第十五話 二人一緒に
翌朝、試験会場の扉を出た先には、拍子抜けするほど高い空が広がっていた。
昨日まであんなに重苦しく見上げていた石造りの壁も、朝の光の中ではただの大きな建物にしか見えない。鞄の内ポケットの奥にしまったライセンスケースの硬さだけが、昨日までの続きみたいに指先に残っていた。
最後まで残った十一人はそれぞれ荷物を手に提げていて、ここから向かう方角もばらばらだった。
入り口の脇で、はじめが鞄の肩紐をぐっと掛け直しながら、みんなが出てくるのを待っている。らでんもその隣で荷物を持ち直した。
最初に扉を押して出てきたのはガロだった。使い込まれた大きな鞄を片肩へ無造作に放り上げる。
「じゃあな」
「短っ! それだけ? もっとこう、今までありがとうとか、無事でいろよとか、またどこかで会おうとかないわけ?」
「……生きてりゃ、そのうち会うだろ」
指を折りながら不満そうに並べるはじめに、ガロは眉を寄せて少しだけ黙り込んでから、ぶっきらぼうにそれだけ返した。そのまま視線がらでんの方へ動く。口元だけでわずかに笑うと、もう振り返らずに大股で通りへ歩き出していった。
入れ替わるようにして出てきたのはミナだった。足元の石畳を確かめるように歩いてきて、二人の前で足を止める。まず向けられたのは、はじめへのよく通る声だった。
「はじめは、しばらくちゃんと寝て休んでね。試験が終わったからって、すぐ次の無茶を探さないこと」
「ええ、そこまで言う? うち、そんなに危なっかしかった?」
「言うわよ、見てたもの。……それと、らでんも」
そのまま視線がこちらへ移る。護送の試験中、痛めたところを何度も気にかけてくれていた目だった。
「帰ったらすぐ、協会の医務室で肩を診てもらってね。骨は大丈夫そうだったから、数日で痛みは引くと思うけど、重い荷物は無理しないように」
「はい、今日のうちに行きます。何から何までありがとうございました」
礼を言って頭を下げると、ミナはようやく安心したように頷き返して、ガロとは別の道へ降りていく。
その後ろで、メンチが荷物を背負い直す音がした。
「じゃ、私は先に行くわね」
「もう出るんですか? これからどこへ?」
「とりあえず港。その先は船を見てから決めるかな。しばらくは美味しい料理を食べて回ろうと思って」
「いいなあ、何食べるの? ハンターの仕事はもう決まってるわけ?」
「仕事は適当に探すわよ、お腹が満たされてからね」
あっけらかんと笑って踵を返しかけたメンチが、数歩先でふいに立ち止まって振り返った。
「そうだ、あんたたちも面白い食べ物見つけたら連絡してよね」
「わかりました。メンチさんも、珍しい料理があったらぜひ教えてください」
「あ、うちにも写真送って! めっちゃ美味しそうなやつ!」
「ふふ、美味しそうなのだけね」
「それでいい!」
はじめが声を弾ませると、メンチは軽く手を振って坂の下へ消えていった。
入れ違いに建物の影から出てきたのは、背筋をまっすぐに伸ばしたいろはだった。二人の前で足を揃え、丁寧に頭を下げる。
「では、拙者もこれにて失礼するでござる」
その腰袋には、三次試験で奪われたままのはじめの受験札がまだ収まっているはずだ。はじめが一歩前へ出て、その腰元を指差すみたいにまっすぐ言い返した。
「その札、忘れないでよ。次会う時は絶対に取り返すから。それまでにもっと強くなっておく!」
「望むところでござる。次に刃を交える時まで、こちらもさらに腕を磨いておくでござるよ」
きりりとした声に押されないよう、らでんも一歩隣から声をかけた。
「落ち着いたら、また連絡しますね。名刺の番号に」
「うむ、楽しみにしているでござる」
短く頷いて歩き出したいろはの背中へ、はじめが大きく腕を振り上げる。
「またなー!」
「またでござる!」
