儒烏風亭らでんは世界を蒐集する   作:今日も元気ですマン

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第十二話 最終試験 パリストン

 第三次試験が終わってから、一時間後のことだった。

 十一人は、さっきまでいた大法廷とは別の部屋へ通された。天井は低いが、大きな窓から午後の光が差し込んでいて部屋の中は明るい。

 中央に長い机と人数分の椅子が並んでいる。机の上には水の入ったコップと鉛筆、そして白い紙の束が置かれているだけだった。

 とても戦うための場所には見えない。

 

 はじめは椅子の背もたれへ深く身体を預け、天井を見上げていた。

 メンチは壁際の椅子に背を預け、ガロは立ったまま腕を組み、ミナは椅子に腰を下ろしている。第六チームの少女は窓際に立っていた。

 手当てを済ませ、一息ついた今でも、全員の顔には三日間の疲れが濃く残っている。それでも次がいよいよ最終試験だと思うと、誰も眠る気にはなれなかった。

 

 扉が開き、部屋の中が一斉に静まり返った。

 入ってきたのは、二十代に見える若い男だった。金髪を綺麗に整え、顔立ちも柔らかく、汚れ一つないスーツを着ている。

 三日間、泥と血と汗にまみれて歩いてきた十一人の前では、まるで別の世界から来た人のように見えた。

 

「こんにちは。お疲れさまでした」

 

 誰も答えなかった。男は気にした様子もなく、穏やかに笑う。

 

「いやあ、すごかったですね。あの吊荷を下ろしたところ」

 

 らでんの肩がわずかに固まった。

 

「僕、見てました。とても面白かったです」

 

 隣の椅子から、はじめが小声で囁いてくる。

 

「褒められてる」

「なんか嫌な予感します」

「なんで」

「分かりません」

 

 男は長い机の前に立ち、軽く頭を下げた。

 

「改めまして。最終試験を担当します。パリストンです」

 

 パリストンは十一人をゆっくり見渡し、にこやかに笑う。

 

「よろしくお願いします」

 

 悪意は見えない。だからこそ、らでんは少し警戒した。

 パリストンが手を一回だけ叩く。

 

「最終試験ですが、簡単です」

「そういう奴ほど簡単じゃないのよ」

「あ、僕信用ないですねー。初対面だからかな?」

 

 メンチの言葉にも笑顔を崩さず、パリストンは机の上に重ねられた十一枚の紙を手で示した。

 

「皆さん、紙を一枚ずつ取ってください」

 

 手元へ引き寄せた白い紙の上には、一文だけ印字されていた。

 

 《残存受験者から、一名を選びなさい》

 

 その下に、名前と理由を書くための空欄があるだけだった。

 

「……何これ」

 

 はじめが紙を覗き込み、メンチが顔を上げる。

 ガロは黙って紙面を見つめ、ミナは眉を寄せた。

 

 らでんも、もう一度その短い一文を読み返す。

 一名を選ぶ。何のために選ぶのかも、選ばれた人がどうなるのかも、どこにも書かれていない。

 

「あ、説明不足でしたね」

 

 パリストンは笑顔のまま続けた。

 

「この十一人の中から、ハンターにしてはいけないと思う人を、一人だけ選んでください」

 

 部屋の空気が止まった。

 

「は?」

「……え?」

 

 窓際の少女が表情を固め、ガロが目を細める。

 ミナが「それは」と言いかけたのを、パリストンの明るい声が引き取った。

 

「はい。最終試験です。これまで一緒に試験を戦い抜いてきた皆さんであれば、薄々感じているんじゃないですか? はたしてこの人はハンターに相応しいのだろうか……と」

 

 らでんは手元の紙を見つめた。名前と、理由。

 ここまで一緒に歩いてきたはじめ、メンチ、ガロ、ミナ、あの少女、そして最後の五分間を共に守り抜いた残りの受験者たち。

 この中から誰を落とすのか。考えようとしただけで指先が止まった。

 

「もちろん、自分を選んでも構いません」

 

 一拍置き、パリストンは付け足した。

 

「ただし、理由はちゃんと書いてくださいねー」

 

 はじめが持っていた紙を机に置いた。

 

「選ばなかったら?」

「どういう意味です?」

「誰も選ばない」

「なるほど。白紙ですか」

「うん」

 

 パリストンは少し考えるように首を傾げた。

 

「提出はできます。ただ、評価はしますよ」

「……何を」

「あなたが判断を放棄したことを」

 

