《渡り灯》の追加調査に合わせて、古層板の常連が何人か資料館へ集まることになった。
実物を囲んで小規模な勉強会を開くのだという。
その打ち合わせのスレッドで、らでんにも誘いの書き込みが上がった。
みずき堂
> よろしければ、来ませんか?
画面を見た瞬間、らでんは迷わずキーを叩いた。
RDN
> 行きます!
そのときもやはり、誰もらでんに年齢を聞かなかった。
◇ ◇ ◇
当日は、朝から電車を一本間違えた。
小柄な少女が肩から鞄を提げて、資料館の前の坂道を走ってくる。
駆けてきた息がまだ整わず、建物の前でようやく足を止めると、ずり落ちかけた鞄の肩紐をぎゅっと握り直した。
入口の前には、すでに数人の大人が集まっていた。
発掘現場からそのまま出てきたような日焼けした男と、資料館の職員らしい落ち着いた物腰の人物。その周りにも、大学関係者や保存修復に詳しそうな人たちが何人か顔を揃えている。
大人たちはさっきから通りの方へ目をやりながら、「らでんはどいつだ?」という顔を見合わせていた。画面の向こうから急に現れた正体不明の若者に、揃いも揃って興味津々だったのだ。
「すみません、電車を一本間違えました! あの……古層板の方ですか?」
弾んだ声に振り向いた大人たちの視線が、一斉に固まった。
そこに立っていたのは、大学生というより、どう見ても子供――肩から鞄を提げた、小さな女の子だった。
妙な沈黙が落ちる。日焼けした男が、戸惑いを隠せないまま短く応じた。
「そうだけど……何の用ですか? お嬢さん」
少女がぱっと顔を輝かせて笑った。
「らでんです! 今日はよろしくお願いします!」
また沈黙が落ちた。
みずき堂が隣の古狸を見る。古狸が、目の前の少女を見る。
「……らでん?」
「はい!」
「RDN?」
「はい!」
「何歳?」
「十一です」
誰も喋らなかった。
ぽかんと口を開けたまま動かない大人たちを見上げて、らでんの笑顔が少しだけ不安そうに曇る。
「……あの、私、何か変でしたか?」
みずき堂が、思わずといった様子で頭を抱えた。
「変というか……」
古狸が掠れた声で引き取る。
「若手の研究者か、いくら若くても大学院生くらいだと思ってた」
「大学院?」
らでんは目を丸くしてから、へへっ、と嬉しそうに笑った。
「そんなに大人っぽかったですか?」
「……いやぁ……びっくりだわ」
資料館の入口で、古層板の面々がしばらくざわめいた。
◇ ◇ ◇
だが、いったん展示室へ入ってしまうと、十分もしないうちにいつもの古層板の空気に戻った。
みずき堂がガラスケースの前に立ち、照明の下に収まった《渡り灯》の一点を指し示す。
「写真だと影になって分かりづらかったのですが、ここです」
らでんはつま先立ちになる勢いでガラスへ顔を近づけた。
吐いた息でガラスが白く曇り、伸ばしかけた指先が表面に触れる寸前でぴたりと止まる。
「あっ! これ!!」
「こらこら、近い近い」
古狸にたしなめられて、らでんは慌てて一歩後ろへ引いた。それでも目はケースの中の木肌から離れない。
「ここ、あとから削り直してません?」
横から保存担当らしい参加者が背を屈めて覗き込んだ。
「よく分かったな」
「だって、左右で刃物の入り方が違いますよ。こっちだけ少し浅いです」
「後補としてはアリだな。確かに切れ込みの角度が違う。変わったのが彫り手なのか道具なのかは、これだけだと怪しいところだが」
「ですよね! じゃあ、お祭りで使われてた途中で一回直したってことですかね?」
「可能性は高い」
「うわー、それ面白い!」
そこからは、もう誰の話も止まらなくなった。
相手が十一歳だからといって、説明を子供向けに噛み砕くような大人は一人もいない。らでんの方も、知らない専門用語や見分け方があれば遠慮なくその場で尋ねた。
「あの、そっちの筋は何です? 自然に起きた割れ目ですか?」
「木材の乾燥割れだな。こっちは自然に裂けたものだが、反対側は人為的な処理だろう。雪の中で寝かせて乾かした形跡がある」
「えっ、そんなことまで分かるんですか? 違い、どこで見るんです?」
「比較用の断面なら収蔵庫にあるぞ。あとで見てみるか?」
「収蔵庫って、入ってもいいんですか!?」
「関係者立会いならな」
「やった!」