石畳を踏む足音が遠ざかり、ほかの合格者たちも一人、また一人とそれぞれの道へ散っていく。
気付けば広い建物の前に残っているのは、らでんとはじめの二人だけになっていた。
はじめがそのままの姿勢で、高く晴れた空を見上げる。
「……みんな行ったな」
「行きましたね」
朝の風が通り抜けて、少しだけ静かな間が落ちた。試験が始まってからずっと誰かの声や足音に囲まれていたせいで、二人きりの広さがかえって不思議に感じられる。
「らでんはこのあとどうすんの? もうどっか行く場所決めてる?」
不意に尋ねられて、らでんは胸の前で鞄を抱え直した。
「私は、一旦このまま仕事を探そうかなって思ってます。せっかくハンターになったんだし、早く現場を見たくて」
「もう仕事? 休まないで? あ、昨日ビーンズさんに聞いてた文化財ってやつ?」
「うん。立ち入り制限のある遺跡とか、古いお祭りの記録とか……あと、博物館や美術館の非公開収蔵庫も!」
口に出すうちに、昨日聞いたばかりの「審査対象になれる」という言葉が蘇って、自然と声が弾んでしまう。本や画面の向こうでしか見られなかった場所に、これからは自分の名前で申請を出せるのだ。
「なんかもう顔が楽しそうだな」
「え、出てる? でも本当にめちゃくちゃ行きたいんです、全部」
指先までそわそわしてくるのを抑えながら、らでんは隣の顔を見上げた。
「はじめさんはどうするんですか?」
「んー……うちはまだ、何したいか全然分かんないんだよな」
はじめは靴先で石畳をこつんと蹴り、少しだけ眉を寄せた。
「とりあえずどこかでゆっくり寝て、それから考える。試験が終わったら急に暇になっちゃったし」
「そっか……」
また、ふっと言葉が途切れた。
試験が終わったら、自分も一人で帰って、すぐに電脳ページで募集を探すつもりでいた。そのはずだったのに、隣で手持ち無沙汰そうに鞄を揺らしている姿を見ていると、このまま「じゃあここで」と背を向けるのが急に惜しくなった。
鞄の革紐を握り直して、少しだけ息を吸う。
「……あの、はじめさん」
「ん? 何?」
「私たちって、もう友達ですかね?」
はじめが目を丸くして、きょとんとこちらを見た。
「え?」
「い、いや、ただの確認です! ほら、試験も終わったし、今のうちにちゃんとしておこうかなって!」
「何その確認。……って、もしかして本気で聞いてる? 友達に決まってんじゃん、もちろん!」
はじめがぱっと顔をほころばせて笑い出す。あまりに迷いのない返事に、張り詰めていた肩の力がすっと抜けた。
「……そっか。よかった」
「ていうか今さらすぎない? 試験中からずっと、うちら仲間だーって何回も言ったじゃん」
「仲間と友達は、私の中ではちょっと違うんです! 試験をクリアするために組んだ相手と、試験が終わったあとも……ううん、なんでもない、もういい!」
自分の言葉が急に気恥ずかしくなって、らでんは顔を熱くして手を振った。けれど、はじめがくしゃっと顔を崩して楽しそうに笑うので、らでんもつられて吹き出してしまう。
笑いが収まるのを待って、もう一度だけ唇を動かした。
「じゃあ……はじめ」
「……お」
口にしてから、自分の耳たぶまでじわっと熱くなるのが分かった。はじめが面白そうに首を傾げる。
「急にどうしたの」
「敬語やめたの。友達だから、もう『さん』もなし」
はじめの喉がくすりと鳴った。
「いいじゃん、それ」
「……ほんとに? 変じゃないかな」
「変じゃないって。ほら、もう一回呼んでみてよ」
「え、なんでよ……はじめ」
「おおー」
わざとらしく感心したみたいな声を出されて、らでんは思わず顔をしかめた。
「何その反応! 人が真面目に呼んでるのに」
「いや、なんか新鮮でいいなって思ってさ」
「変なの」