 はじめが口をつぐむ。すぐに壁際のメンチが言葉を継いだ。

 

「じゃあ、適当に一人書けば?」

「それも評価します! ……適当に人の人生を決められる人だということを」

 

 メンチも黙り込んだ。

 

「便利でしょう? どっちを選んでも人柄が出る。おもしろいですよね! 本当の意味での白紙というのは存在しないんです」

 

 部屋の空気が、さらに重く沈んだ。

 

「嫌な奴」

 

 はじめがぼそりとこぼした小声に、パリストンが笑う。

 

「聞こえてますよ」

「聞こえるように言った」

「いいですね。僕、そういうの好きですよー! わかりやすいので」

「うわ」

 

 はじめが露骨に顔をしかめる。

 らでんは息を吸って、右手を上げた。

 

「質問です」

「どうぞ」

「判断材料が足りません」

 

 パリストンの笑顔は変わらない。

 

「誰について?」

「ほとんど全員です。同じ試験にいただけで、同じチームじゃない人もいる。話していない人も、行動を全部見たわけでもない」

 

 らでんは机の上の白い紙へ目を落とした。

 

「それで、ハンターにしてはいけないなんて決められません」

「いい答えですねー! 慎重な判断だと思います」

 

 らでんがわずかに胸を撫で下ろした瞬間、パリストンは続けた。

 

「でも」

 

 パリストンが小首を傾げる。

 

「それ、本当に慎重なんですか?」

「……どういう意味ですか」

「判断材料がない。分からない。決められない。便利な言葉ですよね」

 

 らでんは眉を寄せた。

 

「何が」

「間違っても責任を取らなくて済むじゃないですか」

 

 部屋の中が少し静かになった。

 

「あなた、ボトバイさんの試験でもよく言ってましたよね。分からない。まだ分からない。確認します。考えます」

 

 語りかける声は、ひどく優しい。

 

「素晴らしいです。本当に。でも、それって、決断しないための言い訳とどう違うんです?」

 

 らでんは言い返そうと口を開いたが、すぐには言葉が出てこなかった。

 隣ではじめがパリストンを睨むように見る。その顔が少し険しくなっても、パリストンはまだらでんだけを見ていた。

 

「今回、誰か一人選ばないといけない。嫌でしょう?」

「嫌です」

「どうして?」

「知らない人を、よく知らないまま落としたくないから」

「じゃあ、よく知ってる人なら?」

 

 らでんの息が止まった。

 パリストンの視線がすっと動き、隣のはじめへと向く。

 

「例えば、轟はじめさん」

「うち?」

「はい」

 

 軽く頷いて、パリストンは続けた。

 

「あなたは儒烏風亭さんを助けるために一度任務を捨てかけた。感情で戻った。ボトバイさんにも減点だと言われていますよね」

 

 はじめは何も言わず、じっとパリストンを見返した。

 パリストンの目が、再びらでんへ戻る。

 

「これは判断材料になりません? あなたもはじめさんに怒ってましたよね?」

「それだけじゃ」

「それだけ?」

「戻った後も方法を考えて、助けた。最終圏でも足音で追手を教えてくれた。証人もケースも失っていません」

 

 パリストンが少し笑った。

 

「あれ? 庇ってます?」

「事実です」

「なるほど。じゃあ、あなたは轟さんを落としたくないんですね」

 

 らでんは言葉を詰まらせた。

 

「それは判断です? それとも私情が入ってませんか? 最初の説明と違うと思うんですけど」

 

 パリストンが尋ねると、はじめが顔を上げ、らでんはパリストンを見つめた。これ以上何か言えば、全部がはじめを庇う言い訳にされてしまう。

 一瞬、部屋の温度が下がったように感じられた。

 

 パリストンはそこで視線を切り替え、はじめを見た。

 

「轟さん」

「何?」

「あなたは何のハンターになるんです?」

 

 はじめは少しだけ止まった。

 

「まだ分かんない」

「そうなんですね。じゃあ、どうして受けたんです?」

「探すため」

「何を?」

「やりたいこと」

「へえ。つまり、やりたいことも分からないのにハンターライセンスは欲しい?」

「そういう言い方すんな」

「違います?」

 

 はじめは黙った。

 

「儒烏風亭さんは文化財に関わるハンターになりたい。メンチさんは食。ガロさんは越えられない境界を越えるため。ミナさんにも目的がある」

 

 パリストンは、はじめを真っ直ぐに見る。

 

「あなたは?」

「だから、これから探すっていった」

 

 パリストンが半歩、前へ出た。

 

