高度育成高等学校。
実力のみがすべてを決定するこの隔離された庭において、
最も外界の風が吹き込む特異な一日がやってきた。
3年生に進級する直前、初めて行われる三者面談である。
全寮制という性質上、生徒たちは入学以来、
親と直接顔を合わせる機会を奪われてきた。
二年ぶりの再会は、感動の涙に包まれるかと思いきや、
そこは一癖も二癖もある生徒たちの学び舎。
予想だにしない混沌が各教室で繰り広げられることとなった。
茶柱佐枝は、目の前の光景に引きつりそうな頬を必死に抑えていた。
かつては不良品と呼ばれたDクラスも、今やAクラスへと昇り詰め、
そのリーダーである堀北鈴音は目覚ましい成長を遂げている。
しかし、その厳格で凛とした少女のルーツが、
今目の前で展開されている「桃色の空間」にあるとは誰が想像しただろうか。
「あらあら、鈴音ったら。髪をこんなに短く切ってしまって。
ロングヘア、とっても似合っていたのに。お母さん、少し寂しいわ」
「……これは、自分の決意の表れよ。
過去の自分と決別するために必要なことだったの」
堀北が冷徹に返すが、母親は全く動じない。
それどころか、隣に座る父親の手をそっと握りしめた。
「でも見てちょうだい、あなた。鈴音のこの横顔。
私の若い頃にそっくりで、本当に可愛いじゃない?」
「ああ、全くだよ。我が娘ながら、見惚れてしまうな。
だが、やはり君の美しさには一歩及ばないがね……」
「まあ、あなたったら……♡」
「おまえ……♡」
見つめ合う二人の距離が急速にゼロになる。
あろうことか、厳粛な面談の場であるにもかかわらず、
両親は熱烈な抱擁とともに「んちゅっ、ぷはぁ♡」「愛してるよ、ママ♡」と、
若いカップルも顔負けの濃厚なキスを、茶柱の目の前で思い切り見せつけ始めた。
「マ、ママ!パパ!みっともないから先生の前でイチャつかないでちょうだい!
それに……その、唇を離しなさい!」
顔を真っ赤にして立ち上がる堀北。
あのクールな彼女が、親の前ではただの反抗期の少女のように振り回されている。
その様子を眺めていた茶柱は、営業用の微笑を浮かべながら応じた。
「仲がよろしいようで何よりです。
家庭の円満さは、生徒の精神的な安定に繋がりますから」
だが、茶柱の内心は嵐だった。
「(チッ、わざわざ学校まで来て濃厚な接吻まで見せつけやがって!
独身の担任の前で嫌味か!?呪ってやる、この幸せ夫婦め!)」
三十路を迎え、婚期への焦りが日増しに強まる茶柱にとって、
この多幸感溢れる空間はもはや精神的暴力に近いものがあった。
次に茶柱を待っていたのは、
この学年で最も「化けた」男、須藤健とその父親だった。
「須藤くんは、学力・素行ともにこの二年で最も成長した生徒と言えます。
バスケ部での活躍はもちろん、今では学業でも安定した成績を残しています」
茶柱の言葉を聞いた瞬間、隣に座っていた体格の良い、
いかにも職人気質の父親の肩が震え始めた。
「……まさか、あのバカな健が……。
喧嘩ばかりして、勉強のべの字も知らなかったあの健が、
こんなに立派になっちまってよぉ……!」
父親は顔を覆い、子供のように号泣し始めた。
かつての須藤であれば「うるせえな!」と一蹴していただろうが、今の彼は違った。
「親父……泣くなって。ほら、ハンカチあるぜ。使いなよ」
「お、おまえ……ハンカチなんか持ち歩くような
品行方正な男になったのか……!ぐすっ、チーン!!」
父親は差し出されたハンカチで盛大に鼻をかんだ。
「当たり前だろ!鈴音……じゃなくて、クラスのみんなに迷惑かけらんねぇからな。
って、おい!鼻かむなよ!それ、気に入ってたやつなんだぞ!」
「いいじゃねぇか!息子の成長が嬉しくて涙と鼻水が止まらねぇんだよ!」
その光景は、暑苦しくもどこか微笑ましい親子の絆を感じさせた。
茶柱は、堀北の両親の時とは違う、
純粋な教育者としての達成感を微かに感じていた。
だが、感動の余韻は次の面談で木っ端微塵に砕かれることになる。
現れたのは、高円寺六助と、彼をそのまま数十年後にスライドさせたような、
あまりにもバイタリティに溢れすぎる父親だった。
「息子よ!充実した学校生活を送っているようだな!わはははははは!!」
「父上!私は常に最高の自分を更新し続けていますよ!わはははははは!!」
二人の笑い声が教室の壁を震わせ、窓ガラスがビリビリと鳴る。
会話の内容に具体性は皆無。
ただ、お互いの存在を全肯定し、己の美学を誇示し合うだけの時間が過ぎていく。
「……高円寺さん、一応成績や生活態度の話を――」
「不要だよ、ティーチャー!私は私であるだけで満点なのだからねぇ!」
「その通りだ、先生!我ら高円寺一族に、
凡人の物差しは通用せんのだ!わははははは!!」
茶柱はペンを机に置き、深くため息をついた。
「(……やかましいな。早く帰れ、この金ピカ親子め)」
次に教室へ足を踏み入れたのは、一見して場違いな威圧感を放つ巨漢だった。
身長は優に2メートル少しあり、
スーツがはち切れんばかりの筋肉を蓄えたその姿は、
まるで現役のトッププロレスラーか、あるいは歴戦の兵士を彷彿とさせる。
「失礼する。恵の父親だ」
地響きのような低音ボイスとともに着席した父親は、
隣に座る娘・軽井沢恵を愛おしそうに見つめた後、鋭い眼光を茶柱へと向けた。
「先生。単刀直入に伺いたい。
……まさかとは思うが、中学時代と同じく、
うちの娘をいじめるような不届きな輩は、この学校にはおりませんよね?」
父親はそこで言葉を切り、指の関節を「ポキポキ」と不穏な音を立てて鳴らした。
そして、顔半分を影に落としながら、あまりにも凶暴で、
それでいて純粋な殺意の混じった「ニコリ」という笑顔を作ってみせた。
「もし、万が一にでもそんな虫ケラが存在するのなら……。
私は人生で初めて、人を殺めてしまうかもしれません。……ええ、確実にね」
その圧倒的なプレッシャーに、百戦錬磨の茶柱さえも一瞬呼吸を忘れた。
「……あ、あはは!もう、お父さんは心配性なんだから!