言い返しながらも、さっきまで胸のあたりにつっかえていた硬いものがほどけていく。少しだけ柔らかくなった声で、もう一度その名前を呼んだ。
「ねぇ、はじめ」
「ん?」
いざ言おうとすると、喉の奥で言葉がほんの一瞬だけ詰まった。それでも、ここで飲み込んだらきっと後悔する気がして、まっすぐ顔を上げる。
「次に行くとこ決まるまで――――一緒にいない?」
はじめの目が、少しだけ大きく見開かれた。
「え、いいの? らでん、すぐ帰って仕事探すんじゃなかったっけ」
「私もまだどの仕事にするか決まってないし、帰るのも別に急いでないから。ほら、電脳ページさえあればどこでも募集は見られるでしょ?」
「そっか、端末があればいいのか。……じゃあ、うちも隣で一緒に探そっかな」
「ほんと? うん、そうしよ! 一人で画面見てるより、二人の方が絶対楽しいと思うし」
早口で頷くと、はじめもニッと口角を上げて笑った。
「それはそう。一人で宿にいても暇なだけだしな」
「ふふ、じゃ決まりね」
◇ ◇ ◇
その日の午後、らでんはまず協会の医療施設へ寄って、痛めていた肩を診てもらった。
骨や筋に大事はなく、しばらくは重い荷物を無理に持たないよう注意されただけで済む。胸を撫で下ろしてはじめと一緒に街の宿を取り、そこを拠点に次の行き先を探すことにした。
宿での暮らしは、昨日までの試験期間とは時間の流れ方からしてまるで違っていた。
朝は時計を気にせずゆっくり食事を取り、昼は机に端末を広げて募集情報を読み、夜になっても誰かに襲われたり急に呼び出されたりしない。
ただ、最初の二日ほどは、その「何も起きないこと」にはじめの方が落ち着かない様子だった。シーツの上に大の字で寝転がっては、白い天井を睨んでいる。
「あー……暇だ。身体なまりそう」
「平和でいいことじゃん。ミナさんにもちゃんと休めって言われたでしょ」
「そうだけどさあ、こんなに何も起きないと逆につまんないって」
「贅沢言わないの」
ベッドの上でごろごろと転がる音を背中で聞きながら、らでんは椅子の背にもたれて端末の画面へ目を戻した。
宿へ入って二日目の夜、そろそろ寝ようかと画面を閉じかけたところで、ふと指先が止まった。
「……あ、やばい」
「ん? どうしたの」
「すっかり忘れてた。大事な報告」
慌ててブックマークから開いたのは、見慣れた「古層板」の画面だった。
ハンター試験へ出発する前の夜、あそこに「行ってきます」と書き込んだきり、一度も顔を出していない。
ベッドの上から、はじめがむくりと身を起こして覗き込んできた。
「何その黒っぽい画面。仕事?」
「ううん、いつも見てる掲示板。古いものとか文化財の話をするところなの」
「へえ、らでんの友達がいるとこ?」
「友達……というか、先輩とか先生とか、あとはちょっと変な大人とか、色々かな」
「最後の『変な大人』っている?」
「いるの。見ればわかるから」
常連たちの顔を思い浮かべると、どうしてもその枠を外すわけにはいかなかった。
ただ、いざ書き込み欄を開いてみると、あんなに長かった試験のことをどこからどう書けばいいのか迷ってしまう。キーボードの上でしばらく指を浮かせてから、らでんは結局、一番短い一行だけを打ち込んだ。
RDN
> ハンター試験、受かりました。
送信ボタンを押して、五秒後。
古狸@野良発掘
> は?
あんまりな即答に、らでんは思わず吹き出した。ベッドから降りてきたはじめが、後ろから肩越しに画面を覗き込む。
「早っ! もう返事来たじゃん」
「ね、いつも張り付いてるんじゃないかってくらい早いの」
みずき堂
> 何にですか?
RDN
> ハンター試験です。
古狸@野良発掘
> 待て待て待て。
> あのハンター試験か?
RDN
> 他に何があるんですか。
古狸@野良発掘
> なんで受けてるんだ!!!!
