高度育成高等学校の朝は、常にどこか張り詰めた空気を孕んでいる。
しかし、その日の朝は、オレ——綾小路清隆にとって、
いつも以上に「イレギュラー」な幕開けとなった。
校舎へと続く並木道。
春の柔らかな日差しがアスファルトに斑な影を落とす中、
背後から二つの異なる足音が近づいてきた。
一つは軽やかで、どこか獲物を狙う猫のような足音。
もう一つは、堂々としていて、周囲を威圧するような、しかし洗練された足音。
「おはよ、綾小路センパイ。今日も相変わらず、パッとしない顔してるねぇ」
耳元で、甘く、それでいて毒を含んだ声が響く。
1年Aクラスの天沢一夏だ。
彼女はオレの左側にピタリと身体を寄せ、覗き込むように顔を近づけてきた。
「おはよう、綾小路。朝から相変わらず、面白みのない歩き方をしているな」
右側から聞こえてきたのは、低く、鈴の音のように凛とした声。
3年Bクラス、鬼龍院楓花。
この学校で唯一、学力・身体能力共にOAAで最高評価を叩き出し続ける異端児だ。
「天沢に鬼龍院先輩か。
珍しい組み合わせだな。二人が一緒にいるところなんて、初めて見た」
オレの率直な感想に、天沢はクスクスと、悪戯が成功した子供のように笑った。
「意外?でもね、あの無人島サバイバル試験で、
アタシと鬼龍院センパイ、実は結構気が合っちゃったんだよね。ねー?」
「ああ。力ある者同士、通じ合うものがあったということだ。
退屈な日常に、この一年生は少々の刺激を与えてくれる」
鬼龍院は不敵な笑みを浮かべ、オレの腕に自身の腕を絡めてきた。
天沢もそれに負けじと、オレの左腕を抱きしめる。
「……で、その二人が揃ってオレに何の用だ?」
「用なんてなきゃ、触っちゃダメなの?
センパイのこういう無機質なところ、アタシ、いじめたくなっちゃうんだよね」
天沢の細い指先が、オレの頬を「つん、つん」とリズム良く突き始める。
赤ん坊の肌のように柔らかく、それでいてどこか冷徹な鋭さを秘めた指先。
対照的に、鬼龍院の指がオレの右腕を、
手首から肩にかけて「つーっ」と、這うような速度でなぞり上げる。
鬼龍院が艶然と微笑み、さらに距離を詰める。
天沢の指がオレの首筋を弄り、
鬼龍院の指がオレの胸板の厚さを確かめるように這う。
天沢がさらに一歩踏み込み、オレの左腕を自身の胸元へ深く抱き込んだ。
制服の生地越しに伝わってくるのは、驚くほど柔らかく、
それでいて確かな存在感を持った弾力だ。彼女が体重を預けるたびに、
その肉厚な感触が腕の形に沿って形を変え、吸い付くように密着する。
「ねぇ、センパイ。心臓の音、少し早くなってない? アタシのせい……かな?」
追い打ちをかけるように、
右側からは鬼龍院が反対の腕を自身の豊満な胸へと引き寄せた。
天沢のそれよりもさらに成熟し、
重みを感じさせる柔らかな肉感が、オレの右腕を包み込む。
彼女がわざとらしく胸を押し当て、ゆっくりと身体を擦り寄せると、
逃げ場のない熱量がダイレクトに肌へと伝わってきた。
「ほう……。表面的には無反応だが、筋肉の強張りは嘘を吐かないな。
綾小路、これほど近寄られても心拍数ひとつ乱さないつもりか?」
左右から押し寄せる、質の異なる二つの「柔らかさ」と「熱」。
腕を動かそうとすれば、さらにその肉厚な感触が強調され、
絡め取られるような錯覚に陥る。
香水の甘い香りと、少女特有の体温、そして密着した部位から伝わる脈動が、
オレの五感を支配しようとしていた。
二人の攻勢はさらに激しさを増す。
天沢が背伸びをし、オレの耳元に唇を寄せた。
熱い吐息が耳孔に直接吹き込まれる。
「ねぇ、センパイ。今、何考えてる?
