時間が経ち、すこし寒くなってきた。
朝は冷えた空気の中で方便を唱え、仕事へ出る。
点・舌・錬・発を終える頃には身体も温まった。
山を登る間も纏を保ち、途切れれば歩きながら戻す。
初めは立ち止まらなければできなかったことだ。
資料を読む間は視線が紙の上にあるから保てるのに、人に話しかけられると意識が相手へ移ってしまい、保っていた膜がほどけるように切れた。
らでんは首を傾げた。
「なんで会話すると切れるんだろ……」
「うちは逆」
「何が?」
「歩いてる方が楽」
はじめは歩みを止めない。
らでんは座り仕事の肩のこわばりを思い出した。
「わたしは座ってる方が断然楽だよ」
後ろから短い声がする。
「人による」
振り返ると、少し離れてジンがいた。
「便利な言葉として使ってません?」
「実際そうだからな」
絶も最初の数秒から、二十秒、三十秒、長い時には一分まで伸びた。
ただ、鳥の声に肩が跳ねるだけで漏れる。
はじめがくしゃみで失敗した時には笑ったらでんも、首に止まった虫の脚先に気づいて飛び上がった。
「うわっ!」
今度ははじめが腹を抱えて笑う。
消えた気配は、笑い終える頃には二人とも纏に戻っていた。
練では、はじめの勢いが一か月前より安定した。
息を吐く長さが揃い、肩も大きく上下しない。
らでんは出力こそ小さいが、五十秒、一分と保てる時間を伸ばした。
残りを数えて焦ることが減ると、肩の力も抜けた。
ジンはたまに見て「前よりマシ」とだけ言う。
その雑な一言も、今のらでんには褒め言葉だった。
変化を見ていなければ出ない言葉だからだ。
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文化財調査も一か月が過ぎた。
《灯渡り》は、季節ごとに山を移動していた職能集団だった可能性が高まっていた。
鍋、刃物、桶、傘の修理や細工や交易の跡があり、各村では春と秋に人口が増えた記録があり、同じ印、同じ灯、同じ旧道が残ると分かってきた。
資料の示す方向が揃うにつれ、仮説の輪郭も濃くなる。
一方、はじめには紙では確かめられない動きが残っていた。
毎日、一歩目で腰を落とし、灯を身体の内側で守る。
二歩目は足を交差せず、斜面でも重心を崩さない。
足裏で地面を探るように置くから崩れない。
三歩目はなく、身体が先を探しても形が見つからないまま止まる。
はじめは足を止めた。
「続き欲しい」
らでんはノートから目を上げない。
「探してる」
「早くー」
そこでようやく、らでんがペンを止めた。
「文化財調査に早くはない!」
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その日、また写真が出た。
今度は祭りではなかった。
埃を払った山の工事を写した古い集合写真で、光の具合で顔が見えにくい中、村人が十数人写り、端に知らない三人がいた。
一人が手に長い棒を持ち、先が切れていた。
端末で拡大すると、長い持ち手の先に見覚えのある角が現れた。
蔵で見た《渡り灯》と同じ形だ。
はじめが肩越しに覗き込む。
「……これ」
「持ってる」
「でも」
はじめが指したのは灯ではなく、持つ男の立ち方だった。
右足を前に出し、低い腰に左肩を入れる。
その場で真似ると、腰がすとんと落ち着く。
「これ」
「同じ?」
はじめは次の足が自然に出るのを確かめた。
「次、出やすい」
そこへジンが来て写真を見た。
はじめがもう一回やって見せると、ジンが腕を組んでしばらく見ていて「……呼吸」と言った。
言葉が短い分、はじめの動きが止まった。
「何?」
「今、息、どこで吸った」
はじめは考えた。
「ここ?」
それは一歩目のことだった。足を出す意識が強く、息のことは後になっていた。
ジンはすぐに見抜いて言った。
「そこじゃねぇ」
はじめはもう一回やって一歩を捻るところで吸った。
「そこ」
捻りに合わせて胸が開き、息が入る場所がそこしかなかったからだ。
「呼吸まで確認するんですか?」
「身体動かすなら、呼吸も入るだろ。これ見ろ」
ジン写真を指した。
「この姿勢、胸潰してねえ」