両手を握って跳ねるように喜ぶらでんを眺めながら、少し離れたところで古狸がふと小声で呟いた。
「……似てるな」
「何がです?」
「昔の変なガキに」
言ってから、古狸は自分で鼻を鳴らして首を振った。
「いや、全然違うか。あいつなら、人の説明を聞く前に勝手に奥の部屋へ入って行ったな」
「らでんは人の話を全部聞くよね」
「確かにそうだ」
ケースの前でメモを取っていたらでんが、不意にひょいとこちらを振り返った。
「何の話です?」
古狸が苦笑混じりに答える。
「昔、お前みたいな変なガキがいたって話だ」
「えっ、誰ですか?」
古狸は少しだけ言葉を切り、口にしていい名前かどうか考えた。
昔から、そいつは自分の情報が表に残ることを極端に嫌った。写真も経歴も連絡先も、ネットに上がったものは気づけば跡形もなく消えている。古層板の古参たちのあいだでも、本人について公の場に書くことはまずない。
だから古狸は、名前だけを短く落とした。
「ジン=フリークス」
らでんはきょとんと首を傾げた。
「……誰です? 有名な人ですか?」
「遺跡ハンターだな。この界隈じゃ有名と言えば有名だが……今から調べても、大した情報は出てこないぞ」
「なんでです?」
古狸が呆れたように肩をすくめた。
「本人が全部消すんだよ。自分が関わった痕跡を、片っ端からな」
らでんの目が、すっと大きくなった。
「自分で、ですか?」
「そういう奴なんだよ。目立つのが嫌なのか、他に理由があるのかはよくわかんねぇが」
「へえ……」
その声を聞いた瞬間、古狸には分かった。
今の「へえ」は危ない。
この小さな新入りが、何かとびきり面白いものを見つけてしまったときの声だった。
◇ ◇ ◇
その夜。家へ帰ったらでんは、学校の宿題を大急ぎで片付けてからパソコンの前に座り、検索欄へ名前を打ち込んだ。
《ジン=フリークス》
古狸の言ったとおり、ほとんど何も出てこなかった。
撮影者も人物名も記されていない発掘現場の古い写真。
学術論文の末尾に一行だけ添えられた、「某ハンターの協力により」という素っ気ない謝辞。
途中でリンクの切れている昔の研究ページに、引用元だけが残って本文の消えた調査報告。
画面をスクロールするほど、不自然さばかりが際立った。
昼間会った大人たちが揃って顔を見合わせるほど知られている人物なのに、本人へ辿り着く道筋だけが、綺麗に削り取られたみたいに消えている。
らでんは、しばらく白い画面を眺めた。
これ以上検索窓を叩いても無駄だと分かると、あっさりブラウザを閉じ、翌日、古層板へ書き込んだ。
RDN
> ジン=フリークスについて教えてください。
古狸@野良発掘
> ネットに書けることはあんまりない。
RDN
> じゃあ、書ける範囲だけでいいので!
古狸@野良発掘
> しつこいな。
RDN
> 気になるので。
古狸@野良発掘
> 遺跡を見つけるのが趣味。
RDN
> 趣味!?
古狸@野良発掘
> 趣味みたいなもんだ。
そこへ、別の古参らしい利用者が割り込んできた。
別の利用者
> 十代の頃から遺跡掘ってたぞ。
RDN
> 十代!?
別の利用者
> しかも掘った後、修復や保存まで手を出してたな。
RDN
> えっ、なんでそこまでするんですか?
古狸@野良発掘
> 残さなきゃ意味ないからだと。
そこで、らでんの書き込みがぴたりと止まった。
五分。十分。時計の数字が切り替わってから、ようやく新しい行が上がる。
RDN
> 見つけるだけじゃないんですね。
古狸@野良発掘
> ああ。
> 保存して、公開して、地元に管理を任せられるところまでやった。
RDN
> そういう面倒くさいところまで全部ですか?
古狸@野良発掘
> むしろそっちの方が長くて大変だ。事務手続もあるし、承認や許可申請、場合によっては地元の理解もいる。
また、画面のこちら側で指が止まった。
らでんの机の上には、前に撮られた《渡り灯》の写真が置かれていた。
五十七年間、名前を失っていた木製品。
どんなにすごい物でも、そこにあるだけでは足りない。人に忘れられれば、物はそこにあっても意味を失ってしまう。
らでんは写真の端から視線を戻し、キーボードを打った。
RDN
> その人、どうやってそういう仕事するようになったんですか?
