儒烏風亭らでんは世界を蒐集する   作:今日も元気ですマン

16 / 16
第十六話 ジン=フリークス

 列車を降り、バスと車を乗り継いでも、集落まではまだ山道が残っていた。

 山というより山の中。山の斜面に沿って木造建築が並ぶ。

 人口は八十六人。高齢者ばかりの限界集落だ。

 五十年前はもっと人がいたようだ。

 

「いいねぇ」

「何が?」

「いよいよ来たなあって感じ」

 

 はじめは「全然分からん」と首を振った。

 斜面に沿って家が並び、細い道の脇を水が流れている。

 らでんには、石垣の途中で積み方が変わるのが見えた。しゃがみ込むと、先を歩いていたはじめが戻ってくる。

 

「見て。ここ、何度か積み直してる」

「……石だね」

「石だけど!」

 

 水路も、社へ続いているように見えた。

 祭りに使ったのか、畑のためなのかはまだ分からない。

 そんな話をしているうちに、杉林の手前の社殿と土蔵へ着いた。

 

「君らが新人か」

 

 作業着の男が近づいてきた。現地調査を手伝う職員、カルド=ネーマンだ。

 二人が名乗ると、彼は書類と本人たちを見比べた。

 

「……聞いていたが本当に若いな」

「十二です。小さくて不安ですか?」

「プロハンターだろう。期待しているから仕事は頼む」

「言い方」

 

 カルドは歩きながら、屋根を直すだけなら大工を呼べば済む、と言った。

 問題は雨漏りの始まった土蔵の中身だった。

 この村では”渡火祭”というものがあった。

 それは少子高齢化と人口減少に伴い、三十四年前に取りやめとなりそこから途絶えている。

 この土蔵には、途絶えた渡火祭の道具だと伝わる品や、古文書が残されている。

 けれど、何をどう使ったのか答えられる人は少ない。

 最新の目録は二十九年前のものだ。祭りが途絶えたあと一度整理されている。

 担当者には地元の役場職員の名が”文化教育課”の部署名付きで記載されていた。

 

「この職員さんって…」

「もう亡くなっている。歴史好きだったそうだが文化財の専門ではない」

「わかりました」 

 

 扉を開けると、木と紙と古い布の匂いがした。

 棚には箱が積み上がり、札の文字は薄い。

 「祭具一式」「古文書」。そして、”「雑品」”

 らでんは最後の札を見て眉を寄せた。

 

「……分類が雑ですね」

「三十四年前の時点ですでにその状態だったそうだ。それを誰も動かせないし触れない」

「となると、それよりさらに昔に保管された際、その時点で既に用途不明の祭事道具として扱われていたと』

「当時の人間が廃棄しなかっただけ奇跡だな。おかげで現代の我々に整理を押し付けられたわけだが」

「ですね。ではその整理をはじめても?」

「ああ」

 

 中身を動かす前に位置を残し、写真を撮る。

 らでんが止めるたび、箱を運ぼうとしたはじめの手が宙で止まった。

 

「これも撮る?」

「それも。元の場所が分からなくなったら、戻せないから」

「こういうものって、触る前にやること多いんだな」

 

 午後、B-14と書かれた箱を開けた。

 札には《渡り灯》。

 ハンター試験前に掲示板にて、らでんが名前を返した一基と同じ呼び名だった。北部西岸のものだ。

 ただし、同じ名だから同じ物だとは限らない。

 

 中には持ち手の長い、角形の灯籠が収まっていた。

 木枠には修理を重ねた跡があり、板には角と線が続く文様が彫られている。

 カルドによれば、目録では渡火祭の祭具とされていた。

 

「目録では、ですね」

「真偽の判定について俺は専門外だ。そこからは調べてくれ」

 

 古い祭りの写真を開くと、行列が持っているのは紙張りの丸い灯だった。

 B-14は形も持ち手も違う。

 らでんは写真と実物を交互に見た。

 

「祭りの写真には、これが写ってない」

「じゃあ別の祭り?」とはじめ。

「それもまだ分からない」

 

 土蔵には七十年前の目録と、さらに古い目録があった。

 古い方の「ワタリノヒ」は《火》とも《灯》とも読めそうに見える。

 今の名称を最初の記録へそのまま戻すことはできなかった。

 