次に腰と足を指さした。
「腰落として、長く歩く形なのに、呼吸残るようになってる」
はじめの目が少し輝き、もう一回やって吸って吐き、一歩、次と動かした。
「…これめちゃくちゃ動きやすい……次の動作が早いし楽」
「だろうな」
息と足が噛み合うと、踏むたびに身体が軽く前に送られた。
らでんはノートに新しい項目を立てた。
『《歩法》 《灯の保持》 《呼吸》』
三つは別々ではなく、一つの動きの中で繋がっていた。
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夕方、ジンが珍しく自分から切り出した。
「明日、次のやつ進めるぞ」
いつもは促される側なので、二人が顔を上げる。
「何」
「凝」
「ぎょう?」
「一応、応用技ってことになってる」
まだ土台ができていない。らでんの顔が引きつった。
「まだ纏も絶も練も、全然なんですけど」
「だからやる」
「え?」
ジンは二人を見た。
「完成してから次行くと思ってんのか」
「違うんです?」
「全部、並行して伸ばす。ただし、出来た気にはなるな」
らでんは黙った。
先を見せられると出来た気になる癖には、覚えがある。
「纏、まだ雑。絶、すぐ漏れる。練、一分程度でへばる」
はじめが顔をしかめた。
「めちゃくちゃ言う」
「事実だろ。凝も同じ、一回出来ても使えるとは言わねえ」
二人は頷いた。
一度の成功に浮かれるなという釘だった。
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翌朝、ジンは蔵の前の空き地に石を三つ並べた。
朝露の残る土を見て、らでんが首を傾げる。
「何するんです?」
ジンは自分の両目を指した。
「目を意識。んで『練』やれ」
二人は纏から練へ移り、オーラを増やした。
身体の周りが少し厚くなる感じはある。手のひらの痺れに似た圧として分かる。
「今出てるオーラ、目に集めろ」
「目?」
はじめが瞬きをする。
「目の周り」
目玉そのものではない。というのが、かえって掴みにくい。
「そんな細かく、動かせるんです?」
「出来る」
らでんは隣のはじめと顔を見合わせた。
「私たちが?」
「そのうちな」
やれば届くという意味に聞こえた。
ジンの説明は短かった。
身体から出すオーラを特定の場所に集め、目に集めるのが凝で、「オーラを見る時、よく使う」というものだった。
見るという言葉にらでんの動きが止まった。
「……見る?」
「ああ」
はじめが目を丸くする。
「オーラって、見えるの?」
「見える」
二人は一瞬無言になった。
「早く言ってよ」
「ずっと見えないものだと思ってた!」
「聞かれてねえ」
「そういう問題!?」
驚きと呆れが混じり、空気が少し緩んだ。
ジンが指で目を示す。
「やれ」
二人は練から目へ集めようとした。
らでんは眉を寄せた。何だこれはという表情になる。
腕なら何となく分かる。拳ならまだイメージできる。
目の、しかも表面となると小さかった。
小さい場所へ集めようとすると、かえって全体に力が入ってしまう。
らでんは眉間を押さえた。
「……頭、痛い」
「力みすぎ」
はじめは目をものすごく見開いていた。
「顔怖っ」
「集中してる」
ジンははじめの目を覗き込んだ。
「目玉に力入れてどうすんだ」
「違うの?」
「力を入れるんじゃない。”集める”」
十分経っても何も見えない。
二十分でらでんの目が痛み、はじめは眉間を押さえた。
三十分を過ぎ、ジンが手を上げる。
「一回やめろ」
「見えない!」
「当たり前。初日だぞ」
らでんは目の痛みを忘れて振り向いた。
「じゃあ何で、出来そうな感じで始めたんですか!」
「出来るつもりでやらなきゃ、出来ねえだろ」
始めなければ出来ない。
理屈はそうだが。
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翌日も、その次も失敗した。
目に集める前に意識が散り、集めてもすぐほどける。
四日目、はじめが目元に手をやった。
「なんか、目の周り、熱い」