RDN
> 申し込んだので。
古狸@野良発掘
> そういう意味じゃねえ!!!!
「あはは、びっくりマークすごい! らでん、めっちゃ怒られてるじゃん」
「ふふ、これくらいは想定内だから」
感嘆符だらけの行を指差して笑うはじめの横で、らでんは涼しい顔をして次の更新を待った。
版木屋
> え、らでんさん十二歳ですよね?
石室のひと
> ログ追ったけど「受けようかな」じゃなくて本当に受けてたの?
RDN
> はい。
みずき堂
> 怪我は?
画面の問いかけに、らでんは自分の肩へちらりと目をやった。昨日の診察で言われた言葉を頭の中で確かめてから、指を動かす。
RDN
> 肩を少し。でも診てもらって、大事ありませんでした。
> 今は友達と宿で、仕事を探しています。
それまで勢いよく流れていた返信が、そこでぴたりと止まった。
みずき堂
> 友達?
古狸@野良発掘
> 友達できたのか。
RDN
> そこそんな驚くところですか?
古狸@野良発掘
> いや。
> ハンター合格の次くらいには。
後ろで覗き込んでいたはじめが、堪えきれずに声を上げて笑った。
「あははは! 何この古狸って人、めっちゃ好きなんだけど!」
「ちょっと、はじめまで一緒に笑わないでよ! 失礼しちゃうなあ、みんなして!」
顔を赤くして肩越しに抗議している間にも、新しい書き込みが上がる。
みずき堂
> お友達も合格者ですか?
らでんはキーボードから手を離して、隣のはじめを見上げた。
「ねえ、はじめのこともちょっとだけ書いていい? 名前は出さないから」
「うん、いいよ」
RDN
> 同期の女の子です。
古狸@野良発掘
> 年は近いのか?
らでんが「えっと、何歳だっけ」と視線を向けると、はじめが「十二」と指を二本立てて見せる。そのまま文字にして打ち込んだ。
RDN
> 同い年です。
古狸@野良発掘
> 今年どうなってんだ。
画面の向こうで頭を抱えていそうな一行に笑いつつ、らでんが「あ、他にもメンチさんとかいろはちゃんとか」と続けようとすると、はじめが横から小さく首を振った。
「そこ全部書いたら朝まで終わんないって。今度にしときなよ」
「……たしかに。最終試験の話とか混ぜたらパニックになっちゃうね」
パリストンの笑顔まで説明し始めたら、とても今夜中には収まらない。頷いて手を止めたところで、当然の問いが飛んできた。
古狸@野良発掘
> で、何やった。
「『何やった』って聞かれてもねえ……」
「いっぱいありすぎて、逆に一言じゃ言えなくない?」
はじめと顔を見合わせて笑ってしまう。どこを切り取っても普通の話には聞こえない気がしながら、らでんは思いついた順にぽつりぽつりと打ってみた。
RDN
> 走りました。
古狸@野良発掘
> うん。
RDN
> 石を見ました。
古狸@野良発掘
> 試験で?
RDN
> 護送の試験もありました。
古狸@野良発掘
> 話飛んだな。
RDN
> 崖から落ちかけました。
また返信が止まった。数秒置いて、丁寧な文字列が上がる。
みずき堂
> 今度直接聞きます。
古狸@野良発掘
> 他は。
まだ書くべきか少し迷っていると、画面を見ていたはじめが「あのクレーンのやつも書けば?」と面白そうに肘で軽くつついてきた。
RDN
> クレーン使って道を塞ぎました。
送信してから、きっかり一分ほど、誰も何も書き込まなかった。
「……あ、完全に止まった」
「さすがに意味わかんないんじゃない?」
隣ではじめが深く頷いたのと同時に、ようやく一行だけ返事が現れる。
古狸@野良発掘
> 何で?