『面倒だな』とか、『早く放してほしい』とか……
それとも、もっと『えっちなこと♡』、期待しちゃってる?」
「おい、二人とも。ここは通学路だ。目立つし、やめてくれないか」
オレの訴えは、彼女たちにとっては何の制止力も持たなかった。
むしろ、無表情なオレが困惑を見せたことが、彼女たちの加虐心を煽ったらしい。
「いいじゃないか。たまには年長者の可愛がりを受けておくものだ」
左右から挟み込まれる圧倒的な「個」の圧力。
ホワイトルームという異常な環境で育ったオレでさえ、
この二人の自由奔放なアプローチには、どう対処すべきか判断が遅れる。
その時だった。
春の穏やかな空気が、一瞬にして豹変した。
校舎の影から吹き抜けた、鋭く、そして力強い一筋の突風。
「あ……っ!?」
「っ……!」
オレに密着していた二人の身体が、咄嗟の強風に煽られて揺れる。
と同時に、彼女たちの短いスカートの裾が、
抗う術もなくふわりと、鮮やかに舞い上がった。
時間はスローモーションのように流れた。
天沢一夏。普段の言動は小悪魔的で、挑発的。
その裏に潜む狂気と実力を知る者からすれば、
彼女が選ぶ下着は、もっと大胆で、
それこそ大人の色香を漂わせる黒いレースや、
過激なデザインだと推測するのが自然だろう。
鬼龍院楓花。唯我独尊を地で行き、全生徒を見下ろすような孤高の天才。
彼女ならば、洗練された高級感のあるものか、
あるいは機能性を重視したスポーティーなものを選んでいるはずだ。
だが、視界に飛び込んできた光景は、そのどちらでもなかった。
2人のめくれたスカートの奥に隠されていたのは、雪のように汚れのない、
あまりにも清潔で、あまりにも「普通」な、白い綿のパンツだった。
飾り気のない、しかし丁寧に手入れされたことが伺える、純真無垢の象徴。
「っ……!」
まず反応したのは天沢だった。
あれほど余裕たっぷりにオレを弄んでいた少女が、
顔を真っ赤に染め、弾かれたようにオレから離れる。
彼女は両手でスカートを必死に押さえつけ、逃げるように視線を足元へ落とした。
「……見、た……?」
蚊の鳴くような声。いつもの生意気な口調はどこへやら、そこには年相応の、
いや、それ以上に初々しい「一人の少女」としての羞恥心が溢れていた。
隣の鬼龍院も同様だ。
あの不敵な笑みは消え失せ、頬には隠しようのない紅潮が広がっている。
彼女はスカートの端を握りしめ、眉をひそめてうつむいた。
「綾小路……今のは、不可抗力とはいえ……その、だな……」
言葉が続かない。
百戦錬磨の彼女が、たかがスカートがめくれた程度でここまで狼狽するとは。
いや、それは「見られたもの」が、
彼女たちが普段必死に隠している内面の純粋さそのものだったからかもしれない。
二人とも、普段は強烈な個性を鎧として身に纏っている。
天沢は「悪意」と「誘惑」で、鬼龍院は「傲岸」と「圧倒的実力」で、
自身の本質に他人が触れるのを拒んできた。
しかし、あの真っ白な下着は、彼女たちの根底にあるものが、
決して汚れたものでも、
捻じ曲がったものでもないことを無言のうちに証明していた。
「……悪かった。わざとじゃない」
オレがそう声をかけると、
天沢はさらに肩を震わせ、上目遣いでオレを睨んだ。
いや、それは睨んでいるというよりは、今にも泣き出しそうな、
あるいは恥ずかしさで爆発しそうな、ひどくアンバランスな表情だった。
「バカ、センパイのバカ……!
なんで……なんでそんな、まじまじと見てるの……っ」
「……綾小路。今日のところは、これで貸しにしておいてやる。
……二度と思い出すな。いいな?」
鬼龍院はそう吐き捨てると、いつもの堂々とした歩調とは程遠い、
やや急ぎ足で校舎の方へと歩き出した。
天沢もまた、オレの足を思い切り踏みつける真似をしてから、
(実際には力は入っていなかったが)、彼女を追うように走り去っていった。
一人残されたオレは、静まり返った並木道で、
先ほどまでの熱量と、最後に見た「白」の残像を反芻する。
天沢一夏と鬼龍院楓花。
この学校でも指折りの異端児である二人が、
実は誰よりも「普通」で「純情」な部分を抱えている。
「……意外だな」
ポツリと独り言を漏らす。
二人の新たな一面——隠された「初々しさ」を知ってしまったことは、
今後の学園生活において、どのような変数となるだろうか。
少なくとも、明日から彼女たちがオレにスキンシップを仕掛けてくる際、
今日のような余裕はもうないかもしれない。
そう思うと、少しだけ、本当に少しだけ、
これからの日々が退屈でなくなるような気がした。
オレは足元に落ちていた桜の花びらを一蹴りし、
彼女たちの背中を追うように歩き出した。