 その日の夕方聞き取りを行った。

 集落最高齢 九十一歳 女性 ハナ

 祭りに参加経験があり、写真の丸い灯は覚えていたが、B-14を祭りで見た記憶はなかった。

 「蔵の奥にはあった」と言う。

 いつからあったのか、何と呼んだのかは分からない。

 

 祭りに使われなかったと決まったわけではない。

 けれど、目録の名前だけで使い道を確定させることもできない。

 らでんはノートの《渡火祭祭具》に線を引かず、脇へ小さく疑問符を書いた。

 

 宿舎に戻って写真を並べていると、外からカルドの怒ったような困ったような声が聞こえた。

 

「また勝手に奥へ行ったのか!」

「近道だ」

 

 泥のついた男が通りかかった。手には石片。

 らでんの前に広がるB-14の写真を一瞥して、足を止める。

 

「それ、祭りの道具じゃねえぞ」

 

 一日かけて疑い始めたことを、見た途端に言われた。

 

「何で分かるんです?」

「見りゃ分かる」

「分からないから調べてるんですけど!」

 

 男は少し笑い、「じゃ、調べろ」と歩いていった。

 らでんは背中を睨む。

 突き放されたことより、自分が丸一日かかって調べたことなのに、既に答えに辿り着いていそうな。

 そんなところが悔しかった。

 

---

 

 翌日も、らでんはB-14の来歴を追った。聞き取り調査も行う。

 八十四歳 男性 タツ

 子供の頃から土蔵にあったと覚えていた。

 ただ、祖父に「あれはうちのものじゃないから触るな」と言われたという。

 

「どこから来たかは?」

「知らん。山の向こうから、とは聞いた気がする」

「誰がそう言ってたんです?」

「わしのじいさんから」

 

 そういってタツが指したのは集落の奥の尾根だった。

 昔はそこへ道が延びていたらしい。

 らでんは「村のものではなかった可能性」とだけ記し、断定を避けた。

 

 午後、はじめとカルドと旧道へ入る。聞き取りの痕跡を調べるためだ。

 落ち葉に隠れた踏み跡を、はじめが足裏の感触で見つけた。

 緩い場所では先に二人を止める。

 カルドが棒で突くと、そこだけ土が深く沈んだ。

 

「どうして分かったの?」

「踏んだ感じで、ちがうなーってわかる」

「すごっ」

 

 道の脇に古い石積みと小さな祠があった。

 祠の向きは村ではなく、山の向こう側。石にはB-14と似た角と線が刻まれている。

 ただ、同じ系統のものかどうか、写真だけでは決められない。

 

「この道を、山の向こうの人たちが使っていた?」

 

「逆だ。その道を連中が使ってたんじゃねぇ」

 

 昨日の男が、斜面の上から降りてきた。

 らでんが考えた順とは違うという。

 祠の下の土は整えられていたが、石積みの一部はその土に埋まっている。

 祠は後から置かれたのかもしれない。

 

「道があったから連中がきたんだ」

「何で分かるんです?」

「見りゃ――」

「それは禁止です!」

 

 男は言葉を止め、今度は地面を指した。

 らでんは埋まった石の縁を見て、ようやく時間の前後に気づく。

 

「石積みの方が古い……?」

「多分な」

 

 断定しないところだけ、らでんには信用できた。

 男はさらに奥にも似た文様があると言ったが、案内はしない。

 地面に枝で分岐、倒木、沢、三つの石を描くとはじめが覗き込んだ。

 

「うちなら行けると思う」

「そっちの方が山に向いてるな」

「私も行けます!」

 

 宿舎へ戻る道で、らでんは男の声を何度も思い返した。

 カルドは昔から知っている様子だったし、古狸もこの山を知っていた。

 古層板の過去ログを開くと、十年以上前の投稿が見つかった。

 若い調査仲間が道なき道を「近道」と呼び、石をひっくり返してばかりいるという愚痴。

 みずき堂の投稿には、展示の説明より物の裏を長く見ていた《G.F.》の記録があった。

 

 同じ人かもしれない。

 らでんは現場で聞いた声、石を見る手つき、泥だらけの姿を思い返し、端末を閉じた。

 

 夕方、帰ってきた男を呼び止める。

 

「あなた、ジン=フリークスですか」

 

 男が足を止めた。

 らでんを見ると、少し間を置く。

 

「遅え」

 

 何年も探していた相手の第一声が、それだった。

 追いついたはじめが男を見て、らでんに小声で言う。

 

