第三次試験が終わってから、一時間後のことだった。
十一人は、さっきまでいた大法廷とは別の部屋へ通された。天井は低いが、大きな窓から午後の光が差し込んでいて部屋の中は明るい。
中央に長い机と人数分の椅子が並んでいる。机の上には水の入ったコップと鉛筆、そして白い紙の束が置かれているだけだった。
とても戦うための場所には見えない。
はじめは椅子の背もたれへ深く身体を預け、天井を見上げていた。
メンチは壁際の椅子に背を預け、ガロは立ったまま腕を組み、ミナは椅子に腰を下ろしている。第六チームの少女は窓際に立っていた。
手当てを済ませ、一息ついた今でも、全員の顔には三日間の疲れが濃く残っている。それでも次がいよいよ最終試験だと思うと、誰も眠る気にはなれなかった。
扉が開き、部屋の中が一斉に静まり返った。
入ってきたのは、二十代に見える若い男だった。金髪を綺麗に整え、顔立ちも柔らかく、汚れ一つないスーツを着ている。
三日間、泥と血と汗にまみれて歩いてきた十一人の前では、まるで別の世界から来た人のように見えた。
「こんにちは。お疲れさまでした」
誰も答えなかった。男は気にした様子もなく、穏やかに笑う。
「いやあ、すごかったですね。あの吊荷を下ろしたところ」
らでんの肩がわずかに固まった。
「僕、見てました。とても面白かったです」
隣の椅子から、はじめが小声で囁いてくる。
「褒められてる」
「なんか嫌な予感します」
「なんで」
「分かりません」
男は長い机の前に立ち、軽く頭を下げた。
「改めまして。最終試験を担当します。パリストンです」
パリストンは十一人をゆっくり見渡し、にこやかに笑う。
「よろしくお願いします」
悪意は見えない。だからこそ、らでんは少し警戒した。
パリストンが手を一回だけ叩く。
「最終試験ですが、簡単です」
「そういう奴ほど簡単じゃないのよ」
「あ、僕信用ないですねー。初対面だからかな?」
メンチの言葉にも笑顔を崩さず、パリストンは机の上に重ねられた十一枚の紙を手で示した。
「皆さん、紙を一枚ずつ取ってください」
手元へ引き寄せた白い紙の上には、一文だけ印字されていた。
《残存受験者から、一名を選びなさい》
その下に、名前と理由を書くための空欄があるだけだった。
「……何これ」
はじめが紙を覗き込み、メンチが顔を上げる。
ガロは黙って紙面を見つめ、ミナは眉を寄せた。
らでんも、もう一度その短い一文を読み返す。
一名を選ぶ。何のために選ぶのかも、選ばれた人がどうなるのかも、どこにも書かれていない。
「あ、説明不足でしたね」
パリストンは笑顔のまま続けた。
「この十一人の中から、ハンターにしてはいけないと思う人を、一人だけ選んでください」
部屋の空気が止まった。
「は?」
「……え?」
窓際の少女が表情を固め、ガロが目を細める。
ミナが「それは」と言いかけたのを、パリストンの明るい声が引き取った。
「はい。最終試験です。これまで一緒に試験を戦い抜いてきた皆さんであれば、薄々感じているんじゃないですか? はたしてこの人はハンターに相応しいのだろうか……と」
らでんは手元の紙を見つめた。名前と、理由。
ここまで一緒に歩いてきたはじめ、メンチ、ガロ、ミナ、あの少女、そして最後の五分間を共に守り抜いた残りの受験者たち。
この中から誰を落とすのか。考えようとしただけで指先が止まった。
「もちろん、自分を選んでも構いません」
一拍置き、パリストンは付け足した。
「ただし、理由はちゃんと書いてくださいねー」
はじめが持っていた紙を机に置いた。
「選ばなかったら?」
「どういう意味です?」
「誰も選ばない」
「なるほど。白紙ですか」
「うん」
パリストンは少し考えるように首を傾げた。
「提出はできます。ただ、評価はしますよ」
「……何を」
「あなたが判断を放棄したことを」
はじめが口をつぐむ。すぐに壁際のメンチが言葉を継いだ。
「じゃあ、適当に一人書けば?」