「それって、本当にあなた自身の目的ですか?」

 

 はじめの目が細くなる。

 

「儒烏風亭さんがこの試験を受けていなかったら、あなたここにいました?」

 

 らでんは思わず隣のはじめを見た。はじめはピクリとも動かない。パリストンはさらに続けた。

 

「崖で、あの子じゃなかったら戻りました? 知らない人でも?」

 

 はじめは答えなかった。

 パリストンの笑顔は一切崩れない。

 

「あなたが探しているのって、夢じゃなくて」

 

 そこで一拍だけ間を置く。

 

「自分を必要としてくれる人なんじゃないですか?」

 

 沈黙が落ちた。今度は長かった。

 らでんは違うと言い返したかったのに、喉が張りついたように声が出なかった。隣ではじめは膝の上で拳を握りしめ、いつもの軽い返事は出てこなかった。

 

「次」

 

 パリストンの声は、何事もなかったかのように普通の調子へ戻っていた。

 

「メンチさん」

「あ?」

 

 メンチが低い声で応じる。明らかに機嫌が悪い。

 

「怖いですねー。話を聞いてるだけじゃないですか」

「早く言いなさいよ」

「そうだなぁー。じゃああなたは食文化を守りたい。そう。珍しい料理、消えかけたレシピ、危険な食材。全部好き。好きだけど」

 

 パリストンはそこで言葉を継ぎ、微笑んだまま尋ねた。

 

「では、絶滅寸前の生き物を使う伝統料理があったら?」

 

 メンチの動きが止まった。

 

「食べます? 守ります? 食文化を残すために絶滅させます? それとも生き物を守るために文化を消します?」

「そんなの状況による」

「そうですよね。じゃあ、あなたの言う食文化を守るって何です? 全部守れないのに」

 

 メンチは唇を噛んで黙った。

 

「あと。本当に文化が好きなんです?」

 

 メンチの顔色が変わる。

 

「美味しいものが好きなだけでしょ? 違いますか?」

 

 メンチが勢いよく立ち上がった。

 

「ぶん殴っていい?」

「座れ」

 

 腕を組んでいたガロが短く止める。

 

「別に殴ってもいいですよ。その場合、暴力で質問を止める人として評価しますけど」

 

 メンチは数秒間パリストンを睨みつけ、それから荒く椅子へ座った。

 

「……最悪」

「ありがとうございます」

 

 らでんの背中がすっと寒くなった。この人は、人の心の一番大事なところを傷つけたいだけだ。

 一人ずつ順番に、刺されたら一番辛い場所を選んで刺していく。らでんは机の上の鉛筆を握る手にぎゅっと力を込めた。

 

 パリストンは残りの受験者たちにも、同じ穏やかな顔のまま一人ずつ問いかけていった。

 ガロには「ライセンスがないと家族を助けられなかった自分を、まだ許せないだけでは?」。ミナには「助けることに慣れすぎて、助けない判断ができますか?」。他の者にも一人ずつ、短く逃げ場のない質問を投げかけていく。

 

 三十分後、部屋の中で最初と同じ顔をしている者は一人もいなかった。誰もすぐには書き始めようとしない。

 パリストンは腕時計に目を落とし、「では、そろそろ」と机の上の紙を指差した。

 

「書いてください」

 

 十一人は手元の紙を見た。この中から、ハンターにしてはいけない人を一人選ぶ。

 はじめは鉛筆を持ったまま止まり、メンチは紙を睨みつけ、窓際の少女はまだ表情が硬く、ガロは動かず、ミナは静かに息を吐いた。らでんは空白の名前欄を見つめてから、鉛筆を持ち直した。

 

 そのとき、パリストンが最後に思い出したように声を上げた。

 

「あ」

 

 全員が顔を上げてパリストンを見る。

 

「結果は、皆さんの前で一人ずつ発表しますね」

 

 部屋の空気が凍りついた。

 

「匿名じゃないの!?」

「匿名だなんて一度も言ってませんよ?」

「お前ほんっと……!」

 

 パリストンは、にこっと笑った。

 

「安心してください!公正公平に!ちゃんと誰が誰を選んだか、理由まで。全部読み上げます!」

 

 らでんは紙から顔を上げ、周りの受験者たちの顔を見た。誰かの名前を選んだ後も、自分たちはこの部屋に残るのだ。

 白い紙が十一枚、鉛筆が十一本。そして誰も簡単には書けなかった。パリストンはその光景を、ただ穏やかに見つめていた。

 

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