「知り合い?」

「……ハンターになる前から探してた人」

「この人?」

「そうみたい」

 

 ジンは袋を肩に掛け直し、もう歩き出していた。

 

---

 

「待ってください。私、ずっとあなたを探してたんですけど!」

「そうか」

「そうか!?」

 

 はじめが横で笑う。

 らでんは古狸やみずき堂の名を出した。

 ジンは二人とも知っていると、当たり前のように答えた。

 掲示板の断片が、ようやく目の前の男につながる。

 

「あの人たちと、遺跡の仕事をしたんですよね」

「したな」

「王墓の保存も?」

「あいつら、そこまで喋ったのか」

 

 ようやく足が止まった。

 古狸の昔話では、ジンは金を集め、人を集め、墓を見つけた後も現場に残ったという。

 目の前の男は、その話の続きを尋ねても教えてくれそうにない。

 それでも、泥のついた指で石片の縁を確かめる手つきは、らでんが想像してきた調査者のものだった。

 

「もっと、すごそうな人だと思ってました」

「勝手に期待したお前が悪い」

「やっぱりそれ言うんですね」

 

 はじめがまた笑う。

 何年も探した相手と話しているのに、らでんは感動より先に言い返していた。

 

---

 

 翌朝、ジンは五時には山へ出ていた。

 カルドも行き先を知らないという。

 

 らでんは古狸の昔の書き込みを思い出した。

 実際に会えば会うほど、聞きたいことが増えた。

 

 今日の仕事は旧道の追加確認だった。昨日の地図を頼りに山へ入る。

 はじめは分岐と倒木と沢の順番を覚えて前を歩き、らでんは後ろから地図と周囲を見比べた。

 踏み跡は何度も落ち葉に消える。

 そのたびにはじめが足場の硬さを確かめ、カルドが棒で安全を確認する。

 湿った土へ棒が深く沈んだところでは、先に進もうとしたらでんの足を止めた。

 

「地図だと、もう少し左だけど」

「左は枝を切った跡が新しい。昔からの道は右」

 

 はじめが指した切り口を見て、らでんはようやく気づく。

 地図に描かれた道が、そのまま今も古い道とは限らない。

 右手の斜面から「合ってる」と声が落ちてきた。

 

 ジンは道のない所に座っていた。

 岩と木の根を足場にして降りてくる。

 速いのに、足を置く瞬間だけは確かめているように見えた。

 はじめがその足運びを目で追う。

 

「楽しそう」

「朝から探したのに、あっちは散歩みたいな顔してる」

 

 らでんたちは旧道の奥を調べる。

 はじめが踏み跡を選び、カルドが安全を確かめ、らでんが位置と状態を記録した。

 ジンは石積みの裏へ回り、土に隠れた刻線を見つける。

 

「《渡り灯》と似てます。でも、同じものとはまだ言えません」

「ならどうする」

「他にもないか探します」

 

 ジンは「そうだな」とだけ返した。

 褒めたつもりかどうか分からない。

 けれど、らでんが別の石の写真を撮る間に、ジン自身も地面を掘り始めている。

 

 はじめには地面の柔らかさが、らでんには記録の食い違いが見える。

 同じ場所でも、見つけられるものが違う。

 そのことを考えながら、らでんは刻線と石積みの位置を記録した。

 

 昼に腰を下ろすと、ジンがらでんの記録用紙を覗いた。

 

「みずき堂の書き方だな。地図は古狸も混じってる」

「分かるんですか」

「あいつら、その辺は俺より詳しい」

 

 らでんは意外だった。

 ジンも遺跡を調べ、保存してきた人だ。

 記録用紙の欄外には、その場で答えの出なかった問いが増えている。

 物の名だけではなく、見つかった場所や、移された時期の分からなさまで残していた。

 

「見つけて終わりじゃつまんねえだろ」

 

 ジンは石積みを見た。

 

「何が入ってるか知りたい。誰が作って、どう使ったかも。その場所ごと残せるなら、次に来る奴も調べられる」

「面白いから、ですか」

「他に理由いるか」

 

 らでんはB-14の名前を思う。

 札に書かれた「祭具」をそのまま採用すれば、目録は早く完成する。

 だが、形の違いも聞き取りした老人たちの「見たことがない」「うちのものじゃない」も消えてしまう。

 次に箱を開ける人が、同じ疑いにたどり着けるようにしたかった。

 