「それも評価します! ……適当に人の人生を決められる人だということを」
メンチも黙り込んだ。
「便利でしょう? どっちを選んでも人柄が出る。おもしろいですよね! 本当の意味での白紙というのは存在しないんです」
部屋の空気が、さらに重く沈んだ。
「嫌な奴」
はじめがぼそりとこぼした小声に、パリストンが笑う。
「聞こえてますよ」
「聞こえるように言った」
「いいですね。僕、そういうの好きですよー! わかりやすいので」
「うわ」
はじめが露骨に顔をしかめる。
らでんは息を吸って、右手を上げた。
「質問です」
「どうぞ」
「判断材料が足りません」
パリストンの笑顔は変わらない。
「誰について?」
「ほとんど全員です。同じ試験にいただけで、同じチームじゃない人もいる。話していない人も、行動を全部見たわけでもない」
らでんは机の上の白い紙へ目を落とした。
「それで、ハンターにしてはいけないなんて決められません」
「いい答えですねー! 慎重な判断だと思います」
らでんがわずかに胸を撫で下ろした瞬間、パリストンは続けた。
「でも」
パリストンが小首を傾げる。
「それ、本当に慎重なんですか?」
「……どういう意味ですか」
「判断材料がない。分からない。決められない。便利な言葉ですよね」
らでんは眉を寄せた。
「何が」
「間違っても責任を取らなくて済むじゃないですか」
部屋の中が少し静かになった。
「あなた、ボトバイさんの試験でもよく言ってましたよね。分からない。まだ分からない。確認します。考えます」
語りかける声は、ひどく優しい。
「素晴らしいです。本当に。でも、それって、決断しないための言い訳とどう違うんです?」
らでんは言い返そうと口を開いたが、すぐには言葉が出てこなかった。
隣ではじめがパリストンを睨むように見る。その顔が少し険しくなっても、パリストンはまだらでんだけを見ていた。
「今回、誰か一人選ばないといけない。嫌でしょう?」
「嫌です」
「どうして?」
「知らない人を、よく知らないまま落としたくないから」
「じゃあ、よく知ってる人なら?」
らでんの息が止まった。
パリストンの視線がすっと動き、隣のはじめへと向く。
「例えば、轟はじめさん」
「うち?」
「はい」
軽く頷いて、パリストンは続けた。
「あなたは儒烏風亭さんを助けるために一度任務を捨てかけた。感情で戻った。ボトバイさんにも減点だと言われていますよね」
はじめは何も言わず、じっとパリストンを見返した。
パリストンの目が、再びらでんへ戻る。
「これは判断材料になりません? あなたもはじめさんに怒ってましたよね?」
「それだけじゃ」
「それだけ?」
「戻った後も方法を考えて、助けた。最終圏でも足音で追手を教えてくれた。証人もケースも失っていません」
パリストンが少し笑った。
「あれ? 庇ってます?」
「事実です」
「なるほど。じゃあ、あなたは轟さんを落としたくないんですね」
らでんは言葉を詰まらせた。
「それは判断です? それとも私情が入ってませんか? 最初の説明と違うと思うんですけど」
パリストンが尋ねると、はじめが顔を上げ、らでんはパリストンを見つめた。これ以上何か言えば、全部がはじめを庇う言い訳にされてしまう。
一瞬、部屋の温度が下がったように感じられた。
パリストンはそこで視線を切り替え、はじめを見た。
「轟さん」
「何?」
「あなたは何のハンターになるんです?」
はじめは少しだけ止まった。
「まだ分かんない」
「そうなんですね。じゃあ、どうして受けたんです?」
「探すため」
「何を?」
「やりたいこと」
「へえ。つまり、やりたいことも分からないのにハンターライセンスは欲しい?」
「そういう言い方すんな」
「違います?」
はじめは黙った。
「儒烏風亭さんは文化財に関わるハンターになりたい。メンチさんは食。ガロさんは越えられない境界を越えるため。ミナさんにも目的がある」
パリストンは、はじめを真っ直ぐに見る。
「あなたは?」
「だから、これから探すっていった」