らでんが身を乗り出す。
「見える?」
はじめは目を開けた。
「……普通」
「足りねえ」
集まる量が、見るにはまだ足りない。
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六日目、らでんの目の周りに布が一枚触れるような温かさが来た。
喜んだ途端に途切れる。
「今!」
「切れた」
「分かってます!」
喜びで意識が動いただけで、集めたものが散ってしまう。
十日経ってもまだ見えない。
ただ、痛みの手前で止め、目元の温かさを残す加減は分かってきた。
ある朝、ジンがまた石を三つ並べる。
「今日は、これ」
「また石?」
「一個だけ、オーラつける」
らでんが石を見比べた。
「そこから見つける?」
「ああ」
ジンが三つに触るのを二人は見ていたが、どれなのか分からなかった。
触り方は三つとも同じで、手つきに差がなかった。
「始め」
はじめは練から目へ集め、凝を保った。
十秒、十五秒と過ぎ、顔をしかめた。
「えっ…?」
らでんが横から、固まったはじめをみた。集中していて動かない。
らでんが「はじめ?」と呼ぶと、はじめは真ん中の石を指した。
「これ」
指先は迷わず真ん中へ伸びていた。
ジンが少し笑った。
「当たり」
「どう見えてるの?」
はじめは目を離さず、言葉を探す。
「……なんか、煙? いや、光?」
「違う……何か」
と続け、手を動かした。
「ふわって、ついてる」
「ずるい!」
「知らん!」
ジンは二人を見て笑った。
凝が切れると、見えていたものが消え、糸が切れるように視界が元に戻る。
見えるのは凝が保たれていた間だけだ。
はじめは石を見て少し放心した。
「ほんとに、見えるんだ」
らでんはすぐに座った。
「次私」
「焦んな」
「焦る!」
らでんは練から目へ集めた。
最初は目の奥が痛くなった。でも十日やった。
痛む手前で力みを抜く加減を知っていた。
身体の周りのオーラを少し目へ寄せ、一気にはやらず、少しずつやった。
目の周囲が暖かくなって開いた。三つの石は普通だった。
「……」
集め方が足りないのだろうか? もっとやろうと集中すると頭がズキと痛みが走った。
ジンがらでんをみた。
「腹」
「え?」
「そこのオーラが切れてる」
腹のあたりのオーラが切れてなくなっている状態だった。
らでんは集中を切った。
「薄くなる程度ならいい。ただ目に集めるのに、他全部空にすんな」
「難しすぎません?」
「だから、応用」
見たいものへ力を寄せれば、その分だけ別の場所が薄くなる。
石の細部に夢中で足元を見落とす癖が、今は身体を守る覆いにまで出ていた。
見る力さえつけば安心だと思っていたのに、使い方によっては逆になる。
らでんは目へ急いで寄せず、まず腹の周りに残す感覚を確かめた。
らでんはもう一回やった。目に集めた。でも纏は残して身体を守り、その上で目を増やした。
二つを同時にやった。両方を立てようとすると汗がにじみ、息が浅くなった。
らでんは汗をかき、十秒、二十秒と保った。
秒を数える余裕はなかったが、身体が保っている感覚だけはあった。
その時、真ん中の石がぼうっと見え、らでんは目を見開いて「……あ」と言った。
本当にあった。透明でもなく、光でもない。
色と言われても違う。でも見える。
熱気の揺らめきに近いのに、熱ではない何かが石の表面で揺れていた。
「見えた」
「でしょ!?」
はじめが嬉しそうに顔を寄せてきたが、今は石しか目に入らない。
石を見て、次にジンを見ると息が止まった。
らでんは言葉を失った。はじめが横から顔を覗き込む。
「何」
答えようにも、目を離せなかった。
ジンの身体の周りには、石とは全然違うものがあった。
厚く、大きく、身体の輪郭を越えて揺れる。静かなのに重い。
昨日まで圧でしかなかったものに輪郭がついた。
出し続けていたのに見えていなかっただけだった。
泥のついた服も、雑な立ち方も変わっていない。
増えたのは自分に見えるものの方なのに、目の前の人まで違って見える。
絵の細部に気づいて見直す時に少し似ていたが、今度は知らずに近づけば……
危ない。
