体育の授業の後。
汗ばむ陽気の中、女子生徒たちは着替えるため、
喧騒と共に女子更衣室へと流れ込んでいた。
熱気と制汗スプレーの香りが混ざり合う空間。
そこには、堀北クラスの面々が揃っている。
「……ふぅ。ようやく終わったね」
長谷部波瑠加は、額に浮かんだ汗を拭いながら、
自分のロッカーの前で一息ついた。
彼女は基本的に特定のグループに属さず、
三宅や幸村、といった元綾小路グループで過ごすことを好む。
そのため、こうしたクラス女子が密集する場所では、
どうしても壁際で静かに過ごすのが常だった。
しかし、その恵まれたプロポーションは、
本人の意思に関わらず注目を集めてしまう。
「ちょっと長谷部さん、相変わらず凄いバストだよね。それ、重くないの?」
声をかけてきたのは、クラスの女子のリーダー格、軽井沢恵だった。
いつもの勝ち気な笑顔で、遠慮のない視線を長谷部の胸元に向ける。
「ひゃ、や、やめてよ軽井沢さん……。そんなジロジロ見ないで」
長谷部は思わず腕で身を隠すように身を縮めた。
彼女にとって、この身体のラインはどちらかと言えばコンプレックスに近い。
好奇の目に晒されるのは、何度経験しても慣れるものではなかった。
「あはは、そんなに照れなくても。
でも本当に、同じ女子として羨ましいっていうか、不思議っていうか」
軽井沢の隣にいた佐藤麻耶も、目を輝かせて加わる。
彼女は長谷部の後ろの席ということもあり、時折言葉を交わす仲だ。
「ほんと、スタイル良すぎ!
スラッとしてるのに出るべきところは出てるっていうか。モデルさんみたいだよね」
「もう……ウンザリ。そういうのは他でやってよ」
長谷部は溜息をつき、逃げるように着替えを急ごうとする。
しかし、女子特有の「スタイルの話題」という火種は、
一度燃え上がると容易には消えない。
「そこまでにしなさい、軽井沢さん。あまり彼女を困らせるものではないわ」
冷徹、かつ理知的な声が響く。
クラスを実質的にまとめている堀北鈴音だった。
彼女は既に制服に着替え始めており、乱れのない動作でボタンを留めている。
「あ、堀北さん。固いこと言わないでよ、ただのコミュニケーションだって」
軽井沢は悪戯っぽく笑うと、今度はその視線を堀北へと向けた。
「……?何かしら」
「ほうほう……なるほど。
堀北さんも、脱いでみると意外となかなか……。着痩せするタイプなのね」
「なっ……!?」
堀北の眉がピクリと跳ねる。
軽井沢の視線は、堀北の細いウエストから適度に主張のあるラインをなぞっていた。
「軽井沢さん、あなただって成長しているでしょう。
人の身体を物色するなんて、品性を疑うわ」
「えー、私はまだまだだよ。でも堀北さん、
いつもピシッとしてるから気づかなかったけど、結構ポテンシャル高いじゃん」
佐藤も一緒になって「確かに! 堀北さんもスタイルいいよね」とはしゃぎ始める。
いつの間にか、更衣室の一角はクラスの女子たちが集まり、
ちょっとした品評会のようになっていた。
女子たちのテンションが最高潮に達した頃、
佐藤が手を叩いて名案を思いついたように言った。
「ねえ、ねえ!せっかくこれだけ盛り上がってるんだし、
みんなで『制服の交換こ』してみない?」
その場が一瞬、静まり返る。
「交換……?何を馬鹿なことを」
堀北が即座に切り捨てるが、軽井沢は逆に身を乗り出した。
「あ、それ面白いかも!
誰が誰の格好をしたら似合うか、みたいな。着こなしの勉強にもなるし」
「嫌よ。そんな非効率的で意味のないこと」
「私も……パスかな。恥ずかしいし」
堀北と長谷部は拒否反応を示すが、クラスの「陽キャ」の勢いは止まらない。
「えー、いいじゃん!減るもんじゃないし、今回だけ!