パリストンが半歩、前へ出た。
「それって、本当にあなた自身の目的ですか?」
はじめの目が細くなる。
「儒烏風亭さんがこの試験を受けていなかったら、あなたここにいました?」
らでんは思わず隣のはじめを見た。はじめはピクリとも動かない。パリストンはさらに続けた。
「崖で、あの子じゃなかったら戻りました? 知らない人でも?」
はじめは答えなかった。
パリストンの笑顔は一切崩れない。
「あなたが探しているのって、夢じゃなくて」
そこで一拍だけ間を置く。
「自分を必要としてくれる人なんじゃないですか?」
沈黙が落ちた。今度は長かった。
らでんは違うと言い返したかったのに、喉が張りついたように声が出なかった。隣ではじめは膝の上で拳を握りしめ、いつもの軽い返事は出てこなかった。
「次」
パリストンの声は、何事もなかったかのように普通の調子へ戻っていた。
「メンチさん」
「あ?」
メンチが低い声で応じる。明らかに機嫌が悪い。
「怖いですねー。話を聞いてるだけじゃないですか」
「早く言いなさいよ」
「そうだなぁー。じゃああなたは食文化を守りたい。そう。珍しい料理、消えかけたレシピ、危険な食材。全部好き。好きだけど」
パリストンはそこで言葉を継ぎ、微笑んだまま尋ねた。
「では、絶滅寸前の生き物を使う伝統料理があったら?」
メンチの動きが止まった。
「食べます? 守ります? 食文化を残すために絶滅させます? それとも生き物を守るために文化を消します?」
「そんなの状況による」
「そうですよね。じゃあ、あなたの言う食文化を守るって何です? 全部守れないのに」
メンチは唇を噛んで黙った。
「あと。本当に文化が好きなんです?」
メンチの顔色が変わる。
「美味しいものが好きなだけでしょ? 違いますか?」
メンチが勢いよく立ち上がった。
「ぶん殴っていい?」
「座れ」
腕を組んでいたガロが短く止める。
「別に殴ってもいいですよ。その場合、暴力で質問を止める人として評価しますけど」
メンチは数秒間パリストンを睨みつけ、それから荒く椅子へ座った。
「……最悪」
「ありがとうございます」
らでんの背中がすっと寒くなった。この人は、人の心の一番大事なところを傷つけたいだけだ。
一人ずつ順番に、刺されたら一番辛い場所を選んで刺していく。らでんは机の上の鉛筆を握る手にぎゅっと力を込めた。
パリストンは残りの受験者たちにも、同じ穏やかな顔のまま一人ずつ問いかけていった。
ガロには「ライセンスがないと家族を助けられなかった自分を、まだ許せないだけでは?」。ミナには「助けることに慣れすぎて、助けない判断ができますか?」。他の者にも一人ずつ、短く逃げ場のない質問を投げかけていく。
三十分後、部屋の中で最初と同じ顔をしている者は一人もいなかった。誰もすぐには書き始めようとしない。
パリストンは腕時計に目を落とし、「では、そろそろ」と机の上の紙を指差した。
「書いてください」
十一人は手元の紙を見た。この中から、ハンターにしてはいけない人を一人選ぶ。
はじめは鉛筆を持ったまま止まり、メンチは紙を睨みつけ、窓際の少女はまだ表情が硬く、ガロは動かず、ミナは静かに息を吐いた。らでんは空白の名前欄を見つめてから、鉛筆を持ち直した。
そのとき、パリストンが最後に思い出したように声を上げた。
「あ」
全員が顔を上げてパリストンを見る。
「結果は、皆さんの前で一人ずつ発表しますね」
部屋の空気が凍りついた。
「匿名じゃないの!?」
「匿名だなんて一度も言ってませんよ?」
「お前ほんっと……!」
パリストンは、にこっと笑った。
「安心してください!公正公平に!ちゃんと誰が誰を選んだか、理由まで。全部読み上げます!」
らでんは紙から顔を上げ、周りの受験者たちの顔を見た。誰かの名前を選んだ後も、自分たちはこの部屋に残るのだ。
白い紙が十一枚、鉛筆が十一本。そして誰も簡単には書けなかった。パリストンはその光景を、ただ穏やかに見つめていた。