らでんは机に突っ伏しそうになりながら声を出して笑った。
そこからは質問と注意の嵐だった。本当に合格したのか、ライセンスはちゃんと受け取ったのか。そして何より、カードの写真を上げるな、番号を載せるな、保管場所も絶対に書くな、と口々に釘を刺される。
みずき堂
> ライセンスの画像は絶対に投稿しないでくださいね。
ちょうど鞄の内ポケットの奥へ伸ばしかけていた手が、空中でぴたりと止まった。
RDN
> 載せようとしてました。
みずき堂
> でしょうね。
古狸@野良発掘
> ハンター試験には受かるのに何でそこが危なっかしいんだよ。
はじめがベッドの端に手をついて腹を抱えた。
「ぎゃはは! 『でしょうね』だって! らでんのこと、めっちゃ分かってるじゃんこの人たち!」
「うう、もう! はじめは今日からこの掲示板見るの禁止!」
「何でよ! 一番面白いとこなのに!」
顔を赤くして画面を隠そうとしたところで、スクロールの一番下に新しい二行が浮かび上がった。
古狸@野良発掘
> まあ。
> おめでとう。
みずき堂
> おめでとうございます。
> 本当に無事でよかったです。
それを皮切りに、ほかの常連たちからも「すごい」「今度話聞かせて」「現場で会えるな」と次々に祝いの言葉が並んでいく。
いつも画面の向こうで知識を教えてくれるばかりだった人たちに「現場で会える」と書かれたのが不思議で、らでんはしばらくスクロールする指を止めて画面を見つめていた。
「……なんか、すごくあったかいね。嬉しい?」
「……うん。すっごく」
試験会場でライセンスを手渡された時とはまた違う、自分が本当にハンターになったのだという実感が、胸の奥からじんわりと湧き上がってきた。
◇ ◇ ◇
合格報告を済ませたあとも、二人は同じ宿で数日を過ごした。
らでんは毎日、ハンター向けの電脳ページや公募欄を開いては、文化財や遺跡、民俗や祭礼に関わる仕事がないかを探し続ける。はじめも最初は暇つぶしみたいに、その横から画面を覗き込んでいた。
同じ部屋で二人きりで過ごすことにも、日を追うごとに自然なリズムができてきた。
らでんが資料の本を開けば、はじめが「何それ」と顔を突っ込んでくる。それなのに、少し込み入った説明を始めると途中で船を漕ぎ出して、「自分から聞いたくせに!」と揺り起こされるのがお決まりになった。
反対に、らでんが端末の画面へ集中している間、はじめは自分の端末から音楽を流して、指先で机の端を軽く叩いていることが多かった。
ある午後、募集要項の細かい文字を追っていたらでんは、ふと画面から顔を上げた。
一定の拍子で机を叩くはじめの指先と一緒に、肩が小さく揺れている。机の下を覗くと、つま先まで正確に音を追って弾んでいた。
「ねえ、はじめ。またやってるよ」
「ん? 何を?」
「手と足。音楽に合わせて踊ってる」
指摘されて初めて気づいたように、はじめは自分の手元と足元を交互に見た。
「あ……ほんとだ。勝手に動いてた」
「試験の飛行船に乗ってた時も、そうやってリズム取ってたよね。やっぱり踊るの好きなんだ?」
はじめはすぐには答えず、流れている音楽にしばらく耳を澄ませた。
今度は無意識ではなく、自分で確かめるみたいに指を鳴らし、くっと肩を入れる。椅子に座ったままひとしきりリズムを取ってから、ぽつりと頷いた。
「……うん、好き。ただ身体動かすのも好きだけど、音に合わせてこうやって踊るの、もっとちゃんとやりたいかも」
「いいじゃん! じゃあ、それやればいいよ」
「え、でも、うちらハンターになったばっかじゃん。ハンターって仕事しながらでも踊れるもん?」
「そりゃできるでしょ。……たぶん。そういうハンターに会ったことはないから、詳しくは知らないけど」
「知らないんかい」
呆れたように笑うはじめに、らでんは肩をすくめてみせた。
「でもいいじゃない、今すぐ『これだけやる!』って無理に決めなくてもさ。だってこの前までは何がしたいか分かんないって言ってたのに、好きなものが見つかっただけでもすっごく進んでるよ」
