室が静かになる。

 

 葉山自身も、自分の口から出かけた言葉に気づいたらしい。

 

「…………」

 

 少し考える。

 

 そして、

 

「……大丈夫じゃないかも」

 

 言い直した。

 

 由比ヶ浜が目を丸くする。

 

「すごく怖い」

「……うん」

「たぶん明日になったら、逃げたくなると思う」

「うん」

「だから……」

 

 葉山は由比ヶ浜を見る。

 

「結衣。明日、話す前まで一緒にいてくれる?」

「──うん!」

 

 由比ヶ浜は即答した。

 

「いる! 絶対いる!」

「ありがとう」

 

 葉山が笑う。

 

 その笑顔を見ながら。

 

 俺はなんとなく思った。

 

 こいつは今まで、嘘ばかりついていたのかもしれない。

 

「大丈夫」

「平気」

「いいよ」

「気にしてない」

 

 誰かを騙すための嘘ではない。

 

 むしろ逆だ。

 

 誰かを安心させるための嘘。

 

 ──そして。

 

 その嘘を一番信じていたのは、たぶん葉山自身だった。

 

 だから今日、葉山颯香は初めて、

 

「大丈夫じゃない」

 

 と言った。

 

 まだ「嫌だ」には届かない。

 

 それでも──明日。

 

 こいつはたぶん。

 

 今までで一番、大きな嘘をやめる。

 

 

 

 

 

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