「俺は――」
その人は、静かに口を開いた。
そして、まっすぐに私たちを見つめながら言った。
「織田信長だ。」
「…………。」
「…………。」
私とみくるは、しばらく何も言わなかった。
いや。
言えなかった。
頭の中が、完全に止まっていた。
――織田信長。
今、この人は。
なんて言った?
「……織田……?」
私が恐る恐る聞き返す。
「ああ。」
男は、何でもないことのように頷いた。
「織田信長だ。」
「…………。」
もう一度、みくるを見る。
みくるも私を見る。
お互いに、何かを確認するような目だった。
――聞き間違いじゃないよね?
――うん。たぶん。
そんな無言の会話を交わして。
そして――。
「「織田信長ぁぁぁ!?!?!?」」
私たちの声が、街中に響き渡った。
「うわっ!?」
さすがの信長さんも、少しだけ目を見開く。
「な、なんだ急に……。」
「だ、だって!!」
私は思わず信長さんを指差した。
「織田信長って、あの織田信長!?」
「どの織田信長だ。」
「どのって……!」
みくるも完全に混乱している。
「織田信長っていったら、あの織田信長でしょ!?」
「だから、そうだと言っている。」
「「いやいやいやいや!!!」」
また声が重なった。
「落ち着け。」
「落ち着けないよ!!」
「無理だよ!!」
私もみくるも、完全にパニックだった。
だって――。
織田信長。
学校の歴史の授業で習った。社会の教科書にも載っていた。
戦国時代を代表する武将で,天下統一を目指した人物。
私は頭を抱える。
「待って待って待って……。」
何度考えても分からない。
「織田信長って……何百年も前の人だよね?? なのに、なんで1999年にいるの!?」
「それは俺も分からん。」
「じゃあ、なんで2122年に!?」
自分で言ってから、私はさらに混乱してきた。
そうだ。
この人は2122年から来たと言っていた。
でも――。
「……じゃあ、2122年には織田信長がいるの?」
「俺がいる。」
「そういうことじゃなくて!!」
思わずツッコんでしまう。
みくるも頭を抱えた。
「……ちょっと待って。整理しよう。」
「うん! そ、そうだね!!」
みくるは探偵らしく、一度深呼吸した。
そして、指を一本立てる。
「まず――この人は2122年から来た。」
「うん。」
私は頷く。
みくるが二本目の指を立てる。
「そして、名前は織田信長。」
「うん。」
三本目。
「えっと,織田信長って、何をした人だっけ…??」
「えっと…待ってね。」
この前の歴史の授業で習った知識を,片っ端から思い出していった。
授業中,眠かったなぁ…。
私の中に,いくつかの言葉が思い浮かんできた。
「安土城!」
「そう!!」
「天下統一!」
「うんうん!!」
「本能寺の変!」
「その調子!!」
「えっと……何だっけ……。あ!!桶狭間の戦い!」
「そう!」
「……あれ?」
私はふと、みくるを見る。
「桶狭間の戦いって……何年だっけ?」
「えっと……。」
みくるが必死に記憶を辿る。
「確か……1560年……?」
「1560年……。」
私は指を折りながら考える。
「この人が来たのは?」
「2122年。」
「…………。」
「…………。」
私とみくるは、もう一度信長さんを見る。
信長さんは、何をそんなに騒いでいるのか分からないという顔で、こちらを見ている。
「1560年に桶狭間の戦いがあって……。」
みくるが呟く。
「うん。」
「その織田信長が……。」
「うん。」
「2122年から来て……。」
「うん。」
「今、1999年にいる……。」
「うん。」
私は、頭の中で数字を並べてみる。
1560。
1999。
2027。
2122。
……。
「…………。」
分からない。
全然分からない。
「ちょっと待って。」
私は頭を抱えた。
「1560年って、1999年より前だよね?」
「うん。」
「2122年って、1999年より後だよね?」
「うん。」
「じゃあ、織田信長って……。」
私は信長さんを見る。
「過去の人なの?」
「未来の人なの?」
「…………。」
信長さんが、ほんの少し眉をひそめる。
「何だそれは。」
「え?」
「俺は、2122年に生きていた。」
「…………。」
「そして今は、1999年にいる。」
「…………。」
「それだけだ。」
「いや、それだけじゃないよ!!」