古狸@野良発掘
> ハンターだから。
RDN
> ハンターって、遺跡掘る仕事なんですか?
古狸@野良発掘
> 違う。
RDN
> じゃあ何する人?
少し間を置いて、返事が表示された。
古狸@野良発掘
> 好きなものを追いかけるために、世界のどこへでも行く連中だ。
らでんは、その一文を何度も読み返した。
それから別の窓を開き、検索欄へ新しい言葉を打ち込む。
《ハンター試験》
今度は、比べものにならないほど情報が山のように出てきた。
そもそもハンターとは何なのか、上から順番に読んでいく。
遺跡ハンター。美食ハンター。幻獣ハンター。賞金首ハンター。財宝ハンター。
一口にハンターと言っても、追いかける対象はてんでばらばらだった。けれど、どの分野にも共通していることがある。
普通なら入れない場所へ行くこと。
普通なら手に入らない情報へ辿り着くこと。
そして、自分が追いたいものを、本気で追いかけていいということ。
マウスを動かしていたらでんの指が止まった。
「……何これ」
さらに画面をスクロールして読み進める。
合格者に与えられるハンターライセンス。
公共施設の無償利用。一般には閉ざされた国や立入制限区域への渡航許可。莫大な融資枠。専用の情報網へのアクセス権。
「いやいやいやいや」
らでんは思わず椅子から身を乗り出した。
「こんなん、文化財見るための最強カードじゃないですか」
だいぶ偏った理解ではあったが、十一歳のらでんにはそこが何より大きかった。
行きたい場所へ行き、見たいものを見て、それをそのまま自分の仕事にしていい。
その夜のうちに、古層板に新しいスレッドが立った。
投稿者はRDN。題名は『ハンター試験について』。
最初に反応したのは、やはり古狸だった。
古狸@野良発掘
> なんで急に。
RDN
> 受けたいです。
しばらくのあいだ、スレッドの返信が止まった。
次に書き込んだのは、みずき堂だった。
みずき堂
> 待ちなさい。
RDN
> なんでです?
古狸@野良発掘
> お前いくつだ。
RDN
> 11です。
古狸@野良発掘
> だよな。
みずき堂
> だよな、じゃないです。
RDN
> ジンさんも、かなり若い頃にハンターになったんですよね?
古狸@野良発掘
> あれを基準にするな。
みずき堂
> 本当に参考にしてはいけない人です。
RDN
> でも受かってますよね?
古狸@野良発掘
> そういう問題じゃねえ。
RDN
> じゃあ、どういう問題です?
古狸からの返事は、ひどく短かった。
古狸@野良発掘
> 危険すぎる。下手すりゃ死ぬぞ。
その一行で、らでんの指が止まった。
◇ ◇ ◇
そこから、らでんはもう一度調べ直した。
ハンター試験。過去の死亡者数。重傷者。行方不明のまま戻らない受験者。
年度によって試験官も課題もまるで異なること。
学校のテストのような学力試験とは根本から違う。過去問題集なんて意味をなさないし、机の上の知識だけで突破できる場所ではなかった。
数日後。らでんは再び同じスレッドを開いた。
RDN
> 思ってたよりかなり危ないですね。
古狸@野良発掘
> だから言った。
RDN
> でも受けたいです。
古狸@野良発掘
> お前、人の話聞いてるか?
RDN
> 聞いた結果です。
みずき堂
> どうしてそこまでしてハンターになりたいの?
画面の問いかけを見つめて、らでんは少し考えた。
展示ケースの向こうで見た《渡り灯》と、まだ見ぬ遠くの遺跡を思い浮かべながら、一つずつ言葉を打ち込んでいく。
RDN
> 行けないところに行きたいです。
> 見られないものを見たいです。
> 知らないものを知りたいです。
一度キーから指を離し、少し間を置いて、もう一行だけ付け足した。
RDN
> あと、面白かったものを誰かに話したいです。
古層板が、すっと静かになった。
しばらくして、古狸が最後に一行だけ落とした。
古狸@野良発掘
> ……そうか。
賛成ではなかった。
だが、もう頭ごなしに否定もしなかった。
らでんの中では、もう答えは決まっていた。
私はハンターになる。そのための準備を、今から全力でする。
ハンターになるために自分に何が要るのか、らでんはさっそく探し始めた。