 ジンはらでんが黙ったのを見て、石から目を離さずに続けた。

 

「出した物だけ持って帰って値段つけて終わりなら、盗掘屋と大して変わんねえ」

 

 古狸が話してくれた保存の仕事は、この男には理想を語る話ではなかったのだろう。

 見つけた場所で手を動かし続けた、その結果だった。

 

「私、文化財のハンターなんです」

「へえ。で、あの灯は文化財か」

 

 すぐには答えられなかった。

 古い、珍しい、祭りの札がついている。

 そのどれも、決め手にはならない。そもそも札に書かれた名前が正しいかさえ、調べている途中だ。

 

「今は、分かりません」

「じゃ、調べる理由ができたな」

 

 午後、岩壁の下にもう一本、半分埋まった石柱が見つかった。

 ジンが枝を払うと、苔の切れたところに黒い変色が現れる。

 煤なら熱の跡があるはずだが、石は割れていない。

 近くの土は乾き、日陰なのに虫が寄っていなかった。

 どれか一つなら珍しくない。それがここだけで重なっている。

 

「変です。でも、何が違うのかはまだ」

 

 らでんがそう言うと、ジンは答えずに石を見た。

 いつもの「見りゃ分かる」も出ない。

 その沈黙に、らでんはかえって落ち着かなくなる。

 

 まず全景を撮り、岩壁との位置を測る。

 変色の境目、土に埋まった深さ、周囲の状態を書き留めた。

 来歴の分からない物へ触れる前に、触れる前の姿を残しておく。

 ジンは手を出さずに待っていた。

 

「触ってみろ」

「記録が先です」

「終わるまで待つ」

 

 記録を済ませると、ジンが素手で触れと言った。

 手袋越しでは分からないものがあるらしい。

 らでんはすぐには外せず、石と自分の手を見比べる。

 はじめが先に危険を尋ねた。

 

「何かあったら俺が止める」

 

 らでんは手袋を外し、指先を石へ当てた。

 冷たい。普通の石だ。

 そう思った次に、胸の奥が引かれた。

 

 煙のようなものが見えた気がした。

 人影はいくつもある。

 誰なのかも、いつなのかも分からない。

 ただ、足音が一定の拍子で重なり、暗い山の中で灯が揺れていた。

 歌にも似た声が混じる。聞き取ろうとしても、言葉になる前に薄れていく。

 

 目の前の石柱から視線は外していない。

 それなのに、山の暗さと手元の石が同時にあるようで、どちらに立っているのか分からなくなった。

 

 手を離すと、ただの石に戻っていた。

 はじめが名前を呼んでいる。

 らでんは返事をする前に、石柱の黒い跡をもう一度見た。

 今の光景と結びつけたくなるが、見えたものが石の記録なのか、自分の想像なのかすら分からない。

 

「何があった」

「分かりません。煙みたいなものと、人……歩いていた、かもしれない。灯と、足音と、歌」

 

 順に口にしても、見たものの意味までは分からない。

 だから「この石は祭りで使われた」とは言わなかった。

 ジンはその答えを聞いてから、らでんの手を見た。

 はじめも横で待っている。らでんが声を取り戻すまで、誰も先回りして説明しなかった。

 

「お前ら、ハンター試験、受かったんだよな」

「受かりましたけど」

「そうか…なら、まだ半分だ」

 

 はじめと顔を見合わせる。

 二人とも、試験を終えてライセンスを受け取ったばかりだ。

 らでんが手のひらを開くと、まだ石の冷たさが残っているような気がした。

 

「さっきのが何なのか、知りたいか」

「知りたいです」

「じゃあ、教えてやるから付いてこい」

 

 ジンは歩き出した。

 

「”念”についてだ」

 

 念?聞き慣れない言葉ではなかった。

 それでも、目の前の石とどう繋がるのか分からない。

 問い返す前にジンは背を向け、落ち葉を踏んで歩き出した。

 はじめが先に追い、らでんはもう一度石を見てからその後につく。

 

「お前ら、ハンター試験まだ終わってねえぞ」

「ええっ?」

「まじ?」

 

 らでんは聞いた。

 

「念って、今の石と関係あるんですか?」

「関係あるかもしれねえ。今ここで答えが出ると思うな」

 

 らでんはもう一度石柱を振り返った。

 分からないと記録するだけでは、さっき感じたものを扱えない。

 その悔しさの中に、知りたいという気持ちもあった。

 