そう言うと、はじめは目を少し瞬かせてから、「……そっか。そうだな」と小さく呟いて、さっきよりずっと軽やかな手つきでまた音を取り始めた。
らでんも端末の募集画面へ視線を戻す。
山村の民俗調査、旧鉱山町の建物記録、石造遺構の測量補助。条件の合いそうな案件を上から順に表示していくと、はじめが横から画面を一件ずつ指差して尋ねてきた。
「ねえ、この『測量補助』って何すんの?」
「えっとね、遺跡とか古い建物の長さを測ったり、位置を記録したり、あとは機材や荷物を運んだりかな」
「へえ、じゃあ山の中を歩いたりもするわけ?」
「うん、道が整備されてない場所なら、たぶん結構歩くと思う」
画面の文字列を見つめたまま、はじめが少し考えるように口を閉ざした。
「……それならさ、うちも一緒にできるかな」
「え、はじめも調査やるの?」
「難しい調査じゃなくて、手伝いの方」
「手伝いって……どうして?」
すぐには返事をせず、はじめはスクロールしていく募集一覧を目で追った。
「うちさ、踊るのが好きってわかったけど、まだ何のハンターになるかは全然わかんないから。そもそもハンターが現場で実際何すんのかも、あの試験しか知らないし。だから、一回らでんの仕事するところを隣で見てみたいんだよね」
「私の仕事を?」
「うん。だってらでん、試験受ける前からずっとこれやりたかったんでしょ? 画面見てる時だけでもそんなに楽しそうなんだもん、現場に行ったら何がそんなに面白いのか、うちも見てみたい」
そこで一度だけ言葉を切って、はじめは自分の肩を軽く回してみせた。
「それにさ、山歩く仕事ならうち、結構役に立つと思うよ。重い荷物運ぶとか、危ない足場を先に見るとか、身体使うことなら得意だし」
言い終えると、少し照れくさそうに画面から視線を逸らす。
「いろんな場所に行って、らでんが夢中になってるものとか見てたら、うちもこれからどうしたいか、もうちょい見つかるかもしれないしさ」
ただ暇だからついてくるのではなく、らでんが見ている世界を自分の目で確かめようとしてくれている。それが分かって、胸の奥がぱっと温かく明るくなった。
「……うん! じゃあ、一緒に探そう!」
「お、仕事を?」
「仕事もだし、はじめがこれからやりたいことも!」
身を乗り出して言うと、はじめは顔を戻して、いつもの調子で「うん!」と笑った。
その時、一覧の少し下にあった一件の募集がらでんの目を引いた。
山間集落の古い祭祀施設を保存修復する事業。業務内容の欄には、倉庫収蔵品の再整理、祭具の目録づくり、周辺旧道の遺構確認、そして高齢住民への聞き取りと並んでいる。
らでんは思わず画面へぐっと顔を寄せた。
「ん? それ、何か気になるの?」
「うん、めちゃくちゃ気になる! 見てこれ、古いお祭りの道具の整理だけじゃなくて、周りの旧道調査もお年寄りへの聞き取りもあるんだよ」
「そんなに全部揃ってるなら、もうそれにすればいいじゃん」
「簡単に言うなあ……あ、でも待って」
募集要項の下の方へ目を走らせて、らでんの視線がぴたりと止まった。
募集枠は「現地調査補助 若干名」。求められる条件には、野外活動経験、資料整理、運搬、測量補助、安全管理とあり、備考欄に「プロハンター歓迎」と記されている。
中でも、画面の「聞き取り」という四文字に強く目が留まった。
これまでの自分は、誰かが過去に書き残した調査記録や図録ばかりを読んできた。けれど本を読んでいると、その記録者が当時何を尋ねて、何を尋ねずに落としてしまったのか、後からではどうしても分からないもどかしさに何度もぶつかった。
今度は、自分が直接尋ねる側になる。
実際に現場のお年寄りを前にして何から聞けばいいのか、まだ具体的な手順も分からないくせに、直接会って声を聞いてみたいという気持ちばかりが先に膨らんでいく。