思わず叫んでしまった。
みくるも横で頭を抱えている。
「歴史上では1560年とか1582年とかの話なのに……。」
「うん……。」
「その人が1999年に来て……。」
「うん……。」
みくるが両手で頭を抱えた。
「「全く分からぁぁぁん!!!!!」」
「なぜそこまで混乱している。」
信長さんだけが、ものすごく冷静だった。
「だって!」
私は信長さんを指差す。
「目の前に織田信長がいるの!?」
「だから俺は織田信長だ。」
「そういうところ!!」
「何がだ。」
「普通、もっと驚くでしょ!!」
「なぜ俺が自分の名前を聞いて驚く。」
「そうじゃなくてぇぇぇ!!」
みくるまで思わず叫ぶ。
「私たちからしたら、歴史上の人物なんですよ!!」
「……。」
「教科書に載ってるんですよ!?」
「そうか。」
「社会の授業で習ったんですよ!?」
「そうか。」
「本能寺の変とか!!」
「……本能寺?」
信長さんが少しだけ反応する。
「それがどうした。」
「「いや、そこ!!!」」
また私たちの声が重なった。
「そこが一番重要なの!!」
「……。」
信長さんは、しばらく私たちを見ていた。
そして――。
「……お前たちは、歴史を知っているのか。」
「知ってるよ!」
「もちろん。」
「俺のことも?」
「知ってる!」
「……。」
信長さんは少し黙った。
「……そうか。」
ほんの一瞬だけ、その表情が変わった。
けれど、それが何を意味するのか。
その時の私には、まだ分からなかった。
ただ一つ分かっていたのは――。
目の前にいるこの人が。
私たちの知っている「織田信長」と同じ名前を持っていて。
それなのに。
私たちが知っている歴史とは違う場所からやって来た。
とんでもなく不思議な人だということだった。
「……あの。」
みくるが恐る恐る口を開く。
「はい?」
「私、まだ一つ確認したいことがあります。」
「何だ。」
「信長さんは……歴史上の織田信長本人ではないんですか?」
「ああ。」
「じゃあ……。」
みくるが少し間を置く。
「あなたは『織田信長』なんですか?」
信長さんは、静かに答えた。
「俺は――織田信長のクローンだからだ。」
「…………。」
「…………。」
またしても、私たちは固まった。
数秒後。
「「クローン!?」」
街中に、二度目の絶叫が響き渡った。
「……。」
信長さんは、そんな私たちを見ながら、静かに息を吐いた。
「……そうか。」
信長さんは、静かにそう呟いた。
「何が『そうか』なの!?」
「クローンはクローンだ。」
私たちが知っている「織田信長」という名前。
その名前を聞いた時の私たちの反応を見ても、信長さんはどこか落ち着いていた。
まるで――。
自分が私たちの知っている歴史上の人物と、同じ名前を持っていることを、ずっと前から分かっていたみたいに。
「……。」
私は、そんな信長さんを見つめた。
そして、ふと思った。
この人も――。
私と同じなのかもしれない。
「……信長さん。」
「何だ。」
「信長さんは……。」
少しだけ迷う。
「1999年に来る前って、どんなところにいたの?」
「2122年だ。」
「うん。」
「俺がいた場所は、俺にとっては当たり前の場所だった。」
信長さんは、少し遠くを見るような目をした。
「見たことのない建物も、見たことのない機械もあった。だが、それが普通だった。」
「……そっか。」
「だが、気づいた時には、それが全てなくなっていた。」
「なくなった?」
「ああ。」
信長さんは、あの時のことを思い出すように続けた。
「目の前の景色が歪んだ。」
「……。」
「そして、気がつけば1999年だった。」
私は黙って聞いていた。
その話を聞いていると――。
自分が1999年に来た時のことが、頭の中に浮かんできた。
知らない場所。
知らない街。
知らない時代。
そして――。
私が知っていた2027年は、どこにもなかった。
「……私も。」
思わず、口から言葉がこぼれた。
「ん?」
信長さんがこちらを見る。
「私も、同じだった。」
「……。」
みくるが私を見る。
「……あんな?」
私は、ゆっくり息を吸った。
今まで、みくるには話してきた。
だけど。
改めて信長さんに話すとなると、少しだけ不思議な気持ちになる。
「私も……未来から来たんだ。」
信長さんの表情が、初めてはっきりと変わった。