 下り道でもジンの歩幅は変わらない。

 二人は足元の落ち葉を滑らせながら追う。

 

「ハンターになりゃ、普通の奴が入れねえ場所に入る。触れねえ物に触る。よくわからねぇ現象にも会う」

「それが念?」とはじめ。

「そういう場合もある」

「知らないままだったら?」

「運悪きゃ死ぬ」

 

「さらっと言わないでください!」

 

 とらでんは声を上げたが、笑えなかった。

 石に触れた時は、何が起きたのかさえ分からなかったのだから。

 

 ジンは足を止める。

 振り向いて、らでんが返事をするのを待った。

 

「最低限、何をされたか分かるところまでだ。そこまで行って、やっとスタートになる」

「表の試験の続き?」

「裏ハンター試験」

 

「聞いてない!」とはじめが言った。

「だから裏なんだろ」

「そんな理屈あります?」

「裏まで教えるのは見込みのあるやつだけって決まりがある。でもさっさと教えてやんねぇと死んじまうかもしれねぇだろ」

 

 ジンは振り向かない。

 足の運びだけは、山道でも変わらなかった。

 

「じゃあ教えてください」

「全部は教えねえ。裏試験が終わるとこまでは見る」

「また言い方が!」

 

---

 

 その夕方、三人は使われなくなった社務所に座った。

 仕事から戻ったはじめの袖には土がつき、らでんの指にはまだ記録用紙の跡が残っている。

 畳を挟んで向かい合うと、ジンが何も言わずに二人を見た。

 

「念って、そもそも何ですか?」

「イメージでいい。お前らはどう思う」

「人の意志とか、魂とか……」

「変な力。おばけ、ポルターガイスト」とはじめ。

「広いな。まあ、知らねえならそれでいい」

 

 答えを待ってノートを開いたらでんの前で、ジンは畳を指で叩いた。

 昨日の石の感触がまだ指に残っている。

 そこへ答えを重ねるより先に、ジンは別の話を始めた。

 

「まず方便だ。念を覚えた後も、毎日やれ」

 

 点、舌、錬、発 ジンは四本の指を順に立てた。

 

「点、自分を見て、何がしたいか一つ決める。舌、決めたことを言葉にする。錬、その気持ちを強く持つ。発、動く」

 

 らでんは慌てて書き留めた。

 技の名前かと思っていたのに、書き上げてみれば見慣れた言葉ばかりだった。

 

「……普通のことでは?」

「普通だ」

「これが "念" ?」

「違う。方便だ」

 

「嘘を先に教えるんですか?」

「使える嘘だ」

「一番怪しいやつ」とはじめが笑う。

 

 ジンは取り合わず、開いたノートへ目をやった。

 

「本物を覚えた後もやめんな。力があれば出来ることは増える。何をしたいかまで、勝手に決まるわけじゃねえ」

「嘘の念なのに、毎日?」

「だから毎日だ。力ある奴ほどやりたいことが増えて、最初に何がしたかったわからなくなる」

「……」

「これを疎かにしてるハンターは、ろくなもんじゃねぇ」

 

 らでんのペンが止まった。

 調査を始めた理由を、自分でもいつか手順の中に埋めてしまうかもしれない。余白に一本、線を引いた。

 

 ジンははじめを指した。

 

「点、今、お前は何がしたい」

 

 はじめは膝の上で指を動かした。

 宿で流れた音楽に、身体が先に反応した時と同じ拍子だった。

 目を伏せ、しばらくして顔を上げる。

 

「体動かしたい」

 

「何でだ」

「楽しいから」

「それでいい」

 

 言い切ったはじめの顔を見て、ジンは「ならそれでいい」と返した。

 はじめの肩が少し下がった。次はらでんの番だった。

 

 B-14の本当の来歴を知りたい。

 喉まで出た言葉の前に、老人たちの証言と、石柱に触れた時の分からない光景が浮かぶ。

 今の名前が違うかもしれない。けれど、新しい名前をつければ解決するわけでもなかった。

 

「知りたい。《渡り灯》が、何だったのか」

「それ、お前の都合だぞ。昔の奴がそうしてほしかった証拠は?」

「ありません。でも、今の名前をそのまま残すのも、私たちの都合です。分からないなら分からないって残したい。勝手に答えをつけるより」

「ならそれでいい」

 