ね? クラスの親睦を深めるためだと思ってさ」
軽井沢の強引な誘いと、佐藤のキラキラとした懇願の目。
さらには周囲の松下や王美雨たちも「ちょっと見てみたいかも」と便乗し始める。
「……今回だけよ。二度と誘わないと約束するなら」
「……私も、一回だけなら」
二人の防御壁は、多数決という名の同調圧力によってあえなく崩壊した。
◯
更衣室の中で、奇妙な交換会が始まった。
それぞれが自分の制服を脱ぎ、相手に手渡していく。
「はい、堀北さん。私の制服、ちょっと着崩すのがポイントだからね」
「……努力はしてみるわ」
数分後。
更衣室の鏡の前に立ったのは、いつもとは全く違う印象の少女たちだった。
まず周囲を驚かせたのは堀北だった。
彼女は軽井沢の制服を着、スカートを短く調整。
さらに、軽井沢のトレードマークである高めのポニーテールに髪を結い上げている。
「あら……意外と、悪くないわね」
鏡を見る堀北の表情は、どこか照れくさそうだが、拒絶の色はない。
凛とした顔立ちに、ギャル風の着こなし。
そのギャップが、彼女の持つクールな美しさを逆に引き立てていた。
「すごい! 堀北さん、めちゃくちゃ似合ってる!
ギャル風の堀北さん、強キャラ感がすごいよ!」
「本当だ……。モデルの撮影みたい」
松下やみーちゃんから絶賛の嵐が巻き起こる。
堀北は「ふん、形だけよ」と鼻を鳴らすが、その頬はわずかに赤らんでいた。
対する軽井沢は、堀北の制服を着用。
リボンを喉元まで隙間なく結び、
スカートの丈も膝立ちしても床につくほど正統派な長さに。
髪はアイロンでストレートに下ろしている。
「どう?清楚系恵ちゃん、降臨って感じ?」
「……気持ち悪いほど、普通ね。でも、確かに品は良く見えるわ」
堀北の毒舌混じりの評価だが、
実際、軽井沢の整った顔立ちは、
清楚な装いにすると驚くほど「育ちの良いお嬢様」に見えた。
しかし、平和な称賛だけで終わらないのが、この交換会の残酷なところだった。
「……ねえ、これ。どういうことかな」
恨めしそうな、消え入りそうな声が聞こえてきた。佐藤麻耶である。
彼女は長谷部波瑠加の制服を着ていた。しかし――。
「ぶかぶか……。特に、胸のところがスカスカしてて、なんか心まで寒いよぉ……」
佐藤が着た長谷部の制服は、明らかにサイズが合っていなかった。
長谷部のプロポーションに合わせて仕立てられた上着は、
佐藤が着ると不自然に余り、胸元には虚無の空間が生まれている。
「あはは……ごめんね、佐藤さん」
長谷部が苦笑いしながら謝るが、彼女の方も状況は深刻だった。
彼女は佐藤の、ややタイトに仕立てられたギャル風制服を着ていたのだが――。
――パチィィィン!!
静かな更衣室に、硬質な音が響いた。
「「「あっ」」」
全員の視線が長谷部の制服の胸元に集まる。
そこには、耐えきれずに弾け飛んだ第二ボタンが、無情にも床を転がっていた。
「き、きつすぎるよ……息ができない……」
長谷部は顔を真っ赤にして、はだけた胸元を必死に手で押さえる。
佐藤の制服は、長谷部の規格外のボリュームを収めるにはあまりに無力だった。
「…………」
佐藤は弾け飛んだボタンと、
自分のスカスカな胸元を交互に見て、ついにその場に膝をついた。
「格差社会だ……。同じJKなのに、こんなの、あんまりだよぅ……!」
「あーあ、佐藤さん泣いちゃった。みーちゃん、慰めてあげて」
「お、おー……よしよし?」
軽井沢が笑いながら指示を出し、更衣室は混沌とした笑いと涙に包まれた。
結局、ボタンは松下が裁縫セットを借りてきてその場で直すことになり、
騒ぎは収束へと向かった。
元の制服に戻った一同は、どこか晴れやかな、あるいは疲れた表情で更衣室を出る。
「もう二度としないからね。本当に、心臓に悪いわ」
堀北はいつものポニーテールを解き、ストレートの髪をかき上げた。
だが、その足取りは以前よりも少しだけ軽やかだ。
「私も……次は、もっとゆとりのある制服の子と交換したいな」
長谷部も、苦笑いしながら同意する。
「えー!あたしはまたやりたいな。次はクラス全員でやってみる?」
軽井沢の悪戯っぽい提案に、
堀北と長谷部は同時に「「絶対、嫌」」と声を揃えた。
夕日に照らされた廊下を歩く少女たちの背中。
クラスの壁や実力至上主義の緊張感から、
ほんの一時だけ解放された、彼女たちの等身大の放課後だった。