「……何?」
「私は――。」
少しだけ間を置く。
「2027年から来たの。」
「2027年……。」
信長さんが、その数字を繰り返す。
「そう。」
私は頷いた。
「私も、1999年に来るなんて思ってなかった。」
「……。」
「気がついたら、何もかも知らない場所にいた。」
信長さんは黙って私を見ている。
「だから、最初はすごく怖かった。」
私は1999年の街を見渡す。
「街も違う。」
「人も違う。」
「私が知ってるものも、ほとんどない。」
そして――。
「2027年に戻る方法も分からなかった。」
信長さんが静かに尋ねる。
「……今もか?」
「うん。」
私は頷いた。
「まだ分からない。」
「……そうか。」
信長さんは、それ以上何も言わなかった。
でも。
その「そうか」という言葉が、さっきまでとは少し違って聞こえた。
きっと。
初めて分かったのだと思う。
自分だけではなかったのだと。
私は少し笑う。
「だからね。」
「?」
「信長さんの気持ち、少し分かるよ。」
「……。」
「知らない時代に来て、帰る方法も分からない。」
私は信長さんを見る。
「それって……結構、不安だよね。」
信長さんは、しばらく黙っていた。
そして――。
「……ああ。」
小さく頷いた。
「不安だ。」
その言葉を聞いて、私は少し驚いた。
信長さんは、もっと強い人だと思っていた。
何が起きても動じない。
一人でも平気。
そんな人だと思っていた。
でも。
「……そっか。」
私は少しだけ笑った。
「信長さんも、ちゃんと不安なんだね。」
「……何だ、それは。」
その言葉を聞いて、胸の奥が少しだけ温かくなった。
――この人も同じなんだ。
未来から来て。
帰る場所を失って。
それでも、前を向こうとしている。
私は、ふとみくるを見る。
みくるは何も言わずに、私たちの会話を聞いていた。
そして――。
「だったら。」
みくるが口を開いた。
「なおさら、一人にしておけないね。」
「……みくる。」
「だって、あんなも同じだったでしょ。」
「うん。」
私は頷いた。
「私も最初は、帰る方法が分からなかった。」
信長さんを見る。
「だから……信長さんの気持ち、少し分かるよ。」
「……。」
信長さんは何も言わなかった。
けれど、その表情は先ほどまでとは少し違っていた。
私は、そんな信長さんに笑いかける。
「だったらさ!私たちと一緒に、タイムスリップのことを調べよう!」
「……。」
信長さんが、少し驚いたように私を見る。
「俺と……?」
「うん!」
「一緒に?」
「そう!」
私は大きく頷いた。
「信長さんがどうして2122年から1999年に来たのか。」
「……。」
「どうして、あの機械が1999年にあったのか。」
「……。」
「あの変な電子音は何なのか。」
みくるも続ける。
「そして、どうすれば元の時代に戻れるのか。」
「……。」
「全部、一緒に調べよう。」
信長さんは、しばらく黙っていた。
そして――。
ゆっくりと、私たちの前に歩み出る。
「……なるほど。」
「?」
「ならば。」
信長さんは、私たちをまっすぐに見つめた。
「では――。」
一拍。
「探偵の貴様らに依頼しよう。」
「……え?」
私は目を丸くする。
信長さんは続けた。
「俺を――」
そして。
「元の時代に戻してくれ。」
「…………。」
一瞬、言葉が出なかった。
みくるも驚いた顔で信長さんを見る。
「……依頼、って。」
「ああ。」
「私たちに?」
「そうだ。」
信長さんは頷いた。
「お前たちは探偵なのだろう?」
「うん……!」
「ならば、俺は依頼人だ。」
信長さんは腕を組む。
「俺は元の時代に戻らねばならん。」
「……うん。」
「そのために必要なことなら、俺も協力する。」
みくるが静かに頷いた。
「分かった。」
そして私を見る。
「どうする、あんな?」
私は、迷うことなく答えた。
「もちろん――。」
信長さんを見る。
「引き受けます!」
「……そうか。」
信長さんが、ほんの少しだけ笑った。
こうして。
2122年から1999年へやって来た未来人――織田信長。
そして、2027年から1999年へやって来た私。
1999年を生きる名探偵・みくる。
三人の間に、一つの約束が結ばれた。
――織田信長を、元の時代へ帰す。
それが。
私たちの、新しい依頼だった。