 言い終えて初めて、らでんは息を吸った。

 ジンは褒めなかったが、ノートへ戻る手が少し軽くなった。

 

「舌、決めたことを口にしろ」

 

 ジンに促され、はじめは「もっと体を自由に動かす」、らでんは「渡り灯の来歴を調べる」と口にした。

 

「錬、今行ったことを、絶対やると思え」

 

 言われて二人は黙る。はじめは膝の上で拳を握り、らでんはノートを閉じた。

 次を問うより、自分で決めたことをしばらく抱えていたかった。

 

 ジンは座ったまま、二人の目を順に見た。

 

「今からお前らを殺すつもりで、錬をする」

 

「それ、冗談?」

 

 ジンは答えない。三人の間には畳五枚ほどの距離がある。

 はじめが笑いかけて「何もしないなら――」と言い終えるより先に、空気が変わった。

 

 ジンは指一本動かしていない。

 ただ、すごい気迫だった。

 "本気の殺意"

 それだけで、らでんの背に汗がにじむ。

 畳の縁を踏む足が後ろへずれ、喉が狭まった。

 目を逸らせない。身体がいうことをきかない。

 

 はじめは左足を引き、右手を前へ出した。

 逃げるにも飛び込むにも使える姿勢。

 ふだんなら一瞬で選ぶはずなのに、ジンが動かないからこそ行き先が決まらない。

 らでんは反対に、膝から下が重く、動けなかった。

 頭では、まだ何も起きていないと分かる。

 けれど身体は、目を逸らした瞬間に終わると信じていた。

 

 一秒、二秒。杉林の音が遠くなる。

 ジンが何かしている証拠はない。

 なのに、身体だけがもう危険の中にいる。

 

 ジンが視線を外した途端、畳の冷たさが戻った。

 はじめは尻をつき、らでんはようやく息を吸う。

 怖かったのは確かだ。けれど、どこを殴られたわけでも、押さえつけられたわけでもなかった。

 

「……何、今の」とはじめ。自分の左足がまだ後ろにあるのを見ていた。

「怖……」

 

 らでんが胸に手を当てると、鼓動はまだ速かった。

 

「今の、念ですか?」

「違う。オーラは使ってねえ。ただ本気でそうすると決めた。"錬" ってのはそういうことだ」

「嘘」とはじめが言う。

「嘘じゃねえ。何もしてねえ」

「うち、逃げようとした」とはじめが言う。

「私は固まった……」

「反応は人による。逃げる奴も、固まる奴も、先に手が出る奴もいる」

 

 はじめは自分の足を見てから、「殴るのも考えた」と呟いた。

「だろうな」とジンが笑う。

 らでんはようやく肩の力を抜いた。

 意志だけでこれほど伝わるなら、実際に力を伴った時はどうなるのだろう。

 

「本物はもっとたちが悪い」とジンは言った。

「じゃあ、本物はいつ?」

「明日」

「今じゃないんです?」

「腹減った」

 

 はじめまで「うちも」と立ち上がる。

 「そこで終わるの!?」とらでんは抗議したが、二人はもう出口へ向かっていた。

 膝に残る畳の冷たさを振り払って、慌てて後を追った。

 

---

 

 翌朝、五時前に宿舎の扉が鳴った。

 ジンが山へ行くと言う。

 はじめはもう支度を済ませているのに、らでんだけが布団から顔を出した。

 昨夜の畳の冷たさが蘇り、思わず掛け布団を握る。

 

「昨日の『明日』って、こんな早朝!?」

「早く起きろ」

 

 十五分後、朝霧の中を、ジン、はじめ、らでんの順に歩いた。

 濡れた落ち葉が靴裏に張りつく。

 昨日見つけた石柱より奥で足を止めると、ジンは四本の指を立てた。

 らでんは昨夜のノートを取り出しかける。まだ眠い頭でも、四つの音なら言えるはずだった。

 

「昨日の点、舌、錬、発」

「はい。覚えてます」

「忘れろ」

「は!?」

「方便は毎日やれ。今から教えるものとは別だ」

 

 同じ音の、別の技術。

 ジンが「生きてりゃ身体から出てるものがある」と自分の胸を指す。

 生命エネルギー、オーラ。念は、それを扱う技術だという。

 らでんはペンを握ったまま、ふいに昨日の石を思い出した。

 あの時、指先より胸の奥が引かれたのは何だったのか。書く前に確かめたくなり、ノートを閉じる。

 