らでんは画面の「若干名」という文字をトントンと指先で叩いた。隣のはじめも同じ箇所に目を留める。
「ほら、ここ。『若干名』って書いてあるから、一人だけの募集じゃないよ。はじめ、これに応募しない?」
「え、うちも応募すんの? らでんの手伝いでついていくんじゃなくて?」
「うん、正式に別々で! ほら、条件に野外活動とか運搬とか安全管理ってあるでしょ。はじめがさっき言ってたこと、全部ちゃんとお仕事として募集されてるよ」
付き添いではなく、同じ現場のハンターとして。はじめは一瞬だけ目を丸くしてから、すぐに大きく頷いて笑った。
「ほんとだ。よし、じゃあ応募する!」
二人はそれぞれの端末で応募書類の入力画面を開いた。
らでんは希望業務の欄に迷わず「収蔵品整理・来歴調査・聞き取り補助」と打ち込む。その横で、画面を睨んでいたはじめの指がぴたりと止まった。
「……なあ、らでん。この希望業務ってとこ、何て書けばいい?」
「はじめができることをそのまま書けばいいんだよ」
「『身体動かす』?」
「それじゃ小学生の目標だってば! もうちょっと募集要項に合わせて仕事っぽく書くの!」
頭を抱えかけたらでんに言われ、はじめは募集要項の言葉を睨みながらしばらく唸り、やがて一文字ずつ慎重に「現地移動補助」「資材・機材運搬」「測量補助」「危険箇所確認」「野外作業全般」と打ち込んだ。
「どう、これ」
「うん、すごくいいんじゃない?」
「なんか最後の『野外作業全般』ってとこ、便利屋感すごくない?」
「いいの、最初は新人なんだから何でもやりますって言った方が喜ばれるよ」
「らでんもど新人だろ」
軽口を叩き合いながら確認画面を押し、二人揃って応募書類を送信した。
数日後、それぞれの端末に採用通知が一通ずつ届いた。
儒烏風亭らでん、採用。轟はじめ、採用。
「お、来た!」
はじめの上げた声に、らでんも慌てて自分の画面と隣の画面を見比べる。
「やった、二人とも採用だ!」
はじめ宛ての通知書には、担当予定として野外班補助、資材運搬、測量作業補佐、調査地間の移動安全確認と並んでいる。
「おおー、見てよらでん、うちにもちゃんと仕事ある!」
「当たり前でしょ、正式に採用されたんだから」
「よかったー、らでんの私物の荷物持ちだけじゃなかった」
「あ、でも私の肩がまだ本調子じゃないから、そっちの荷物持ちもちょっと頼むけどね」
「結局あるんかい!」
肩の荷物を少し持ってもらう約束までしっかり混ぜ込むと、はじめは呆れたように笑いながらも、採用通知の画面を何度も嬉しそうに見返していた。
その日の夜、らでんは荷造りの合間にまた古層板を開いた。
RDN
> 初仕事決まりました。
送信してから、今度は三秒で返事が来る。
古狸@野良発掘
> どこ。
採用が決まった事業の募集ページをそのまま貼り付ける。すると、さっきまでの即答が嘘みたいに、ぴたりと返信が遅くなった。
「あれ、今日は怒られないね」
「らでん、この人たちに怒られるかどうかが基準になってんの?」
隣から覗き込むはじめと喋っていると、ようやく新しい行が上がった。
古狸@野良発掘
> そこ選んだのか。
RDN
> 知ってるんですか?
古狸@野良発掘
> 昔ちょっとな。
RDN
> 何があるんです?
古狸@野良発掘
> 行ってみろ。
RDN
> なんで教えてくれないんですか。
古狸@野良発掘
> 調査に行く奴に、最初から答え教えてどうする。
画面の文字列を見て、らでんは思わずむっと顔をしかめた。横ではじめがくすくす笑う。
「あはは、なんか正論で返されたじゃん」
「正論だけどさあ! 行く前にちょっとくらいヒントくれたっていいのに!」
「行けば見れるんだからいいじゃん」
「今から気になるの!」
少しでも予習しておきたいのに、と唇を尖らせたところで、みずき堂からも書き込みが入った。
みずき堂
> 一点だけ。
> 現地の収蔵品は、古い記録ほど名称と由来を鵜呑みにしないでください。
RDN
> どういう意味です?