あたしはクラスのカースト……じゃなくて、みんなと仲良く楽しくやってるよ!
ほら、前みたいなことは一切ないから、ね?」
軽井沢が慌てて父親のぶ厚い腕を叩いてフォローを入れる。
父親は娘の言葉を聞くと、一瞬で「デレデレの親バカ」の顔に戻り、
「そうか、それならいいんだ恵……」と相好を崩した。
その様子を眺めながら、茶柱は冷や汗を拭い、内心で猛烈なツッコミを入れていた。
「(……このヒグマのような父親を持っていて、
どうして彼女は中学時代にあれほど過酷ないじめを受けていたんだ?
この父親が一度学校に乗り込めば、いじめっ子など一瞬で塵になっていたはずだが。
まさか、娘に嫌われたくなくて一度も学校に来なかったのか?)」
家庭の事情と、娘のプライバシーを守ろうとする父親の過剰すぎる愛。
軽井沢恵という少女が抱える「闇」と、
この「最強の盾」のような父親のギャップに、茶柱は眩暈を覚えるのだった。
◯
一之瀬クラスの担任、星之宮知恵もまた、頭を抱えていた。
一之瀬帆波の面談。
現れた母親は、聖母のように優しい眼差しをしていたが、
その言葉には一抹の不安と、過去のトラウマが滲み出ていた。
「先生!うちの帆波、お金がないからって人に迷惑をかけたりしていませんか!?」
「お母さん、もうその話はやめてってば!私はちゃんとやってるよ!」
一之瀬が慌ててフォローを入れるが、母親の心配は止まらない。
かつて一之瀬が犯した「万引き」という過ち。
それは生活苦から妹のために手を染めてしまった悲しい事件だったが、
母親の心には今も深い傷跡として残っていた。
「え、ええ……帆波さんは非常に優秀で、
クラスの信頼も厚いですよ。生徒会にも務めていましたし……」
「先生、正直に仰ってください!本当に、その……万引きとか、そんなことは!?」
「し・て・ま・せ・ん!!」
一之瀬の必死の叫びが響く。
星之宮は、普段の明るい帆波の裏側にある、家庭的な重圧を垣間見た気がした。
そして、最もカオスを極めたのは龍園翔の面談だった。
あの独裁者・龍園が、三者面談でどのような顔を見せるのか。
担任の坂上は戦々恐々としていたが、教室に入ってきた人物を見て絶句した。
派手なブランド品に身を包み、鋭い三角のメガネをした、
いかにも「教育ママ」を絵に描いたような女性。
「ママン!綾小路って野郎が生意気でよー!
俺様の計画をことごとく邪魔しやがるんだぜ!」
あの龍園が、甘ったるい声で母親に縋り付いている。
「まっ!なんてことでしょう!
うちの翔ちゃんをいじめるだなんて、万死に値するザマス!!
翔ちゃんは、あんなに優しくて繊細な子なのに!」
「(どこがだ!?)」と、坂上は叫びたい衝動を必死に抑えた。
龍園がこれまでクラスメイトや他クラスに行ってきた数々の蛮行。
それを棚に上げての被害者面である。
「坂上先生!この『アヤノコウジ』とかいう不良生徒を今すぐ退学になさい!
さもなくば教育委員会に、いえ、うちのお抱え弁護士を今すぐここに呼ぶザマス!」
「い、いや、龍園お母様……
そんな事実は確認されておりませんし、むしろ龍園くんの方が……」
「黙りなさい!私の翔ちゃんが嘘をつくはずがないザマス!」
龍園は母親の背後で、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。
「(ククッ……力攻めが通用しねぇなら、
親の権力を使って社会的に潰すまでだ。これでおしまいだぜ、綾小路!)」
坂上教諭は、もはや自分の手に負えないことを悟り、遠い目で空を見つめた。
全ての面談が終了した頃、教師たちは一様に疲れ果て、
職員室で死んだように椅子に沈み込んでいた。
生徒たちの個性は、やはりその親譲りであったり、
あるいは親に対する反動であったりする。
高度育成高等学校という特殊な環境においても、
血の繋がりがもたらす影響力は絶大であった。
茶柱はもらった須藤の鼻水まみれのハンカチを見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……どいつもこいつも、親の顔が見てみたいと思っていたが。
……見ない方が幸せなこともあるな」
夕暮れの校舎に、まだどこからか高円寺親子の高笑いが響いているような気がした。