「うちも思った」
はじめの笑う声がした。
らでんは泥だらけの服と、その外へ広がるオーラを見比べた。
「これ、知らないで、念能力者と戦ったら」
「運悪きゃ死ぬ」
「最初に言ってた……」
「ああ」
見えたことで初めて身体に入った。
---
その日、二人は仕事にならなかった。
鳥が枝に止まれば目を凝らし、犬が通れば追いかけたくなる。
なにか見えないものが見えるかもしれないという期待が止まらない。
「見える?」
「動くな!」
「待って待って」
犬にまで声をかけていると、頭を叩かれた。
「無駄遣いすんな」
「見たい!」
「疲れるぞ」
「見たい!」
はじめまで横で頷く。
「分かるー!」
「子供だなお前ら」
「「子供だもん!」」
二人の声が重なった。
---
午後、蔵で《渡り灯》の調査を続けた。
黒い石柱に触れた時、煙や灯や足音を感じたことがあった。
あの感じは、石の上の揺らめきと似ていなかったか。
らでんは《渡り灯》の前で足を止めた。
「ジンさん」
「何」
「これに、凝、使っていいですか」
ジンの目が灯へ向く。
「勝手にしろ」
「何か、見えます?」
「さあな」
「ジンさんは?」
「もう見た」
「何で教えない!」
「お前が見ろ」
らでんは深呼吸し、練から目へ凝をして、身体の纏を忘れずに見た。
腹の薄さを注意しながら目へ寄せた。
《渡り灯》は最初何もなく、古い木、傷、修理、黒ずみの普通のものだった。
気が緩むと目が痛んでくる。
奥がずきずきし、涙がにじんだ。
焦るなと思い直して力を抜いて見ると、その時、持ち手にごく薄く糸のような、いや染みのような何かがあった。
息を吐いた拍子に視界が澄み、そこだけが浮いた。
「……ある」
「何?」
はじめの声にも、視線を動かせなかった。
持ち手の摩耗している場所にそこだけ薄いものがあり、さらに木枠の角の一か所にもそこだけ同じものがあった。
でも生きてる人のオーラとは違った。弱く、古く、動かなかった。
揺らめかず、ただ張りついていた。
らでんの声は小さかった。
「ジンさん、これ、オーラ?」
「多分な」
「人の?」
「多分」
「誰の?」
「知らねえ」
凝が切れると、見えていたものも消えた。
すぐに目へ集め直そうとして、声が飛ぶ。
「やめろ」
「でも」
「目、持たねえぞ」
まだ目の奥が痛む。
「もう一回だけ」
「明日やれ」
悔しかったが、らでんは力を抜いた。
明日も見るため、今日は目を残すと自分に言い聞かせた。
見えるようになれば、誰の手が触れたのかまで分かる気がしていた。
けれど今分かったのは、そこに何かあるということだけだ。
知りたいことが増えた勢いで、分かったことまで増やしてはいけない。
らでんは目を休め、さっきまで普通に見えていた木の持ち手を見直した。
はじめが《渡り灯》の前へ寄った。
「うちも」
凝を数秒保ち、持ち手へ顔を近づける。
「……ほんとだ。ここ?」
「そう!」
「らでん」
「何」
「こっちにもある」
指したのは、長い持ち手の少し下だった。
「そこ、擦れてない」
「でも、ある」
ジンも近づいたが、何も言わなかった。
はじめは凝を切り、その場所に触らず手を近づけて身体を動かし、右手を長く伸ばした持ち手の上に、左手を下に置き、腰を落として一歩踏み出した。
触れずに形だけ当てはめると、残りの二つの場所にちょうど両手が来た。
らでんは息を止めた。
あの歩法の形で、二つのオーラが残っている場所にちょうど両手が来た。
はじめはゆっくり身体を捻り、灯を胸の内側へ入れた。風を避ける形だ。
「……これ」
らでんは工事の写真を出した。
百年以上前の男と同じ持ち方に見えたのを確認した。
「合ってる」
「多分」
「多分?」
らでんは写真から目を上げた。
「ちゃんと、可能性」
ジンが横で鼻を鳴らした。
---
次の日聞き取りを行った。
八十九歳 男性 ヨウ
写真を見せ、動きを見せた。
昼の光の入る座敷で、畳の匂いの中だった。
はじめが一歩踏み出し、灯を持つ形で腰を落として呼吸を整えると、ヨウはじっと見た。
目を細め、手を膝に置いたまま動かない。
長い沈黙のあと、かすれた声がした。