みずき堂
> それも現地で。
「あはは、みずき堂さんまで同じこと言ってる!」
はじめが面白そうに笑う。らでんがもう一度画面へ目を戻すと、古狸から短い続きが届いていた。
古狸@野良発掘
> らでん。
> ハンターになったんだろ。
> 見たいものがある場所まで、今度は自分で行け。
キーボードの上に置いた指が、すっと止まった。
これまで画面の前で悔しい思いをするたびに、自分に足りないものをノートへ書き出し、一つずつ集めてきた。すべては、誰かの撮った写真を待つのではなく、自分の足でその場所へ立つためだったはずだ。
らでんは一つ息を吐いて、短く打ち返した。
RDN
> 行ってきます。
古狸@野良発掘
> 行ってこい。
◇ ◇ ◇
出発の朝、山間部へ向かうローカル線の車窓から、見慣れた街並みが少しずつ遠ざかっていった。
コンクリートの建物が途切れるにつれて畑が増え、行く手に深い山の稜線が迫ってくる。向かいのボックス席では、はじめが長い脚を伸ばして、流れる窓の外をぼんやりと眺めていた。
ふと、はじめの視線が窓ガラスからこちらへ移る。
「ねえ、らでん。初仕事、楽しみ?」
「うん、めちゃくちゃ楽しみ!」
食い気味に即答すると、はじめはやっぱりな、という顔をして笑った。
「だと思った。さっきからずっと窓の外ばっか見てソワソワしてるもん」
「だって、どんなものが残ってるか全然わからないんだよ? ……はじめはどう?」
「うち? 仕事そのものはまだピンと来てないけど……」
はじめはもう一度、窓の向こうに重なる緑の山並みへ目を向けた。
「らでんがそんなに夢中になってるものが、実際どんな感じなのか見るのは、ちょっと楽しみかな」
「ふふ、じゃあ現場に着いたら、私の隣でちゃんと見ててね」
「何を? 古い道具?」
「ううん、蔵の中も、お年寄りの話も、山の道も、全部!」
「全部って、範囲広すぎだろ」
笑い合っているうちに、ごうっと音を立てて列車がトンネルへ滑り込んだ。
車窓が一度すっかり暗くなり、数秒後にふたたび明るい日差しが差し込むと、深い谷の向こう側、山の中腹に張り付くような古い集落が姿を現した。
らでんは思わず座席から身を乗り出して、窓ガラスに顔を近づける。
「あ、はじめ、あれかな!」
「ん、どれ?」
「ほら、あの谷の向こう、山の中腹に屋根が並んでるところ!」
「あ、ほんとだ。すっごい山の上にあるんだな」
斜面に沿って古い屋根が点々と連なり、そのすぐ背後には深い森と山肌が幾重にも重なっている。
これから向かう古い祭祀施設に一体何が残っているのか、この時の二人はまだ何も知らなかった。
◇ ◇ ◇
そして同じ頃、その山のもっと深い奥地で、一人の男が崩れた石積みの上にしゃがみ込んでいた。
無造作に伸ばした手には乾いた土がつき、服の裾も泥で汚れている。すぐ脇には正式な調査道具一式が置かれていたが、本人はそれをほとんど使っていなかった。
男は足元の石を一つひっくり返して裏側の苔のつき方を眺め、それから顔を上げて山の斜面を見渡すと、誰にともなく独り言をこぼした。
「……こっちじゃねえな」
立ち上がって手元の地図を雑に畳むと、道ですらない急な斜面をそのまま真っ直ぐに登っていく。
ジン=フリークス。
らでんが何年もネットの海を探し回って、わずかな断片しか拾えなかった男だった。