「纏、絶、練、発」

 

「昨日の、あれ?」

「あれは意思だけだ。今から見せるのは違う」

 

 ジンは静かに息を吐いた。

 白い息がほどけた直後、らでんは皮膚ごと押されたように感じた。

 はじめが半歩下がる。喉が詰まり、地面が足裏を押し返してくる。

 昨日は恐ろしい人間が目の前にいると分かった。今は何が押してくるのかも見えない。

 らでんがはじめを見ると、はじめもこちらを見た。

 どちらが先に逃げるかではなく、何から逃げるのかを知りたい顔だった。

 

 ジンは殺すとも、逃げるなとも言っていない。

 こちらを睨んですらいなかった。それでも周囲の空気が重く、らでんは呼吸の速さだけを意識した。

 はじめは膝を緩め、いつでも動ける形へ戻している。

 昨夜と違い、危険がジンの気分だけでは終わらないと、二人とも肌で感じていた。

 

 数秒で重みが消え、鳥の声が戻る。

 はじめは下げた足を戻したが、まだ目を離さない。

 らでんは声を出す前に、震えた息を一つ吐いた。

 

「……今のは?」

「オーラだ。昨日のは意思だけ。違いは分かったか」

 

 はじめが先に頷いた。

 

「昨日は、ジンが怖かった。今のは……周りごと」

「そう」とらでんも言った。

 

「押された場所を探したのに、どこにもない」

 

 ジンは二人の顔を確かめて、ようやく指を下ろした。

 

 昨夜の恐怖には、逃げるか固まるかを選ぶ余地があった。

 今の圧には、何からどうすればいいのかさえ分からなかった。

 

「まずは、知るところから教えてやる」

 

 霧の向こうで、ジンが立てた指だけが近かった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

地獄の氷叢さん家(作者:M.T.)(原作:僕のヒーローアカデミア)

地獄の轟くん家以上に地獄の氷叢分家の女の子がヒーローを目指すお話。▼燈矢くんや外典くんを見て、氷叢の血が濃くなりすぎた末路が気になって執筆した作品です。▼※注意▼・女主です。▼・お話の都合上、青山くんが出てきません。すまんな。▼・他作品のクロスオーバーをやり出す可能性があります。▼・オリ主の必殺技や一部設定のみ、以下のキャラの要素があります。▼ ・クザン(O…


総合評価:2137/評価:7.92/連載:71話/更新日時:2026年09月21日(月) 12:58 小説情報

秦こころ、ロックス海賊団の副船長です(作者:カラカラ侍)(原作:ONE PIECE)

普通の女子中学生だった少女は、ワンピースの世界に転生する。▼奴隷として地獄を見る中で、口にした悪魔の実で秦こころの姿に。▼表情を失った少女は、海の悪魔の船に乗ることに。


総合評価:2674/評価:8.37/連載:7話/更新日時:2026年09月01日(火) 21:43 小説情報

念能力者になってよ!(作者:メガシャキ)(原作:HUNTER×HUNTER)

原作開始前にモブに憑依してしまった男が、某魔法少女アニメの害獣みたいなことをする話


総合評価:1216/評価:6.94/連載:17話/更新日時:2026年06月04日(木) 04:46 小説情報

0.1%の積み重ね(作者:仮面のカルメン)(原作:HUNTER×HUNTER)

HUNTER×HUNTERの世界に転生したフクリ。▼戦闘の才能は普通。努力もできればしたくない。▼そんな彼が作ったのは、念能力に使えるメモリが毎日0.1%ずつ増えていく能力「複利」。▼時間を味方につけ、増え続けるメモリで新たな能力を作りながら、少しずつ強くなっていく。▼これは、才能ではなく“積み重ね”で最強を目指す男の物語。▼※時系列、年齢がおかしくなってい…


総合評価:7310/評価:7.73/連載:46話/更新日時:2026年08月11日(火) 12:40 小説情報

グロキシニア転生者が行くHUNTER×HUNTER(作者:霊槍って、良いよね)(原作:HUNTER×HUNTER)

 七つの大罪の世界でグロキシニアとして転生し、チャンドラーと相打ちになるという大金星を上げた主人公が気付けばHUNTER×HUNTER世界の暗黒大陸の世界樹の元にいた……というところから始まる話。▼ 


総合評価:7207/評価:8.35/連載:15話/更新日時:2026年08月22日(土) 23:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>