「それ」
はじめが動きを止める。
「知ってる?」
「子供のころ、祭りの前に、爺さんらが、やっとった」
らでんも写真を差し出した。
「祭りの踊り?」
ヨウは首を横に振った。
「祭りでも踊るが違う。元々は踊りじゃない」
はじめはジンを見たが、何も言わない。
らでんは身を乗り出した。
「じゃあ、何です?」
しばらく考え、ヨウは自分の膝へ手を置いた。
「……稽古」
「何の?」
「歩く」
「歩く?」
「山を」
ヨウは立とうとした。
「無理しないで」
「まだ、立てる」
杖を頼りにゆっくり立ち上がる。膝が震え、杖先が畳を軋ませた。
それでも右足を出し、今まで誰も見せなかった二歩目へ進んだ。
はじめは息を止めた。
止まっていた先が目の前で動いたからだ。
老人は腰を捻り、右、左と灯を持っている想定で動かし、次へ三歩目を出した。
今までなかったものだった。手に何も持っていないのに、持っている重さが見えた。
はじめも隣に立ち、一、二、三と足を運んだ。
「違う」
「どこ?」
「息」
足を止め、老人の胸の動きへ目を向ける。
「……呼吸?」
「歩きだけ、真似ても、続かん」
一で吸い、二で吐き、三で短く吸う。
「山は、長い。疲れたら、灯、次まで、持っていけん」
らでんのペンが止まった。
灯を次へ渡すための歩きだった。
はじめはもう一回やり、一で呼吸し、二で身体を動かし、三まで続けると、今度老人は何も言わなかった。
言わないことが合っている証だった。
四歩目が分からず止まると、ヨウの顔がほころんだ。
「そこまでじゃ」
「続きは?」
「忘れた」
はじめは先へ出しかけた足を戻した。
それでも口元が緩む。
「三つに増えた」
らでんは横から見ていた。
はじめは飛行船や宿で音楽を聞いていたときと同じく、身体で見つけて嬉しくて仕方ない顔だった。
---
帰りの山道でも、はじめは小石を避けながら一、二、三と呼吸を合わせていた。
横を歩くジンが、その足元を見る。
「纏」
「え」
「そのまま、纏やれ」
動きを止めず、薄いオーラを身体に巡らせる。
一、二、三と続けたところで、ふっとほどけた。
「あ」
意識が足へ向いていた。
「もう一回」
一で纏をして、二で呼吸し、三へ。
今度は切れない。後ろから見ていたらでんも、つい足取りが軽くなった。
「それ、相性いいね」
「うん」
はじめはまた一、二、三と進んでいく。
少し後ろへ下がったジンに、らでんは並んだ。
「ジンさん、昔の人でも、こうやって、身体に技術を残せるんですね」
「そりゃな、文字だけが記録じゃねえ」
歩くはじめの背が少し揺れ、その揺れがさっきの三歩と同じだった。
らでんは歩いた。その言葉はノートになかった。
でも覚えた。
書くより先に、足の裏に残る気がした。
---
その夜、らでんはノートに新しい一頁を取った。ランプの下で紙が少し反っていた。
『身体も、記録になる』
その下に書いた。手を止め、はじめの足音を聞きながら確かめた。
『《灯渡り》の動きは、祭礼舞ではなく、山間移動の歩法・呼吸法を後世に残したもの?』
疑問符はまだ取らなかった。さらに書いた。
なぜ祭りの形になった?そして書いた。
『なぜ最後まで残そうとした?』
外でははじめが一、二、三と何度も同じ動きを繰り返していた。
土を踏む音が一定のリズムになっていた。その身体を薄く纏が包んでいた。
まだ途切れて、まだ雑だったが、昨日より少し長く、切れるまでの歩数が延びていた。
そしてらでんは凝のため、目に集めた。
数秒で、はじめの身体の周りのオーラが見えた。
薄く揺れ、歩みと呼吸が合う瞬間だけ少しずつ安定した。
「はじめ」
「何?」
「見えるよ」
「何が?」
らでんは目を押さえた。
もう凝は切れている。
「……まだ内緒」
「何それ!」
部屋の奥で、寝転がったままのジンが欠伸をした。
「凝、使いすぎんなよ」
「起きてた!」
「目ぇ潰しても、知らねえぞ」
「怖い言い方しないで!」
「明日も、やるんだろ」
らでんはノートを見た。
渡り灯、灯の宿、消えた人々、残った歩法。
そして、まだ分からない続きがある。
「…そうですね」